63. 崩落 4
ライリーたちがケニス辺境伯邸に滞在するようになってからおよそ一週間後、北部からケニス辺境伯領に薄汚れた集団がやってきた。一見したところは傭兵にしか見えない。たとえケニス辺境伯邸を監視している密偵が居たとしても、傭兵たちが次の職場を求めてケニス辺境伯領に辿り着いたとしか思わないだろう。
そして、本来身に着けていた服を脱ぎ捨て平民の衣装を身に着けた男たちは、使用人たちの使う勝手口から館の中に入り、不思議なことに宴会の時主人へ付き従う騎士たちが宿泊する部屋へと通された。用意された湯と手拭いで体を清めた後、用意された清潔な衣服へと着替え、男たちは身なりを整える。そうすると、薄汚れたならず者集団のような雰囲気を醸し出していた男たちは、途端に洗練された雰囲気へと様変わりした。
「それでは代表して俺が行って来る。お前たちは各々、ここで準備を整えておけ」
「はっ」
傭兵ではあり得ない規律の良さで、男たちは年嵩の男に応えた。一つ頷いた年嵩の男は、使用人を呼び付け部屋を出る。案内されるがまま向かったのは、館の主人が居る執務室だった。
扉を叩き、男は部屋へと入る。室内には、ケニス辺境伯だけでなく未だ年若い青年たちも居た。その姿を認め、男はほっとしたように僅かに目元を緩める。しかしすぐに表情を引き締めると、ソファーに座っている金髪の青年に丁寧な礼を見せた。
「殿下、この度はご健勝のご様子、何よりにございます」
殿下と呼ばれた王太子ライリーは変わらない微笑を湛えている。そして、男に向かって小さく首を振った。
「私が無事にこうして居られるのも、ケニス辺境伯や王都で頑張ってくれている者たちのお陰だ。それに、団長もこうして駆け付けてくれた。心から感謝している」
「とんでもございません。しかし――北で王都から報告を受けた時は、愕然と致しました」
王立騎士団長トーマス・ヘガティは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。
元々、北の領主たちが謀反を起こしたという報告があった時、ヘガティはライリーから直接命令を受けている。それは、謀反を鎮圧せよという内容だけではなかった。大公派の動きが活発化していること、そのため北から帰還する際には事前に王都の情報を仕入れ、必要に応じて潜伏することも視野に入れておくこと。その三点が主な内容だった。
当初ヘガティは半信半疑だったが、以前大公派が王立騎士団を傘下に置くために団長ヘガティと副団長スペンサーを罷免しようとしたことは記憶から薄れていない。証拠こそ揃わなかったものの、当時の状況や、大公派の息がかかった官吏たちの証言を組み合わせればおおよそ推測できる。
過去のことがあったからこそ、ヘガティはライリーの命令を素直に受け入れた。
だが、その時はさすがにまだライリーの言葉が現実になるとは思っていなかった。大公派の動きが活発化していることは多少把握していたものの、影響力の大きい高位貴族たちは殆どが王太子派である。元々大公派だった魔導省も、大公派と懇意だった元長官ニコラス・バーグソンが死亡してからは王太子派に近い中立派だし、王立騎士団も王太子に忠誠を誓っている。だから、それほど心配する必要はないと思っていた。
だが、現実は悉くヘガティの予想を裏切っていた。
王都に残っていた副団長マイルズ・スペンサーから、二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートを通じて、大公派が八番隊を動かし王太子ライリーの身柄を拘束しようとしたという一報が入る。国王ホレイシオや王太子ライリーは大公派に捕らえられる前に逃亡し難を逃れたものの、今では王立騎士団も王宮も大公派の支配下だ。
「七番隊と三番隊諸共、私が北で死亡したという誤報を大公派が鵜呑みにした結果、現在王立騎士団は団長がブルーノ・スコーン、七番隊と三番隊の補充としてスコーン侯爵家の私兵が組み込まれたと聞いております。誠に遺憾なことながら、同時に我が騎士団の暴走を許した事、誠に申し訳なく、忸怩たる思いを抱えております」
