61. 王太子の帰還 1
スリベグランディア王国との国境近くの廃村に、ライリーたちは潜伏していた。ベラスタは長年続けて来た研究がようやく実を結びそうだと言って魔道具や魔術陣に没頭し、たまに歓声や悲鳴を上げている。しかしライリーとクライド、そして護衛騎士二人は緊張の面持ちでオースティンとエミリアの帰還を待っていた。
緊張していると言っても、何もしていない訳ではない。ライリーとクライドは手持ち無沙汰を誤魔化すように、廃村の中を見て回って、目ぼしいものが残されていないか、何故廃村になったのか、出来得る限りの情報を得ようとしていた。
「この村自体が戦場になったわけではないようですが、戦が近づいて来たと分かって慌てて逃げだしたように見えますね」
恐らく村長の家だったのだろう、一番広い館を見て回った後、クライドはライリーに向けてそう告げた。一番広い館とは言っても、ライリーたちが馴染んでいる貴族の家からすれば厩舎程度だ。しかし中は綺麗に整理整頓され、それなりに値の張るものも幾つか取り残されている。ただ残されているものは全て大きく、簡単には持ち出せないようなものばかりだった。
「そうだね。大方、戦は近づいても戦場はこの村ではなく少々離れたところだったのかもしれない」
戦には魔術が使われることが多いとはいえ、魔導士もそれほど潤沢に居る訳ではない。戦の規模にもよるが、場合によっては徒歩一時間ほどの距離であれば十分戦禍を免れることも多くあった。この村も同じようなものだろうと、ライリーは言った。だがそれでも気にかかるところはある。ライリーは小首を傾げた。
「ただ疑問なのは、ここが廃村になってからそれほど時間は経ってなさそうなところだね。ここ最近で国境近辺のユナティアン皇国の村や町が戦場になったという話は聞いていないんだけれど」
今、ライリーたちが居る廃村に近いスリベグランディア王国の領土と言えば、ケニス辺境伯領だ。近辺に大きな街や補給所がなく戦場になり難いという理由で、それほど警戒されている場所ではない。実際にケニス辺境伯領へと隣国領主たちが侵攻する場合、戦場は遥か離れた場所である。
「誤報だったのでしょうか。いや、でもそれなら普通は戻って来るはずですね」
村の一番の財産と言えば家畜と食料の種である。だがその全てを持ち出すことは出来ない。特に食料の種であれば重要な植物の一部を持ち出し、他は捨て置く。そのため戦が近いという噂が誤報だと分かれば、村人たちは戻って来るはずだった。
しかし、今ライリーたちが居る村にその気配は一切ない。ライリーの指摘に一旦反駁したクライドだったが、すぐに自説を撤回した。間違いなく、今彼らが居る村は妙だった。
「この村でも警戒した方が良いようですね」
クライドは少しばかり憂鬱そうに溜息を吐く。ライリーは苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「私たちを罠にかけるつもりだとは限らないけれどね。大公派が皇国に協力を要請したところで、皇国側が大公派に協力するとは思えないし――ヴェルクに私たちが居るとしって罠を仕掛けたと考えても、この廃村に私たちが来ると確証は持てなかったはずだ」
当初より、ライリーたちは正規の道を通ってスリベグランディア王国に帰国するつもりはなかった。正規の街道は、大公派がライリーたちの帰国、もしくは出国を警戒して厳戒態勢を引いているに違いないからだ。
実際に、途中の村ではスリベグランディア王国からユナティアン皇国に向かった商人が、街道の関所で普段よりも時間を取られたと愚痴を口にしていた。通常であれば通行料を支払い、必要に応じて通行許可証を見せれば事足りるにも関わらず、荷を改められ人を確認されたらしい。
誰かを探しているようだったと商人が言っているのを聞いたライリーたちは、やはり当初の予定通りに正規の道を通らず王国へ戻ろうと決めたのだった。
だが、正規の道でなければ安全だとは限らない。そのため、オースティンとエミリアだけがこの村から隣国へと通じる道を辿って、敵が潜伏していないかを確認しに行っているところだった。
「そうですね、メラーズ伯爵ならばもしかしてとは思いましたが」
