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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
417/563

64. チャトルーズ川の決戦 5

※グロテスクな表現が含まれています。


スコーン侯爵は、自らが連れて来た私兵が見事、()()()()()()()()()()()()姿()()機嫌よく眺めていた。

いつでも動けるように馬は準備してあるものの、スコーン侯爵本人は陣を張って用意した椅子に腰かけている。護衛たちもまた馬を控えさせたまま、立って侯爵の側に控えていた。


「王太子として他から傅かれた栄華が、今や泥にまみれ縄を掛けられるほど落ちぶれるとはな」


喉の奥で笑いながら、スコーン侯爵は目を細める。元々スコーン侯爵は王太子ライリーが好きではなかった。

自分よりも遥かに年下の若造の癖に、何でも分かったような顔をして一切動じない。多少でもスコーン侯爵に対して顔色を窺うような真似をすれば溜飲が下がったかもしれないが、ライリーは王太子らしく常に堂々としていた。

その上、ライリーの側近は三大公爵家のうち、二つの公爵家の子息である。あまりにも権力が偏っている――というのは表向きの理由で、スコーン侯爵の末の息子が側近に選ばれなかったことが、スコーン侯爵の矜持を傷つけていた。


結局は逆恨みなのだが、侯爵本人にその意識はない。幻影であると気が付かないまま、侯爵は泥だらけの地面に抑えつけられ縄を掛けられようとしている王太子の姿を眺めて悦に入っていた。


「ほら見てみろ、あのような(ざま)を見れば、王太子派の連中も眉を顰めてそっぽを向くだろう。そうなれば幽閉しても顧みられることはない。いずれ病死して貰うことになろうが、その時は――そうさな。どの程度体が保つのか、変化を知りたいという男が居たからな、そいつに任せても構わんだろう。肉が腐り激痛が走るような毒もあるらしいが」


普段であれば、ここで護衛たちの追従する言葉とスコーンを賛美する声が上がる。しかし、スコーン侯爵の耳には何も聞こえない。全くの無音だった。

訝し気に眉根を寄せたスコーン侯爵は、自分の背後に控えているはずの護衛たちに視線をやる。次の瞬間、その双眸は驚きに見開かれた。


ずっとそばに控えていたはずの護衛たちが、跡形もなく消えている。周囲を慌てて見回しても、影すら見えない。それどころか、いつの間にかスコーン侯爵の周辺からは一切の物音と人影が消えていた。


「な――、」


一体何が起こったのかと、スコーン侯爵は椅子から腰を浮かす。しかし、それでも周囲の景色が変わることはない。それどころか、気が付けば目の前で繰り広げられていたはずの戦いも、いつの間にか終わっていた。それどころか、戦っていた侯爵軍も王太子軍もおらず、街道沿いだった景色は荒野に変わっていた。


「これは何事だ!」


予期しない出来事が起こった時、その人の本性が表れるという。その証左のように、スコーン侯爵は激昂した。青筋を額に浮かび上がらせ、姿を隠した護衛の名を叫ぶ。


「敵に魔導士が居たに違いない、幻術になど惑わされるのではないぞ!」


自分の側には魔導士も居た。だからその部下に呼びかけるように、侯爵は怒鳴りつけた。しかし、当然のように反応は返って来ない。

何度も声を上げても、侯爵の声は荒涼たる景色に虚しく響いて消えて行くだけだ。


そうして暫くしたところで、スコーン侯爵はようやく異常な事態だと悟った。

魔導士の仕業であることは間違いないだろう。そしてこのような状況を引き起こす可能性が高い魔術は、幻術に違いない。禁忌に近い術を容易く使う敵方の魔導士に理不尽な怒りを抱きつつも、侯爵は同時に自分の部下である魔導士の不甲斐なさに歯噛みしていた。


「全く――全く、使えん奴だ。戻ればもっと優秀な魔導士を探さねばならんな。もし謝って来たとしても、私をこのような目に遭わせる魔導士なぞ不要だ」


スコーン侯爵にとって、それは単なる独り言だった。当然、誰かに聞かれるとも思っていない。

だが、それは彼の思い過ごしだった。


「不要、ですの?」


優しく穏やかな声が、スコーン侯爵の鼓膜を震わせる。反射的に振り返れば、そこには見覚えのある顔があった。

スコーン侯爵はぎょっとして顔を引き攣らせる。


「リリアナ嬢? なぜ、ここに――いや、リリアナ嬢ではないな」


クラーク公爵家の令嬢であるリリアナは深窓の令嬢だ。まさかこのような場に来ているはずがないと、侯爵は首を振って自分の言葉を否定した。

スコーン侯爵の背後に立っていた少女は、侯爵の独白に一切の反応を返すことなく、ただ静かにその場に立っている。美しい相貌の中、スコーン侯爵を見つめる瞳は冷たく()()()()()()、何の感情も映していなかった。


