9. 絡む糸 2
「勿論、リリアナ嬢が嫌だと言えば俺は遠慮するぞ」
オースティンがリリアナに顔を向ける。リリアナは苦笑して頷いた。
「ほら、お許しが出た」
「リリアナ嬢は優しいから」
楽し気なオースティンとは裏腹に、ライリーは憮然とする。しかし、ライリーはテーブルの上の鈴を鳴らし侍女を呼ぶと、オースティンの分も茶菓子と紅茶を用意するよう言いつけた。紅茶とケーキはすぐに運ばれて来る。侍女が下がったところで、オースティンが口を開いた。
「狐の妹、送って来たぜ」
「キツネ――? ああ、彼女か」
ライリーは一瞬不可解な顔をしたが、合点がいったようで直ぐに頷く。そして指を鳴らし三人の周囲に防音の結界を張った。リリアナは“狐”と言われてもピンと来ないが、流れから推測するとマルヴィナの兄が“狐”なのだと納得する。リリアナはタナー侯爵家長男の顔を見たことがない。“狐”とは一体どういう意味だろうと思っていると、ライリーが補足してくれた。
「彼女の兄君は、背が高く痩せていてね。顔つきも鋭く目も細い。そこで狐と、オースティンが呼んでいるわけだ」
「そっくりだろ」
オースティンは悪びれない。「無礼だぞ」と忠告するライリーにも、オースティンは笑いながら「場所と相手は選んでる」と肩を竦めた。そして、すぐに声を潜める。
「問題はそこじゃない。最近、タナー侯爵家の領地にはやたらと羽振りの良い商人が来ているらしいぞ」
「商人?」
「ああ。国内でもなかなかない掘り出し物がたくさん手に入るんだと」
リリアナは首を傾げる。そして、手元のメモを引き寄せ手早く文章を綴った。
ブレスレットを使えば直接ライリーとやり取りができるが、ライリーたっての希望で、オースティンにすらそのことを告げていない。ブレスレットの存在を知るのは、ライリーとリリアナ、そして製作者であるどこぞの魔導士の三人だけだ。
〈確証はございませんが、ユナティアン皇国の商人ではございませんでしょうか〉
「ユナティアン皇国?」
ユナティアン皇国はスリベグランディア王国の東に接する大国だ。
意外だったようで、オースティンが目を瞬かせる。ライリーも不思議そうに首を傾げてリリアナを見た。
「それはまた、一体どうして?」
〈彼女が身に着けていたドレスは、我が国では作られない意匠でござました。柄から推察するに、ユナティアン皇国の流れを汲んだものかと〉
「なるほど。ドレスの柄――思いつかなかったな」
オースティンは溜息を吐く。修業が足りないな、と溜息を吐く彼に、リリアナは微苦笑を漏らした。
彼が噂のような女たらしではなく、淑女に優しくあろうと努力しているのだと気が付いたのは、茶会を共にするようになってからだ。どうやら彼には何かしら目指すところがあるらしいが、その本心を聞いたことはない。そもそも攻略対象者なのだから、リリアナとしては立ち入るのも遠慮したいところである。
(既に十分立ち入ってしまっておりますが、これ以上はさすがに遠慮申し上げたいところですわ)
気付かれないようにリリアナは内心で溜息を吐く。
そんなリリアナの隣で、オースティンはライリーに懸念を口にしていた。
「念のため、探りを入れておいた方が良いんじゃないか。狐の領地は国境に近い。許可証を得た商人なら良いが、もし持ってなかったら――」
「だが、誰が探る?」
「俺たちの直感に過ぎないからな。宰相は勿論だが、“プレイステッド卿”を関わらせるのも事が大きくなりすぎる。それに三大公爵家の“盾”は論外だろ」
「当然だ。戦でも起こす気か。そもそも“盾”は俺たちでは動かせない」
三大公爵家の“盾”は、当主でさえ人前に姿を現さない。定期的に国王に謁見しているらしいが、彼らは家族構成も含め謎に包まれている。貴族たちが知っているのは、ローカッド公爵領がどこにあるのかということ、そしてローカッド公爵家が三大公爵家の“盾”と呼ばれているらしい――という程度だ。ローカッド公爵領はスリベグランディア王国の東部に位置していおり、ユナティアン皇国と隣接しているため国防としても重要な拠点である。
