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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
407/563

63. 崩落 2


永遠にも思える沈黙の後、オブシディアンの喉から、掠れた声が出る。


「なん、で――」


何故、オブシディアンが魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)だとリリアナが知っているのか。

そう問いたいのだろうが、あまりの衝撃に碌に言葉が紡げていない。リリアナはくすりと笑い「何故かしらね」と答えた。


魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)は、魔王には逆らえないのでしょう。ですから、わたくしに闇の力が宿っていては、貴方はわたくしと全力では戦えない。周囲を諭してわたくしと対決することは出来ても、それは貴方の望みではありませんわね」


淡々と、リリアナは事実だけを指摘する。その知識は、乙女ゲーム二作目に含まれた情報だった。攻略対象者であったオブシディアンに関する情報はそれなりに豊富にあった。

それでも、一作目にオブシディアンは出て来ない。それならば大きな影響はないだろうと、自らの側に置きながらも行動を制限することはなかった。しかし、今やその前提が覆されようとしている。オブシディアンはリリアナの変化に気が付いた。彼自身が何も出来なかったとしても、周囲を諭して動かすことは出来る。リリアナの与り知らぬところで勝手をされては、リリアナの計画が崩れる。予期しない出来事が起これば、感情の制御が難しくなる。感情の制御ができなくなれば、待ち受けるのは完全なる意識(リリアナ)の消失と身の破滅だ。そしてリリアナが消えれば、魔王は完全に復活してこの国は亡びる。

だからこそ、リリアナは今ここで、オブシディアンの動きを牽制する以外の選択肢を捨て去った。


オブシディアンはリリアナを睨みつけている。口を食いしばり、唸るように問いを発した。


「いつから知ってた?」

「答える必要はありませんわ」


しかしリリアナはにべもない。挑発するように笑んでやれば、オブシディアンは双眸に怒りを燃え上がらせた。今にもリリアナを殺したいとでも言わんばかりの様子に、リリアナは気付かれないよう身構える。オブシディアンはリリアナを睥睨したまま、一つ息を吐いた。次の瞬間には、ある程度の落ち着きを取り戻している。


「――確かに、魔王相手に魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)は反抗できない。でも、あんたはまだ魔王じゃねえ」


だから戦おうと思えば全力でお前を潰せるのだと、オブシディアンは断言する。リリアナは目を細めた。オブシディアンの指摘通りだった。そして仮にリリアナがオブシディアンの全力の攻撃を受け止め反撃すれば、体内に燻る闇の力に頼ることになる。全てではないが、闇の力はリリアナが本来持つ魔力と密接に絡み合っていた。そして闇の力を使えば使うほど、リリアナの体を闇の力はより強く支配するようになり――行き着く先は自我の消失と魔王化だ。

そして魔王と化したリリアナに、オブシディアンは対抗できない。どの程度まで自我を失えば魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)の本能がリリアナを己の主として認識し、反抗を封じられることになるのかは分からないが、いずれにせよリリアナにとっては賭けだった。


――つまり、その意味ではリリアナの言葉も間違ってはいない。


「それなら、わたくしを倒しますか?」


リリアナはおっとりと尋ねる。まるで自分が標的であると分かっていないかのような他人事の口調だが、誰に言われるでもなくリリアナは良く理解していた。

元々オブシディアンがリリアナの手助けをしているのも、その方が面白いというだけの話だったはずだ。そしてオブシディアンは自分よりも強い相手を倒すことを生き甲斐としている。いつかはリリアナと全力で戦いその命を奪いたいと、そう考えていることも、リリアナは知っていた。


だがオブシディアンはリリアナの問いに短く否定の言葉を返す。彼は苦々しい表情で言い放った。


闇の(その)力を使って魔王になったあんたは、あんたじゃねえだろ。俺が戦って殺したいのは、その力がねぇ本来のあんただ」


つまりオブシディアンにとって、リリアナの中にある闇の力は邪魔でしかないのだ。思ってもみなかったオブシディアンの台詞に、リリアナは無言で応えた。


前世の乙女ゲームでは、悪役令嬢(リリアナ)は自身の体が闇の力に支配されているなど知らなかったに違いない。そして、父親に翻弄され冷たい家族の中で信じ頼れる者もなく、唯一心を開ける可能性のあった婚約者は男爵家の令嬢と親しくしている。憤怒と絶望に満たされた悪役令嬢(リリアナ)の心と体は闇の力に浸食され、エイブラム・クラークの策謀通り自我を失い、魔王のような存在としてヒロインと攻略対象者たちの前に立ち塞がった。


