59. 帰還への道 5
祖母バーバラの元を離れ自分の屋敷に戻った後、一度寝台に入ったリリアナは夜半過ぎに目を覚ました。軽く背筋を伸ばして一度顔を枕に埋める。
王宮に滞在していた期間に積み重なった睡眠不足のせいで、最近のリリアナは寝起きが悪かった。尤も今日はそれだけではなく、寝てから数時間程度しか経っていないので、なかなか完全に覚醒できないのも仕方がない。それでもどうにか力を振り絞り、リリアナはもぞもぞと寝台から降りた。
一部魔術も使いながら服を外出用に着替え、部屋に術を施す。マリアンヌが寝ているリリアナの部屋に入って来ることはほぼないが、何かあったときにすぐ気が付けるだろう。
「場所が移動されていなければ宜しいのだけれど」
どうしても懸念は残る。一番気になっていることは、バーバラの話に含まれていた。クライドとフィリップが領地を視察して回っている時に、朝早くから夜遅くまで、村だけでなく森にも足を踏み入れていたという情報は、リリアナに疑惑を持たせるのに十分だった。
「いずれにしても、一度行ってみなければ分かりませんものね」
小さく呟いて、リリアナはあっさりと転移の術を使う。その瞬間景色が一変し、リリアナは森の中に一人で立っていた。
夜の森は自分の四肢の先も闇に溶けるようだ。ぞくりとするような寒さを覚えて、リリアナは自分の周囲だけを温かくする。以前訪れた時はそこまで寒さを感じなかったと眉根を寄せるが、ふとリリアナは、この場に来た時に限らず自分は周囲の環境の変化に鈍感だったと気が付いた。
一歩踏み出せば、さくっと落ちた葉の音が鳴る。しかし全く気にすることなく、リリアナは魔術で視界を照らし出すと目的地に向かって足を進めた。
それほど時間も掛けず、リリアナは見覚えのある建物を発見する。その建物は森の中にありにも関わらず、掘っ立て小屋ではなかった。立派な造りで、扉には頑丈な閂が掛けてある。その上、以前と同じように建物の周囲には外部からの侵入を防ぐ術が張り巡らされていた。
「寧ろ以前より強力になっていやしないかしら。フィリップが張り直した――と考えても妙ですわね。彼は魔術を使えるほどの魔力はなかったはず」
魔術は魔力がなければ使えないというのは常識だ。多少足りない程度であれば魔導石や魔術陣で補うこともできるものの、それにも限度はある。フィリップの魔力量が皆無なのか多少なりともあるのかリリアナは知らないが、フィリップと仕事をしているクライドは一度、フィリップには魔力が全くないらしい、と言っていた。
「協力者がいるとは思えないのだけれど」
小さく呟きながらも、リリアナは視線を建物全体に巡らせる。そして、ふと一ヵ所に綻びを見つけた。以前であれば分からなかっただろう揺らぎも、今のリリアナは多少見えるようになっている。これも体内に増えた魔力のお陰だろうかと、リリアナは指先に魔力を込めた。
「【魔術・無効化】」
本来であれば相手に魔術を使えないようにする術だが、その術式を応用すれば既に張られた陣にも応用できる。魔術を破壊しても良いのだが、そうすると術を元通りにすることはできない。その点、【魔術・無効化】であれば、自分の掛けた術を解除することで元に戻すことができる。
嘗てこの地に来た時にはできなかった術だが、今のリリアナにはとても容易いことだった。
「以前はどうにもできず、シディを連れて来ましたものねえ」
しみじみと懐かしい記憶を思い出しながら、リリアナは一人小屋の中に足を踏み入れた。建物全体に掛けられた術は刷新されていたが、建物の中は変わりがない。ただ掃除はされたようで、思っていたよりも綺麗だった。埃や虫が目につくこともない。
「一年半ほど前とは言え、室内を綺麗に保つよう仕掛けを施しているのかしら」
侵入者を防ぐという目的ではなく室内を綺麗に保つ程度の魔術であれば、長期間に渡って効果を持続させることも容易い。何気なく周囲に目を配りながらリリアナは室内を歩き、武器ばかりが保管された部屋に足を踏み入れた。最新鋭の武器には変わらずユナカイティス皇家の紋章が記されている。
