65. スコーン侯爵家の没落 1
スコーン侯爵が恐慌状態に陥り自我を失った頃、王都からクラーク公爵領に向かう一集団があった。彼らは私服に着替えているものの、身のこなしや顔つきが只物ではないと知らしめている。そして彼らが身に着けている私服は千差万別で、庶民として納得できるものもあれば、貴族でなければ到底手に入らない衣装の者もいた。だが共通していることは、彼らの身体能力の高さと連携の良さだった。
「どうだった」
中心的な立場に居るらしい男が近づいて来た男に問う。すると、その男は低く答えた。
「やはり個人主義的な隊なだけありますね。全員バラバラですよ、隊長」
「そうか。一人ずつ潰していくのが手っ取り早いかもしれんな」
報告を受けた男――二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートは眉根を寄せる。部下はダンヒルの判断を待つように、その男の顔を見つめていた。
「先頭は?」
「ブルーノです」
「手柄を他にやる気はないってことか」
ブルーノ・スコーン――八番隊の隊長だった男だが、今は北部で前団長ヘガティが死亡したとの報告を受けて、団長の座に収まった。当然、元から王立騎士団に居た騎士たちはその人事が正当なものではないと知っている。
元々ブルーノ・スコーンは個人行動を取る嫌いがあったし、本来王立騎士団が忠誠を誓うべき王族よりも、父侯爵の意向に従っていることは誰の目にも明らかだった。それゆえに、ブルーノは人望がない。能力的にも人間関係的にも、ブルーノが王立騎士団長という重要な役割に相応しいとは到底言えなかった。
そんな彼が今団長の座についているのは、偏に父侯爵が大公派の主要人物であり、大公派が王都を占拠した時に王立騎士団の指揮権を得たのがスコーン侯爵だったというだけの理由だ。
「そもそも団長が、こんな下っ端の仕事に手ぇ出すなって話だ」
苦々しくダンヒルが言えば、同調するように部下も頷く。そして彼は声を顰めて囁いた。
「あくまでも噂ですけど、今回のこの件でスコーン侯爵には失敗するなときつく言いつけられているようですよ。何でも、陛下と殿下をスコーン親子で捕えることで、王宮での地位を盤石にしたいとか」
「なるほどな、グリードとの政争か。――くだらないな」
部下の言葉に納得したダンヒルは、しかし呆れ顔を隠さない。本来であれば王族を護るべき王立騎士団が王族に牙を剥いてどうするというのがダンヒルの意見だし、当然権力に欲を出して大公派に媚を売るような騎士は侮蔑の対象だ。
たとえ父親に命じられても、ブルーノ・スコーンは彼の騎士道精神に則って反発すべきだった。
「ブルーノ・スコーンとソーン・グリードで、はっきりと明暗が分かれた感じだな」
ダンヒルは呟くが、あまりにも声が小さく部下は聞き取れなかったらしい。きょとんとした部下に、ダンヒルは「なんでもない」と首を振った。
ブルーノ・スコーンと同じく、ソーン・グリードもグリード伯爵という大公派の父を持つ。性質はブルーノと異なるし立場も魔導省所属の魔導士と大きく異なるが、決定的な違いは父親に従っているか否かという点だった。
父侯爵に一も二もなく従っているブルーノと、父に従っているように見せかけながらも王太子の密偵のような形で情報を流し協力しているソーン。今後の政局次第でどちらの選択が正しいのか異なって来るだろうが、ダンヒルたちにしてみればソーン・グリードの方が親しみを持てた。
今回、王立騎士団の兵舎から秘密裏に脱出するための転移陣を秘密裏に融通してくれたのもソーン・グリードだ。
たとえ大公派が破れ王太子が王都に凱旋しても、ソーン・グリードは実家の没落に巻き込まれることなく、この先生きて行くことができるだろう。
「前から潰すのも良いが、後ろから順に潰していった方があいつらには気付かれないだろう」
「分かりました。皆に伝えて来ます」
部下は真剣な表情で頷くと、踵を返して全員の元に知らせに行く。
ダンヒル率いる二番隊は魔導騎士たちの集まりだ。そのため、他の隊とは異なり、別々の場所に居ても連携は取れる。
だが、他の隊ともなるとそうは簡単にいかない。そこまで考えて、ダンヒルはしみじみと腕を組み頷いた。
