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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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61. 王太子の帰還 2


クラーク公爵の妹リリアナ・アレクサンドラの護衛を馘首された後、ケニス騎士団に入団したジルドは仲間と共に国境警備の任に就いていた。昔人身売買組織に捕らわれていたところを助けたインニェボリや、隣国領主が侵攻して来た時ともに戦ったトシュテンも同じ部隊に属している。

ケニス辺境伯が気を使ったのか、ジルドはアルヴァルディの子孫の仲間たちと共に行動するようになっていた。


長い傭兵稼業で単独行動に慣れているジルドは時折トシュテンたちから距離を取り、一人の時間を満喫しようとするが、ずっと集団行動をしていた彼らはジルドと共に戦えることがただ嬉しいらしい。特にジルドに助けられたことを恩義に感じているらしいインニェボリは、ジルドがふらりと皆から離れようとすればすかさず、ジルドにくっついて動くようになっていた。その様子を見たイェオリが悔しそうな表情を浮かべているのだが、当の本人であるインニェボリは気が付く様子もない。

ジルドがリリアナと共に助けた時のインニェボリはまだ少女だったが、今のインニェボリは既に成人を迎えている。王国の一般庶民であれば既に結婚し、子供も産んでいる頃合いだ。しかし彼女は“北の移民”としてケニス騎士団に所属し、未だに独身のまま戦いに身を投じていた。


そしてその時も、国境警備のため森に接した荒野を歩いていたジルドたちは一旦休息をとることにし、ジルドは一人で森の中へと足を踏み入れようとしていた。


「ジルド、あたしも行く!」

「良いからお前はここで皆と一緒に休んどけ、この後も長ぇぞ」


インニェボリの言葉を、ジルドはあっさりと拒否する。インニェボリは不満そうに口を噤むが、ジルドは一切動じなかった。

年齢だけで言えば、インニェボリはリリアナよりも年上だ。しかし育った環境故か、振る舞いは天真爛漫でどこか幼さが残っている。


「だって、昼ごはんを調達しに行くんでしょ? だったら人手が多い方が良いじゃないか」

「違ぇよ、携帯食料持ってんのに何で狩りに行くんだ」


ジルドは顔を顰める。しかしインニェボリは引かなかった。ジルドとは身長の違いがあるため、ジルドが早足の時、インニェボリは小走りになる。それでもインニェボリは必死にジルドの後を追った。

その様子が、鳥の親子のようだと仲間から言われていることにインニェボリは気が付いていない。


「だって、この前は携帯食料だけじゃあ足りなかったじゃないか。腹が減っては戦は出来ぬって、東の方では言うんだろ?」

「誰に聞いた?」

「ビリーお坊ちゃんだよ」


ケニス辺境伯の末息子ビリーもまた、会わない内に一端の男になった。既に婚約者も居るらしく、長兄ルシアンの助けとなるべく日々鍛錬や勉強に努めているらしい。

実際にビリーはケニス騎士団に所属しているが、イェオリやインニェボリとは全く違う部隊だ。しかし、同年代の三人はその身分や出自に拘らず、仲良く過ごしているらしい。最近ではそこにビリーの婚約者も加わるようになったということで、一層にぎやかな一行になっているようだった。

だが、ジルドにとってはどうでも良いことだ。インニェボリが自分を慕っているらしい事には薄々勘付いているが、だからといってその気持ちに応えるつもりは一切ない。恐らく彼女は人身売買組織から助け出したジルドを英雄のように思っているようだ。しかし実態は英雄から程遠い存在であると、ジルドは理解していた。実際にあの日、インニェボリたちを助けた功労者はジルドではなくリリアナだ。


ふと、ジルドは遠くを見つめる。側にいるインニェボリが何かを言っているが、ジルドの思考を一瞬にして塗り替えたのはリリアナの存在そのものだった。


――嬢ちゃん、無事で居んのかね、とジルドは幾度目かも分からないことを思う。


ケニス辺境伯領に来て暫くの内は、環境に馴染まなければならないこともあってリリアナのことは滅多に思い出さなかった。だが少し余裕が出て来た今、事あるごとに幼い主人のことを思い出す。

クラーク公爵家の令嬢だからという理由だけでは納得できないほど多くの刺客が、リリアナの元に差し向けられていた。雇い主は大公派の貴族だったり、個人的にクラーク公爵家に恨みを持っている者だったり、果ては隣国に差し向けられた者だったりと、様々だ。だが、ジルドとオルガが積極的に刺客たちを撃退し捕えていたから、リリアナは平穏無事に暮らして来られた。


しかし、今リリアナの元にはオルガしかいない。オルガも十分優秀な傭兵だとジルドは知っているが、それでも一人では対応しきれない場合もある。特に今はリリアナの婚約者である王太子ライリーも、兄クライドもこの国には居ない。クライドは皇国へと旅立ったまま連絡はないようだ。ライリーは行方不明となっているが、ケニス辺境伯の見立てでは一旦隣国に行ったのではないかということだった。

