60. 復活した魔族 1
標的がヴェルクに居るらしいと聞いたオブシディアンは、単身皇都トゥテラリィを出て道なき道を進んでいた。一般人であれば数週間かけていく道のりだが、彼であれば大して苦も無く辿り着く。
「入れ違いになってねえと良いけどな」
そんなことを考えながらヴェルクに到着したオブシディアンは、夜闇に紛れてヴェルク内に侵入した。裏社会の者たちであっても侵入が困難と言われている街だが、抜け道がないわけではない。ただ、オブシディアンはその抜け道も使わずにあっさりとヴェルク内部に入ってみせた。
「久々だなぁ。仕事じゃなけりゃあ楽しかったのによ――って、ああそっか、フィンスタ・ヴェルクの目玉は潰されたんだっけ」
オブシディアンも何度かフィンスタ・ヴェルクの闇闘技場に出場したことはある。腕に覚えのある者たちが出ていると聞いて興味を持ったが、正直興醒めだった。何度か優勝したことがあると得意気な男もオブシディアンと比べると赤子のようなもので、げんなりとした記憶がある。
結局、それ以降は時間の無駄だと割り切って出ていない。
「それくらいなら嬢ちゃんの仕事の方が楽しいしなあ」
小さくぼやきながら、オブシディアンは標的の元へと向かっていた。
標的はローランド・ディル・ユナカイティスだ。だがすぐに殺害するつもりはなかった。他の刺客が苦労しているという状況で、自分の腕ならば大丈夫だと過信することなどあり得ない。常に敵を死神に渡し自分がその鎌から逃れるためには、万全を期す必要があった。
「確か、側近とかいう奴が面倒なんだっけか」
以前、大禍の一族の仲間がボヤいていたことを思い出してオブシディアンは小さく呟く。
実のところ、オブシディアンは第二皇子ローランドに接触したことはなかった。一族の中でもオブシディアンは非常に優秀だが、皇族の暗殺に関わったことはない。それほど興味を持てなかったというのもあるし、競争心の強い一族の面々はオブシディアンが更に名を挙げるような仕事をするのを嫌がった。
だが、結局皇族暗殺という一族の中でも“花形”の仕事がオブシディアンに回って来たという事実を考えれば、これまで皇族暗殺の依頼を受けた全員が任務に失敗したということが分かる。
口ほどにもねえとオブシディアンは内心で呆れたが、皇族暗殺を命じられる一族は皆精鋭ばかりのはずだ。全く歯も立たないというのは、にわかには信じ難かった。
「皇子もそれなりに強いとは聞いたが、側近の方がやべえとか言ってたな」
そう思えば、ただ面倒だとしか思えなかった任務も楽しく思えるから不思議だ。これまで出会って来た標的は、リリアナ以外皆オブシディアンの予想通りの動きしかして来なかった。多少意外な行動を取ることはあっても、あくまで予測の範囲内だ。殺すことそのものよりも、そこに至るまでの経過を愉しむ性質のオブシディアンにとって、暗殺とは大して面白味もない単純作業の繰り返しだった。
だが、もしローランド皇子の側近であるドルミル・バトラーがオブシディアンの予想を裏切る能力を見せるのであれば、今回の仕事は楽しいものになるに違いない。
実際の標的はローランド皇子だが、彼を暗殺するためにはドルミル・バトラーの裏を掻かなければならない。つまり一度はバトラーと対峙することになるのだから、オブシディアンの胸は高鳴った。
その話を思い出していなければ、ただ面倒なだけの仕事など引き受けなかっただろう。一族の者たちは上の指示には絶対に従う。彼らは盲目で従順だ。だが、オブシディアンは例外だった。たとえ長から直々に命じられた任務だとしても、必ずしも引き受けるとは限らなかった。そして他の者がそのような態度を取れば一切躊躇せず命を奪う長も、オブシディアンに手出しは出来ない。
「居るとしたら館だろうが――まだ時間はあるか」
小さく呟いたオブシディアンは、宿を取ることにした。
暗殺にも色々方法はある。オブシディアンが一番得意とするのは、標的の家に侵入して殺害したり、町中を歩いている最中、すれ違うふりをして暗殺をしたりと、あまり時間をかけない方法だ。だが、一族の長から簡単に聞いた内容だけを踏まえても、そのような手段で命を奪えるような相手ではなかった。
それならば、別の方法を取るまでだ。どれほど警戒に長けた相手であろうと、人間であればずっと集中はしていられない。魔術や呪術を用いたとしても、人間のやることなのだから必ずどこかで綻びは出る。
その隙を狙うのが、オブシディアンたち刺客の仕事だった。本来であれば数人で手を組み標的の近くで様子を窺いながら、時機が来るのを待つのだが、元々オブシディアンは集団での仕事を好まない。そしてオブシディアンと組みたがる者も滅多にいないため、一族の長もオブシディアンには単独任務を言いつけることが多かった。
今回も、しばらく様子を見る間はオブシディアンを一人で動かすつもりに違いない。そしてその間にオブシディアンでも歯が立たない相手だと思えば、集団で仕事をするように再度指示があるはずだ。