だが生憎と、リリアナは武器の類にはそれほど詳しくはない。最新鋭のものだろうと見当はついても、それ以上のことは分からなかった。
だから今、リリアナが求めているものは武器ではない。これまでリリアナが一度も見つけることのできなかった、政変の時の記録を探している。
「この建物自体が隠されておりますし、これまでの隠し部屋ほど探すのに苦労するとは思えないのですけれど」
そうはいっても、以前オブシディアンと訪れた時には見つけられていない。隠してあることに間違いはないのだろうと、リリアナは慎重に壁や棚など、心当たりを片っ端から確認していく。やがて、リリアナはふと一つの違和感に気が付いた。
「あら? これは――」
リリアナが目を向けているのは、一際目を引く装甲兵器の背後の壁だった。先ほどまでは気が付かなかったが、角度と光の加減で他の壁と違う材質であることが分かった。
もしかしたら、先ほどリリアナが建物全体を守る術を封じたことで何らかの影響があったのかもしれない。
そして、見つけてしまったからには迷う必要もない。リリアナは装甲兵器を避けるようにしながら、狭い隙間を縫うようにして壁に近づいた。手を触れて壁を確認すると、足元の方に手が辛うじて入る程度の隙間がある。リリアナの手では多少余裕がある程度だから、成人男性であればぎりぎりだろう。指先で感触を探り、取っ掛かりを見つけて手前に引く。すると、ゆっくりと壁が動き出した。
少し距離を取るが、背後には装甲兵器があるためあまり壁から離れられない。だが、壁は横に動いたため大した問題ではなかった。
壁の向こうには、もう一枚扉がある。リリアナは扉に手を掛け取っ手を押した。扉には鍵がかかっておらず、すんなりと開く。拍子抜けの気分を味わいながら、リリアナは扉の向こう側へと足を踏み入れた。
「隠し小屋に隠し部屋――徹底してますわね」
建物自体が隠されているのだから、てっきり隠し部屋はないものだと思っていた。しかしこの建物を作らせた人間は隠し部屋が好きなのだろう。恐らくエイブラムの仕業だろうが、とリリアナは呆れを隠せない。
隠し部屋や隠し通路というのは命を狙われやすい王族や皇族のためのもので、一般的な領主であれば領主が主に暮らす屋敷や避暑地の別荘にしか備え付けないはずだ。しかしクラーク公爵領には、隠された建物と隠し部屋が大量に存在している。今リリアナが居る建物は間違いなくその一つだし、以前アジュライトがリリアナに教えてくれた研究所も隠すように建てられていた。
リリアナが足を踏み入れた部屋はこぢんまりとしている。これまでにリリアナが見つけた隠し部屋の中でも一番狭く、物もそれほど置かれていなかった。この分では直ぐに捜索も終わるに違いないと、リリアナは一番手近な場所にある棚に手を付けることにした。
置かれている資料は、隣室に置かれている兵器の詳細な説明だ。大半はリリアナが兵器を見て推測した通りの使い方で、一部に作り方や開発の意図も書かれている。半分以上の資料を読み終えた後、リリアナが手にしたのはそれらの資料よりも古そうな紙だった。
「千切った後がありますわ」
内容を読むより先に目に付いたのは、不揃いに整えられた一辺の様相だった。考え込むでもなく、書物の一頁を千切ったのだと分かる。だが、何の書物から千切ったのかは分からない。
取り敢えず内容を読もうと文面に目を落したリリアナは、わずかに頬を綻ばせた。
見つけた、と内心でほくそ笑む。
それは間違いなく、政変の時代に関するエイブラム・クラークの手記だった。
以前他の場所で手記を見た時、リリアナは違和感を覚えなかった。それはエイブラムかフィリップがこの手記を破り取った後、書物の方に残った頁の欠片をナイフで綺麗に切り取ったからだろう。だから不自然に時期が空いていると気付きながらも、気に掛けることがなかった。
手記は、先代国王がエイブラムに命じた内容から始まっていた。
『――――陛下より密命を賜った。チェノウェス侯爵家が謀反を企んでいるとの密告があったため調査せよ、とのことである。調査せよとの仰せではあるが、当然謀反は確実なものである』
