61. 王太子の帰還 4
クライドとオースティン、エミリア、護衛二人の緊張が最高潮に達する。草木の生い茂る森の中だというのに、相手は不自然なほど足音を立てない。それだけでも警戒に値する相手だったが、それを分かっているはずのライリーは完全に落ち着き払っていた。
そのことに気が付いたオースティンは違和感に眉根を寄せる。王太子であり普段は控え目にしているが、ライリーもそれなりに剣の心得がある。その腕は一般に知られているよりも高く、王立騎士団団長ヘガティも控え目ながら賛辞を送るほどだった。
そのライリーが全く警戒していないということに、疑問が沸き起こる。しかし今はその理由を問い詰める時間はない。永遠にも感じる沈黙の中――実際はそれほど時間は経っていなかったが、ようやく件の人物が姿を現す。
その人物はどうやらライリーたちの存在に勘付いていたようで、全く驚きを見せていない。今にも斬り掛かりそうな態度のオースティンたちが目に入っていないかのように、飄々とその視線をライリーに真っ直ぐ向ける。そしてオースティンやクライドが驚いたことに、ライリーも薄々相手を予想していたようだった。
ライリーはやはり、とでも言いたげに苦笑を見せて肩を竦めた。
「これは私たちにとっては僥倖と言うべきなのかな、ジルド」
「相変わらず持って回った言い方してんな」
王太子を相手にしながら、ジルドは一切敬語を使わない。そしてライリーも全く意に介した様子がなかった。その事にエミリアは驚いて目を瞠り、そして護衛二人は表情を険しくした。
しかし、ライリーが全く警戒していないどころか“僥倖”とまで言い切ったところを見て、オースティンたちは警戒態勢を解く。護衛二人はジルドの一挙手一投足を注視していたが、オースティンとクライドは戸惑った雰囲気のまま、ライリーたちに近づいて来た。
「なんでこいつがここに居るんだ?」
直接関わったことはないが、オースティンもジルドの事を見知っている。リリアナの護衛として幾度となく王宮に来ていたし、ジルドも含めてライリーとリリアナ、王立騎士団ヘガティ団長が何かしていたこともオースティンは理解していた。
だからこそ、何故リリアナの護衛であるジルドがこの場に居るのか理解できない。まさか間諜かと疑いの視線を向けるが、ジルドはオースティンのことなど取るに足らない存在だと考えているようだった。
ある意味それは正しい。物事の交渉はその組織の頭としなければ、末端としたところで後から決定を覆される可能性がある。
オースティンの戸惑いは尤もだったが、尋ねられてもライリーでさえ理由は知らなかった。問う視線をジルドに向けると、ジルドは肩を竦めた。オースティンには答える気がなくとも、ライリーにはある程度信頼を置いているらしい。
「ケニス辺境伯に言われてな、国境警備中だ」
「――サーシャの護衛は?」
「馘首になった」
ジルドの答えは単純明快だが、その場にいる面々の度肝を抜くには十分すぎる威力を持っていた。オースティンやクライドも言葉を失う。ライリーも絶句していたが、すぐに立ち直った。
「それは、サーシャが貴方を護衛の任から解いたということ?」
「喧嘩別れみてえなもんだったけどな。俺は用済みなんだとさ」
肩を竦めるジルドは全く気にしていない様子に見える。それどころか楽しんでいる節すらあり、ライリーは目を眇めた。
「それで、ケニス辺境伯は貴方を受け入れた?」
「おうよ。事情を訊かれたから、頭のてっぺんからケツの皺の数まで全部喋ってやったぜ」
にやりとジルドは笑う。下品な喩えにクライドは顔を顰めエミリアは固まる。オースティンは頭を抱え、ベラスタは爆笑を堪えるように慌てて両手で自分の口を塞いだ。しかし、その言葉を聞いたライリーは、何かに思い至った様子で目を瞬かせた。
「もしかして、今は国境警備の最中なのかな? 一体どの部隊が国境警備を担っている?」
「へえ――さすがだな」
ライリーの質問に、ジルドは直ぐに答えなかった。感心したような目をライリーに向け、犬歯を見せて笑った。
「その通りだ。今の俺は国境警備の最中、仲間は休憩中だ。普段は国境警備専門の連中がいるんだが、最近は国境近辺がなにかと不穏だってんでな。特別部隊が編制されて、俺がそこにぶっ込まれたってわけだ」
「その部隊は貴方の仲間?」
「そうだ」
ジルドの答えに、ライリーは得心がいったらしい。
何故ジルドがリリアナの護衛を馘首されたのかも、そのジルドをケニス辺境伯が請け負ったのかも、そしてジルドと彼の“仲間”が国境警備を託されたのかも――恐らくケニス辺境伯は何らかの核心を知っているのだろう。
ライリーは明確に聞いたことはないが、様々な情報を元に仮説を立てれば“北の移民”に何かしらの特異な能力があることは想像がつく。
