64. チャトルーズ川の決戦 1
ケニス辺境伯領は広い。屋敷を出た後も、しばらくは領地を歩くことになる。
ライリーとオースティンは、傭兵の姿をした王立騎士団長トーマス・ヘガティと七番隊、三番隊と共に王都に向かってただ歩みを進めていた。
「恐らく大公派も、辺境伯領内では仕掛けて来ないでしょう。一番可能性が高いのは、大公派領主の領内に入った時かと思います」
ヘガティの言葉に、ライリーも頷く。大公派に与している領主の数は、それほど多いわけではない。国王ホレイシオと王太子ライリーの不在が長引けば大公を支持するようになる者も増えて来るだろうが、現時点でそのような状況には陥っていないようだった。
それも恐らく、三大公爵家や二つの辺境伯家が大公を支持していないからだろう。そのうち一つでも大公を支持するようになれば、状況は悪化するに違いない。
「ここから王都に向かう途中の、大公派領主と言えば――チャトルーズ川のほとりかな」
「左様にございます」
ライリーの言葉を聞いたヘガティが重々しく頷く。チャトルーズ川はスリベグランディア王国北部の山脈に水源を持ち、西方の海にまで流れ出る王国で一番大きな川だ。
「恐らくですが」
ライリーとヘガティの会話を黙って聞いていたオースティンが口を挟む。二人の視線を受けてもオースティンは戸惑うことなく、淡々と持論を述べた。
「その領主、最初は俺たちの味方だって顔して出迎えてくれるんじゃないかという話でしたよね」
ライリーとヘガティは何も言わない。無言でオースティンの話を聞いている。
大公派に与しているという領主は神官だ。一部例外はあるものの、基本的に神殿は武力を持たない。彼らに許されている武力は辛うじて護身程度の武力であり、それは即ち傭兵であろうとライリーの軍勢に対抗できないことを意味していた。
ヘガティもオースティンの言葉に頷いて同意を示す。
「そうでしょう。そうなると、彼らは王都からの救援を待つしかない。しかしそれでは全ての功績を、王都から来た者に盗られてしまう。自分たちの功績を示すためには、武力以外の手段を考えなければなりません」
武力以外として考えられることは、味方の振りをしてライリーたちを招き入れ、油断したところを襲撃するという方法だった。騎士であれば騎士道精神にも悖る行為だと批判されるところだが、相手は神官である。こちらの言い分が通じるとは到底思えない。
その点は、ケニス辺境伯も含めて今後の予定を検討していた時に、真っ先に出てきた予想だった。そしてその予想は大方外れていないだろうと、皆思っている。
ただ問題は、王都から救援が駆け付けるとして、一体誰が援軍を出すのかという点だった。
「恐らくスコーン侯爵の私兵だと俺たちは予想しましたが、そうだとは限りません。もし許されるのであれば、一人か二人、斥候を出した方が良いのではないかと思うのですが」
オースティンの提案に、ヘガティは眉根を寄せて考え込んだ。確かに戦は情報が命だ。事前に把握しているのとしていないのとでは、その後の動きが随分と違う。
一方で、斥候を出すことにすぐ同意できない理由もあった。ヘガティたちの役割は王太子ライリーを無事に王都まで送り届けることであり、そのためには十分な護衛が必要だ。斥候を出してしまえばその分ライリーの身を護るものは少なくなる。特に斥候として優秀な者はそれほど数も多くない。そして彼らは同時に、護衛としても優秀な能力を発揮する者ばかりだった。
だが、ヘガティが何かを口にするよりも早く、ライリーがにこやかに答えた。
「そうだね、確かに斥候は出しても良いかもしれない。こちらの予定では、二番隊と落ち合う計画だったよね。仮にこちらの想定通り物事が進んだと考えた時、スコーン侯爵の私兵が居る場所によって二番隊の動きも変わって来る。それなら、二番隊とも連絡が取れる人物が望ましいのではないかな」
自然と、ヘガティとオースティンの視線が一人の男に向けられた。
斥候が出来て、かつ二番隊とも連絡が取れる騎士と言えば限られる。北の謀反を平定するため一人だけ二番隊からヘガティに随行した騎士と、魔導騎士であるオースティンだけだ。
「――さすがに魔導騎士二人を本隊から外すわけにはいきません。行かせるのであれば一人だけです」
「団長がそれで良いのなら私も構わないよ」
ヘガティの言葉に、ライリーは頷いた。
一行の中で、魔導騎士はオースティンと二番隊から一時的に随行している騎士の二人だけだ。優秀な魔導騎士が一人居ればその隊は、通常の二倍以上の戦力を有するとも言われていた。実力主義と名高い七番隊も居るし、王立騎士団の中では目立たないものの、三番隊も十分な実力を有している。だから王太子を護るのに不足はないが、念には念を入れるためには魔導騎士を編成に組み込んでおきたいと考えるのは当然のことだった。