エイブラムに確信があったのか、それとも確信がなかったのかは読み取れない。しかし確信していなかったのだとしても、王が調査するよう命じたにも関わらず何の証拠も出て来なければ、王の発言が嘘だったことになる。そのため、その密命が下された時点でチェノウェス侯爵家の謀反は間違いなく計画されたものとして確定されたに違いなかった。
『チェノウェス侯爵家を完全に喪われたものとするのであれば、単なる謀反では不足である。徹底的に潰す理由が必要であり、それには隣国との共謀を証明することが何よりの策であろう』
エイブラムは、どのようにして国王の要求を満たせるか考えながらも、同時に国王の真意についても思いを巡らせていたようだ。チェノウェス侯爵家を貶める方策を幾度となく思案しながらも、一体王は何を思って突然チェノウェス侯爵家を謀反の咎で潰そうとしているのかと、一人問うている文章が紛れ込んでいた。
だが、やがてエイブラムは一つの答えを見つけたようだった。
『チェノウェス侯爵家には、伝説の剣“破魔の剣”があるという。王家の宝物庫に収められていると思っていたが、どうやらかつての大公が玉座を辞する際に時の王から預けられたようだ。本来であれば大公が逝去した折に王家に戻されるはずだったが、結局叶わず今もなおチェノウェス侯爵家が保管しているという』
チェノウェス侯爵家が、手元にある破魔の剣を根拠に自らの王族としての正当性を主張していたことは間違いのない事実だった。ただ当時はまだ国王の権力も強く、チェノウェス侯爵家も表立っては騒げない。そのため彼らの言い分は身内だけが集まった社交界で静かに囁かれているだけだったが、その情報が国王の耳に入ったのだろう。
しかし、とはいっても当時のチェノウェス侯爵家は財政難だった。当主も享楽に耽ることが多く、貴族たちの支持は強くない。そのため放っておいても、国王には何の影響もないはずだった。
『陛下は剣の返還を求め、チェノウェス侯爵家はこれを拒否した。恐らく剣を持つことで、ある程度の影響力、権力、そういったものを持ち続けられると考えたに違いない。しかしながら、これが陛下の逆鱗に触れたようである。チェノウェス侯爵家に未来はない。残された彼らの道は破滅だけである』
エイブラムは冷静に情報を集め分析しながらも、時折チェノウェス侯爵家に対する痛烈な皮肉を放っている。彼にとってチェノウェス侯爵家は十分な土地と祖先から受け継いだ財産、地位を持ちながら、それを無駄に浪費する愚か者の集まりでしかなかった。
そして同時に、エイブラムは幼い頃からの野望を実現する機会をここに見出す。
彼の野望は、英雄として名を売り国王にさえも膝を着かせ頭を下げさせることだった。しかし現実的には難しい。だからエイブラムは長らく、国王の次に権力を持つ人間になろうと考えていたようだ。だが、時代はエイブラムに味方した。上手く事を運べば国王には認められ、そして破魔の剣も手に入れられる。
『チェノウェス侯爵家が取り潰され剣が宝物庫に入ってしまえば、二度と手にすることは不可能である。それならば一度、剣を陛下の手が届かぬところへやるのはどうか――――』
その発想は、エイブラムにとっては暗闇に差し込む一筋の光だった。そうと決まれば、エイブラムは全てを整えることに尽力した。
当然、チェノウェス侯爵家は隣国とは通じ合っていない。しかし上手くチェノウェス侯爵を誘導し、隣国と繋ぎを作る。ユナティアン皇国でヴェルクが独立の動きを見せたことも、エイブラムの策略を後押しした。
皇国に恩を売り、皇国内の有力者と繋ぎを作って協力者を作る。一方で自国ではチェノウェス侯爵家を唆して皇国の商人と懇意にさせ、謀反を唆し武器を融通する。金のない侯爵家は、エイブラムが協力者を通じて描いてみせた虚像の未来に一も二もなく飛びついた。その未来が上手く実現すれば、チェノウェス侯爵家は玉座を手に入れ、金と権力を同時に得ることになるはずだった。
早い段階でヴェルクに屋敷を入手したエイブラムは、その屋敷の管理を弟サミュエルに任せた。サミュエルは滅多に領地から出ない。そのため、人前に姿を長く現わさなくとも不審を持たれない。
