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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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60. 復活した魔族 2


館の中は、主の長らくの不在を示すように調度品類にシーツが掛けられていた。常に掃除はされているようで埃やゴミこそなかったものの、人の少ない屋敷というものはどこか寒々しい。

オブシディアンは気配を殺したまま、闇の気配が強い方へと足を進めた。大半の扉は固く閉ざされ、実際に使われている部屋は使用人たちの居住区くらいのものだ。掃除をするときは一々使用人が鍵を使って主たちの部屋に入っているのだろう。


だが、彼が見当をつけた部屋は貴賓室だった。要人を持て成すために造られた貴賓室は屋敷の中でも最も景色の良い場所に作られている。当然、主が居ない限りは開かれることもなく、そしてその周囲の部屋も使用人が使うことはない。

それにも関わらず、オブシディアンの目当てはその貴賓室にあるようだった。


『――――……れは、本来――――』


漏れ聞こえる声は、常人であれば決して気付くことのできないほど低められている。オブシディアンでも辛うじて聞き取れる音があるという程度で、思わず彼は眉根を潜めた。

自分が想定していた中でも最悪の部類だと、オブシディアンは内心で顔を顰める。


オブシディアンは件の部屋に近づくと、廊下で大きく飛び上がった。軽々と天井に到達し、僅かな取っ掛かりを起点に指先だけで体を固定する。そのまま反動をつけて天井の板を外し、彼は屋根裏へと身を潜めた。

以前より一回り大きくなった烏もオブシディアンの後をついて屋根裏へと忍び込む。


一人と一匹は気配を殺して、濃い気配が漂って来る貴賓室の天井裏へと進んだ。


「術、使えっかな。いや、バレそうだな」


天井の板を外して様子を窺っても、魔術を使っても気付かれそうだ。それならばただ耳を潜ませるしかないだろうと、オブシディアンはちょうど良い場所を見つけると板に顔をつけて、室内の会話に耳を澄ませた。

貴賓室に居るのは二人らしい。オブシディアンにとっては幸いなことに、二人とも天井裏に潜んだ人物には気が付かない様子で会話を続けていた。


『本来であれば貴方はここに居るべきではないのです。あるべき姿を取り戻すためには王都(ヒュドール)にその身を置くべきでしょう』

『それが一番手っ取り早いのは分かるが、今の私が王都(ヒュドール)に行けば向こうが警戒するだろう。今はあの王太子ではなく、大公とその一派が権力を握っているのだろう? さすがにあの者たちも、私が自分たちの味方だとは直ぐには信じないはずだ』

『そんなもの、心を操れば良いだけの話ですよ。本来の力を取り戻していないとはいえ、今の貴方なら十分、人間程度操れるではありませんか』


オブシディアンの存在に気が付かず会話を続けている二人の言葉を聞いていたオブシディアンは、眉根を寄せた。明らかに室内の二人は人間ではない。

渋る相手を説き伏せようとしているらしい声は、明らかにスリベグランディア王国の王宮を占拠している大公派全員に術を掛け、自分たちが彼らの味方であるかのように思い込ませろと言っていた。だが、現実的にそれは不可能だ。人の心を操る魔術は禁術に指定されているし、そもそも膨大な魔力と複雑な術式を必要とするため、一介の人間は使えない。

しかし、二人はあたかも他人の心を操ることなど幼子でも出来るというように話していた。


『できるできないの話ではない。そもそも、本来我々が人間に関わることは禁じられているのだ。それを知らぬお前ではあるまいに』

『――全く仰る通りですけれどね。本来のあなたを知る私に言わせれば、貴方のその言葉は詭弁そのものなのですよ』

『どうやら私の知らぬ間に、“私”は禁忌を犯しても構わぬと思いあがっていたようだな』


スリベグランディア王国の王都ヒュドールへ行くよう説得を試みていた相手に、嘲弄を滲ませた台詞が返される。腹を立てても当然だと思えるような口調だが、若い声は苦い口調になった。


『思い上がっていたというよりも、性格が全く変わったようでしたよ。高潔な貴方がまさか他の有象無象と同じように恋に現を抜かすとはと、私も嘆いたものですが――アスタロスはそんな貴方を好ましいと思っていたようですね』

『アスタロスか。懐かしい名だな。あやつは我々の中でも最も人を好む性質だった。息災にしているか』

『ええ、残念ながら相変わらず元気そのものです。今でも人間に入れ込んでいますよ』


毒を吐きながらも、その口調には優しさが滲んでいる。そしてオブシディアンは、二人が口にした“アスタロス”という名にぴくりと反応した。まさかこの場で耳にするとは思っていなかった名だ。寧ろ、これから先も数十年は音にならないはずの名前だった。


(アスタロス――ということは、()()()()()()()()()()()()?)


