63. 崩落 6
スリベグランディア王国の王都ヒュドールで、メラーズ伯爵たち大公派は難しい表情のまま顔を突き合わせていた。その場にいるのはメラーズ伯爵とスコーン侯爵、そしてグリード伯爵の三人だけだ。本来であればフランクリン・スリベグラード大公も呼ぶべきだろうが、この場に呼ばれてはいなかった。
「全く、閣下にも困ったものだ。大人しく女の尻でも追い駆けていれば良いものを」
苦々しくスコーン侯爵がボヤく。グリード伯爵が居るにもかかわらずフランクリン・スリベグラード大公を悪し様に言うなど、随分と腹に溜まったものがあるらしい。
メラーズ伯爵はそんなスコーン侯爵を宥めながらも、大公を呼んでいないのだから同罪だ。本来であれば喜々としてスコーン侯爵の失言を聞いているはずのグリード伯爵でさえ、苦々しい表情ながら口を開こうとしなかった。
彼ら大公派にとって、フランクリン・スリベグラード大公は単なるお飾りだ。邪魔者は排除しろと主張し時折見当違いな発言をするものの、権力者として担ぎ上げるにはちょうど良い存在だった。
多少は考える頭があるものの、基本的に自分事以外には無頓着だ。酒と女、そして適度な金と賭け事を与えておけば幾らでも傀儡の王を演じてくれる。
それ以外に大公に求めるものはなかったのだ。
だが、何を勘違いしたのか最近の大公はやたらと政に首を突っ込んで来る。その上、自分の意見が最上のものであると疑わずに意見を押し通そうとする。下手に地位があるものだから、誰も反論はできない。その上、ここ最近では実際にどのような計画を立て実行するのか、詳細にまで関わろうとし始めた。
確かに大公の指摘は的を射ていることもあるのだが、これまで長年自分たちに都合の良いよう事を運んできた大公派貴族たちにとっては煩わしい以外の何物でもない。
「ですから、今回に関しては閣下のお耳に入れるより先に、我々で話を詰めてしまうことにしたのです。今の閣下ですとそれこそ――ご自分で向かわれると言い出されかねません」
メラーズ伯爵が疲れたように告げる。大公派貴族の中でも、実務を一手に引き受けているメラーズ伯爵はフランクリン・スリベグラード大公と関わることが多い。大公からの要求は日に日に増え、酷く疲れた様子の時が増えてきた。
「ヴェルクで殿下を暗殺し、殿下がお持ちの剣を奪うようにという指示はありましたが、結果的に殿下暗殺は叶わず、それどころか手勢を引き連れて王都に向かっていると言うことです。閣下が知ればお怒りになることは間違いありません」
どこまでもメラーズ伯爵の声は苦々しい。雰囲気の変わった大公は、決定事項の進捗も頻繁に知りたがった。これまでは寧ろ些事など煩わしいと言わんばかりだったというのに、真逆の要求だ。その上、質問の内容も随分と鋭く痛いところを突いてくる。
以前であればメラーズ伯爵も、大公と対峙する時に緊張することはなかった。だが、最近は酷く緊張する。どこかでその感覚には覚えがあると眉根を寄せたメラーズ伯爵は、前宰相であり故クラーク公爵であったエイブラムを思い出した。エイブラム・クラークも、直属上司ではなかったものの何度も仕事を共にした。彼は非常に優秀な人物だったが、その分他人への要求も高かった。
だが、エイブラムとの違いはその要求が全てメラーズ伯爵に向けられることだ。その上、現状に合わない要求も無理矢理通そうとする。
「そもそも殿下の暗殺など実行してしまえば王太子派の反発は免れません。殿下には無事に、王都へお戻りいただかなければ」
嘆息混じりで言えば、腕を組んで難しい表情を浮かべていたスコーン侯爵が低く言い捨てた。
「だが、殿下の周囲でこちらに牙を剥こうとしている連中はその場で斬り捨てても構わんだろう」