「大公派の中で一番警戒すべき相手はメラーズ伯爵だろうね。でも、意外とグリード伯爵も私たちを排除しようと考えて搦め手を使って来るかもしれないから、警戒はしておいた方が良い」
クライドの言葉に、ライリーは同意を示す。
大公派は玉石混交の集まりで全く一枚岩ではない。それぞれが己の欲望に忠実なだけで、実際に政治を動かすことに長けた人物はほとんど居なかった。スコーン侯爵も思い付きで発言をするし、その発言に根拠はない。グリード伯爵は比較的まともな案を提示するが、彼の動機は全て自己の欲求を満たすためだ。大公派の中で脅威となり得る手駒を持っているのはその三人であり、本人たちの資質や能力を考えた時、ライリーたちを脅かしそうな人物はメラーズ伯爵とグリード伯爵の二人だった。
「確かにグリード伯爵も注意しておいた方が良いかもしれませんね。あまり目立つような人物ではありませんが、スコーン侯爵と比べても何を考えているか分かり辛い。抜け目のない人物だという噂も聞いたことがあります」
「息子の事となると、判断力も鈍るようだけれどね。でも確かに蛇のように狡猾な人物だとは思うよ」
グリード伯爵はメラーズ伯爵の影に隠れている。貴族の中には彼を陰気な男だと言う者もいるが、たいていの者は印象も抱かない。グリード伯爵の評価は、たいていの場合“メラーズ伯爵の側にいてうまい汁だけを吸おうとしている”というものだった。
しかし、それがグリード伯爵の全てを現わしているとはライリーも到底思えなかった。顧問会議でもグリード伯爵は沈黙を保つことが多い。そのため見逃されがちだが、メラーズ伯爵が今もなおグリード伯爵と親しくしている理由は、明らかに息子ソーン・グリードが魔導省に勤めているからだけではなかった。
「噂と言っても、君が聞いたということは恐らくルシアン殿かユリシーズ殿ではないかな?」
笑いを含んだ声でライリーが尋ねる。クラーク公爵であるクライドにそのような噂話を囁く者は限られているはずだと、ライリーは確信していた。それなりの地位があり、かつクライドより年長で経験も豊富で、そしてクライドとある程度親しくしている者といえば数は限られる。その中でグリード伯爵に疑惑を持っていそうな人物となれば、ケニス辺境伯の嫡男ルシアンかオースティンの兄であるエアルドレッド公爵のどちらかしか思いつかなかった。
案の定、クライドははっきりと一つ頷く。
「ええ、ルシアン殿です」
やはり、とライリーは口角を上げた。
ルシアンは成人を目前に控えた頃から、ケニス辺境伯の代わりに政治的駆け引きへと関わることが多かった。性格的にも特質的にも、ルシアンは父より圧倒的に王宮内での争いに向いていた。本人も嫌がるでもなく、寧ろ喜々として相手の弱点を狙い人を上手く動かし、そして敵を蹴落としていっているように見える。
「他にルシアン殿は何か言っていたかな」
「いえ、具体的なことはなにも。しかし、裏社会と一番繋がりが強いのがグリード伯爵だとは仰っておられました」
「なるほどね」
ライリーは相槌を打った。確かに大公派の中で裏社会の者たちと繋がりが強いのはメラーズ伯爵かグリード伯爵のどちらかだろうと予想はしていた。ただ王家の“影”に探らせた結果、どうやら表立って動くのはメラーズ伯爵の方らしい。それならば裏社会と繋がりが強いのはメラーズ伯爵の方だろうかと思っていたが、もしかしたらメラーズ伯爵が裏社会と繋がりを持ったのもグリード伯爵が切っ掛けかもしれない。
「目立つのはスコーン侯爵ですが、実際にはグリード伯爵の影響力も相当なものかもしれません」
「そうだね。でもそうか、ルシアン殿もそう言っていたのか――」
クライドは不思議そうな視線をライリーに向ける。一体何を考えているのだろうと問う表情だったが、ライリーは自分の考えを口にはしなかった。
ぼんやりとした不安が、心の中に芽生える。
ルシアン・ケニスがグリード伯爵への警戒を口にしたという事は、もしかしたらライリーが感じていた以上にグリード伯爵は手強い相手なのかもしれない。性格を考えると、スコーン侯爵と違って短絡的な手段は取らないだろう。そして正当な方法も選ばない可能性がある。
「――クライド。もし君が大公派で、後顧の憂いなく王太子をどうにかしようと考えたら、どのような手を選ぶ?」
