9. 絡む糸 3
初めて訪れた魔導省は広大な敷地に建った茶色い煉瓦の建物だった。中央には円筒形の鐘楼が聳え立っている。中央の大きな門の上には魔導士の象徴である紋章が掲げられていた。この門は、あらかじめ許可を得た人間しか入ることはできないそうだ。全ての手続きはペトラがしてくれるとのことだったため、リリアナは身一つでやって来た。ジルドとオルガは近場で待っていてくれると言う。
(いらっしゃるわ)
リリアナは門の手前に人影を認める。久し振りに会うが、間違いなくペトラだ。フォティア領の屋敷に行く際雇った時とは違い、どこか雰囲気が刺々しい。だが、馬車から降りたリリアナは気にすることなく微笑を浮かべ礼を取った。
『お久しぶりですわね』
「相変わらず元気そうだね」
安心したよ、お嬢サマ――とペトラは言う。その顔は少しやつれているようにも、殺気立っているようにも見えた。だが、尋ねたところで素直に答えるタイプではない。短い付き合いだが、さすがにその程度は分かる。リリアナは大人しくペトラに従う。
門のすぐ隣にあるガーゴイルの形をした飾りへペトラが手を翳す。すると、門が自動的に開いた。
「魔力に反応するようになってるんだよ」
目を瞬かせているリリアナに説明し、ペトラはさっさと敷地内に入った。遅れないよう、慌ててリリアナは後を追う。門から魔導省の建物へも相当時間がかかる。普通であれば扉の前まで馬車を付けることができるのだが、魔導省では馬車の乗り入れが許されていないらしい。
ペトラが扉の前に立てば自動的に戸が開く。思わず目を瞠るリリアナに、ペトラはわずかに口角を上げた。
「この建物だけ、魔力を感知して自動的に開くようになってるんだ。だから許可された人間以外は入ることができない。門番だと、姿を変えた相手を見破ることができないからね」
『防犯のために、ということですのね。魔力を感知するということは、例えば魔力を似せて入ることもできてしまうのではありません?』
「――理論的には、ね」
実際に、自分の魔力を他人の魔力に偽装させるなど高位の魔物でなければできないことなのだが、リリアナの頭からはすっぽりと抜け落ちている。しかし、ペトラはそれを指摘しなかった。
共に旅をしていた時と比べてペトラの口調は固く重い。ペトラがあまり魔導省を好きでないことは、リリアナも薄々勘付いていた。だが、それだけではないような印象を受け、リリアナは目を瞬かせる。首を捻るが、ここで追及してもペトラは口を割らないだろう。
魔導省の中をしばらく歩き、どんどん奥へと進む。何度か廊下を曲がって渡り廊下を渡る。仮に一人になってしまった時に動けるよう、リリアナは周囲の景色を記憶しながら進む。その途中、大きく扉が開かれた講堂から続々と人が出て来る場面に出くわした。ローブを着た集団というのもなかなかお目にかからない。ペトラは小さく舌打ちを漏らし、廊下の隅に寄るとリリアナに小声で告げた。
「姿、消して」
理由は分からないが、ペトラが言うのであればそうすべきなのだろう。
リリアナは無詠唱で姿を消す。自分の魔力も勘付かれないよう操作した後、念のためペトラの後ろに隠れた。
講堂から出て来たのは間違いなく魔導省で働く魔導士たちだろう。ほとんどはペトラがそこに居ないかのように無視をする。残りはペトラを一瞥し馬鹿にしたような顔になるか、露骨に嫌そうな表情を浮かべるかのどちらかだ。そして、最後に出て来た頭が心許なくなった初老の男たちは、ペトラを見て「おやおや」とわざとらしく笑みを浮かべた。
「こんなところに珍しい。ようやく退官届を出す気になったかな?」
ペトラは答えない。冷たい一瞥を返すだけだ。しかし三人の男はペトラの視線に気が付かないのか、多勢に無勢とでも思っているのか、全く気にした様子がない。背の高い男は痩せこけ、平均身長の男はビール腹を揺すっている。一番背の低い男は相応の体形だが、その目はペトラの体を嘗め回すように眺めていた。