悲痛な感情を凌駕するほどの怒りが、ヘガティの双眸からあふれ出ている。それを見たライリーは、苦笑を浮かべて首を振った。
「それはこちらの落ち度でもある。もっと早い段階で大公派の勢力を削ぐことが出来ていれば、話は違ったはずだからね。実際に、北の謀反も団長たちをおびき寄せる罠だったんだろう?」
ライリーの言葉に、ヘガティは頷く。北で謀反が起こったという知らせは確かに間違いではなかった。だが彼らは当初予想されていたように王都へ向かうわけでもなく、罠を仕掛けてヘガティたちの到着を待っていた。
地の利を生かして、自分たちよりも優れた王立騎士団の精鋭たちを翻弄する。負ける気はなかったが、騎士たちの半数以上が戦闘不能になることも覚悟した。それでも、実力主義と名高い七番隊は見事だった。隊長のブレンドン・ケアリーを筆頭として、体勢を立て直すべく暗闇に身を潜める。二番隊から魔導騎士を一人、借りていたのも幸いした。
結果、多少の怪我はあったものの、少しの療養で皆回復したのである。
だが、今はその点を議論する時間ではない。ライリーは気を取り直して、話題を元に戻した。
「今は過去を嘆くよりも先に、今後のことを決めて早急に行動に移したい」
ライリーの言葉に、他の青年たち――オースティン・エアルドレッドとクライド・クラークも同意するように頷く。そしてケニス辺境伯も、腕を組んだまま重々しく同意を示した。
「無論、殿下の仰ることに否やはございません。今のところ大公派が、殿下の所在に勘付いたという報告は受けておりません。しかし時間が掛かれば連中に気が付かれる危険性が高くなる」
ケニス辺境伯が言えば、クライドもはっきりと頷く。
「それに、現状では大公派に与する貴族は以前と比べてそれほど増えておりませんが、殿下不在の状態が長引けば考えを改める者も出て来るでしょう。それは極力避けたいと考えております」
「団長、七番隊と三番隊の代わりをスコーン侯爵の私兵が務めているとなると、現在の王立騎士団で殿下の味方となり得る者はスペンサー副団長と二番隊のみということになるでしょうか」
クライドの指摘も尤もだったし、オースティンの疑問も当然のものだった。考える間もなく、ヘガティはオースティンの言葉を肯定する。
「その通りだ。八番隊は元々ブルーノ・スコーンが隊長を務めていたから、ブルーノの命令を聞くと考えて構わんだろう。ブルーノも侯爵の意向を強く受けている。二番隊はスペンサーが取り込んでいたから殿下の御味方となり得るが、表面上は新体制に従っている振りをしているはずだからな。頼りになるのは、決戦間近と考えておいた方が良い」
オースティンの質問に答えたヘガティに、今度はライリーが疑問を差し挟んだ。
確かに状況だけを考えれば、王立騎士団はほぼ大公派に掌握されたと考えられる。副団長マイルズ・スペンサーや、ダンヒル・カルヴァート率いる二番隊は王太子派ではあるものの、立場的に気軽には動けない。
そこまで考えると、今度は別の謎が沸き起こって来た。
「二番隊を取り込んでいるとはいえ、結構な詳細まで掴んでいる様子だね。それに二番隊がここまで放置されていることも予想外だった。大公派はダンヒル隊長を疑っているものだと思っていたのだけれど」
二番隊隊長のダンヒル・カルヴァートは、王太子派カルヴァート辺境伯の実子だ。そのため、大公派――特にメラーズ伯爵から警戒されていてもおかしくない相手だった。放置されていることを疑ってみれば、獅子身中の虫でいるつもりが大公派に監視されている可能性もある。
だが、どうやらその点は既にヘガティも疑問に思い調べた後だったようだ。ヘガティは、不敵な笑みを漏らした。
「八番隊はその殆どがブルーノ・スコーンの命令を聞きますが、副隊長カーティス・パーシングはアルカシア派の傍系貴族の息子です。父は子爵位であり五男であるため大公派には歯牙にもかけられておりませんが、これがなかなか優秀な男でして、恐らく八番隊の中では最もその職務に相応しい能力を持っていると評価しております」
