62. 奪還の序章 3
騎士服に着替えたライリーたちは、ジルドの先導で誰に会うともなくケニス辺境伯邸の本館に辿り着いた。使用人たちが使う裏口から入り、ジルドが周囲を確認してから扉を閉める。
「こっちだ」
そう告げたジルドの先導に従い、ライリーたちは廊下を歩く。まだ日は出ているというのに、使用人たちの姿がない。首を傾げるライリーたちに気が付いたジルドは、詰まらなさそうに告げた。
「もうじき祭りの時期だからな。その準備にこの館の使用人も駆り出されてるらしい」
「もしかして、豊穣の祭典かな?」
「そんな御大層な名前じゃねえけどな」
農民たちが“フォルモントの祭り”と呼ぶその祭典は、年に二度ほど行われる。晩春と秋だ。その時期は小麦の種を撒く頃合いであり、収穫時に豊作となって欲しいという願いを込めて行われるものだった。
「この館じゃあ、領民たちに食いっぱぐれがねえようにって、農民だろうが商人だろうが、ちゃんと働けると思われりゃあ採用されるらしい」
ジルドの言葉を聞いたライリーは納得した。リリアナの専属侍女として働いているマリアンヌという女性は、ケニス辺境伯の娘だった。通常であれば辺境伯家の令嬢が公爵令嬢の侍女となることはない。ケニス辺境伯の意志として、本人に希望があり適性があれば、一般常識に反したことも許されるとは聞いていた。そしてその信念は領地経営にも生かされているようだ。
自分も見習わなければとライリーが内心で奮い立っていると、ジルドが一つの大きな扉の前で立ち止まる。
そして彼は数度扉を叩いた後、返事を待たずに扉を開いた。不作法さにクライドや護衛騎士たちは唖然とし、予想していたライリーは苦笑、そしてオースティンは苦り切った顔で嘆息する。
「来たぜ」
「そうか、入って頂け」
室内から聞こえた声は、ライリーたちにも耳馴染みのある声だった。ジルドが無遠慮に開けた扉の向こうに居る人物が辺境伯本人でなければ良いと願っていたクライドやオースティンの願いは、誰にも聞き届けられなかったらしい。
ライリーたちはジルドに促されるがまま、室内に入る。室内の椅子には、どっかりと腰かけた辺境伯が居た。その姿を見た途端に、不思議とライリーたちの体には安堵が広がる。これまでずっと緊張し続けていたようだ。
「よく戻られましたな、殿下」
ケニス辺境伯ともあろう者がこれまでの出来事を知らないはずがない。息子ルシアンだけでなく、彼の持つ複数の情報網から、今のライリーがどのような状況に居るのかも、そしてあの日顧問会議で大公派が何を為したのかも、全て把握しているはずだった。
だがそんなことはおくびにも出さず、彼はジルドに向けて告げる。
「この館は万全の警備を敷いておる。そこの護衛二人も休みたいだろう、客間に連れて行ってやれ」
「おう」
短く頷いたジルドが護衛騎士二人に目を向けた。護衛騎士二人は一瞬クライドを見たが、クライドが頷いたのを見て踵を返した。どこかその背中が安堵しているように見えたのは、恐らくライリーたちの気のせいではない。
ジルドと護衛騎士二人の姿が扉の向こうに消えた後、ケニス辺境伯はソファーに座ったライリーたちに向き直った。辺境伯が言葉を発する前に、ライリーが口を開く。
「此度は突然の訪問、受け入れに感謝する。そして長旅の後ゆえに、このような風体で申し訳ない」
このような風体とは、騎士服のことを指しているのではない。長旅で碌に体を清めることも出来ず、薄汚れた格好であることを謝罪している。ケニス辺境伯も、ライリーの言葉の意味を正確に理解した。
「その点はお構いなく。ここは辺境故、一般の貴族と比べても汗と泥にまみれることに慣れておりますのでな」
一旦、主君と臣下として言葉を交わした後、ライリーは凛とした表情を僅かに緩めた。
