64. チャトルーズ川の決戦 3
チャトルーズ川ほとりの街を出た後、ライリーたちは街道沿いを王都に向かって進んでいた。もうじき、スコーン侯爵の私兵がライリーたちの元に辿り着くはずである。何食わぬ顔をしながらも、皆周囲を警戒していた。
「殿下」
傭兵に扮したヘガティが、声を低めて一人馬上のライリーに呼びかける。ライリーは前方を見据えたまま、ヘガティの言葉に耳を傾けた。ヘガティの声には緊張が滲んでいた。
「前方に、集団の気配があります」
「分かった」
恐らくその気配がスコーン侯爵の私兵だろうと見当をつける。それでも最後まで気は抜けない。敢えて気配を殺さず注意を引き付けた後、後方や横合いから奇襲を仕掛けるのは戦術としてよくある型だ。
どこまでスコーン侯爵が戦術に長けているかは分からないが、最悪の可能性は常に想定すべきである。
「スコーン侯爵は、前に立つより後ろで指示をするのを好むと思うんだけど、どう思う?」
悪戯っぽく尋ねた王太子を見て、ヘガティは一瞬目を瞠る。しかしすぐに楽し気な笑みを浮かべて答えた。
「間違いなく、後方に居るでしょうな。前に居るだけの技量も度胸もありませんでしょう」
「もし本当に最後尾にいるのだとすれば、これ以上なく有難いのだけどね」
ライリーはどこか残念そうに言う。それを聞いたヘガティは、片眉を器用に上げた。
挟み撃ちは戦術の中では基本的な戦法である。特に今回のように、相手と戦力差が大きい時は正面からぶつかるなど愚策だ。
だが、ライリーの独り言のような言葉にヘガティはどこか懐疑的な態度を崩さなかった。
「上手く行けば良いのですが、侯爵本人はともかく、隊長を務めている男はそれなりに頭の回る奴ですから。そう簡単にはいかないでしょう」
侯爵本人しか判断する人間が居ないのであれば、愚かな戦略を立てるかもしれない。しかし上手く補助し適切な道に戻す人物がいれば、それはライリーたちにとっては厄介な相手ということになる。
それでも、事前に斥候から齎された情報を元にライリーたちは作戦を立てた。ヘガティ団長と七番隊隊長ブレンドン・ケアリーが中心となって決まった内容ではあったが、当然ライリーやオースティンも意見を出し、取り入れられている。
だから今、オースティンはライリーの隣には居ない。
「そろそろかな」
ライリーが呟く。そしてヘガティが頷く。
次の瞬間、飛来した一本の矢が警告のように、ライリーたちの足元へと突き刺さった。
*****
長閑な景色とは裏腹に、殺気だった鬨の声が響く。王太子ライリーが率いる一軍と、その二倍ほどはあろうかという一軍は、全く速度を落とすことなく正面から激突した。
砂埃が舞い、視界が悪くなる。それでも難くなるほどの晴天に、額から緊張だけではない汗が流れた。
「固まれ!」
ヘガティの一声で、七番隊と三番隊は陣形を組んだ。王太子ライリーを中心に据え、雨のように降る矢を薙ぎ払う。それでも敵軍は王太子軍と比べて圧倒的な戦力を武器に、今にも弑さんとせんばかりの勢いで襲い掛かって来た。
一方で人数の少ない王太子軍は一塊となり、強固な岩のように襲い来る侯爵軍の間隙を縫って前に突き進む。極力死角を排除した、しかし機動性に優れた陣形だ。それは一般的な戦術書には載っていない、変形型だった。
「囲まれるな、走れ走れ走れ!!」
殿では普段の落ち着きや冷静さをかなぐり捨てたブレンドン・ケアリーが叫ぶ。
三番隊の騎士たちは一瞬恐怖に顔を引き攣らせたが、七番隊の落ち着き払った――寧ろ自分たちに襲い掛かる恐怖を楽しむような表情に息を飲み、己を鼓舞するように叫んだ。
「逸れるな、離れた途端に潰されるぞ!」
スコーン侯爵の一軍には騎馬も居る。対するライリーたちは徒歩だ。ライリーは一人馬に乗っていたが、最初の一矢が放たれた時点で、暴れた馬から落ちている。
スコーン侯爵の私兵たちは、自らの勝利を信じて疑っていなかった。すぐにでも制圧し、王太子ライリーを生きたまま捕らえることができるはずだと確信していた。無傷ではないかもしれないが、命さえあれば良いのだろうと――そう考えていた。
