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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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59. 帰還への道 8


スリベグランディア王国の先代国王は、賢王と呼ばれ民衆からも貴族からも圧倒的な支持を得ていた。だが、歴史は常に盛者必衰を示している。そして先代国王もまた、その例に漏れなかった。


「普通に考えれば、当時のチェノウェス侯爵家には謀反を起こすほどの力はなかった。金は勿論、武力も遥かに劣っている。しかし歴史を見れば分かるが、チェノウェス侯爵家は味方を引き連れ反旗を翻した」


その勢いは驚くべきものがあった。チェノウェス侯爵家の財力や権力は王家のそれと比べて足元にも及ばない。そのため、本来であればチェノウェス侯爵家の謀反は一夜のうちに片が付くようなものだった。

しかし現実は全く逆の様相を見せた。王国各地で国王軍と反乱軍の小競り合いが起き、王国は疲弊した。皇国軍が侵略して来なかったことは幸いしたものの、ユナティアン皇国の辺境領主たちは少しでも領地を広げようと虎視眈々と国境を狙っている。そのため、ケニス辺境伯やカルヴァート辺境伯は王国内の復興に手を貸すことも儘ならず、ひたすら国境線を守っていた。


「恐らく、その裏には陛下の御叡慮があったのだろうと思う。晩年の陛下は――多少、理に適わないようなご判断もなされるようになっていたからな」


本来であれば、チェノウェス侯爵家程度であれば国王は歯牙にもかけないはずだった。大したことも出来ず、放っておけば金策も尽き侯爵の地位を返上する等対処しなければならなくなっていたはずだ。

だが、国王はそれでは足りないとチェノウェス侯爵家の取り潰しを断行した。勿論、理由がなければ侯爵家を取り潰すことなど出来ない。無理を通せば貴族たちは反発し、王族の権威は失墜する。そのため、国王には何らかの策が必要だった。


「何故そこまで、陛下は追い詰められていらしたのですか」

「分からんか?」


息子(ルシアン)の問いに、ケニス辺境伯は目を悪戯っぽく煌めかせる。その表情に、幼い頃戦術の問答をしていた時のことを思い出しながら、ルシアンは私見を述べた。


「そうですね、一つとしてはヴェルクの件かとも思うのですが」

「正解だ。陛下は皇国の侵略を防ぐために、ヴェルク独立運動の際、騎士団を派遣した。確かにそれは功を奏し、政変の時の皇国は奇妙なほど沈黙を保っていた。だが王国の貴族の心情は納得できるものではなかった、というわけだ」


ケニス辺境伯が説明すれば、ルシアンもユリシーズもやはりと言わんばかりに頷いた。

ヴェルク独立運動は、確かにスリベグランディア王国が皇国軍に味方しなければ、どう転んだか分からないほどのものだった。ヴェルクがそれも含めて計画していたのかは分からないが、ちょうど皇国が東方の諸国と戦を起こしていた時期だったため、皇国も戦力に余裕がなかったのである。

そのため、皇国に恩を売り侵略を抑えるという意味では、ヴェルクへの出兵は施政者として適切なものだった。


しかし、歴史を辿ればスリベグランディア王国はユナティアン皇国に支配されていた。建国以降も事あるごとに、皇国はスリベグランディア王国を支配しようと様々な策を弄して来る。王国貴族たちが皇国に良い印象を持っているはずもなく、彼らの心情はヴェルクに近かった。

そのこともあり、賢王と呼ばれた先代国王はヴェルク独立運動以降、求心力を徐々に失っていった。


「だから陛下は色々なことに敏感になっていたのかもしれん。今となっては推測にすぎんが――それを考えれば、ある意味でベルナルド殿が一線を退いたのはエアルドレッド公爵家にとって朗報だった」