オースティンは苦々しい表情を崩さない。リリアナは黙って二人の様子を窺っていた。
「俺が行ければ話は早かったんだがな。こういう時に次男坊は便利だ」
「もうすぐ騎士団の入団試験があるだろう、そちらを優先しろ」
「それは当然だろ」
ライリーの指摘に、オースティンは素直に頷く。もうじき騎士団の入団試験がある。同年代どころか年上の少年の剣ですら軽くいなすようになったオースティンは、ほぼ確実に騎士となれるだろう。
「――懸念事項として、頭の隅に置いておく。動くなよ、オースティン」
「分かってるよ」
未だ気にかかるらしいが、ライリーは傍観することに決めたらしい。オースティンも不満はあれど仕方がないと分かっているらしく、素直に頷いた。
(当然ですわね。子供が動いたところで、上手く行く道理はございませんわ)
リリアナは表情を変えないまま、内心でライリーの決断を妥当なものだと判じた。
ライリーやオースティンはまだ八歳だ。もうじき九歳になる上、天才と呼んでも差し支えないほど頭の回転は良いものの、幼いことに変わりはない。特にライリーは王太子だ。下手に動けば国が危うくなる。軽はずみな言動は控えるべきだった。
二人ともそれを承知しているからこそ、基本的には同年代の子供たちが話す内容から情報を集め推測を組み立てることに終始しているのだろう。
(でも、公爵家ともなればそろそろ自分の“影”を持つ時分だと思うのですけれど――長男だけかしら)
こっそりとリリアナは横目でオースティンを窺う。ライリーは既に手の内に“影”と呼ばれる諜報員を飼っているかもしれないが、オースティンには居ないかもしれない。クラーク公爵家では、そろそろ兄のクライドにも“影”が付くはずだった。一方のリリアナは自分の“影”を持たない。もし必要とするなら、自分で探し出し、自らの資産で雇わなければならない。その上、もしその動きを父親に勘づかれたら咎められる可能性が高い。基本的に、この国の女性が専用の諜報員を持つことはない。大半の女性はその存在すら知らないままだし、“影”を連れて嫁ぐ女性を歓迎する家があるはずもなかった。
どうやら諦めたらしい二人は、今度こそ雑談に移って行く。リリアナは聞き役だ。取り立てて話すこともなければ、一々メモを書いて二人に見せるのも面倒である。ライリーと二人であればブレスレットを付けて滞りなく話ができるため、その便利さを身近に感じる今、以前は覚えなかった煩わしさのせいでペンと紙に手が伸びない。
やがて茶会も終わり、ライリーが車停めまで付き添ってくれると言う。リリアナは素直に甘えることにした。
「ごめんね、あいつが居ると貴方と満足に話もできない」
『いいえ、お二人のお話を伺うのも楽しゅうございますわ。わたくしは、屋敷から滅多に出ませんので』
「私は、貴方が読んだ本の話を聞くのも好きだよ」
ライリーが微笑む。間近に迫る美しい顔に赤面できれば良いのかもしれないが、リリアナはにっこりと笑みを見せるに留まった。
「今日も本を読んでいたよね。何を読んでいたの?」
『詩集ですわ』
「詩集? ――珍しいね」
どうやら予想外だったらしい。珍しく目を丸くして驚くライリーに、リリアナは思わず笑いを漏らした。
『ええ。最近流行っていると聞きましたので、どのようなものかと』
「ああ、なるほど――そういう。それなら分かった。それで、どうだった?」
決してリリアナの好みであるわけでも興味が湧いたわけでもなく、後学のためであると察したライリーは、安心したように納得した。
リリアナは少し考える。感想を問われても、「理解不能」「非常に非生産的な時間」「薄ら寒い文言の集積」といった、非常に淑女的でない言葉しか出て来ない。そして、車停めにはもうすぐ着いてしまう。結果、リリアナは婉曲ながら率直に感想を伝えることにした。たとえ幻滅されたところで、婚約破棄を願っているリリアナにとっては僥倖だ。