当然、オブシディアンもアスタロスという名の存在に会ったことはない。だが、彼はアスタロスという名前を良く聞いていた。アスタロスだけではなく、それに関係する存在の名前も良く知っている。


『相変わらずのようだな。久々に会いたいが――アスタロスは来ていないのか』

『思い入れている人間が、貴方が本来の姿を取り戻す際に命を落とす器となってしまったもので。傷心なのですよ』


若い声が答える。すると、相手は一瞬沈黙した。そしてまさしく不可解だというように、疑念に満ちた声で質問を投げかける。


『滅びる? それはどういうことだ。本来、私の力は一介の人間には過ぎた力だ。何故、その人間は器になっている?』

『どうやら貴方を復活させんと企んだ者がいるようでしてね。その者が施した術が、存外壊れずに上手く行ったようですよ。本来貴方が取り戻すはずだった力の大部分は、今その者が吸収しています』


答えを聞いた相手は、沈黙の後に苦々しく唸った。


『――妙に戻りが遅いと思ったら、そういうことか』

『そうです。その者は王都(ヒュドール)近くに居ますから、貴方がその近くに行けば他に流れることもなく、本来の主の元へすべての力が集結するでしょう』

『ふん、なるほどな。だが実際には記録にすら残っていない術を使ったのだから、お前も確証はないはずだ。違うか、ベルゼビュート』


揶揄うような言葉に、若い声の持ち主――ベルゼビュートと呼ばれた存在は、気まずそうに沈黙する。しかし、やがて『まあ、その通りです』と指摘を認めた。


『仰る通り、私も確証はあるわけではありません。全てが記録されているという北の大樹は我々は近づけませんし、“全てを知る者”は消滅したままですから。私たちの知識にない過去を遡ろうとしても知ることはできません。ただ確率の高い可能性は存在しているというだけです』


その答えを聞いた相手は、ふんと鼻を鳴らした。


『お前は相変わらず、癪に障るほど正直だ』

『おや、私のことは思い出して頂けたのですか』

『少しだけはな』


冷たい返答にも、ベルゼビュートはへこたれない。寧ろ嬉しそうな声音になり『光栄です』と答えた。


『レピドライト陛下は私たちの唯一であり主であり、そして希望ですから。忘れ去られたとしても敬愛に変わりはありませんが、やはり共に過ごした時間を思い出して頂けるとはこの上のない喜びです』

『その名で呼ぶな。まだ私は完全には復活していない。レピドライトと呼ばれたところで、まるで他人のようにしか思えん』

『左様ですか。しかし私にとっては、()()()()()()()()()()()()変わらず敬愛すべき陛下(レピドライト)ですよ』


レピドライト――その名を聞いた瞬間、オブシディアンの顔が強張る。それは間違いなく、魔王の名前だった。そしてベルゼビュートは魔族であり、魔王レピドライトの側近の一人だ。

魔王は魔族を統べる王であり、魔物とは全く異なった存在である。人間は両者を混同しがちだが、明らかに魔族は理性と知性が存在し、魔物は己の欲求にのみ従う存在だ。


そして、魔族は既にこの世界には存在しないことになっていた。普通に暮らす人々は、魔王のことは知っていても魔族のことは知らない。そして唯一記憶に残っている魔王でさえ、物語や伝説上の話だと信じている。

だが、実際に魔族が存在していたことを、オブシディアンは知っていた。そしてその魔族は、スリベグランディア王国が建国された時に地上から抹消されている。それは三傑と呼ばれる三人の英雄が魔王を封じた時、魔族もその力を失い、永い眠りについたからだった。


英雄たちの封印は非常に強力で、魔王は復活できない。消滅させることは人間の力では不可能だが、極限までその力を削って分散させ、死に近い形で眠らせることは辛うじて出来た。そして魔族を束ねる王が半永久的な眠りについた時、戦いで傷ついた他の魔族たちも皆強制的な眠りについたのだ。