過去に思いを馳せながら、ケニス辺境伯は静かに息を吐き出した。ユリシーズもまた、聞き知っている情報と照らし合わせて納得したように頷く。


当時のエアルドレッド公爵ベルナルドは、妻を亡くし意気消沈していた。そして領地に引きこもることになったのだ。それ以前は、エアルドレッド公爵家を筆頭とした勢力アルカシア派は旧国王派としての活動も強く行っていた。筆頭はフィンチ侯爵であり、彼はエアルドレッド公爵ベルナルドを次期国王として擁立しようとしていたのだ。

それに対立していたのが、プレイステッド卿だった。彼は国王ホレイシオを次期国王として支持していた。

その対立もベルナルドが領地に引きこもるまでだった。ベルナルドが政から距離を置いたため、フィンチ侯爵は彼を次期国王とすることを諦めた。プレイステッド卿との関係も、時間こそ掛かったものの改善されている。


だが、仮にベルナルドが一線を退かなければ、彼はチェノウェス侯爵家以上に国王の脅威になり得ただろう。下手をすればエアルドレッド公爵家だけでなくアルカシア派も既に地上から消滅していたかもしれなかった。


「ただ、やはり妙な点は多々ある。それを繋ぎ合わせれば一つの可能性が浮き彫りになるが、なにぶんどれも証拠も証言もない」


そう前置きをして、ケニス辺境伯は静かに話を続けた。

即ち、彼の政変の時、チェノウェス侯爵軍には分不相応なほどの戦力があった、というものだった。


「私はチェノウェス侯爵を直接知っているが、正直そこまで頭が回る男ではなかった。彼の側近も、頭の切れる者は早々に辞したからな。間違いなく後ろで糸を引いている者が居たに違いないと思っている」


だが問題は、その背後に居た者が本当にチェノウェス侯爵の味方だったのか、という点だ。そしてケニス辺境伯は、その可能性に懐疑的だった。


「背後で糸を引いていた者――ですか。今のお話を伺う限り、それは――――」


ユリシーズは言い辛そうに口籠る。ある程度知恵の回る者であれば、ケニス辺境伯が何を考えているのか直ぐに理解するだろう。実際に、ルシアンもまたユリシーズ同等、父辺境伯の意図するところに気が付いていた。否定して欲しいと言わんばかりの表情だが、ケニス辺境伯の表情は変わらない。


「まあ、二人が想像する通りだろうと私は思っている」


平然と言ってのけたケニス辺境伯とは対照的に、ルシアンとユリシーズは苦い表情だ。チェノウェス侯爵家が謀反を起こしたのは先代国王の策略だったのではないかという疑惑は、ケニス辺境伯が言外に肯定したようなものだった。

ケニス辺境伯は、真剣な表情のまま「しかし」と僅かに口調を変えた。


「もしその疑念が正しかったとしても、当然陛下御自らが直接働きかけたわけではないだろう。その指示に従いチェノウェス侯爵家に接触した者がいるはずだ。だが、その者が一体何者だったのかは定かではない」

「ですが、父上はその人物に心当たりがあるのでは?」


慎重に事実を述べたケニス辺境伯に、ルシアンは反論する。父が見当を付けていないはずはないと、彼は確信している様子だった。鋭く見返して来るケニス辺境伯に視線を返し、彼は静かに言葉を続ける。


「父上のお話を統合して考えれば、チェノウェス侯爵家に当時謀反を起こすだけの力はなかったにも関わらず、事を起こし、更には最終的に国王軍と張れるだけの勢力を有していたということになります。これはあまりにも不自然すぎる。チェノウェス侯爵一人の力ではないということは間違いないとしても、果たして確実にチェノウェス侯爵家を取り潰したいと考えている陛下が、それほどまでの戦力を相手に与えるでしょうか」


ルシアンの指摘は尤もだった。ケニス辺境伯は満足気に頷く。息子の成長が嬉しくて仕方がないらしい。

父親としての側面を垣間見たユリシーズは、こういう時だというのに暖かな微笑みを隠し切れなかった。ベルナルド亡き今、ユリシーズには望んでも得られない父子の会話だ。そんなユリシーズの感傷には気が付かず、ケニス辺境伯は「そうだ」とルシアンの言葉を肯定してみせた。