政治的なことなどからっきし分からないジルドは、ケニス辺境伯の言葉を信じるしか道はない。それは分かっていても、時間ばかりが過ぎている今、ジルドの心には間違いなく焦燥が芽生えていた。


「ジルド? どうしたの?」


突然無言になったジルドを、不思議そうにインニェボリが見上げる。

ちらりと横目でインニェボリを見下ろしたジルドは、小さく「いや」と答えた。


「大したことじゃねえよ。取り敢えずお前は足手まといだ、とっととイェオリのところに戻れ」

「足手まといになんかならないよ! あたしだって、そこらの騎士以上に強いの、ジルドだって知ってるでしょ?」


ジルドに足手まといと言われたことで傷ついたのか、インニェボリの頬は紅潮していた。確かにインニェボリは強い。“アルヴァルディの子孫”だからというだけではなく、インニェボリは間違いなく優秀だった。身体能力の高さや異能力に驕ることなく、知識面でも貪欲に学ぼうとしている。

だが、その姿を間近で見て好意を抱いているイェオリならばともかく、インニェボリのことは乳臭いガキとしてしか認識していないジルドにとって、インニェボリの能力はまだまだ不十分だった。特にジルドは傭兵稼業の中で、インニェボリよりも遥かに優れた戦闘能力を持つ女たちを知っている。

“アルヴァルディの子孫”は確かに魔術は効かないが、頭を使えば簡単に魔術を使って間接的に殺害することもできるのだ。


だが、残念ながらインニェボリには経験が足りない。そのため、自らの突出した身体能力と異能力を過信して敵の策に嵌められる可能性は十分にあった。


「身体能力は、な。でも今のお前なら簡単に殺られるさ」

「どういうこと?」


本気で意味が分からないというように、インニェボリは首をかしげている。しかしジルドは事細かに説明する気はなかった。元々言葉を使うことは苦手なのだ。それに、どれほど言葉を尽くして説明したところで、魔術の影響を受けにくい“アルヴァルディの子孫”が真の意味で魔術の恐ろしさを理解できることは滅多にない。

実際にジルドも、リリアナに出会うまでは魔導士と言う存在を軽視していた。どれほど強大な魔術が使えて一般に恐れられるような魔導士であっても、魔術が効かない体質の“アルヴァルディの子孫”にとっては取るに足らない存在だと、そう信じていた。


「それが分からねえうちは、お前は足手まといだ」


あっさりと告げられた言葉に、インニェボリは口を噤む。その表情に悲しそうな色が過るが、ジルドは気にしなかった。


「すぐに戻れ、俺も適当に戻る」


ジルドはこれ以上インニェボリが我が儘を通そうとしないだろうと見越して、そう告げた。案の定、彼女は唇を引き結んで僅かに俯く。そして無言のままひとつ頷くと、踵を返して仲間たちの元に戻っていく。

肩越しにそれを確認したジルドは、さっさと森の中へと足を踏み出した。脳裏に過るのは、つい先日ジルドを呼び出したケニス辺境伯の言葉だった。


その時、ジルドは訓練を終えて宛がわれた宿舎に戻るところだった。辺境伯の右腕とも呼べる執事が、内密にと言ってジルドを呼びに来たのだ。胡乱な目を向けるジルドに一切表情を変えず、彼はそのままジルドをケニス辺境伯の元に連れて行った。

ケニス辺境伯は、執務室でジルドを待っていたらしい。執事が扉を開けて中に入ると、ジルドを見てにやりと笑った。


『よく来たな。まあ座れ』


短く言われたジルドが素直にソファーへ腰かけると、ケニス辺境伯が人と会う時には必ず側に控える執事が部屋を出る。どうやら事前に辺境伯から言い含められていたようだ。

一体何事かとジルドは不審に思ったが、口を開くより前に執務机から離れたケニス辺境伯がジルドの前のソファーに座った。


『色々と面白い事情が分かって来てな。単刀直入に問うが、お前はリリアナ嬢の元で再度働きたいと、そう考えているという理解で構わないか?』


単刀直入と言いながらも迂遠な問いかけだと、ジルドは率直にそう思った。だが、ケニス辺境伯の問いはジルドにとっても理解しやすいものだった。つまり、何かしらが起こって元のようにリリアナの元で護衛として働けるようになる可能性が見いだせたという事なのだろう。

ジルドは逡巡すらしなかった。ケニス辺境伯のところに身を寄せることになったとはいえ、リリアナのことを忘れたわけではない。そして考えれば考えるほど、ジルドに馘首(クビ)を言い渡した時のリリアナは不自然だった。

リリアナは基本的に理路整然としていて、効率的な性質だ。しかし、ジルドを護衛の任から解こうとした時のリリアナの説明は、些か乱暴だった。


『――まぁ、本当にそうなれるかどうかは別として――俺が居なきゃ、刺客の始末も面倒だろうからな』


しかし正直に戻りたいとは言えず、ジルドは理由をこじつける。自分でもわざとらしいと思う内容に、ケニス辺境伯は口角を上げた。面白がるような目線をジルドに向けるが、揶揄うような言葉は口にしない。