だが、ライリーたちは見事に侯爵軍の間隙をすり抜け、ほとんどの攻撃を躱し、いなし、反撃した。多少の傷は負っているものの、皆行動不能になるほどの怪我を負ってはいない。寧ろ進めば進むほど、力が漲っているようにも見える。
そんな王太子軍の様子に違和感を覚えたのは、スコーン侯爵軍を実質的に率いている男だった。貴族らしく仕立ての良い騎士服に身を包み、一目で業物と分かる剣を手にしている。
彼は全体が見渡せるように、隊の後方に控えていた。実際に兵士たちを率いて動いているのは、彼が信頼している平民だった。
のらりくらりと逃げ回るような、そんな王太子軍を見て苛立ちと焦燥に歯ぎしりするが、頭の片隅は酷く冷えている。
「――妙だな」
妙なことは、幾つかあった。
「傭兵ではなかったのか?」
事前に彼が仕入れていた情報では、王太子ライリーと共に居る兵士は皆傭兵のはずだった。だが、傭兵にしては戦い方が専門的に訓練を受けた騎士のそれだ。特に大軍で襲い掛かられた時に少数の軍で逃げ切る戦略はそれほど多くない。十分な知識と技能が必要となるが、傭兵はそのいずれも兼ね備えていないはずだった。
その上傭兵であれば、どれほど金を積まれても、大軍を前にしたら間違いなく逃げる。命あっての物種だと考える彼らは、主を守り抜こうとはしない。それにも関わらず、今目の前で隼のように戦場を駆け抜けて行く彼らはライリーを護ろうとしていた。
そして、更に妙なことがあった。
「何故、援軍が来ない――まさか怖気づいたとでも言うか」
男は顔を顰める。事前に、大公派である領主には兵を出すように言いつけていた。
軍勢は侯爵軍の方が王太子軍よりも多いためほぼ間違いなく勝てるはずだったが、男は何事にも万全を期す性格だった。一部に男を臆病者となじる声もあったが、お陰で男の指揮する軍は百戦百勝である。
どうやら一人で功績を挙げたかったスコーン侯爵は領主に助力を願いたくない様子だったが、問題なく侯爵の戦果になると男が説得したお陰か、最後には反論もなくなったのだ。そして男は念には念を入れて、領主に直接手紙を書いた。その返信は手応えのあるもので、あまり戦力はないが微力ながら助力したいというものだった。
だが、既に到着していても良いはずの援軍の姿が、影も形もない。
その二つに比べたら、普段あれほど口出しして来るはずのスコーン侯爵が沈黙を保っていることなど、大したことではないように思えた。恐らく初めての戦場にびくついているのだろうと、これまで決して表に出して来なかった嘲笑を僅かに口の端に乗せる。
だからこそ、男は忍び寄って来る不吉な影に気が付いていなかった。
男の耳が、馬の駆ける音を聞きつける。援軍が来たと、安堵の笑みを浮かべる。しかし次の瞬間、男は顔を蒼褪めさせた。
本来であれば、援軍は王太子軍の後方から来るはずだった。だが、蹄鉄の音は反対側――即ち侯爵軍の後方、王都側から響いている。
判断は一瞬だった。
「銅鑼を鳴らせ、撤退だ! 撤退だ――――――ッ!!!」
男は割れ鐘のような声になるのも構わず叫ぶ。スコーン侯爵の側に控えている部下が、撤退の銅鑼を鳴らすはずだった。そこが一番安全な場所のはずだった。それなのに、どれほど怒鳴っても銅鑼は鳴らない。
そうこうしている内に、蹄鉄を響かせた集団が迫り来た。大半は誰も乗っていない、鞍と手綱だけが着けられた馬だが、そこに混じるようにして数人の傭兵が馬を駆けさせている。
突如として背後から現れた馬の集団に、侯爵軍は浮足立った。特に歩兵は踏みつぶされてはかなわないと、陣形を崩して逃げ惑う。弓兵が矢を番え放つが、結界でも張っているのか馬に届くことはない。
侯爵軍を混乱に陥れた一群は兵士たちを蹴散らしながら突き進む。そして一直線に、王太子ライリーたちの元へと駆けて行く。
にやりと笑った先頭のヘガティが、一声叫んだ。