「ええ、同感です。ただ三大公爵の御子息に関しては、その場で斬り捨てるのは悪手でしょう。彼らにも無事王都に戻って頂き、正式な裁判にかけた上で処断した方が、三大公爵の機嫌を損ねずにすみます」
スコーン侯爵は面倒だと思ったようだが、メラーズ伯爵の言葉は間違いなく真実である。エアルドレッド公爵家はたとえ次男と言えど弟を殺されたことに態度を硬化させるだろうし、クラーク公爵家に至っては既にクライドが当主である。大公派が独断かつ不正な手段で命を奪ったのだと強く大公派を糾弾するに違いない。そうなれば国は二つに割れる。
「全く、面倒な。だがまあ、多少の怪我は多めに見て貰う他あるまい。奴らが素直にこちらに従うとも思えんからな」
苛立ちを堪えずにスコーン侯爵は唸った。メラーズ伯爵もスコーン侯爵を止めることなく、一つ頷いた。それを見たスコーン侯爵は不機嫌に言葉を続ける。
「エアルドレッド公爵も、この期に及んで証言が信用できぬと言い出す始末。陛下の罪が確定的でない以上、殿下に王太子としての資格なしとするのは尚早とは、全く使えん奴らよ」
「一つの可能性として、既に王太子に付くと決めているのではないかとも推測しております。閣下の話が真実であれば、殿下はヴェルクから破魔の剣を持ち帰られているはずですから、それだけで殿下の次期国王としての地位は盤石になります」
「確かに、物を考えぬ貴族共は“破魔の剣を持つ王太子”という言葉だけで、盲目的に支持するだろうな」
明らかな嘲笑を滲ませたスコーン侯爵に、メラーズ伯爵は何も言わない。メラーズ伯爵は、ずっと無言を貫いていたグリード伯爵を横目で見た。グリード伯爵は小さく咳払いすると、「それでは」と口を開いた。スコーン侯爵が反射的に眉根を寄せて眉間の皺を深める。だが何も言わない。そしてグリード伯爵もそんなスコーン侯爵には目もくれず、淡々と言葉を続けた。
「問題は三点ですな。こちらに与する気がないらしいエアルドレッド公爵――というよりも、アルカシア派。これは暫くは動かないと見て良いでしょう。地理的にも西側ですから、引き続き監視と王都の守備を徹底すれば良いかと思います」
そして次の問題は、国王らしき姿を確認したという密偵からの連絡だった。
「クラーク公爵家の領地に陛下らしき人物を目撃したという報告があがったそうですな。確証はありませんが、クラーク公爵領であればエアルドレッド公爵家や辺境伯領と比べてそこまで戦力も大きくありません。こちらから派遣する戦力も、それほど力を入れずとも宜しいのではないでしょうか」
同意を示すようにメラーズ伯爵は頷く。不機嫌そうな表情のスコーン侯爵も、異論はないのか口をへの字に曲げたまま無言だった。
二人の反応を確認した後で、グリード伯爵は最後のひとつを述べる。
「そして一番の問題ですが、殿下がご帰国なされ、ケニス辺境伯領から王都に向かっているという情報があります。恐らく嘘ではないとは思いますが――どうなされますかな?」
最後の質問は、スコーン侯爵に向けたものだった。
今、大公派の中でも中心的な役割を担う三人はそれぞれ違う部門を担当している。メラーズ伯爵は全体の調整係のような役割を担っているが、グリード伯爵は魔導省を、スコーン侯爵は王立騎士団の運用を担当していた。それぞれの組織の最終決定権は、現在のところメラーズ伯爵とスコーン侯爵の二人が握っている。
スコーン侯爵が自らの私兵を、戦死した七番隊と三番隊の代わりとして編成できたのも、王立騎士団がスコーン侯爵の監督下となったからだった。
そして、元々仲の良くないスコーン侯爵とグリード伯爵は、その役割分担が決まったところで互いに関わるのをやめた。だが、水面下では互いを失脚させようと目論んでいる。そのため更に王宮に勤める官吏たちの対立が加速したのだが、下々に興味のない二人は意識していなかった。
「無論、いずれも早急に対処するに決まっている」