攻撃しようとしない少女に安堵を覚えたのか、スコーン侯爵は軽く咳払いをする。動揺したことが恥ずかしかったらしく僅かに目元を赤らめていたが、それも誤魔化すように更に尊大な態度を見せた。


「確かに顔の造作は彼の娘そっくりに作っているが、色彩を弄ることを忘れたようだな。貴様の瞳は緋色、髪は黒だが、あの娘の目は緑、髪は銀だ」


体の色を変える魔術は難しいという常識に照らし合わせたのだろう、スコーン侯爵は得意気に話している。だが、対峙している少女は一切の表情を変えないまま、どこか呆れたような雰囲気を漂わせていた。幸か不幸か、スコーン侯爵は少女のそんな様子に一切気が付いていない。


仮にスコーン侯爵の推測が事実だったとして、全く別人の姿を取りながら色彩だけは元の色から変えられないというのは、あまりにも片手落ちな魔術だ。

確かに体の色を変える魔術は難しいとされているが、正確には自分の体を変える魔術は出来ないというべきである。つまり、色だけでなく顔立ちや体つき、つまり骨格を変えることも現在の魔術では不可能とされていた。

仮に他人に成りすましたいのであれば、自分の体はそのままに、他人に錯覚させれば良い。だが周囲に人が多ければ多いほど幻術を掛ける対象が増え、その分だけ術は難易度が高くなる。そしてそもそも、幻術自体がその大部分を禁術に指定されていた。


スコーン侯爵は明らかに馬鹿にしたような表情で少女を見下ろすが、少女は何も喋ろうとしなかった。無言のまま、侯爵を見つめている。

無言の時間や少女が一切の敬意を表さなかったことに腹が立ったのか、侯爵は顔をわずかに顰めて後方にある椅子に座ろうと腰を下ろす。しかし、いつの間にか椅子は消え、侯爵は強かに地面へと尻餅をついた。

そこでようやく、少女――リリアナではないとスコーン侯爵に断じられたリリアナ・アレクサンドラ・クラーク本人は、穏やかに口を開いた。


「周囲に気を配らねば、足元を掬われましてよ」


鈴が鳴るような声音だからこそ誤魔化されそうになる人も多いに違いない。しかし、スコーン侯爵はその辛辣な物言いに気が付いてしまった。

椅子がなかったという事実、強かに尻を打ち付けた痛み、それを目撃されたという羞恥。そこに追い打ちをかけるような少女の台詞に、今度こそスコーン侯爵の怒りが爆発した。


「貴様、私が誰か知っての狼藉か!? 相応の罰が下ることを覚悟してのことだろうな」


まるでスコーン侯爵こそが悪役のような台詞だと、リリアナは内心で呟く。その上、今の自分の状況を正確に理解できていないらしい。


「――貴方がご覧になっていた景色は、貴方の願望を形にしただけのもの。お気に召しましたかしら」


スコーン侯爵の言葉は完全に無視して、リリアナは穏やかに問う。だが、侯爵はリリアナの言葉が理解できないようで眉根を寄せた。


「何を言っている?」


侯爵の胡乱な視線を受けたリリアナは、しかし詳細は告げない。得意気に自分の手の内を語るなど、リリアナはする気がなかった。

それに、リリアナの説明は端的だが事実だけを述べている。

スコーン侯爵軍が優勢だったことも、ライリーがスコーン侯爵の手の者に捕らわれたことも――全てが侯爵の願望が可視化されただけの、幻想にすぎない。実態とは正反対の光景を見て喜びにあふれる様子は、傍から眺めていると下手な喜劇よりも愉快だった。


しかし、リリアナの言葉を理解できない侯爵は一旦リリアナを脅すことにしたらしい。


「どのみち、貴様はこのままではただでは済まない。相応の罰を受けることになる。だが、今ここで私を解放すれば口添えくらいはしてやらないこともないぞ」


リリアナは極力表情を変えないように努めた。そうでなければ、失笑してしまうところだ。

幻術に捉われたスコーン侯爵は、この場所では何もできない。全てはリリアナの掌の上だ。リリアナの気持ち一つによって、スコーン侯爵は生き長らえるか命を落とすか、未来が決まる。

解放すれば罪が軽くなるよう口添えしてやるとスコーン侯爵は言うが、それは侯爵に起死回生の一手があってこそ、効果を発する“脅迫”だった。


「罪は他に知られなければ、裁かれませんのよ」


冷たく、リリアナは言い放つ。ぞっとするほど感情の抜け落ちた声だったが、その物騒さにスコーン侯爵は気が付かなかった。


「気付かれない、だと? そんなことがあるものか。貴様は知らないようだが、私はスコーン侯爵だ。私に害を為した者は裁かれる。魔術には優れていても、所詮は平民だろう。立ち居振る舞いは確かに貴族らしいところもあるが――私の目は誤魔化せん」