「――他に臣も居ないことだし、普通の言葉に戻しても構わないかな、伯」
一瞬ケニス辺境伯は目を瞠ったが、すぐにニヤリと笑む。不敵な笑顔は楽し気だった。
「それはなりませんぞ、殿下――と申し上げたいところですが、さすがに否とは言えませんな。姿を晦まされてからこの方、随分とご苦労なさったようだ」
「そうだね、と言いたいところだけれど、きっと私より皆の方が大変だったんじゃないかと思うよ」
ライリーの言葉と視線を受けたクライドとオースティンは首を振って否定する。エミリアは驚いたように目を瞠り、そしてベラスタはきょとんとしていた。その様子を見てケニス辺境伯は目を細める。
「良い仲間に恵まれたようですな、殿下」
「そう思うよ」
ケニス辺境伯の言葉に、ライリーは心底嬉しそうに笑った。一瞬遅れて、オースティンを筆頭とした皆が僅かにはにかむ。同年代の他の貴族と比べたらライリーたちの経験は豊富だが、辺境伯に比べたら児戯のようなものだ。それ故か表層に出る素直な反応を微笑ましく見やったケニス辺境伯は、早速本題に入ろうと決めたらしい。
「できれば殿下方には早目に疲れを癒して貰いたいと考えておりましてな。しかしながら、状況がはっきりと分かるまでは、簡単に御身をお護りするとも誓えぬのです。何分、辺境伯という身分を頂いている以上、国境と領民を護ることが他に何をおいても優先すべしと心得ております」
ライリーは真剣な表情になって頷いた。ケニス辺境伯の言葉は尤もだった。
特に辺境伯と言う身分は、“伯”という名こそついているものの、役割も権力も国内有数だ。先代国王の時代に中央集権化が進んだとは言え、建国当初、王家と地方領主の関係性は対等だった。そして長い年月を経た今も、三大公爵のうち、とくに“盾”と呼ばれるローカッド公爵家、そして二つの辺境伯は今でもその流れを踏襲している。
そのため、王家は強大な権力を持ちながらも好き勝手には振る舞えない。ローカッド公爵家と二つの辺境伯は、国を護ることと同時に王家の暴走を押しとどめる役割も果たしていた。
「心得ている。ただ、正直に言えば把握出来ていないことも多くてね。できれば情報共有の時間としたいのだけれど、どうだろう?」
「御意に」
ケニス辺境伯はライリーの提案を快諾する。彼自身も既に潤沢な情報を得ていたが、それでも今一つ掴めない点は多い。ケニス辺境伯の王太子ライリーを支持する気持ちは変わらないが、今のライリーの立場は脆い。
「実は、大公派には気付かれないよう、エアルドレッド公爵家と連絡を取り合っておりましてな。情報も共有しておりますが、現状ではエアルドレッド公爵も表立っては殿下を支持できない状況のようです。どうやら大公派が上手くユリシーズ殿を取り込もうと画策したらしい」
その言葉に反応したのはライリーではなくオースティンだった。一瞬だが、表情が強張る。すぐに取り繕うが、百戦錬磨のケニス辺境伯には明らかだった。
「心当たりがおありかな?」
辺境伯はオースティンに向けて尋ねる。オースティンは一瞬言葉に詰まるが、顧問会議でメラーズ伯爵が告げた言葉を口にした。
「――陛下が、隣国と密通していると」
「その理由までは?」
「聞いておりません」
オースティンは首を振る。それを聞いたケニス辺境伯は「なるほど」と頷いた。そして少し考えてから言葉を発する。
「先代陛下の折に起こった政変は、ご存知ですな」
問いかけられたのはライリーだった。突然政変の話が出て来るとは思わず、ライリーたちは一瞬顔を見合わせる。しかし、すぐに皆頷いた。エミリアやベラスタも、ある程度は理解している。
それを確認して、ケニス辺境伯は再度質問を重ねた。
「チェノウェス侯爵家はご存知かな?」
「叔父上の、御実家ですね。そして政変の折に謀反を企んだ咎で、取り潰されたと記憶しています」