そして、魔導騎士一人を斥候として派遣するのであれば、オースティンよりも二番隊の騎士の方が適任である。オースティンは三大公爵家の一つエアルドレッド公爵家の子息であり、更には近衛騎士だ。二番隊の騎士を残してオースティンを斥候に行かせる道理はない。
「彼一人では懸念も残りますから、三番隊からも一人行かせましょう」
一人だけを斥候に行かせて、万が一があってもヘガティたちには分からない。だが、二人であれば一人が戻って来て状況を伝えることも出来る。
ヘガティの言葉に頷いたオースティンは、馬首を返してヘガティが告げた二人の元に向かった。
*****
王都では、王立騎士団二番隊長ダンヒル・カルヴァートは、副隊長イーデンと共に難しい表情で顔を寄せ合っていた。今二人が居る場所は王立騎士団の兵舎の中でも、奥まったところだった。滅多に人が近寄る場所ではない。
大公派が王宮を占拠してから、二番隊には監視の目がつけられている。だが、その監視も常に付けられているわけではない。大公派に反旗を翻すようなこと――例えば王太子と連絡を取ったり、王太子派の勢力に協力したりできない状況であれば、多少監視の目は緩くなる。
それを良いことに、二番隊は監視の目を掻い潜りながらもどうにか、北へ向かったヘガティ団長や七番隊長ブレンドン・ケアリーと連絡を取り合っていた。
「隊長、これが魔導省より手配されたものです」
「そうか。気付かれてないな?」
「問題ありません」
イーデンが持っていたのは、魔導省長官ソーン・グリードから送られてきた転移陣の束だ。怪しまれないよう、定期的に届けられる騎士団の備品の中に紛れ込ませてあった。
王立騎士団も、備品は定期的に購入しなければならない。特に武具は消耗品のため、それなりの量が動くことになる。中には二番隊のような魔導騎士が扱う品もあり、転移陣が通常より多く束になって紛れ込んでいたからといって、怪しまれるようなことはなかった。
「クラーク公爵領には八番隊が行ったんだな。全員か?」
半分ほど転移陣を受け取り内容を確認しながら、ダンヒルが尋ねる。残りの半分はイーデンが持ったままだ。イーデンは手元に残った半分ほどに目を通しつつ答える。
「いえ、我々用の監視が一人残っています」
「誰だ?」
「カーティス・パーシングです」
ダンヒルはにやりと笑んだ。
「パーシングか。有難い」
「はい」
カーティス・パーシングはパーシング子爵家の息子だ。八番隊は隊長ブルーノ・スコーンが大公派の父を持つため、八番隊自体が大公派に寄っている。しかし、その中では珍しくカーティスは王太子派の貴族だった。それは彼の生家がアルカシア派であることも大きいが、一番は彼自身がヘガティ団長に心酔し、その団長を貶めようとした大公派を心の底から嫌悪しているからだった。
「とうとう人手がなくなったか。パーシングに監視させていても二番隊は何もしないと思ってるんだろうが」
甘い奴らだと、ダンヒルは楽し気だ。カルヴァート辺境伯の息子であり王立騎士団二番隊隊長という地位についている彼は、容姿も良く貴婦人たちから羨望の目を向けられている。だが、今の彼の顔を見れば百年の恋も冷めるのではないかと思われるほど、悪い顔だった。
だが、イーデンは慣れたものである。至極真面目な顔で「全くです」と頷いてみせた。
八番隊もそれほど人数が居る訳ではない。だが、国王や王太子が姿を消し、北部で団長ヘガティたちが死亡したという報告を受けてからずっと二番隊は大人しくしている。
当初は何を企んでいるのかと疑っていた大公派も、やがて二番隊は何もしないと考え始めたらしく、当初ほど厳しい監視の目をつけることはなくなっていた。
「団長からは具体的な指示はありませんでしたが、仮に八番隊全員を捕らえた場合、彼らの処遇は如何しますか」
「――そうだな」
ダンヒルは考える。指示がなかったということは、生きてさえいれば良いという意味だろうとダンヒルは理解した。
ダンヒルたちが八番隊を無傷で捕えようが怪我をさせようが、王太子の帰還後に彼らが処罰されずに済むとは思えない。八番隊は騎士と名乗ってはいるものの、その本質は王家の“影”に随分と近い。そのような存在が、本来の主を裏切るなどあってはならない事だった。
本来であれば王立騎士団を率いるのは国王であり、国王ホレイシオが病に伏していた間は王太子がその役割を代わりに担っていた。王太子ライリーが幼い頃は宰相を筆頭とした顧問会議の面々が仔細を決めていたものの、あくまでも顧問会議は代理であって権限を持っているわけではない。
それにも関わらず、王立騎士団の指揮権が正式に大公へ譲渡される前に、八番隊は大公の指示に従って国王と王太子の身柄を確保しようとした。八番隊自体に叛意があったと理解されても仕方のない所業である。
国王と王太子が王宮から姿を消し、大公派が実質的な権力を握った後であれば、問題にはならなかっただろう。顧問会議が国王の代理として王立騎士団に指示を出し、それに従ったというのであれば情状酌量の余地があるとされたかもしれない。
