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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
408/563

63. 崩落 3


ケニス辺境伯邸で辺境伯との会談を終えたライリーたちは、北からの客人が到着するまで暫く屋敷に滞在することになった。各々宛がわれた客間に移った後、旅で薄汚れた体を綺麗にする。どうやらライリーたちへの対応は、屋敷で働く使用人の中でも選りすぐりの者たちにだけ任されているようで、王宮で受けているのと遜色ないもてなしを受けることが出来た。

夕食をケニス辺境伯と摂った後は、自由時間だ。ベラスタは喜々とした様子で魔術の研究をすると自室に戻り、疲れたらしいエミリアもまた部屋に向かう。残されたライリーとオースティン、クライドに、ケニス辺境伯は声をかけた。


「殿下方は、この後はお時間ありますかな」

「ええ、勿論です」


ライリーは快諾する。辺境伯に促されるがまま、三人は食堂から少し離れた場所にある遊戯室に向かった。

遊戯室では様々な遊戯を楽しむことができる。チェスを初めとした盤上遊戯(ボードゲーム)は勿論のこと、賽子遊戯(ゲーム)撞球(ビリヤード)など、様々な道具が置かれていた。その量は王宮や公爵家にも引けを取らないもので、質の良さを見ても辺境伯の隆盛ぶりが窺える。

家具や遊具の間に置かれているソファーにそれぞれ腰かけると、側に控えていた執事が葡萄酒を配ってくれた。ケニス辺境伯が手を振ると、執事は一礼して部屋を出て行く。

完全に扉が閉まり気配が遠のいたところで、ケニス辺境伯はおもむろに口を開いた。


「北からの客人が来る前に、現在の王宮の様子を私の知る範囲で、仔細にお伝えしておいた方が良かろうと思いましてな」

「それは助かる」


ケニス辺境伯の申し出に、ライリーたちは素直に感謝した。

恐らく先ほどベラスタやエミリアが居る場で話さなかったのは、あまり公にしない方が良い事実も含まれているからだろう。それを言うのであれば国王ホレイシオに掛けられた密通の嫌疑に関しても伏せておくべきだったかもしれないが、今後ライリーたちと行動を共にするのであれば耳に入る可能性がある。下手に騒がれるよりは先に情報を共有しておいた方が良いというのも、一理あった。


「先ほどベラスタ殿とエミリア嬢が居た場では、明らかに大公派の罠だと分かることのみしか話しませんでしたが、当然噂としてはそれ以上のことも耳に入って来るわけです」


案の定、ケニス辺境伯が告げたのはライリーの想像通りの内容だ。だが、その具体的な内容と言うと、さすがにライリーにも想像がつかなかった。


真剣な表情の若者三人を見やって、ケニス辺境伯は満足そうに笑みを深める。しかしすぐにその表情も消し去り、彼は淡々と口を開いた。


「顧問会議以来、大公派の中で大きく変わったことが二つあるようです。一つは、大公閣下が積極的に政務に口を出されるようになったこと。しかもその内容が、なかなか的を射ているようですな」

「叔父上が?」


ライリーが目を瞠る。ライリーだけでなく、オースティンやクライドも意外の念を隠せなかった。

それも当然の反応だとケニス辺境伯は深く頷く。これまでの大公は、面倒なことは全て避けて通る性質だった。自分は遊ぶ金が潤沢にあればそれで構わないのだと言わんばかりの態度で、後先を一切考えない。時折口にする思いつきも非常に視野が狭く短絡的で、今この時、己だけが快適であればそれで良いと言わんばかりのものだった。

そんな大公の思い付きを上手く調整し、実情に即した形にするのがメラーズ伯爵たち有力者の仕事だったはずだ。


「人が変わったようだと専らの噂です。それに――例の御夫人からも、足が遠のいてしまわれたようで」


例の御夫人、という言い方にライリーの眉が寄る。クライドやオースティンにとっては単なる“愛人”という意味に過ぎないその単語も、ライリーには別の意味を持っていた。眉根を寄せたライリーは「まさか」とケニス辺境伯に尋ねる。


「気付かれてしまったのかな?」

「おや、殿下はご存知で」


例の御婦人はフィンチ侯爵夫人であり、彼女は大公派の動きを知るためにアルカシア派が大公の元へと送り込んだ間諜だった。もし大公が間諜だと気が付けば、当然足は遠のくだろう。