不機嫌にスコーン侯爵はグリード伯爵に答えた。そして得意気な表情で、意気揚々と掴んだ情報を口にする。
「話に聞くと、ケニス騎士団は今回殿下には随行していないという話ではないか。殿下が連れている手勢も、傭兵上がりの者共だという。それならば王立騎士団の敵ではない」
凋落ぶりがいっそ見事だと言外に嘲笑を滲ませているが、この場にはそれを責める者はいなかった。そしてスコーン侯爵の言う“王立騎士団”も、この場合はスコーン侯爵の私兵のことを指している。決して元から王立騎士団に所属していた騎士たちのことではない。
「無論、ケニス辺境伯領に進軍すればケニス騎士団との交戦は避けられんだろうからな。殿下方が領から出て――そう、途中に我々と親しくしている領主がいただろう。あの男の領土で迎え撃てば良い。親切に逗留の協力を申し出、油断したところを叩けば一網打尽に違いあるまい。私がこの手で自ら、引導を渡してやろう」
おためごかしの計略が上手く行くと、スコーン侯爵は全く疑っていなかった。それも、自分の手でライリーを捕らえると言って憚らない。恐らく騎士に捕らえさせられた後、意気揚々とライリーの前に出て何かしら言うつもりなのだろう。
初めてスコーン侯爵の計画を聞いたメラーズ伯爵はわずかに眉根を寄せた。
「さすがにその領主が大公派であると、殿下もご存知なのではありませんか?」
「あの領主は爵位も持たぬ、一介の神官なのだぞ。そこまで把握しているはずがなかろう」
スコーン侯爵は顔を顰めた。自分の演説に水を差されたと感じたのだろう。メラーズ伯爵は更に何か言おうかと口を開きかけたが、すぐに閉じる。
どれほど親切を装ったところで、ライリーには見破られるのではないかという気がしてならない。だが、確かにライリーが率いているのは傭兵の集団だ。どうやらケニス辺境伯領に仕事を求めて訪れたところ、偶然王太子ライリーの目に留まり、王都までの護衛として雇われたようだ。
その二人を見ていたグリード伯爵は、何を思ったかやおら口を開く。
「――いずれにせよ、閣下の私兵には魔導士も居たでしょう。彼らを連れて行けば、殿下の味方をしているならず者たちも一網打尽ではありませんかな」
「当然だろう。今更何を言っている」
グリード伯爵の言葉に、スコーン侯爵は不機嫌な表情になった。だがグリード伯爵は気にする様子もなく、のんびりと手元に引き寄せた葡萄酒の香りを楽しんでいる。
帰国したのであれば味方を捕まえるために主要貴族の元を訪れるのではないかと当初は考えていたが、確かに伝説の剣“破魔の剣”を手に入れたのであれば、その元に国の貴族たちは膝を着く。早々に王宮を大公派の支配から奪い返そうと気が逸ったのかもしれないと、メラーズ伯爵は判断していた。
「それでしたら、早々に例の領主に合流頂きたいものです」
辛うじて、メラーズ伯爵はそれだけを告げる。スコーン侯爵は「当然だろう」とでも言うように、鼻を鳴らし、念を押すように告げた。
「それから、殿下をこちらに保護し幽閉した後の処遇については王立騎士団の直下とすること、くれぐれも忘れるでないぞ」
王立騎士団と言いながら、その実スコーン侯爵の私兵を王太子の監視役として置くことは自明だ。グリード伯爵は僅かに呆れた視線を向けるがスコーン侯爵は気が付かない。そしてメラーズ伯爵は侯爵に気付かれないよう溜息を堪えながら、一言だけ苦言を呈した。
「勿論です。それが王立騎士団の責務でもありますから。ですがくれぐれも、余計なことをしないよう目を光らせて頂いておかねば」
「無論に決まっているだろう」
スコーン侯爵は不機嫌になる。しかし、メラーズ伯爵にとっては重要なことだった。
たとえ反逆罪で捕えたとしても、王太子の処遇が悪ければそれは大公派に対する非難の理由になる。盤石な体制を整えるまで、油断してはならなかった。