「君のことは期待していたんだよ。そのために厳しい言葉も掛けたが、何の成果もないままだとね。我々もいつまでも庇うわけにはいかない。言っている意味は、わかるかな?」
「卿、この毛唐――いや、女性には遠回しに言っても理解できるほどの頭はありませんよ」
「君、さすがにそれは失礼にあたるよ。彼女は必死に頑張っているんだろうさ。勿論、人間の資質は努力では如何ともし難いことではあるがね」
「魔導省は最も優れた資質の者でなければ、入省することすらできませんからなあ」
露骨なまでの嫌味だ。魔導省に入省するためには後見と試験があると聞く。ある程度は縁故採用もあるようだが、建前は実力主義のはずである。
(その関門を突破して入省したペトラをそのように仰るなんて、ご自分たちの選抜試験で不正が行われていると認めていらっしゃるようにしか聞こえませんけれど)
リリアナは内心で呆れる。尤も、男たちにその意識はないのだろう。
ペトラは黙って男たちの会話を聞いていたが、やがてニヤリと笑みを浮かべた。しかしその双眸は暗い光を浮かべている。
「なんだって良いけどさァ。研究費も器具も寄越さないで“成果”なんて、あんたたちでも出せんの? すごいねェ、“無”から“有”を作り出すことなんて禁術でしょ? ちゃんと許可取った? ああそっか、自分たちで許可出すんだから、禁術使うのも金の流れをちょォっと弄るのもワケないかァ」
「――なんだと?」
「貴様、今なんと言った」
どうやら男たちは三流の悪役よろしく、言い返されることが許し難いようだ。すぐに顔色を変えてペトラを睨む。ペトラは「やだ、耳まで悪くなったの?」と嗤う。
「ゴマするよりも、まずは頭の毛と耳をどうにかする薬作った方が良いんじゃないの、自分たちのために」
それなら懐も潤うよ、と付け加えたペトラはもはや嘲弄を隠そうともしない。
男たちは真っ赤になった。さすがにリリアナも心配になる。ペトラの話を聞いていた限りでは、彼女が男たちに負けることなど決してあり得ないだろう。だが、権力者とは時に面倒な存在だ。卑怯な手で気に食わない存在を引きずり降ろそうとする悪知恵は良く働く。目の前の三人もその例に洩れないと思われた。
「こちらが礼儀を持てば、恥知らずにも無礼千万な口をききおって――!」
いやいや明らかに礼儀を失していたのはそちらでしょうと、リリアナは姿を消したまま半眼になる。いっそここで魔術を使い残った数少ない髪の毛と永久のお別れをさせてやっても良いかしら、とまで考えていると、若い男の声が響いた。
「こんなところで暇そうだな、仕事を渡そうか」
珍しくもペトラは弾かれたように肩を揺らし、背後を振り返る。リリアナも目を瞬かせて振り返った。気配を全く感じないのは珍しい。
そこには背の高い男が立っていた。暗い色の着古したローブを着ている。ざんばらに伸びた髪はそのままに無精ひげも生えているが、端正な顔立ちは隠せていない。不健康な生活を送っているのか顔色はあまり良くないが、どこか人を従わせるような雰囲気があった。
「ふ、副長官――」
三人の男たちは顔を引きつらせている。副長官、ということは、フォティア領の屋敷でリリアナが出会った魔術省長官ニコラス・バーグソンに次ぐ地位なのだろう。
「――――そういえば、ミューリュライネン。先ほど気にかかることを言っていたが」
「色々言ってたけど、どれの話かな」
ペトラは副長官を前にしても態度が変わらない。それを三人の男たちは憎々し気に睨んでいる。しかし、副長官もペトラも全く気にした様子がなく会話を続けた。
「研究費がどうのこうのとか、禁術がどうのこうの、という話だ」