尊大に、侯爵は言い放つ。

それもまた、間違いではなかった。普通であれば、貴族は一人で動くことはない。必ず侍従や護衛がつく。爵位が低ければその限りではないが、女性であれば爵位が低かろうが一人での行動は許されない。

しかし、あくまでも“普通であれば”の話だ。そしてリリアナは、スコーン侯爵が知る一般的な貴族の令嬢ではなかった。


「自らは常に勝者であると確信なさっていますのね」


まともに会話をする気は、リリアナにはなかった。

これまでもリリアナは、禁術と同等の効果を示す魔術であっても、記憶にある別世界の知識を最大限に活用して、禁術の定義に当てはまらない新たな術を考案して来た。つまり、彼女しか知らない知識を用いても他の方法を編み出せない禁術も存在している。

リリアナが本来持っていた魔力は他人と比べて遥かに多かったが、それでも禁術に該当する魔術を使えるほどの量はなかった。

しかし、どうやら闇の力が増えたお陰で容易く禁術も使えるようになっているようだ。


その内の一つが、今リリアナがスコーン侯爵に掛けた術だった。

禁術には掛からないように編み出した結界と幻術で、周囲から侯爵を一人孤立させる。侯爵の側にいた護衛たちは転移の術でスコーン侯爵領へと飛ばし、侯爵だけを結界の中に残す。

当初は結界に囲まれた侯爵たちに見せる景色はリリアナ自ら作り出した幻覚にするつもりだった。そうすれば禁術には当たらない。

だが、侯爵の会話を聞いている内に、リリアナは思い直した。出来るかどうか自信はなかったが、闇の力を使えば二度目で思った通りの結果を出すことが出来た。


――スコーン侯爵の願望を、そのまま形にして侯爵に見せる。


あくまでも幻覚で現実ではない。臨場感が出るかどうかが不安だったが、そこも問題なかったらしい。

ただ問題は、闇の力で禁術に手を出したせいか、髪と目の色が変わったことくらいだ。自分では髪や目の色など分からないから、スコーン侯爵に言われて初めて知ったことだった。


「下賤の者ほど、自らが優位だと信じて疑わんものだ。こちらには魔導士が居る。貴様など、あっという間に瞬殺にして――」

「まあ」


朗々と述べるスコーン侯爵の言葉を、リリアナは遮る。頬に手を挙げて小首をかしげて見せた。


「魔導士とは、この方のことかしら?」


リリアナが尋ねた途端に、スコーン侯爵の眼前に一人の男が現れた。空中から現れた塊は、どしゃりと音を立てて侯爵の足元に崩れ落ちる。人間だったらしい肉片の塊は辛うじて人の形を保ちながらも、落ちたところから鉄錆の臭いを漂わせて血が広がって行く。


絶句したスコーン侯爵は、一歩下がる。自分が今目にしているものが一体何なのか、理解できていない様子だった。

その様子を見て、リリアナは「違いましたわ」と呟く。


「この方は護衛でしたわね。でしたら、こちらの方かしら」


再び空中に、肉片の塊が現れる。再び血をまき散らしながら地面に落ちるが、今度は血が跳ねて侯爵の足元に掛かった。


「う、うわああ――――ッ!」


ようやくそれが、つい先ほどまで自分の側に控えていた者たちだと認識したスコーン侯爵は、悲鳴を上げて腰を抜かした。その場に崩れ落ちるようにして座り込む。だがリリアナからも距離を取りたいらしく、ずるずると必死で後ろに逃れようとしていた。


「部下を置いて、お逃げになるの?」


優しく、どこまでも穏やかにリリアナが尋ねる。そして一歩踏み出すと、スコーン侯爵は顔面蒼白のまま必死に片手で腰の剣を抜こうとしていた。

楽し気にリリアナは口角を上げる。剣を突き付けられても、リリアナは平然としていた。

恐怖に震える侯爵が持つ剣の切っ先は、小刻みに揺れている。その程度でリリアナの命を奪えるわけがないというのに、侯爵は必死に足掻いていた。


「まあ、怖い」


全く怖がってなどいないような口調でリリアナが言えば、侯爵が持って居た剣は砂のように解けて消える。ぎょっとしたように目を剥いて手元を凝視した侯爵は、更にリリアナが一歩近づいたことに気が付いて「ひっ」と引き攣った声を上げた。


「く、来るな! この――この、悪魔め!」


スコーン侯爵が最後に放った言葉に、リリアナは静かに笑んだ。

緋色の瞳、黒い髪――――それは、魔王の封印から流れ出た闇の力が、リリアナの体内で優勢となりはじめた印。普段の生活では誤魔化すしかないが、最早リリアナ本人にも変質を止めることは出来ない。


「【永久の夢を(おやすみなさい)】」


その言葉は不思議な響きと魔力を纏って、スコーン侯爵を絡めとる。どさりと音をさせて、スコーン侯爵はその場に倒れ込む。完全に白目をむいて気絶した侯爵を見たリリアナは、その場に張った術を解くと同時に、自分の屋敷へと転移した。




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