「それは、正当な手段ですか? それとも、謀略の類でしょうか」
「謀略の類だね」
ライリーの質問を受けて、クライドは真剣な表情で考え込んだ。
クライドはこれまでもライリーの側近として動いて来たが、大公派のように他者を引きずり落とすような計画は立てて来なかった。クライドも非常に優秀ではあるものの、その頭脳は主に国を栄えさせる施策の方に使われている。だが、大公派が禁じ手のような方法でライリーたちを貶める可能性がある以上、眉を顰めるような内容であろうが考える必要があった。
「そう――ですね。現状で大公派は殿下とオースティンが皇国に来て、破魔の剣を得たとは知らないはずです。しかし国内はある程度調査を終え、どこにいるかも確認出来ていないはず」
そうなると、大公派が取るだろう手段は限られて来る。
「殿下が国外に居る可能性と国内に潜伏している可能性、その二つを考慮して策を取るでしょう。国内では、王太子派の貴族が匿っている可能性を考えて監視します。長期に亘るようであれば、その貴族たちの不正や罪をでっち上げて取り潰し、その領地に殿下が居ればそれで良し、居なければ殿下を匿っている貴族が震え上がって殿下を大公派に差し出さざるを得ない状況を作り出します」
クライドの説明に、ライリーは尤もだと頷いた。国内にライリーが居るのであれば、その作戦は間違いなく有用だろう。そしてクライドは、ライリーが国外に逃亡していた場合の策を披露した。
「国外に逃亡した可能性を考えるのであれば、国境の関所に通達を出し殿下の身柄を確保します。ただ殿下もその可能性を考えて、関所以外の道を抜け帰還するとは想像ができます。ですから本命は、国境領主の身辺を監視することでしょうか」
スリベグランディア王国の国境を守るケニス辺境伯とカルヴァート辺境伯は、いずれも王太子派の貴族だ。その二つを監視することは、ライリーが国内に居ようが国外に居ようが、共通して重要な対策だった。
「仮に王国へ戻った殿下を、いずれかの辺境伯が保護したとして――その場合はやはり、先ほどと同様に何かしらの罪をかぶせて取り潰しを考えます。ただ、辺境伯の場合は他の貴族と違って国防の要ですから、慎重を期す必要はあります。それに万が一辺境伯が大公派と対決する姿勢を取った場合、戦になる可能性が高い。辺境伯領の騎士団は精鋭揃いですから、互角以上に戦うとなれば三大公爵家を味方に付けなければなりません」
だから即座に辺境伯二人に罪を着せることはないだろう。三大公爵家を完全に味方に付ければ大公派が辺境伯に勝てる可能性は高くなるが、三大公爵家の一つローカッドは秘密にされたままだ。国家の存亡に関わる時や戦が起きる時にしか動かないと言われているローカッド家は、先の政変では姿を現さなかった。即ち、大公派がローカッド公爵家の協力を仰げる可能性はほぼないに等しい。
だが、エアルドレッド公爵家とクラーク公爵家を味方につけたところで、二つの辺境伯領が結託してしまえば勝ち目はない。王立騎士団も大公派の手足となって動くだろうが、今の騎士団はトーマス・ヘガティが団長だった時と比べても精彩を欠いている。
クライドの考えは、ライリーも同意できるものだった。どこに居るのかも分からない相手を虱潰しに探すより、辿り着きそうな場所を監視して標的が来た時に対処する方がはるかに効率が良い。
「上手く国境を越えられたらケニス辺境伯領だけれど、それを考えると正面から伯に会いに行くのは避けた方が良いかもしれないね」
「そうですね。ただ残念なことに、大公派は私たち全員を認識していますから――もしかしたら変装することも視野に入れた方が良いかもしれません」
魔術で髪や瞳の色を変えることは出来るものの、比較的知られた魔術だ。発見を遅らせることはできるかもしれないが、大公派の目を欺けるほどのものではない。大公派も愚かではないから、ライリーたちが姿を変える可能性については既に考慮しているはずである。
「どうやって接触するか、国境を越えられたらもっと詳細に詰めようか」
ライリーの言葉に、クライドは頷いた。ケニス辺境伯に合流したくとも、まずは国境を無事に越えなければならない。そして今ここで、二人だけで決められることでもなかった。