もし彼女が闇の力の存在を知っていれば、身の内から異質な力を追い出そうと足掻いただろうか。それとも今のリリアナのように異質な力を自分から切り離す選択肢は取らず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


オブシディアンはゆっくりと息を吐き出す。それは相手の隙を狙っているようでいて、同時に自分を落ち着かせようとしているようにも見えた。


「それで、あんたは」


再び言葉を口にした時、オブシディアンの口調は普段の飄々とした調子を取り戻しつつあった。それでも双眸は鋭く、一挙手一投足も見逃すまいとリリアナを注視していた。


「あんたの体に闇の力があるってことも、それ以上増えれば魔王になって自我を失うってことも分かった上で、放置してるってのか」


リリアナは答えずに目を細める。何も言わずとも、その反応だけでリリアナはオブシディアンの問いを肯定していた。案の定の答えに、オブシディアンは苛立ちを隠せず歯を剥きだす。


「前にもあんたに言ったよな。何か考えがあるなら、あの王太子には相談しとけ。一人で突っ走るんじゃねえぞ、ってよ」


あらそうだったかしら、とでも言うように、リリアナは小首を傾げる。オブシディアンは痛烈な舌打ちを漏らした。

オブシディアンから見てリリアナは婚約者の王太子には心を多少開いているように見えていた。完全に心を開いて頼りにしているわけではなくても、リリアナと対等な立場に立てるのは王太子(ライリー)だけだ。

暗殺者でしかないオブシディアンは勿論のこと、護衛のオルガやジルド、永い付き合いのある侍女マリアンヌに対して、リリアナはあくまでも主と使用人との立場を崩さない。当然、悩みを相談したり一人ではどうにもならない問題の解決に力を貸して欲しいと頼むようなことは、一切なかった。


オブシディアンは魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)だ。人でもなく魔族でもない。当然、闇の力を受け入れつつある器から、闇の力だけを切り離す方法など知らない。だが、三傑の血を継いだ王族ならば方法を見出せる可能性があった。

直接ライリーたちと面識はなくとも、オブシディアンは王宮にもこっそり出入りし、王太子や側近の能力を目の当たりにしている。多少時間は掛かったとしても、解決策は見つかる可能性がある。何もせず手を拱いているよりは遥かにマシな選択肢だと思えた。


「この国の王族は、魔王を封印した三傑の血を継いでいる。毛先が漆黒に染まり始めてはいるが、まだ間に合うはずだ。あんたが話をしさえすれば――」


オブシディアンが、説得しようと言葉を重ねる。しかし彼は、その全てを言うことは出来なかった。

警戒していなかったわけではない。以前、オブシディアンはリリアナの寝込みを襲って殺害を企て、反撃に遭ったこともある。当然、いつリリアナから攻撃が仕掛けられて来るのかという頭は常にあった。

しかし、リリアナはオブシディアンの感知できない程度の魔力を使い、目晦ましの為闇の力も駆使しながら、オブシディアンの裏を掻いた。


「――ぐぅっ!!」


リリアナの術によって複雑かつ精密に編み込まれた漆黒の蔓が、オブシディアンの四肢を拘束している。以前リリアナがオブシディアンに反撃した時よりも、はるかに強力で圧倒的な力だった。ただ締め付けられているから、ではない。普段であれば滑らかに循環しているはずの魔力が圧迫され、オブシディアンの周囲だけ空気が薄くなったような心地だった。

オブシディアンは息苦しさに喘ぐ。それでも戦意は衰えず、一層殺気立ちリリアナを睨みつけた。


「わたくし、邪魔をされるのは好きではありませんの」


ゆっくりと、リリアナはソファーから立ち上がる。平然とした表情だが、その実彼女は冷や汗をかいていた。

普段通りに術を使ったはずなのに、自分で思った以上に強力な術が発動された。その上、本来自分が持っている風の魔力を使おうとしたにも関わらず、闇の力が想定以上に含まれている。蔓がオブシディアンに絡みつく寸前、術に注ぐ魔力を半減させたから良いものの、一つ間違えれば彼を殺すところだった。どうやら自分が考えていたよりも闇の力に浸食されていたらしいと、腹の底に芽生えかけた恐怖を無理矢理押し隠して気が付かなかったことにする。


一歩、一歩とオブシディアンに近づくと、オブシディアンを優しく見つめた。慈悲の女神(アフェクシナ)の如き慈愛に満ちた、もしくは妖精姫(フィオンディ)のような優しさに満ちた笑顔だと、誰もが声を揃えて言うだろう表情だった。だがその双眸は硝子のように一切の感情を写していない。