だが、現実に魔族はオブシディアンのすぐ近くにいる。しかも一人は復活しかけている魔王だ。厳密には魔王にはまだなっていないのだろうと、オブシディアンは見当をつけた。


(器――ってことか? つまり力は本来の水準まで戻っていないってことか。ついでに記憶もねえみたいだけど)


眉根を寄せて、室内の会話に耳を傾けながらオブシディアンは考える。

そう言われてみれば、確かに魔王レピドライトの纏う力は一介の魔族とそれほど変わりはない。寧ろ、共にいるベルゼビュートの力の方が如実に感じられるほどだった。今のレピドライトは普通の人間より多少魔力が高い程度だ。それでも人間の範疇を越えていない。

そして、オブシディアンは今の魔王レピドライトと同程度かそれ以上の魔力を持つ人間を良く知っていた。


そこまで考えた時、オブシディアンの胸に嫌な予感が沸き起こる。ベルゼビュートはレピドライトに、スリベグランディア王国の王都ヒュドールへ行くよう促していた。それは王都の近くに魔王の魔力を受け取る“器”があり、そちらに大半の力を奪われてしまうから、ということだった。

オブシディアンが知る、人間にしては膨大な魔力を持つ存在も、今は王都の近くにいる。それどころか、オブシディアンが王都を出る時は王宮に居たはずだ。そしてその器は、魔王レピドライトが復活する時に命を落とすと、ベルゼヒュートは言った。


だが、ベルゼビュートもレピドライトも、代わりの器となっている人間のことには興味がないらしい。名前を告げようとも、尋ねようともしなかった。

オブシディアンの背中を、珍しく冷や汗が流れる。オブシディアンの推測が正しければ、それはリリアナ・アレクサンドラ・クラークに他ならない。

ベルゼビュートとアスタロスという二人の魔族が復活し、そして魔王レピドライトの覚醒も間近だ。このままでは魔王が完全に覚醒する時も近い。そして魔王が覚醒する時は、リリアナの体が壊れる時だ。人間は魔族とは違い、体が壊れてしまえば魂も消滅する。


(――まだ、何の決着もつけてねえってのに)


オブシディアンは内心で苦々しく吐き捨てた。リリアナのやる事が面白く、そして命じられる仕事も単なる暗殺ではなかった。人間関係を追い、情報を探り、頭を捻らなければならない。そしてその一連の流れを最も効率的かつ素早く行うためには、オブシディアンがこれまでに鍛えて来た技術や磨き上げて来た能力を最大限に使う必要があった。

そして結果的に、オブシディアンはリリアナの殺害を先延ばしにして来た。彼女を殺せるイメージは全くわかないままだが、それでも常にオブシディアンは何処か冷めた目でリリアナの隙を狙っていた。

しかし、このまま魔王レピドライトの覚醒が進めば、リリアナはオブシディアンの手に掛からず死んでしまう。


それだけは、嫌だった。リリアナが最期に目にするのは、彼女の血で濡れた剣を握った己でありたかった。


『それは好きにすれば良い。だが、しばらく私は皇国を離れられん。王国に関してはどうにか采配しておけ、私が問題なくそちらへ行けるようにな』

『御意』


レピドライトの言葉に、ベルゼビュートは嬉しそうに答える。そのまま空気が揺れ、室内からは一切の気配が消えた。少しして、オブシディアンの近くで休んでいた烏がオブシディアンの術を解く。そこでようやく、オブシディアンは詰めていた息を吐いた。彼にはしては珍しく酷く緊張していた。全身が強張っていることに気が付き、軽く体をほぐす。

体勢を立て直したオブシディアンは、険しい表情で烏に目を向けた。


「――とりあえず、だ。一族の仕事は放棄して王国に戻る」


オブシディアンの言葉を聞いた烏は羽を一度動かす。どうやらオブシディアンの言葉に同意を示しているようだ。オブシディアンは口元を緩めた。


「そんで、お嬢に会って死ぬぞって忠告して――できればそのまま戦いてぇな」


にやりとオブシディアンは笑った。魔族が復活し、ベルゼビュートがほぼ確信を持って魔王ではない器が壊れると断言していた。確証はないようだが、リリアナが死ぬことはほぼ間違いない未来なのだろう。

それならば、まだ自分の準備が整っていない段階であっても先にリリアナと闘っておきたい。それが無理ならば、どうにかしてリリアナが生き延びれるように手筈を整える。当然どのような対処をすれば良いのかオブシディアンは見当もつかなかったが、いずれにしてもリリアナに会いに行くことが最優先であることには違いがなかった。



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