「乗れ!」
その言葉と共に、七番隊の面々が走る馬に飛び乗る。ライリーも、不慣れさ故に多少ぎこちないながらも辛うじて飛び乗った。三番隊の騎士たちも、悲愴な覚悟を浮かべた表情で思い切り走る馬に取びかかる。
通常であれば走る馬に飛び乗ることなど不可能だ。しかし不可能を可能にした一群に、侯爵軍の兵士たちは騒然とする。
このような化け物たちを相手にするのかと、恐怖を抱けばそこで勝敗は半ば決する。一瞬で、戦場の優劣は逆転した。
*****
時は昨夜に遡る。
王太子ライリーや王立騎士団長ヘガティとは別れて街を出たオースティンは、数名の仲間と共に街道沿いの森を進んでいた。魔術や魔道具を駆使して、あり得ないほどの速度で先へ進む。
彼らが目指しているのは、ライリーたちとスコーン侯爵軍が衝突する予定の場所より、更に王都側に進んだところだった。
馬に囲まれていたオースティンは、木々の間から顔を覗かせた男を見てほっと表情を緩めた。
「ギードさん」
「待たせたな」
「いえ、それほど待ってないんで大丈夫です」
ギードと呼ばれた男は腰に抱えていた騎士を地面に下ろし、しばらく休憩しているように告げる。ふらふらと地面に腰を下ろした男は、青白い顔を両手で覆った。
だが、ギードは平然とした様子でオースティンに近づく。
「先輩が居て良かったです、本当に」
思わずオースティンがボヤくと、ギードが苦笑を漏らした。
ギードはオースティンよりも先に王立騎士団に入った騎士で、二番隊に所属している。本来であれば二番隊の仲間と共に王都に居るはずだったが、ヘガティが北部へ行く時に声を掛けられ、七番隊や三番隊に随行することになった。
爵位は持たず、オースティンと比べて長じている部分といえば年齢と騎士団の在籍年数だけだ。公爵家の嫡男で近衛騎士となったオースティンには礼を尽くす立場だったが、オースティンは自分が後輩であるという態度を改めるつもりはなかった。
最初は気まずそうだったギードも、オースティンどころかヘガティやブレンドン・ケアリーさえ気にしていないのを見て、諦めたらしい。「まぁ良いか」と呟いたきり、あっさりとオースティンの態度を受け入れていた。
「ああ、確かにな。特に俺は魔術特化型の魔導騎士だから、一人じゃ不安だったよ」
「でもギードさんが居ないと、今回の計画は成り立ちませんでしたから」
二人とも魔導騎士だが、それぞれ傾向は全く違う。オースティンは剣術の方が魔術よりも優れているし、ギードは魔術の扱いに長けているものの剣術はそれなりだった。だが、二人とも魔術と剣術を組み合わせることで他の追随を許さない強さを見せつけることができる。
ただ、今回の計画で必要とされる能力は魔導剣の技術ではなく、魔術の方だった。二人は三番隊の騎士二人を連れて、馬だけを移動させようとしているのだ。
ただし、運んでいるのはケニス辺境伯領から連れて来た馬ではない。建設中の神殿に隠すようにして飼われていた、農業に使われているわけではない馬だ。
ケニス辺境伯領から連れて来た馬は、世話になっている領主の館でやたらと大量の水を飲ませられていた。体調を崩すほどではないが、長くは走れないように調整してある。やはり領主は大公派なのだと、それで確認できた。
神殿に馬を隠していたのも、恐らく翌日ライリーたちを侯爵軍と自軍で挟み撃ちするつもりなのだろう。
「まぁ、馬がいなくなって動けなくなるだろうな。そうなるとだいぶこちらも楽だ」
あっさりギードが言い切る。馬がなければ、領主も援軍を動かせないだろう。
とはいえ、たった四人で隊二つ分の馬を移動させるなど、普通であれば不可能だ。だが、魔術を使って大量の荷物を運ぶ方法がある。転移陣に制限を掛けた魔術陣を用いるもので、転移陣とは違い王立騎士団であれば使用に制限は掛けられていない。ただ問題は、人間はその魔術陣で移動できないということだった。
つまり、発送地と到着地それぞれに人がいなければならない。