しかし、様子見の期間はそれなりに長い。オブシディアンはヴェルクの宿に滞在して、標的であるローランド皇子たちの行動様式を把握するつもりだった。
「――んぁ?」
ヴェルクの宿街方面に向かって歩いていたオブシディアンは、しばらく進んだところで妙な気配を感じた。妙な気配とは言っても、彼にとっては懐かしい気配だ。しかしそれは同時に、今この時代には決して存在するはずのない気配でもあった。
「――なんだ?」
オブシディアンは眉根を寄せて首を傾げる。胡乱な表情を浮かべるが、闇に染まった道はオブシディアンしかいない。それを良いことに、オブシディアンは堂々と道の真ん中で立ち止まっていた。
眉間に皺を刻んだまま、オブシディアンは暫し考える。そして彼はちらりと視線を上に向けた。普通であれば、鳥は夜活動しない。しかし、見上げた空には烏が一切鳴かずに飛び交っていた。
もし人々がその異様な風景を目にしたら、厄災の前触れではないかと恐怖に震えるに違いない。だが、オブシディアンは恐ろしいとは思わなかった。彼にとって烏は人間よりも身近な存在だ。
目を細めたオブシディアンは、眼光鋭く烏を睨み据えていた。その動きをつぶさに観察していたオブシディアンは、おもむろに顔を巡らせる。そして、一つの方向に目を止めた。
「あっちか」
一般人が見れば、そこに差異はない。だが、オブシディアンは見当をつけた方角から非常に強い闇の力を感じ取っていた。
指を鳴らすと、姿を消していた烏が姿を現す。姿を現した烏はオブシディアンの肩に止まった。その肉体から鼓動を感じたオブシディアンは、小さく息を吐いた。その表情は深刻だ。
「時期が早くねえか?」
思わずと言った様子でぼやくものの、答える者はいない。しかし肩に乗った烏の方へ顔を傾けた彼は「分かってるっての」と答えた。
「お前としちゃあ良い事だってんだろ。俺もそうだよ。でもそうなると、一層面白味が減るじゃねえか」
そう話している内にも、肩に乗っていた烏の体は一回り大きくなっている。しかしオブシディアンは動じなかった。
「とりあえず見に行って確認しねえことには、分かんねえよなぁ」
面倒だが、他に選択肢はない。大禍の一族としての立場を重視するのであれば、オブシディアンは標的の調査を優先しなければならなかった。だが、今感じ取った闇の力はオブシディアンにとって、一族以上に重要なものである可能性が高い。
オブシディアンは足を速める。肩に止まった烏が一度羽ばたけば、オブシディアンの印象は薄くなる。更に靄が彼の体を包み、気配が全くなくなった。
「うへえ、マジで本物なんだな」
非常に高度な魔術であるはずの術を見て、オブシディアンは顔を顰める。肩に止まった烏は得意気な顔をしているようにオブシディアンに見えたが、冷静に考えれば表情が変わるはずもない。しかし妙に癪に障り、オブシディアンは烏に皮肉染みた口調で言い放った。
「この調子ならもう林檎は要らねえんじゃねえの?」
途端に、烏はオブシディアンの頭を容赦なく小突く。普通であれば頭に穴が開き血が流れるほどの攻撃だったが、オブシディアンは「痛って!」と叫んだ。当然、頭から血が流れるようなこともない。
「痛ぇな、なにしやがる。羽毟るぞ馬鹿烏」
すると烏は更にオブシディアンの髪の毛を一束引っ張る。小突かれるよりもその方が痛みが鋭く、オブシディアンは思い切り肩の上に乗った烏を手で払う。烏はひらりとオブシディアンの手を避けると、何食わぬ態度で今度は頭上に乗った。
オブシディアンの額に青筋が浮かぶ。しかしその間も、オブシディアンは足を緩めない。そしてその烏も、オブシディアンに掛けた術を解こうとはしなかった。
足を進めれば闇の力も強くなっていく。同時にオブシディアンの表情は真剣なものになっていた。
一番闇の力が濃いのはスリベグランディア王国の王宮近辺だが、あれは中身がない。中身がないというのはあくまでもオブシディアンの感覚の話で、実際は実態がないという表現の方が正しいだろう。実態のない闇の力そのものは単なる力であって、それだけでは何の影響も周囲に及ぼさない。その力を媒介する存在があるからこそ、闇の力は瘴気となったり力となったりするのだ。
だが、今オブシディアンが感じ取っているのは発生源が明確な、中身のある闇の力だった。それも意志を持って力を使いこなすことのできる、圧倒的な存在だ。
やがてオブシディアンが辿り着いたのは、ヴェルクの中でも貴族たちが住まう一画だった。頭から肩に戻った烏が嘴を前方斜めの方向へ向ける。オブシディアンは迷わずそちらへと進んだ。
彼らが辿り着いたのは、豪奢な屋敷だ。標的の館にほど近いその屋敷は、ちょうど今の時期主が長らく留守にしているはずだった。使用人たちが数名滞在して屋敷の管理をしているが、別荘のような扱いのため執事も居ない。
その屋敷に、オブシディアンは一切迷わず侵入した。闇の力は、その屋敷の中から一番強く感じられた。