「ああ、それ」
言ったね、とペトラは頷く。その表情はほんの僅かではあったが、先ほど三人の男たちの暴言を受けていた時よりも緩んでいた。
(いえ、もしかしたら――門の前でお会いした時よりも随分、目元が穏やかですわ)
リリアナは瞠目する。
副長官は淡々と言葉を続けた。しかし、言葉の端々にイライラとしたような感情の揺らぎが見える。ペトラと会話しているようでいて、副長官の視線は三人の男たちに向けられていた。
「研究費だけでなく、諸経費の流れで疑わしい内容が見つかったからな。現在調査中だ。もうじき報告があがる。それから禁術に関しては、実行した時点で僕のもとに連絡が来る。無論、実行者には時期が来れば査問会への出席を求めることになるだろう」
つまり、禁術を使った時点では、実施者は知られたことに気付かない。喉元を過ぎたところで処罰が決定されるということだ。副長官は何気なさを装いさらりと付け加えた。
「査問会に出席したところで証拠は確定的だ。禁術を使った時点で極刑は免れない。子供でも知ってる常識だな。僕の研究時間を邪魔してまで禁術を使おうっていうんだから、覚悟はしてるんだろうし、責任は取るものだ。賢い君たちは分かってると思うが」
「いえ――あの、ええ、それは――勿論のことです」
ついに三人の男たちは顔面蒼白になり、額から大粒の脂汗を流し始める。
(――小物だわ。もう少し粘っていただきたいものね)
リリアナは半眼で男たちの醜態を眺める。男たちは必死の形相で、「仕事が」「ああ忙しい」などと言いながら、慌ててその場を立ち去った。
ペトラと副長官はその場に立ったまま、後姿を見送る。副長官は溜息を吐くと、うんざりとした顔でペトラを見下ろした。
「ミューリュライネン、いろんなところに喧嘩売るのやめてくれる? 僕の研究時間がなくなる」
先ほどまでの言葉遣いと比べると、かなり柔らかな言い回しだ。こちらが本質なのかと、リリアナは目を瞬かせる。どうやらキャラクターを使い分けているようだ。
「今回は本当に偶然だよ。誰が好き好んでクソジジイ共の顔なんざ見に来るか」
吐き捨てたペトラに小さく頷いた副長官は、興味が失せたように一言「じゃあ、こっち来て」と告げるとさっさと歩き始める。リリアナはさすがに慌てた。付いて行って良いものかと思い悩むが、ペトラも歩き出してしまう。ここで放置されても困ると、リリアナはペトラの後を追った。勿論、姿は消したままだ。
副長官とペトラが向かったのは、魔導省の中でも一番奥まった場所にある副長官室だった。周囲には人が集まるような部屋もないらしく、閑散としている。講堂近辺の喧騒が嘘のように静かな空間だった。庭も広く、恐らく薬草が植わっているのだろう畑も見えた。
室内に入り扉を閉めた後、副長官は書類と魔道具で埋もれた書類机の後ろに回り、どかりと椅子に座った。
「で、そこの君。姿、見せて」
「――お嬢サマ」
端的な言葉にリリアナは一瞬言葉を失った。気付かれているとは思わなかった。だが、すぐに術を解く。その様子を眺めていた副長官は、「ふうん」と呟いた。表情の変わらない端正な顔の中で、その両眼がキラリと煌めいたような気がする。なんとなく肉食獣に獲物として見定められた野兎の心境に陥ったリリアナだったが、気にせずに副長官は身を乗り出す。
「面白いね。声が出ないのに魔術使えるって、つまり君が魔術を使うのに詠唱は要らないってことかな。それとも心の中で呟けば十分ってこと? それに、姿を消すのに闇魔術じゃなくて風魔術使ったの? 凄いな、魔力消費量が闇魔術の二割程度まで抑えられてる。その術式流用していい? 初めて見る系統なんだよね。誰にも言わないよ、勿論。多分、一般的には受け入れられないだろうし。それから、魔力消してたよね? 中途半端だったから、せっかくだし君の術式もちょっと書き換えようか。それに、その魔力量、見たことない量なんだけど測定していいかな? あと魔力の質も――」
