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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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64. チャトルーズ川の決戦 4


オースティンと二番隊の騎士ギードが、馬と仲間二人と共に潜伏している頃、王太子一行を見つけいざ牙を剥こうとしているスコーン侯爵軍を眺めている人物がいた。

今から戦場になるという場所には不釣り合いな服装で、彼女は端然と立っている。本来であれば立派な屋敷で茶を飲み書物に目を通したり、茶会で同年代の少女たちと楽しく会話に興じたりしているはずの年頃だが、彼女の双眸はただ冷めていた。


「スコーン侯爵は隊の後方に控えていらっしゃるのね。でも十分な兵力を護衛として割いているようですわ」


リリアナ・アレクサンドラ・クラークは、魔術も駆使しながらスコーン侯爵軍の様子を観察する。

スコーン侯爵が自身の功績を打ち立てるため、半ば無理矢理に今回の進軍へ同行したことは事前に把握している。彼が王立騎士団に自身の私兵を組み入れたのは、今日この日のことを想定したからではないだろうが、結果的には侯爵にとって良い方向に進んだのだろう。


「明らかに王立騎士団の私物化でしたけれど。王族に成り代わろうとしていると言われても仕方のない所業ですわね」


スコーン侯爵自身にその意識はなかったかもしれないが、傍から見れば間違いなく、本来は王族に指揮権のある王立騎士団をスコーン侯爵家が乗っ取ろうとしている、即ち王家の地位を脅かそうとしていると後ろ指を差される可能性が非常に高い行為だった。

一方、魔導省に関しては王立騎士団とは異なる。そもそも魔導省自体が王立騎士団とは異なって王家に属するものではなく一機関だし、魔導省に影響力を持っていると言われているグリード伯爵も直接的に命令権を持っているわけではない。


「いずれはグリード伯爵辺りがスコーン侯爵の権力を削ぐために、その点を突いて来そうですけれど――それよりも前に、表舞台から消えて頂きませんと」


リリアナは小さく笑みを浮かべた。

元々、リリアナの記憶にある乙女ゲームでは大公派など存在していなかった。最終的にヒロインと攻略対象者たちが戦う相手は魔王である。尤も、全ての攻略対象者を攻略した後でなければ隠しキャラである最後の攻略対象者は出て来ず、その攻略対象者こそが真の魔王だ。作品の中でも関連書籍等の中でも、隠しキャラ以外の攻略対象者たちが戦った“魔王”が本当の魔王だったのか、それとも魔王ではない何かだったのか、明記されていない。ゲームを楽しんでいたプレイヤーたちも、魔王ではないと考えていた人は殆ど居なかったように記憶している。


だが、現状を考えると、攻略対象者たちがヒロインと共に戦った相手は魔王そのものではなくとも、魔王の一部であった可能性があった。一番可能性が高いのは、魔王の力に侵され自我を失った悪役令嬢(リリアナ)が作り出した魔物だろう。

しかし乙女ゲームでは悪役令嬢(リリアナ)が禁術を用いて魔王を召喚した、もしくは魔物を呼び出し王太子を危険に晒した咎で処刑される。処刑されない分岐先でも、幽閉されたり毒殺されたりと散々な目にあった。

実際には悪役令嬢(リリアナ)が自ら魔王や魔物を召喚したわけではなく、父エイブラムの策略によって媒介とされただけだった。リリアナの気付かないところで勝手に苗床としてリリアナの体は魔王の器となり、王太子に害を為す――そうと自覚したところで、時すでに遅しと対策は取ることはできない。

現実のリリアナがそうであるように、ゲームの悪役令嬢(リリアナ)も誰に頼ることも出来なかったに違いない。頼れなかったというよりも、頼るという選択肢がリリアナの中にない、という方が正しい。


「――悪役令嬢(リリアナ)も、誰かに頼れば幸福に生き長らえたかもしれませんのにね」


乙女ゲームと全く同じ世界に同じ名前の人間が生きているのが、今リリアナの生きている世界だ。だが、リリアナにとってゲームの悪役令嬢(リリアナ)は最早自分ではない。それでも、やはり彼女も自分だったのだという気持ちは年々強くなっていく。