『わたくしとは違う世界に暮らしていらっしゃる方々の子守歌のように思いましたわ』
曰く、全く理解不能で眠気を誘われた。
てっきりリリアナの台詞に失望するかと思われたライリーは、しかしすぐに噴き出した。堪えられないと言うように笑い、「なるほど」と頷いた。
「それなら有難い。私も、ああいう類は苦手なんだ。オースティンと違って」
『それを伺って安心いたしましたわ』
リリアナは真顔で頷く。あり得ないと分かっているが、万に一つでもライリーがあのような睦言を囁いてきた場合、リリアナは咄嗟に魔術で攻撃してしまいかねない。至って本気かつ正直な答えだったのだが、何が面白かったのか、ライリーは「気が合うね」と笑みを含んでリリアナに一歩近寄る。距離が迫ったことが気にかかったが、離れる前に二人は扉に到着してしまった。ライリーは衛兵に、リリアナの馬車があるか確認する。既に来ていることが確認できたということで、リリアナはライリーに辞去の礼を述べた。
「また手紙を出すよ。次の日程はそこで伝える」
『承知いたしました』
頷いて、リリアナは馬車に乗り込む。ライリーはそんなリリアナの姿が見えなくなるまで、扉の前に立ち見送ってくれていた。
*****
馬車に乗ったリリアナは王宮から出た後で、御者台のオルガに紙を差し出した。すぐに気が付いたオルガは紙を受け取ると、目を細め隣のジルドに声を掛ける。
「ジルド。確か、前の仕事でタナー侯爵領に行ったことがあるって言ってなかったか」
「あぁ? ああ、一瞬だがな。それがどうした」
「最近、その侯爵家に出入りしている商人について情報が欲しいらしい」
ジルドは意外なことを聞いたというように目を瞬かせる。肩越しに馬車を振り返り、すぐにオルガへと視線を向けた。
「また、何企んでやがる、あの嬢ちゃんは」
「私が知るわけがないだろう」
オルガは憮然と答えた。ジルドは少し考え、綱と鞭をオルガに渡すと身軽な動作で箱の中を覗き込んだ。リリアナはジルドと目を合わせる。
「俺が仕事で行ったのは一年ほど前だぜ、その頃にはそんな話は聞かなかった。だけどよ、そン時の知り合いがいるからなァ。訊きゃあ調べちゃくれるだろうよ」
どうする、とジルドが尋ねる。リリアナは一瞬考えたが、すぐに頷いた。そして手早く手元のメモに文章を綴り、ジルドに渡す。そこには〈謝礼については応相談〉と書かれていた。揺れる馬車の中で書いたにしては美しい文字だ。謝礼も払うのかよと、色々な意味で呆れ顔になったジルドだが、すぐに御者台に戻る。はっきりと口にはしなかったが、リリアナの要望に応えるべく昔馴染みに連絡を取ってくれるだろうことは、予想がついた。
(結果的に、とても良い拾い物をしたわね)
リリアナは満悦だ。ペトラと出会ったこともそうだが、お陰で傭兵二人を手に入れることが出来た。
護衛二人が殉職し新たに傭兵を雇ったことは、父親には報告していない。
(次は、“影”が欲しいけれど――どこで手に入るかしらね?)
手は多い方が良い。
魔物襲撃に遭った後に父親の言葉を聞いてから、リリアナの目下の目標は婚約破棄に加えて父親から身を守ることも含むようになった。
ゲームのシナリオ通りに進むのであれば父親の手によって命を奪われることはないだろう。だが、危険がないとは言い切れない。さすがのリリアナも、大怪我を負ったり瀕死の重傷に喘ぐのは避けたかった。
(さて、気持ちを切り替えましょう)
リリアナは口角を持ち上げる。誰も見ていない中で笑みを浮かべる必要性はないが、既にリリアナにとって微笑は身に馴染んだ武器だった。
そのまま窓から外を眺める。良い天気だ。
ゆっくりと進む馬車が向かう先は王宮から離れた、王都中心部の外れにある古びた建物――魔導省だった。