歴史書にある事実を、ライリーは淡々と答える。ケニス辺境伯は重々しく頷くと、歴史書には書かれず、そして人々も禁忌として口にしなくなった記憶を話し始めた。
「チェノウェス侯爵家には破魔の剣があると、時の侯爵が吹聴していてな。虚言癖のある男だったし、実際に件の剣を見たものが古びた剣だったと言っていたものだから、誰も信用はしていなかったが」
そして政変の時、チェノウェス侯爵家にあった破魔の剣を隣国に引き渡したのが現国王ホレイシオだと、メラーズ伯爵がエアルドレッド公爵に告げたのだ。その事は顧問会議でも公にされることはなかったが、知ってしまったエアルドレッド公爵は身動きが取れなくなった。裏を取ろうと証人に当たったものの、寸分違わぬ証言が取れてしまったため、メラーズ伯爵の狂言だとも言い切れない。
「破魔の剣を隣国に渡したことを理由に、国王ホレイシオは我が国に仇を為す逆賊だというのが大公派の言い分だ。しかし、陛下の性格を考えてもその説は荒唐無稽だと考えている」
実際にケニス辺境伯がユリシーズやルシアンと話した内容はそれ以上の情報を含んでいたが、不要と思えるところは敢えて省く。そしてライリーたちは思わぬ情報に強張った表情で言葉を飲んだ。
ライリーたちが隣国のヴェルクへ向かい破魔の剣を入手した理由は、大公派の裏を掻こうと思ったからではない。魔王の復活を予感し、それを封じるために封印具が必要だった。そして封印具の居場所を探した結果、最初に位置が判明したのが破魔の剣だった――それだけだ。
ライリーは、自分がじっとりと手に汗を掻いているのを感じていた。これまでにない勢いで、頭が回転を始めている。どちらかと言えばライリーは頭の回転が早い方ではあるもの、妙な符号の一致にどうしても一つの疑惑が拭いきれなかった。
「――つまり、陛下は濡れ衣を着せられていると?」
言葉を返せないライリーに代わってクライドが尋ねる。ケニス辺境伯は一つ頷くと、意味深な目をクライドに向けた。
「お父上から、何か聞いてはいないかね?」
「残念ながら、何も」
クライドは否定する。しかしケニス辺境伯はあっさりと納得した。クライドの父エイブラムと面識があるせいか、違和感なく受け入れられたようだった。
「貴殿の前でこういうのもなんだが、彼は秘密主義だったからな」
ケニス辺境伯が言えば、クライドも頷く。エイブラムは息子に対しても容赦なく、ほぼ口出しをして来なかった。クライドが公爵家の実務を身に着けられたのは、執事フィリップの補佐のお陰でもあったが、それ以上に本人の資質が大きかった。
そしてケニス辺境伯はオースティンに顔を向ける。
「当時はエアルドレッド前公爵も領地にいらしたからな、詳細はご存知ではなかったかもしれん。そして事実、政変の仔細は禁句となった」
独白に似たケニス辺境伯の言葉に、ライリーたちは何も言えない。そしてライリーはその中でただ一人、思い当たった一つの可能性に内心動揺していた。
何故、自分たちが魔王の封印についてここまで早く情報を集められたのか。
何故、クライドとエミリアが破魔の剣を得るため隣国ヴェルクへと旅立ったのか。
何故、大公派が事を起こしたのがこの時期だったのか。
何故、ライリーとオースティン、そしてベラスタはクライドやエミリアと合流できる場所に転移させられたのか――――。
それを考えると、全ての理由がただ一点――ライリーの婚約者、リリアナ・アレクサンドラ・クラークに繋がっている。
(サーシャは――決して、裏切ってなど居ない。それどころか、)
だが、今この場ではまだ何も言えない。もし自分の仮説を語るのならば、ケニス辺境伯の話を全て聞いてからだった。
45-3
45-5
53-3
54-1
59-6~8