もし、ゲームの悪役令嬢(リリアナ)が――自分の身に巣食う、闇の力に気が付いたとしたら。もう戻ることは出来ないと、気が付いてしまったら――そうしたら、その時彼女はきっと。


「あら」


そこまで考えた時、リリアナの視線の先でスコーン侯爵軍が動いた。

リリアナの予想通り、スコーン侯爵は周囲を護衛で固めて待機している。すぐ傍には銅鑼を持った若い兵士が居て、その兵士は軍を率いている隊長の様子を注視していた。隊長の合図に従って銅鑼を鳴らすのだろう。

スコーン侯爵は自軍の勝利を確信しているらしく、時折冗談を言っては楽し気に体を揺すって笑っていた。追従している護衛たちは時折虚ろな目になっている。内容はそれほど面白くないに違いない。


「彼も、どこに居ても変わりませんのねえ」


リリアナは呆れたように呟く。スコーン侯爵は、自分の取り巻きと居る時も機嫌よく一方的に話す。本人は面白いと思っているらしいが、取り巻きたちが本心から楽しんでいるような場面は目にしたことも聞いたこともない。


だが、スコーン侯爵に呆れてばかりも居られなかった。侯爵軍は皆、勝利を確信した自信に満ち溢れた顔つきでライリーたちに襲い掛かって行く。リリアナはその様子に目をやっていたが、ヘガティ団長を先頭にしたライリーたちが侯爵軍を蹴散らしながら駆け抜けて行くのを確認し、再び視線をスコーン侯爵に戻した。

スコーン侯爵は状況に気が付いていないようだが、護衛の顔色は徐々に険しくなっている。予想外にライリーたちが健闘しているため、当初想定していた通りにはいかないと悟ったのだろう。


「優秀な方が周囲に居るという点だけは、彼にとって僥倖でしたわね」


スコーン侯爵の私兵の中には、魔導士も含まれている。今回の作戦に魔導士を使う予定はなかったのか、魔導士らしきローブを着た一人はスコーン侯爵の側に控えていた。

それなりに腕が立つ魔導士なのだろうと、リリアナは見当をつけた。


ただ、生憎と今はライリーたちの元にベラスタがいない。魔導士が術を使えば、ライリーたちはその時こそ逃げられないかもしれなかった。だが、そうなればリリアナの今後の予定が狂ってしまう。


「ここでウィルたちが捕まってしまっては困りますもの」


穏やかに呟いたリリアナは、無詠唱で術を使った。

軽く指を鳴らした瞬間、スコーン侯爵とその周囲に居る護衛たちを囲むようにして目に見えない結界が張られる。ただの結界ではない。光の反射を調整し、周囲が見えないように細工を施した。

だが、突然見えなくなれば異常に気が付き騒ぎ出されてしまう。それを避けるために、リリアナは結界に幻術を併用した。

光の加減を調整し、違和感がないように、それまで見ていた景色が見えているように錯覚させる。だが、現実と幻術は徐々にずれていく。音で違和感を覚えないように、幻術は視覚だけでなく聴覚も現実の音が聞こえないよう細工した。

当然、魔導士が気が付かないように魔術が感知されないよう、魔導士周辺の魔力も弄った。


「気付いて――は、いないようですわね」


念のため、魔導士の様子を窺う。幸いなことに、魔導士は術が張られたことにも気が付いていない様子だった。スコーン侯爵が雇っている魔導士の能力が低いわけではなく、リリアナの使った魔術が非常に高度だったからだ。

リリアナも気付かれない自信はあったものの、安堵して僅かに頬を緩ませた。


もしリリアナが為した全ての術を見れば、魔導士でなくとも顔面を蒼白にし、人間の為せる業ではないと震え上がったに違いない。リリアナが事もなげに使った術は、殆どが禁術と思われても仕方のないものばかりだった。ただ、実際には術を構成している術式が禁術に当たらないものであるため、詳しい人間が見れば禁術ではないと分かる。