ケニス辺境伯は片眉を上げる。ライリーはあっさりと頷いた。


「詳細を聞いたことはないけれど、でも先代のエアルドレッド公爵から直接教えて貰ったんだ。普通の関係ではないという事だけは、すぐに分った」

「なるほど」


ライリーの返答を聞いたケニス辺境伯は、嬉しそうだった。ケニス辺境伯がフィンチ侯爵夫人のことを言っていると、ライリーが直ぐに気が付いたことに満足しているようだ。

しかしケニス辺境伯はそれ以上その点について言及することなく、真剣な表情に戻る。


「幸いにも気が付かれてはいないようですな。エアルドレッド公爵家に対して、陛下を保護しているのではないかという監視の目はついていますが――侯爵家にも夫人にも、周辺に異変はありません」

「それは良かった。だが、それなら飽きたというだけではないのかな?」

「他の愛人の元にも、一切訪れることをやめたようです」


当然考えられる可能性を指摘したライリーに、辺境伯は首を振って否定した。さすがにこれには、ライリーだけでなくオースティンやクライドも驚きを隠せない。


フランクリン・スリベグラード大公は、若い頃から浮名を流して来た。成長し顔立ちや体つきが大人びて来てからは、貴婦人であろうと侍女であろうと構わず、自分好みの女に声をかけて来た。さすがに先代国王の目がある間は無茶な遊びは控えていたようだが、国王亡きあとは随分と無茶もしていたと聞いている。

大きな醜聞になったり問題となったりしなかったのは、偏に大公という身分と、彼の行動によって王家の威信が墜落することを懸念した先代国王が派遣した大公の側近たちの手腕のお陰だった。


そのフランクリン・スリベグラード大公が愛人の元を訪れないというのは、ライリーたちを驚愕させるに十分すぎるほどの情報だった。


「貴族の中には、実は別人ではないかと噂し合う者もいるほどらしいですぞ」

「確かに――それが本当なら、私の知っている叔父上とは思えないね。それほど態度が変わったのは、何時からなんだろう」

「そうですな、はっきりとした話を聞いたのは――陛下と殿下が王宮から姿を消された日から、しばらくしてからの事でしたか」


だが、誰も直ぐ変化に気が付いたわけではなかったらしい。大公の変化は一気に起こったわけではなかった。徐々に顧問会議で意見することが増え、その内容も単なる所感や大雑把な命令から、詳細なものへと変わっていく。妙だと気が付いたのは、その変化が目に明らかな程度まで進んでからだった。


「何者かが、叔父上を影で操っている可能性は?」

「それも考えて密偵を放っていますが、さすが王宮は警備が厳しいですな」


ライリーの問いにケニス辺境伯は肩を竦める。この場合の密偵は、夜半に侵入し情報を得る者ではなく、下働きや使用人、商人、文官等に成りすまして情報を集めて来る者のことだ。一国の中枢である王宮に密偵が易々と潜り込めることこそ問題だが、ライリーは苦笑を隠せなかった。


「以前、私が使用人や文官たちの体制を一新してしまったからね。密偵は以前よりも潜り込みにくくなったと思うよ」


以前、ライリーは王太子派の貴族と協力して使用人や文官、魔導省から大公派の勢力を一掃した。だが当然何の問題も起こしていない者は追い出すことはできない。そのため、ライリーは体制にも梃入れをし、不正が起きにくいよう手を加えた。

ケニス辺境伯はにやりと笑う。


「しかしながら、残念なことにその体制が悪い方向に働きましてな。いや、こちらとしてはある意味僥倖とも言えるわけですが」

「悪い方向?」


一体どういうことかと、ライリーだけではなくオースティンやクライドも眉根を寄せた。不思議そうな三人を前に、ケニス辺境伯は誤魔化すようなことはしない。あっさりと単刀直入に、もう一つの共有すべきことを口にした。


「大公派が分裂しております」

「分裂……?」


クライドとオースティンが顔を見合わせる。二人とも“まさか”と思い当たる節がある様子だった。確かに、大公派の中で王宮の官吏たちに影響を与えるような貴族は少ないし、その中で対立する可能性がある貴族ともなれば更に絞られる。

ライリーも、クライドとオースティンと同じ結論に至った。


「スコーン侯爵とグリード伯爵かな?」

「ご名答にございますな」


スコーン侯爵とグリード伯爵は元々馬が合わないようで、特にスコーン侯爵の方がグリード伯爵を悪し様に言うことが多かった。グリード伯爵は元々寡黙な性質である上に爵位も低いため、表立ってスコーン侯爵を批判することはない。しかし、その瞳は時折雄弁なほど、スコーン侯爵を嫌っていると告げていた。実際に二人が肩を並べることはほぼない。必ず二人の間には、共通の知人であるメラーズ伯爵が居た。