「そういえば、スペンサーもカーティス・パーシングは信頼できる男だと言っていたね」
カーティスは全くぱっとしない男だ。それは言い換えると、人の記憶に残りにくいということでもあるし、何をしていても他人の注意を引かないという意味でもあった。
元々、カーティスに騎士の才能はそれほどない。パーシング子爵家ではまだ剣の腕が立つ方だったようだが、五男の彼以外は皆文官に才を発揮している。実際に、カーティスは王立騎士団に辛うじて入団できたものの、騎士の適性なしとして落第の判定をされるところだった。
そこを拾い上げたのが、ヘガティである。当初は騎士の資質がないとされたことに衝撃を受け沈み込んでいたカーティスだったが、八番隊では如何なくその才能を発揮した。ヘガティに重用され副隊長に就任したこともあり、彼はヘガティに多大なる恩義を感じている様子である。
「そのため、スペンサーや我々のことについては、上手くカーティス・パーシングが隠蔽しております。ブルーノ・スコーンはカーティスのことを、今のところは疑っておりません。故に、報告が上がって来ないからには我々の死亡報告も、スペンサーやダンヒルが我々と連絡を取り合っていたことも、把握していない様子です」
「そういうことか」
納得した様子でライリーたちは頷いた。そこまで把握できれば、あともう一点だけ確認しておきたいことがあった。それほど重要な事柄ではないものの、足場を固める上ではきちんと理解しておきたい。そう思って、ライリーはヘガティに質問を投げかけた。
「それにしても、北でハインドマン伯爵に協力して貰えたとは良かったね。確かに彼は北での謀反には加担していなかったようだけど」
「ああ、それなのですが」
ヘガティは思い出したように切り出す。
「実際に保護をしてくれたのはハインドマン伯爵なのですが、その采配を行ってくれたのはバジョット伯爵でした。七番隊の副隊長がバジョット伯爵の御子息でして、スペンサーから連絡を受けた際、潜伏することに決めた後、保護先として父伯爵に連絡を取ってくれたのです」
その説明は、ライリーだけでなくケニス辺境伯にとっても多少の驚きを含んでいた。確かに話としてはおかしくない。だが、バジョット伯爵が自ら動いていたとは思わなかった。特にバジョット伯爵は王宮の勢力争いからは一定の距離を置いている。独立独歩の風潮が強い領土の主に相応しく、権力に阿るようなことをしない。
そのため、彼の息子が王立騎士団に所属していること自体が謎ではあった。
「バジョット伯爵が――それは、また」
瞠目しているライリーたちに、ヘガティは再度頷いた。
「ハインドマン伯爵が直接連絡を取ったら、七番隊の生存を大公派に疑われる可能性があるのではないかと思われたようです。しかしその点、バジョット伯爵であれば御子息の死亡に関して騎士団と連絡を取っているという言い訳が立ちます」
バジョット伯爵の子息は七番隊副隊長であり、北で団長ヘガティと隊長ブレンドン・ケアリー共々戦死したことになっている。あまり頻繁であれば疑われもするだろうが、息子に関するやり取りをしているとでも言えば大公派も強くは止められない。
そこに目を付けたらしいと、ヘガティは説明した。
クライドは目を細めて考え込んでいたが、ヘガティの言葉が終わるのを待って確認する。
「つまり、ハインドマン伯爵もバジョット伯爵も、殿下を支持なさるという解釈で間違っていませんね?」
「いかにも」
その通りですと、ヘガティは断言する。その表情に嘘はない。ようやく、ライリーたちは安堵の息を吐いた。
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16-3:カーティス・パーシング初出
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