一方で、ライリーの質問の意図を掴めなかったのはライリーとジルド以外の面々だった。国境警備を任せられている部隊に配属されているのであれば、ジルドがその部隊に属する面々を“仲間”というのは当然のことだった。だからこそ、今の会話でライリーが何を把握したのかが分からない。王立騎士団の戦力増強のため“北の移民”を取り立てるという話は知っていても、彼らの身体能力が王国に住む一般の騎士たちより多少優れているという程度の知識しか彼らにはない。
だが、今この場で詳細を説明する気はライリーにはなかった。そもそも“北の移民”に関しては不明なことも多い。彼らを完全に味方に付けるためには、不用意な発言や態度は控えるべきだった。
今ライリーたちの眼前にいるジルドでさえ、いつライリーたちを見限るか分からない。リリアナの事を気に入っている様子だから大丈夫だろうとは思うものの、慎重にはなっておきたかった。
「それならやはり私たちにとっては幸運だね。一度ケニス辺境伯邸に伺い辺境伯とお会いしたいのだけれど、館には恐らく大公派の監視が付いていると思うんだ。だからできれば、国境警備をしている部隊の振りをして館へ行けないかと考えていたところだよ」
ライリーの提案に、ジルドは考える表情になった。オースティンとクライドは僅かに苦い顔だ。
馘首されケニス騎士団に身を寄せたとはいえ、大公派に寝返ったリリアナの元護衛だ。リリアナ、即ちひいては大公派と通じていないとは言い切れない。
だが、同時に二人はケニス辺境伯が大公派の利になるようなことをするはずはないと信じてもいる。そして一度リリアナに関してライリーとの関係が悪化しそうになったことも、二人の口を重くした。
黙って見守る皆の前で、ジルドは「方法は、ある」と答えた。思わぬ言葉に、オースティンやクライドは目を瞬かせる。だが、ジルドはそう言ったきり、詳細について話そうとはしなかった。
無言で先を促すライリーたちに、ジルドはにやりと笑って肩を竦める。
「だが生憎と、俺の一存じゃ決められねえ。しばらくここに居ろや、ちょっと訊いて来てやる」
「頼むよ」
ジルドの言葉にオースティンやクライドは顔を顰めた。ただでさえ王太子にすべきではない不遜な態度を取っているにも関わらず、ジルドは王太子と対等な関係を持っているように話をしている。
それがオースティンやクライドには信じられず、そして許容し難いことでもあった。ただ、ライリーが窘めていない以上は何も言えない。特にオースティンは、以前ライリー本人がジルドに、他人の目がない場所に限って不敬を許している場面を見ている。
だからこそ余計に、何も言えないままライリーとジルドの会話を見守る他なかった。
そしてエミリアは、明らかに傭兵上がりのような男が王太子と気安く会話をしているのを目の当たりにして、目を白黒させている。
そんな一同の視線を全く意に介することなく、ジルドは踵を返して元来た道を戻り始めた。その後ろ姿を見送ったライリーは、近くの切り株に腰掛ける。その様子を見たクライドが、低く尋ねた。
「――あの者を信用されるのですか。我々をここに残して、大公派の手の者を連れて来るつもりかもしれません」
「そうはならないよ」
ライリーはあっさりとクライドの懸念を否定する。しかし、オースティンもクライドも完全には信じられない様子だった。それも当然だ。国境を越えてスリベグランディア王国に足を踏み入れてから、いつ大公派に見つかるか皆神経を尖らせている。
オースティンとエミリアが森の様子を確認した時にライリーたちが身を寄せていた廃村では幸いにも問題は起こらなかったが、いつ敵が襲って来るかも分からない。大公派の手先が敵と分かりやすい態度で近づいて来るとも限らず、王太子派だった貴族が寝返っている可能性も念頭に置いておかなければならなかった。
そして何より、ライリーがリリアナを信じるほどには、オースティンやクライドはリリアナを信用できない。何かにつけ警戒心の高いはずのライリーが、婚約者のこととなると判断が甘くなるように見えて仕方がなかった。
だが、ライリーはクライドたちの思いにはまるで気が付かない様子で、静かに言葉を続けた。
「彼らがこの国に留まっているのは、完全に彼らの好意だ。見限ろうと思えばいつでも国を出て行ける。そして、彼らを尊重しない大公派に彼らが付き従うとは到底思えない」
ここずっと、ライリーが“北の移民”を王立騎士団に加えようと動いていると知っているオースティンは複雑そうな表情で口を噤んだ。確かにそれはライリーの言う通りだった。
オースティンも何度か“北の移民”たちの戦い振りを目の当たりにしている。間違いなく彼らは一大戦力として有力だ。それを知ってしまった以上、“北の移民”が仕える相手を選べる立場にはないと言い切ることは出来なかった。
しかし、クライドやエミリアは“北の移民”がどれほどの戦闘力があるかを知らない。ライリーの言葉に首を傾げたが、それ以上口を挟もうとはしなかった。