そこで、オースティンとギードがそれぞれ一人ずつ騎士を連れて、発送地と到着地に分かれ、馬を運ぶことになった。
馬を目的地まで運んだ後は、ライリーたちが到着するまで時間がある。スコーン侯爵軍と王太子軍が衝突した後しばらくしてから頃合いを見計らい、馬を走らせれば計画は完成だ。
「俺じゃあ、先輩ほど繊細な魔力操作ができませんからね。今回の計画は到着地にズレがあったら困るから、俺一人だとさすがに不安でした」
オースティンの言葉にギードは苦笑する。今回、北に出兵するヘガティにギードが選ばれたのも、繊細な魔力操作が出来るからだった。繊細な魔力操作が出来るということは、術に失敗する確率が低くなるということだ。
秘密裏に王都に残った二番隊と連絡を取るためには、微細な魔力操作が必要とされる。
だが、ギードはその点には触れなかった。しみじみと首を振って呟く。
「そもそも殿下にあんな練習させるなんてなぁ……俺は心臓が縮み上がったよ」
当初、ブレンドン・ケアリーが作戦を口にした時、ライリーとオースティン、そして三番隊の隊長は絶句した。だがヘガティは乗り気で、時間を見てはライリーと三番隊に乗馬の訓練をしたのである。それも普通の乗馬ではない。
ライリーと三番隊は走る馬に飛び乗る練習を、そしてライリーは暴れ馬から怪我をしないように落ちる練習をした。
最終的に皆どうにか出来るようになったものの、戦場で戦いながら出来るかと問われたら、すぐには頷けない。
オースティンも、ギードの言葉に心底同意した。そしてちらりと地面に座り込んだ二人の騎士を見やる。
二人は魔導騎士であり身体強化の術も使えるから平気だが、高速で移動する二人に抱えられた三番隊の騎士は今にも死にそうな顔色だったが、休憩したお陰かだいぶ元の色に戻っている。騎士としての矜持があるのか吐くことはないが、できれば二度と高速での移動はしたくないのだろう。
だが、彼らを慮ってのんびりしている時間はない。多少体調が戻ったのであれば大丈夫だろうと、ギードはオースティンに尋ねる。
「次の到着地は分かるな? よろしくな」
「分かりました」
オースティンは力強く頷く。三番隊の騎士二人はげんなりとした表情になったが、そこは騎士である。オースティンに随行する一人は、気合を入れて立ち上がるとオースティンに頭を下げた。
「――悪い、頼む」
「いや、こちらこそ。また酔うと思うけど――悪いな、リッキー」
「俺こそ、不甲斐なくて申し訳ない」
オースティンが連れているのは、七番隊でも一番年若い騎士リッキーだ。リッキーとは入団した時から親しくしているため、会話も気楽なものになる。身体強化をすればオースティンも屈強な男を運べるが、やはり身体的な負担は大きい。そのため、七番隊の中でも一番華奢な――つまり、年若く成長しきっていない若者が選ばれた。それがリッキーだった。
リッキーの顔はまだ青白かったが、不敵な笑みを浮かべる。
「戻ったらミックの奴に話してやるんだ。きっと、ものすごく悔しがると思うぞ」
ミックもまた、オースティンやリッキーと同時期に入団した少年だった。お調子者で楽天家のミックと、真面目で彼を諫めるリッキー。生まれを考えればオースティンと気楽に関わることの出来ない二人だが、性格ゆえか、三人は今でも仲が良い。
「だろうな」
オースティンはリッキーに向けて頷いた。
「でも俺はあいつを運ぶのはご免だ。絶対に、うるせぇ」
「それは間違いない」
リッキーは楽し気に笑みをこぼす。それを見たオースティンは楽し気に笑うと、身体強化の術を体に張り巡らす。そしてリッキーを抱え上げると、一言告げた。
「舌、噛むなよ」
その言葉にしっかりと頷いたリッキーがオースティンの体にしがみついたのを確認して、オースティンは暗い森の中を疾走した。
16-8:ミック初出
※リッキー少年(名前不出)→ https://ncode.syosetu.com/n1562gp/3/ にて最後ミックに話し掛けた少年