『それならちょうど良い。全てに片を付けるためには、王太子殿下をこちら側で確保することが肝要だ』


リリアナのことを話していたはずなのに、唐突に王太子の話になる。そこの関連性がジルドにはすぐ理解できなかったが、少ししてようやく、リリアナから追い出されたと知ったケニス辺境伯の言葉を思い出す。

リリアナが婚約者である王太子を裏切ったと聞いたジルドが“北の移民の救出作戦が嫌になったからではないか”と告げた時、ケニス辺境伯は全て彼女の思惑に違いないと確信していた。

つまり、ジルドがリリアナの護衛を馘首されたことと、王太子が大公派の魔の手から逃れて行方を晦ましたことは密接に関係している。だからこそ、その問題の根源となっているはずの大公派をどうにか片付ければ、リリアナがジルドを遠ざける理由もなくなるというのが、ケニス辺境伯の理屈だった。

何と答えれば良いか分からずにむっつりと黙り込むジルドに、ケニス辺境伯は『今はまだ信じられずとも構わん』と肩を竦めた。


『いずれにせよ、今のお前は私の指揮下にある。嫌だろうがなんだろうが、お前には殿下確保のために動いて貰う』

『――王太子殿下の確保つってもよ、俺はそいつがどこに居るのかも知らねえんだぞ』

『それは問題ない』


ジルドの指摘は当然のものだったが、ケニス辺境伯は鷹揚に頷いた。


『国内に居る、殿下の身柄を保護しそうな貴族には全部当たったが、殿下を保護している者はいなかった。つまり殿下は国外に居て、帰国する隙を狙っているということだ』


恐らくジルドには言えない秘密もあるのだろう。ケニス辺境伯は結論だけを口にする。詳細を聞くつもりもなかったジルドは、一つ頷いた。それを確認したケニス辺境伯は、更に言葉を続けた。


『だが関所は全て大公派の指示で警戒が強くなっている。それに気が付かぬ殿下ではない。別の道を辿って、入国しようとするだろう。ケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領のいずれにも可能性はあるが、我が領の領境を越えようとするのではないかと思っている』


勿論、ケニス辺境伯は適当なことを考えているわけではなかった。

実際に王太子ライリーが国外に居るとした場合、彼は帰国後そのまま王都を目指すはずだ。そして王宮を牛耳っている大公派との決着をつける。そのためには、少なくとも元々王太子派だった貴族を味方につけて戦力を整える必要がある。

だが、戦力を整えるのにあまり時間はかけられない。時間をかけすぎると、大公派に勘付かれてしまう恐れがある。

それらを総合的に考えた時、カルヴァート辺境伯領よりも王都に近いケニス辺境伯領の方が何かと便が良かった。


『もうそろそろお前が属する部隊には国境警備を任じる予定だ。最近、国境付近を妙な輩がうろついているとの報告が上がっていてな。王都の臭いをつけておって目障りだ。だが一見したところは隣国の間諜と見分けがつかん。ケニス騎士団の中でも有数の戦力を持つ部隊を一つ、国境警備にやったところで、妙な疑惑は持たれん』


明言はしなかったものの、ケニス辺境伯が言う“国境をうろつく妙な輩”とは大公派が放った間諜だということは流石のジルドにも想像がついた。


『その“国境をうろつく輩”の中には、もしかしたら隣国から逃げて来た者もいるかもしれん。我が辺境伯領は“北の移民”も含めて受け入れを推進しているからな。隣国から逃れて来た者たちに関しては、丁重にお連れしてくれ』


ユナティアン皇国の統治は安定している。領主によって領民たちの扱いは違うため一概には言えないが、スリベグランディア王国へ逃亡を図るような者はそうそういない。

つまり、ケニス辺境伯は“王太子たちが逃げて来ていたら安全に館までお連れしろ”とジルドに命じたのだった。


そしてその翌日、ケニス辺境伯の言った通りジルドたち“北の移民”が属している部隊は国境警備を命じられた。決して華々しい活躍ができる部隊ではない。インニェボリやイェオリは少々不服そうな顔をしていたが、部隊長を務めているトシュテンは薄々ケニス辺境伯の意図を悟ったようだった。

問うような視線を何度かジルドに向けていたが、ジルドはその全てを黙殺する。そして薄々ジルドの役割を理解したトシュテンは、その後ジルドが休憩の度に一人行方を晦ましても、苦言を呈することはない。寧ろ、ジルドの後を追おうとするインニェボリを諫めることもしていた。

尤もインニェボリもなかなかに強かで、トシュテンの目を掻い潜ってジルドに纏わりつこうとする。しかし、ジルドも一筋縄でいく人間ではない。あっさりとインニェボリを追い返す。

インニェボリが最後までジルドについて行けたことは一度もない。それにも関わらず全く諦めようとしないインニェボリに、ジルドは思わず溜息を吐いていた。



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