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メラーズ伯爵たちの会話を、リリアナは王都近郊にある屋敷の自室でゆったりとお茶を飲みつつ聞いていた。どうやら大公派は、王立騎士団を三つに分けてこの窮状に対処するつもりらしい。
二番隊は王都に残してアルカシア派に睨みをきかせ、八番隊をクラーク公爵家に派遣して本当に国王を匿っているか調査する。もし国王を発見すれば早急に身柄を確保するよう、指示を出していた。
「そしてスコーン侯爵の私兵を、王太子捕縛のため東方へ向けて派遣なさるのね。それにしても、のんびりとなさっていること」
焦燥を覚えているらしいメラーズ伯爵と異なり、スコーン侯爵は余裕の態度を終始崩していなかった。どうやら大公派領主のところでライリーたちの足止めを出来ると、本気で考えているらしい。
だが、彼らが傭兵と考えている男たちは皆、北で戦死したとされている王立騎士団七番隊と三番隊の面々だ。スコーン侯爵の私兵がどれほどの人数居ようと、敵う相手ではなかった。
「ただ人数の差がありますから、数で押し切られたら無事では済まないでしょうね。それに魔導士が居るというのも、気にかかりますわ」
リリアナの眉根は憂鬱に顰められている。ライリーの元には魔導騎士であるオースティンも居る。ライリー自身も魔術には優れているため、一介の魔導士と対峙するのであれば不安はない。だが、今回は戦だ。戦の中で魔術を使う場合、魔導士本人の能力よりも他の戦力と組み合わせた戦術によって結果は大きく変わる。
ライリーやオースティンは確かに能力は高いが、実践経験があまりにも不足していた。
「それにしても、侯爵自ら動くとは――誰も予想していなかったのではないかしら」
大まかには計画を立てたライリーたちの思惑通りに事が進んでいるが、さすがにスコーン侯爵本人がライリーを捕らえるためだけに出て来るとは考えても居ないはずだ。実際に、リリアナも予想していなかった。メラーズ伯爵とグリード伯爵も、予想外だったに違いない。
「恐らくは、地盤固めを急ごうとお考えになられたのでしょうけれど」
大公派が王宮を占拠してからそれなりの時間が経った今、リリアナがばら撒いた噂のせいで、スコーン侯爵の派閥とグリード伯爵の派閥の対立は激化している。官吏の仕事も回らなくなりつつあり、いつその緊張関係が崩壊するのかも分からないほどだ。その状態に終止符を打つためには、どちらかの派閥が圧倒的な成果を得て地盤を盤石なものにし、他方を追い落とすしかない。
スコーン侯爵は、今回が自分とグリード伯爵どちらが優勢に立つかの分岐点と考えているに違いなかった。
「グリード伯爵がお静かなのも気にかかりますわ」
グリード伯爵の性格を考えれば、スコーン侯爵の計略を知って静かにしているはずがない。何かしらの思惑があって、スコーン侯爵の行動を放置しているとしか思えなかった。
「それに、ウィルたちには万全の状態で居て頂けませんと」
リリアナはぼやく。何気なく自分の髪に手をやり、指先で毛先を整えた。
その銀髪は、隠しようもなく黒色の部分が広がっている。徐々に闇の力がリリアナの中で大きくなり、彼女の制御を離れる時期が近くなっていることを示唆していた。恐らく髪が全て黒になれば、リリアナは乙女ゲームの悪役令嬢そのものになるのだろう。
他人の目に晒されている時は魔術で髪の色を偽っているものの、一人で居る時は自覚を促すためにも、術を解いて黒色の浸食具合を確かめていた。
「怪我をなさった体では、魔族とも存分に戦えませんものね――――」
そしてリリアナの薄緑色の瞳には、緋色の光がちらついていた。
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