「副長官、いい加減にしてください」
呆れ顔のペトラが副長官を諫める。立て板に水のごとく流れる言葉に圧倒されていたリリアナに気付いたのか、副長官は目をぱちぱちと瞬かせた。そして、「ああ、そうだった」と思い出したように頷く。
「ミューリュライネンから話は聞いてるよ、クラーク公爵令嬢。君のところの護衛に彼女を選んで良かったみたいだね、まさか魔導省まで連れて来るほど打ち解けるとは思わなかったけど。
僕はしがない宮仕えの魔導士だよ、爵位はないけどちょっと有名どころの家に生まれたお陰で、副長官なんて仕事する羽目になったんだ。副長官になると大変だよ、研究したいのに馬鹿な奴らがしでかした不始末の尻拭いとか不正な資金経路の調査とか新人育成とか予算確保とか根回しとか――もう本当事務員雇いたいのに金がないって上はうるさいし」
「副長官、いい加減にしてください。ていうかあんたの上って一人しかいないでしょ、聞かれたらさすがに不味いんじゃないの」
「わあ、ミューリュライネンが僕のこと心配してくれたコレって今の研究が上手く行くって暗示で良いかな」
「無駄にポジティブすぎて気持ち悪い」
ペトラが嫌そうに顔を顰める。無言で二人の会話を見守っていたリリアナに、ペトラは肩を竦めてみせた。
「この魔術馬鹿兼研究馬鹿はベン・ドラコ、魔導省副長官。史上最年少で就任した天才、とは言われてるけど、実際は紙一重の方」
「そんなに馬鹿って繰り返さなくても良いじゃないか、それに僕が魔術馬鹿なら君は呪術馬鹿だ」
ベン・ドラコは唇を尖らせる。しかしその表情は余裕を持ったまま、ペトラを見上げている。ペトラの反応が楽しくて仕方がないらしい。
一方のリリアナは、「よろしくお願いします」と示すために礼を取りながらも、必死で顔が引き攣らないよう耐えていた。
(ベン・ドラコ――って、攻略対象の兄ではありませんの――!)
ドラコ家は爵位は持たないが、代々優秀な魔導士を輩出する家系だ。元を辿れば魔の三百年でスリベグランディア王国を打ち立てた魔導士の血を引くとされており、その後も近年に至るまで王家と国に多大な貢献をして来た。叙爵の話を蹴ってなお王家に忠誠を誓った一族である。叙爵を断られた時の国王は激昂することもなく、むしろその謙虚さと実直さに心打たれたと史実が伝えている。そのため、爵位を持たない唯一の貴族として公爵家と同等の権力を与えられた。その裏には、魔導士としての優秀さだけでなく、ドラコ家に代々伝わる秘術が関わっているのではないか――というのが実しやかに流れている噂だ。
まさか、ここで攻略対象の関係者に会うとは思わなかった。リリアナにとっては全くの誤算だったが、それも仕方のないことだ。そもそもゲームにベン・ドラコは出て来なかった。ルートによっては名前が一度だけ出て来たが、他のルートでは全く触れられない。設定資料集には攻略対象者の紹介欄に補足程度に書かれていただけで、魔導省の副長官であることすらリリアナには知る由もなかった。
「それで、お願いしてたことなんだけど」
「ああ、ここの地下室はちゃんとそれ用に準備してるし、ミューリュライネンは僕の手伝いしてるってことにしとくから」
「うん」
わかった、とペトラは頷く。そして、彼女はリリアナに付いて来るよう告げた。リリアナは黙ってペトラに付き従う。ちらりと横目で副長官を見れば、彼は奇跡的なバランス感覚で積みあがっている書類の山から魔術で一枚の紙を引き抜き、内容を読み始めたところだった。
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