少女の表情に、オブシディアンは彼には珍しく一瞬頬を引き攣らせた。足先から忍び寄る冷気に、これがリリアナの体内に眠る闇の力かとオブシディアンは歯噛みする。徐々に体から力が抜けていき、オブシディアンは自力では立てなくなる。蔓のお陰で辛うじて立っているような状況だった。それでも意識だけは保とうと、オブシディアンは強く唇を噛む。鮮血が滴り落ちても気に止めない。掠れる意識を、痛みで必死に繋ぎ止めていた。

リリアナもまた、オブシディアンの唇が傷ついたことに気が付きながらも、そこには触れず静かに問う。


「静かに、して頂けるかしら?」


問いかけながら、その実は命令だ。しかし、リリアナはオブシディアンが素直に命令を聞くとは一切思っていなかった。案の定、オブシディアンは青白い顔の中で不敵に笑う。


「――俺が、あん、たの、言うこと――聞、くと、でも――?」


息も絶え絶えに、オブシディアンは反論した。リリアナは片手で自分の頬を覆う。


「まあ、残念」


全く残念ではなさそうな態度だ。そして彼女がもう一歩オブシディアンに向けて足を踏み出した時、リリアナの背後から黒く巨大な烏が突如現れた。そのまま鋭い鍵爪でリリアナの後頭部を狙う。しかしそれと同時に、リリアナの麗しい唇は一つの詠唱を紡いでいた。

独特な響きを持つ、今は使われない言葉を耳にしたオブシディアンは驚愕に目を瞠る。心身が安らかに居られる場所こそが安住の地だという意味合いのその詠唱は、最早使う者が絶えたはずの――否、今ではほんの数人だけが知るはずの言葉だった。


リリアナが唱え終えた瞬間、顕現したはずの烏は硬直し、霧となって消える。そして漆黒の蔓に捕らわれたオブシディアンも、力強い光を湛えていた双眸を瞼の裏に隠し、ぐったりと意識を失った。


「――良かったこと」


オブシディアンの意識が完全になくなったことを確認したリリアナは、安堵の息を漏らす。殺さずに済んだこと、そして自分の計画を邪魔されなくなったこと、その二つに対する心の底からの安堵だった。


リリアナは、乙女ゲーム二作目の知識も残っていたからこそ、オブシディアンを強制的に眠らせることが出来たのだ。魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)は人と比べると様々な点で遥かに能力が高く、まともに戦えば勝ち目はない。リリアナは元々持っていた膨大な魔力量と、前世の知識も活用した魔術を駆使してオブシディアンと互角に戦うことが出来ていたが、それでも互いに本気を出せば二人とも無傷ではいられないはずだった。


だが、魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)に対する“強制停止措置”を使えば話は別だ。魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)は既に名前すらも知られていない存在だった。乙女ゲームでも、一作目には一切その存在が示唆されていない。そして二作目で明らかにされた彼らの歴史はあまりにも凄惨だった。

魔族の中には例外も居るかもしれないが、現在では当人たち以外に“強制停止措置”の方法を知る者はいないはずだ。オブシディアンもそう確信しているはずだから、その意味でリリアナの方が遥かに有利だった。


“強制停止措置”が発動された後、魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)は長い眠りにつく。自動的にその眠りが解除されることもあれば、仲間の手によってその眠りが解除されることもある。他に魔族と人の混血児(ヴェルミッシュ)の仲間がいればオブシディアンも目覚めることはあるかもしれないが、そうでなければ自然に目覚めるまでどれほどの時間が経過するのかは、リリアナにも分からなかった。


「封印との違いが分かりませんわね」


一人呟きながら、リリアナは蔓でオブシディアンの体を浮かび上がらせる。このまま部屋に置いていくわけにもいかないが、森に放置して命が尽きるのを待つ気もない。


「とりあえず、安全な場所で眠っておいていただきましょう」


呟いたリリアナは、誰にも気付かれないだろう場所にオブシディアンを転移させる。そしてソファーに腰掛けた後、リリアナはふと思い出したように自分の髪を一房手に取った。

銀色の髪は、一部が漆黒に変色している。わずかに目を細めたリリアナは、魔術で自分の髪を銀色に染め直す。魔力で漆黒に染まっているため、実際に元の髪色に戻せるわけではない。しかし、これで他人には気付かれないはずだ。

小さく息を吐いて、リリアナはソファーの背もたれに体を預ける。全身が酷く重たく、ソファーにゆっくりと沈み込んでいくようだった。




17-1

45-5

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