「陛下の御希望は確かにチェノウェス侯爵家を取り潰す理由を作りだすことだったろう。だが、そのために国が荒れるほどの力を――一時的にとはいえ、チェノウェス侯爵家に与えるつもりはなかったはずだ」

「つまり何者かの意志がそこに介在していたというわけですね」


国王の密命を受けチェノウェス侯爵家取り潰しのため動いていた人物は、大人しく国王の命を遂行する気はなかったのだろう。何らかの意思を持って、チェノウェス侯爵家に必要以上の力を与えたに違いない。

ルシアンとユリシーズは、半ばそう確信していた。だが肝心なのは、その人物が一体何者だったのか、ということだった。


「もし大公派の主張が正しいのであれば、その介在している人物こそ現陛下だということになりますが――さすがにあり得ませんね、父上」

「うむ、誰が聞いても――陛下を存じ上げている者なら口を揃えて、白昼夢でも見たのだろうと笑い飛ばすだろうな」


ケニス辺境伯は冷たい。その息子ルシアンも、どこか冷え冷えとした目をしていた。


「伯、貴殿はお心当たりがあるのではありませんか」


ユリシーズが尋ねる。ケニス辺境伯は、小さく首を傾げてみせた。だがはぐらかす気はないらしい。彼は淡々と「まあ、ないとは言わない」と不明瞭な返事をしてみせた。

一体どういうことかと目を瞬かせる若人二人に、ケニス辺境伯は小さく笑みを零した。


「具体的な証拠はない。私が知ることは政変後の状況で、そこから推測できることに過ぎんからな」


確かに確証があるに越したことはないが、今はそう贅沢も言っていられない。一番重要なことは大公派がどこから妙な噂を仕入れて来たのか、そして彼らが得た証言の信憑性がどの程度あるのかということを知る事であって、その裏付けを取れるのであればどれほど些細な情報であっても必要だった。


「それは――? 先ほど仰られていた、クラーク前公爵がご存知ということと関係があるのですか」

「さすがに分かるか。だが、彼が直接関わっていたという証拠はどこにも見当たらない。だから全ては私が得た情報から判断したことに過ぎん。これは頭に入れておけ」


言葉を区切ったケニス辺境伯に、ユリシーズが先を促す。すると、ケニス辺境伯はまず政変後の状況を簡単に説明し始めた。


「政変後、国は荒れた。当然だな、国王軍とチェノウェス侯爵軍の戦は小競り合いも含めれば国全土で起こったから――各地の領主は領地の復興に心血を注ぐ他なかった。その隙を狙おうと隣国の国境領主も虎視眈々と我が国の領土を狙っておったから、我がケニス辺境伯領は無論のこと、カルヴァート辺境伯領も国境線から離れられなんだ」


重々しくケニス辺境伯は告げる。確かにそれは想像に難くなかった。

政変当時、チェノウェス侯爵軍は一時期王都にも迫る勢いだったという。結局落城こそさせなかったものの、王都近郊はその殆どが焼け野原になったそうだ。その殆どは今既に復興しているものの、一部は貧民街として手つかずだ。その地域は犯罪組織が牛耳っていて、様々な悪行の温床となっている。実際にケニス辺境伯領に居た“北の移民”たちを誘拐した組織も、貧民街の教会を根城にしていた。


「チェノウェス侯爵家を筆頭とした反乱軍は、領地だけで見るとかなり広大だったからな。一部は功績の認められた貴族に与えられたが、残りの大部分は王家直轄領となり、そして二番目に多い領地はクラーク公爵に下賜された。当時エイブラム殿はフォティア子爵に過ぎなかったが、クラーク公爵家当主を継ぐことは明らかだったからな、恐らく陛下はそれを見こされたのだろう」