だが、今となっては時すでに遅しだ。
「裁くのは俺たちじゃないが、謀反人の手先となって殿下に縄を掛けようとした大罪人だ。それにふさわしい処遇で良いだろうよ」
「承知しました」
「ああ、それから」
頷いたイーデンに、ダンヒルは気になっていたことを尋ねた。
「ブルーノの野郎は、東に向かったか? それとも南か?」
東はケニス辺境伯領、そして南はクラーク公爵領の方角だ。東であればスコーン侯爵の私兵を率いて王太子の討伐に向かったのだろうし、南であれば八番隊を率いているということになる。
転移陣を服の下に隠して歩き出そうとしていたイーデンは、立ち止まってダンヒルを振り返った。
「南です。東には、彼の父親が行ったようですよ」
「スコーン侯爵が?」
予想外の答えに、ダンヒルは目を瞠る。イーデンは「はい」と頷いた。実際、イーデンも最初は自分の耳を疑った。情報をしつこいくらいに精査したため、やはり誤報ではないと確信がある。
「なんでまた、そんな事になってるんだ。剣なんて持ったこともないような御仁だろうが」
ダンヒルの指摘通り、スコーン侯爵は剣を持たない。若い頃は侯爵家の嫡男として嗜んでいたようだが、元々自ら動くのを好まない性質である。そのため、彼の愛剣は全て観賞用で、実用に適したものはなかった。
「どうやら功を焦っているようですね。できるだけ早く、政敵よりも影響力を持ちたいのではないでしょうか」
「なるほどな」
スコーン侯爵とグリード伯爵の対立は、王立騎士団の面々も既に知っている。グリード伯爵に負けたくないという自尊心だけで自ら出兵したというのであれば、共に行く騎士たちが気の毒だ。
だが、ある意味ダンヒルたちにとってはそれも好機である。
ダンヒルはにやりと笑った。
「それならさっさと八番隊を片付けて、スコーン侯爵に行かないとな」
ダンヒルの言葉に、イーデンは頷く。
監視された王立騎士団の兵舎を抜け出し、南へ行く。今なお、二番隊は顧問会議の屈辱を忘れてはいない。
八番隊に出し抜かれ、大公派に出し抜かれ、護るべき主君を護ることができなかった。
大公派が王宮を牛耳ってからは、監視下に置かれたまま自由に外出もできない。元々騎士たちは兵舎を出ることも多くはないが、禁止されて身動きが取れないのと、自主的に兵舎に留まるのでは訳が違う。
そして、八番隊隊長だったブルーノ・スコーンが団長になった途端に、二番隊は冷遇されるようになった。所詮は騎士のなり損ないだと、魔術を馬鹿にする騎士に蔑ろにされる。彼らはトーマス・ヘガティが団長だった時は団長を恐れて小さくなっていた、大して実力のない騎士たちだった。
騎士として仕えるべき国王や王太子のことも忘れ、大公が王となった方がこの国は良くなるに違いないと、碌に訓練もせず歓談している場面を良く見かけた。
良くなるのはお前らの待遇であって、この国は悪くなるばかりだと言いたかったが、監視が付いている以上、軽はずみなことは言えない。
二番隊の騎士たちは、煮えたぎる思いを押し殺して生活して来た。
「――七年前に、魔物襲撃を防げなかったとして大公派が団長と隊長を処断しようとしてから」
イーデンが、辛うじてダンヒルにだけ聞こえる音量で呟く。イーデンに続いて部屋を出ようとしていたダンヒルは、踏み出しかけた足を止めてイーデンを見た。だが、イーデンはダンヒルを見ていない。彼の目は暗く光り、ここではない何処かを睨みつけていた。
「私は、大公派を許したことなど、一度たりともありません」
七年前の王太子生誕祭の時、王都近郊で史上最大規模の魔物襲撃があった。その時に団長トーマス・ヘガティと、二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートを処断しようとしたのが時の魔導省長官ニコラス・バーグソンだった。だが、ニコラス・バーグソンは権力に追従する性質の男だった。
それならば、ニコラス・バーグソンの影で糸を引いている人物が居るはずである。調べた結果、証拠はないものの大公派の仕業である線が濃厚になった。
それが、王太子ライリーによる王宮と魔導省の人事一新の時に齎された情報だ。そして現状を見れば、当時大公派が王立騎士団を彼らの傀儡にしようと策を弄したと考えても不思議はない。
そして今回ヘガティ団長たちが北で起きた反乱を鎮圧に向かったのも、大公派の謀略だったという。国王や王太子を王立騎士団が護らないように、大公派の手先となった八番隊の邪魔をしないように。そしてあわよくば、北に向かったヘガティたちが命を落とすように。
幾重にも張られた、罠だった。
「俺もだ」
ダンヒルは、イーデンの肩を一瞬強く掴むと、軽く叩いて促す。
二人は、今度こそ暗闇の部屋から明るい外へと足を踏み出した。
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