「七番隊を連れて行くと仰られた時は驚いたが、まさかここまで想定していたとか――あり得そうなのが怖いな」
ダンヒルが思い浮かべたのは、ここ長らく顔を合わせていない王立騎士団長――正確には前団長だが、実際は死んでいないのだから現団長である――ヘガティの顔だった。
北部の領主が蜂起したという知らせを受けて部下を引き連れ王都を発つとき、ヘガティは副団長マイルズ・スペンサーに七番隊と三番隊を連れて行きたいと告げ、そしてダンヒルには二番隊から一番伝言役に向いている騎士を一人出してくれと頼まれた。
普通の出兵にしては妙なこともあるものだと思ったものの、ダンヒルに否やはない。素直に騎士を一人同行させることにしたのだが、もしかしたら具体的に言われなかっただけで、ヘガティは当時から今のような事態を想定していた可能性もある。勿論ヘガティだけで思い至っていたかもしれないが、一番は王太子ライリーに何かしら言われていたと考える方が自然だろう。
「末恐ろしいぜ」
当然、王太子ライリーや団長ヘガティはダンヒルよりも遥かに手元にある情報は多い。だが、それにしても先のことをある程度想像し、適切な対策を打つということは簡単なことではない。
それにも関わらず、現状を見れば王太子たちはある程度の未来を見通していたようにしか思えてならなかった。そうでなければ、大公派の手を逃れることも、そして今まさにそうしようとしているように、大公派へ逆襲することもできなかっただろう。
いやはやと首を振ったダンヒルは、ふと左手首に巻いた魔道具が光を放っていることに気が付いた。非常に高価な魔道具であり、作れる人間も殆ど居ない。今のスリベグランディア王国で作れる者と言えばペトラ・ミューリュライネン一人だった。
詳しいことはダンヒルにも分からないが、どうやら通常の魔道具とは違い、魔術陣と呪術陣を組み合わせたものだそうだ。その上、複雑な術式に耐えられるほど高品質な材料を探さなければならないという。
更にはこの魔道具の操作には微細な魔力調整が必要とされていた。普通の魔導士であっても使い方には難儀すると聞く。失敗すればあっという間に魔道具は壊れ、二度と使い物にならなくなる。国家予算を簡単に食いつぶせそうな逸品を手にしたいという者も、存在していなかった。
「――どうした」
声を顰めて、ダンヒルは魔道具に向け声をかける。それは遠方にいる人物との会話を可能にするという魔道具だった。ただ前述の通り、誰にでも使える代物ではない。今の王立騎士団で上手くその道具を使える人物は、ヘガティ団長と共に北部へ行った二番隊の騎士と、ダンヒルくらいのものだった。
ダンヒルは普段の態度や使う魔導剣の技が豪快なだけあって微細な魔力操作が苦手だと思われがちだが、実際には酷く繊細に魔力を扱う。豪快な技も良く見れば複雑な術式を独自に組み合わせたもので、一歩間違えれば術者諸共爆発するという、物騒な代物が多かった。
『殿下は無事に侯爵軍の攻撃から逃れ王都に向かわれています。こちらも負傷者はいません』
「そうか。さすがだな」
ヘガティが居れば大丈夫だろうという信頼はあったものの、やはり戦力差だけが気がかりだった。ライリーを捕らえんと向かったのはスコーン侯爵の私兵であり王立騎士団の騎士たちと比べるべくもない戦力だが、やはりどうしても頭数の差というものは戦局の優劣に繋がる。
『こちらはこのまま王都に向かいますが、そちらは予定通り合流できそうですか?』
「ああ、問題ない」
計画は順調に進んでいる。計画と一言にいっても、実際には詳細な打ち合わせなど出来ていない。
王太子ライリーはヘガティと共に王都に進み、二番隊は監視から逃れた後八番隊を叩く。そしてその後合流し王都に戻り、大公派を断罪する。その間にケニス辺境伯は王太子派の貴族と連絡をつけ、連携を取れるように計る。
ただそれだけだった。
だが、細かに計画を立てるよりもその方が柔軟に物事には対応できる。
ダンヒルは物騒に、にやりと笑んでみせた。普段見せる飄々として掴みどころのない、ふざけた様子とは程遠い。女を口説く時の色気に満ちた優しい紳士的な表情とも全く違う。
獲物を見定めた、腹をすかせた猛獣のような迫力だった。
「今から潰しに行くところだ」