それでも、たった一人で連発できるような術ではない。術式の複雑さもさることながら、必要な魔力量も桁違いに多かった。もし同じ魔術を他の魔導士が使おうとすれば、優秀な魔導士を数人集め、更には魔道具の力も借りなければならないほどだ。


「存分に腕を奮うと、すっきり致しますのね……」


スコーン侯爵たちを、その場に居ながらにして完全に侯爵軍と断絶させたリリアナは、目を瞬かせて両手を見る。体内で蠢いていた不穏な気配が薄れていた。

闇の力が体内に入り込んでからというもの、リリアナ本来の魔力と闇の魔力が混ざり合ったり反発しあったりと、常に落ち着かない状態だった。しかし、今は本来の力と反発し合っていた闇の力が外へ出たのか、随分と大人しくなっている。


ただ、それが良いことなのかどうかは、まだリリアナには判断が付かなかった。闇の力が流出することで本来の状態に戻っているのか、それとも魔力を存分に使うことで本来の魔力との混合が進んで違和感がなくなっているのか、それが分からない。

前者ならば魔王化する可能性は下がっているということだが、後者であれば一層リリアナが自我を失う状態に近づいているとも言える。


「――今考えても、仕方ありませんわ」


結局、乙女ゲームでも悪役令嬢(リリアナ)のことなど正確には描写されていなかった。ヒロイン視点で話が進むのだから、話の途中でエイブラムが命を落とした以上、悪役令嬢(リリアナ)の身に何が起こったのかは誰も知らない。

知っているのは張本人であるエイブラムと、そして薄々己の異常を悟っていた悪役令嬢(リリアナ)本人くらいのものだろう。だから、プレイヤーが詳細を知る術はないのだ。

そして今のリリアナは、乙女ゲームの悪役令嬢(リリアナ)よりも少々多くの物事を知っているとはいえ、闇の力などという文献にもほぼ記載のない力が体内に宿っているという異常を正確に把握することは難しかった。

それならば、今できる最善のことを見極めて突き進んでいく他ない。


他の世界の記憶があるとはいえ、幼い頃から感情を抑圧されて来たリリアナは善悪の判断をつけることが難しい。そのため、別世界の記憶から見つけ出した“貴族の義務(ノブレスオブリージュ)”という概念を規範として己の行動を決めて来た。

感情では把握しにくい世界も、理屈でそうなのだと理解すれば、今自分が何をすべきかも判断が容易かった。


「それに、わたくしは悪役令嬢ですもの」


薄っすらと笑みを浮かべて、彼女は小さく呟いた。

乙女ゲームの彼女が“悪”ではなく“悪役”と呼ばれたのは、その性根が本来は“悪”ではなかったからだろう。想像でしかないが、エイブラムが居なければ乙女ゲームのリリアナも“悪役”にはならなかったに違いない。


「役柄に似合ったことを致しますわ」


そして、リリアナは目を細めると術を練り上げる。多少骨は折れるが、最適な方法は邪魔者をどこか遠くへとやることだ。


「【転移(ゲトリーベ)】」


詠唱を口にせずとも問題ないとは思うが、今のリリアナは自分から随分と遠くに居る人間を数人まとめて、遥か遠方へと転移させようとしている。怪我をさせるつもりはないが、普段一人で転移している時よりも微細な魔力操作が必要となることは間違いない。そのため、リリアナは敢えて詠唱を口にした。

とはいっても、リリアナの使う詠唱自体が驚異的な短さだ。安定させる目的だとしても、普通であれば気休めにさえならない。


それでも、リリアナの魔術は見事に効果を発動した。一瞬にして、スコーン侯爵を中心とした結界の中から人が消え去る。しかし、一人取り残されたスコーン侯爵はそれに気が付くことのないまま、機嫌よく話を続けていた。



14-10

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