「最初は些細な噂だったようです。殿下が王宮を去られてから、官吏には大公派の息が掛かった者が増えまして。相手の派閥の誰某がこちらの悪口を言っておったと、そういう噂が両陣営に流れたようでしてな。以降、官吏の間でも対立が深まっております。そして対立が深まった故、相手陣営が出して来た法案はもう一方が握り潰すという有様で、業務が随分と滞っておるようですぞ」


ケニス辺境伯の言葉に、ライリーたちは苦虫を嚙み潰したような表情になる。即ちそれは単なる勢力争いだ。本来であれば、内部分裂をしているような余裕は今の大公派にはないはずだった。国王や王太子を捕らえて生殺与奪の力を握っているのであればともかく、まだ大公派の地盤は弱い。

今まさにライリーがしているように、王太子ライリーが王太子派の貴族を引き連れて王都に攻め入れば、大公派は無傷では済まない。王立騎士団を指揮下に置いて反撃したとしても、勝てるとは限らなかった。それほどに、フランクリン・スリベグラード大公は貴族たちから信を置かれていない。


ただ、今ライリーの気を引いたところはそこではなかった。何かに気が付いたように顔を上げ、訝し気な視線をケニス辺境伯に向ける。ケニス辺境伯は、そんなライリーを意味深に注視していた。


「切っ掛けが噂、だって?」

「いかさま」


力強く頷いたケニス辺境伯と、ライリーは暫く互いに見つめ合う。沈黙が落ちるが、その間にライリーはもしやという気持ちを抑えきれなくなっていた。


「――噂から始まるって、どこかで聞いたような話だね」


ケニス辺境伯は答えない。静かにライリーの言葉を待っている。クライドとオースティンも、固唾を飲んでライリーの言葉を待っていた。


「エミリア嬢と私が好い仲だという噂を流した人物と、大公派が分裂するように噂を流した人物は同じだと思う?」


ライリーの問いに、オースティンとクライドからは息を飲む音が響いた。ケニス辺境伯は笑みを深める。


「確証はありませんぞ」

「でも、貴殿はそう考えている。いや、信じているということかな?」

「その可能性は非常に高いと言えるのではありませんかな」


ケニス辺境伯は酷く楽し気だ。一方のライリーは疲れたように息を吐くと、体を椅子の背もたれに預けさせた。だが黙っていられなかったのはクライドもだ。クライドは身を乗り出し、ケニス辺境伯に尋ねた。


「しかし証拠はないのですから、妹がこちらの味方であると断言するのは危険があると言わざるを得ません」


まさか、まだリリアナを疑っているのかとライリーは横目でクライドの様子を窺う。沸き起こる不快感には辛うじて蓋をしたが、不機嫌な表情になるのは避けられなかった。

だが、クライドはそんなライリーには気が付かない。真剣な表情で言葉を重ねた。


「確かに妹は、年齢の割には優秀だと思います。しかし、まだ十五歳なのです。社交界に出てもおらず、受けた教育は単なる令嬢教育です。王太子妃教育も受けていますが、それは王太子を支えるためのものであって、指導者のものではありません。一人でこれほどのことを考えられたとは考え辛い。背後に何者かが居ると考えるべきです。もし協力を願うのであれば、妹ではなく、妹に指示を出している人物を洗い出すところから始めるべきです」


クライドの表情は、妹を心配する兄のものだった。珍しい表情に、オースティンとライリーは呆気にとられる。

長い間、クライドはリリアナのことが話題に出る度、不自然に無表情になっていた。自分の中に湧き出る様々な感情を見ないようにしているのではないかと思えるほどだった。そして時には、必要以上に辛辣な評価をリリアナに対して下す。

そんなクライドに見慣れていたライリーとオースティンは何も言えない。そしてライリーはそれだけでなく、クライドが発した言葉の内容を正確に理解できないでいた。どうやらケニス辺境伯も同様だったらしく、訝し気な視線をクライドに向けている。


「――――……うむ、リリアナ嬢が優秀であるという点は同感だが」


珍しくケニス辺境伯は歯切れが悪い。どうやらケニス辺境伯はリリアナの能力をある程度正確に把握しているらしいとライリーは内心で判断した。それならばケニス辺境伯はリリアナの強力な味方となってくれるだろうという確信を持つとともに、自分以外にリリアナを理解している人物がいることに多少面白くない気持ちも沸き起こる。

しかし、今はくだらない嫉妬に捉われている場合ではないと、ライリーはクライドに顔を向けた。


「優秀なのは間違いないし、確かに受けた教育は通常の令嬢教育と王太子妃教育だけど……」


考え違いを正そうと思うものの、ライリーもリリアナの全てを知っているわけではない。妹を普通の令嬢と同じように考えているクライドに対して何を言えば良いのか分からず、口籠る。これもまた、ライリーには珍しいことだった。



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