だがフォティア子爵に何の褒賞もないのも不味いと思ったのか、フォティア子爵だったエイブラムはフォティア伯爵となり、そして宰相の座を得ることとなった。


「そして王家直轄領の管理は宰相に任された。どう考えても、エイブラム殿が一番の功績を挙げ陛下にその手腕を認められた、ということだろう」

「――なるほど、確かにその状況だけを窺えば、チェノウェス侯爵を影から操っていたのは陛下の密命を受けたフォティア子爵だったということになりそうですね」


ルシアンは溜息混じりに父の推測に同意する。あまりにもエイブラム一人が良い思いをし過ぎていた。だが不思議なのは、当時の貴族たちが誰一人として疑問に思わなかったということだった。誰か一人はエイブラム一人に褒賞が偏り過ぎていると、そう指摘していそうなものだ。

だが、その疑問をケニス辺境伯は否定してみせた。


「確かに、冷静に考えればその通りだがな。先も言った通り、当時は貴族や領主たちにも余裕はなかった。自領の復興に気を取られていたし、そして何よりチェノウェス侯爵家が取り潰されたことによって貴族たちの勢力図が崩れた。三大公爵家は知っているだろう?」

「ええ。エアルドレッド公爵家、クラーク公爵家、そしてローカッド公爵家ですね」

「その通り。しかし政変が起こるまでは、エアルドレッド公爵家、ローカッド公爵家、そしてチェノウェス侯爵家だった」


思わずルシアンとユリシーズは目を瞠る。一般の貴族たちよりも王国の歴史に――それこそ歴史書にさえ乗っていない事象も含めて詳しいと自負していた二人だが、それは初耳だった。


「チェノウェス侯爵家ですか? 公爵家ではないのに?」

「そうとも。チェノウェス侯爵家も元を辿れば国王に至るからな。当時は侯爵ではなかったし、問題なかったのだろう。だが政変以降、チェノウェスという名は禁句とされ歴史の闇に葬られた。陛下の逆鱗に触れることは間違いなかったし、陛下としても――実際に何をなされたのかが貴族たちの間に広まってしまっては、再度求心力を持つどころの話ではない。貴族が結託して反発すれば、さしもの王家もただでは済まんからな」


ローカッド公爵家は表舞台に姿を現わさない。そのため、チェノウェス侯爵家が取り潰された以上、エアルドレッド公爵家の一強となる。それは流石に、国王としても都合が悪かった。

そこで目を付けられたのがクラーク公爵家だ。エイブラムの父ロドニーの代までは、公爵といえど他の貴族とそれほど変わらない存在ではあった。だがエイブラムが当時の国王に認められたことによって、急激に力を持つようになったのだった。


「以前から、三大公爵家とはクラーク公爵家も含めたものだと思っていました」


愕然とユリシーズが呟く。それは然もありなんと、ケニス辺境伯は頷いた。


「だろうな。その点は陛下が徹底して全ての記述を書き直させ、チェノウェス侯爵という名を人々の記憶と記録から消すべく指示なさったのだ。そして政変の頃を直接知る者も少なくなっている。そして私も含めた、当時を生き抜いた人間にとっては、政変のことはやはり禁忌という意識があるからな――正確に物事が伝わらなくても仕方あるまい」


そして既に政変は“終わったこと”なのだ。

今この時期にユリシーズがケニス辺境伯を訪ねなければ――ひいては大公派が自身の正当性を示すために政変の事を持ち出さなければ、ケニス辺境伯も過去の記憶は心の奥底に封じたまま、墓場まで持って行ったに違いない。

政変の真実が広まれば先代国王の威信は弱まり、王族の力は相対的に弱くなる。ヴェルク独立運動で皇国を支援した過去があるため今のところ本格的な侵略戦争は挑まれていないものの、その影響も徐々に弱くなりつつある。

現状を考えれば、国防の観点からも、王族の力が弱まることは避けなければならなかった。王族の名のもとに、貴族や各地の領主が一致団結して皇国という脅威に対峙しなければならない。


大公派はその程度のことも気が付いていないから、此度のような愚行を犯すのだと、ケニス辺境伯は苦々しく吐き捨てた。




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