一方で国王には、時機が来ればチェノウェス侯爵家を謀反で取り締まれると告げた。その報告を受けた国王は甚く満足したらしい。その時に、エイブラムは国王から宰相となる確約を得た。
ただ、その時のエイブラムは二つほど、国王に告げなかった。一つはチェノウェス侯爵家は単に取り潰されるのではなく、戦を王家に仕掛けて来ること。そしてもう一つが、戦の最中にエイブラムの皇国の協力者がチェノウェス侯爵家に押し入り、破魔の剣を奪い去ることだった。
『コンラート殿は酷く乗り気だった。破魔の剣とは教えていないが、我が国の国宝であると伝えればそれだけで十分だった。彼の戦好きには辟易するが、上手く使えばこちらの利になることは明らかである』
協力者の名はコンラート殿としか書かれていない。だが、それが隣国のコンラート・ヘルツベルク大公を指すことは間違いないだろう。
『ヴェルクの屋敷も、事が終われば彼に譲る予定である。その際に彼には奪った剣以上のものを渡し、剣は私が貰い受ける』
王国では、破魔の剣は失われたことになる。大々的に捜索されてしまえば元も子もないが、しかしエイブラムにはそうならないという確信があった。さすがに謀反を起こした罪人が国宝を持っていたこと、そしてその国宝が隣国に奪われたことは、他言できない。国王も秘密裏に捜索させ取り戻すよう指示するだろうが、その程度でコンラート・ヘルツベルク大公から剣を奪えるとはエイブラムも考えていなかった。
『万が一のために、彼には剣を奪われぬようにする魔道具を与えた。それを使えば私の知らぬところで、剣を失うこともほぼないだろう』
ヘルツベルク大公の戦好きは当時も変わらないようだ。そのため完全に剣を盗難から守ることは難しい。しかし、それよりも早くエイブラムは剣を取り戻すつもりでいた。
思わずリリアナは苦笑する。
「当初の予定よりも随分と長い期間、閣下が剣を持たれているのですね」
だがそれも当然だろう。政変が終わってから長らく、ヘルツベルク大公は皇国の東で隣国諸国との戦に走り回っていたのだ。皇国は広い。如何なエイブラムといえど、自国と正反対の場所にいる大公から剣を奪うことはできなかった。
そして、エイブラムもまた多忙を極めていた。公爵家の当主となり宰相として辣腕を奮い、更に自身の野望を達成するため実の娘で人体実験をしていた。隣国についても注視はしていたようだが、手が回っていなかったに違いない。
『魔王の復活には多くの犠牲が必要である。皇国ではスリベグランディア王国への侵攻論が根強いが、ヴェルクの一件により暫くは皇国軍の侵攻もないだろう。尤も皇帝が本気で我が国を支配下に置かんと進軍してくれば私の望みを達成するどころではなくなるため、国境で戦を起こすのであれば私が制御できる程度、即ち国境沿いの領主が我が国に攻め入る状況を作ることが肝要である』
そしてエイブラムは、更なる計画を立てていた。
『辺境伯領に皇国の武器を置き彼らが隣国と密通していたように見せかければ、彼らはチェノウェス侯爵家の二の舞である。領主を失った土地は王家直轄になるか、他の者が代わりに領主となるだろう。さすれば私が王になった暁には国庫が潤い、専制君主として後世に名を遺すことになるであろう』
最後はその言葉で締められていた。リリアナは小さく息を吐いて紙を元に戻す。
つまり隣室に置いてある兵器は全て、エイブラムが国境沿いで戦を起こすための布石だったということだ。そしてその一部はケニス辺境伯領かカルヴァート辺境伯領に隠し、彼らが隣国と密通した証拠としてでっち上げるつもりだったのだろう。
乙女ゲームでは確かに戦はあったが、それほど大きなものではなく直ぐ沈静化された。その時エイブラムは亡くなっていたため、彼の計画が中途半端に実行された結果に違いない。そして皇国軍はエイブラムが書いている通り、王国に攻めて来ることもなかった。
(それでもお父様はゲームより随分と前に亡くなっていますから)
リリアナは隠し部屋から出て壁を元通りに戻しながら、難しい表情で考え込む。
(皇国がどの程度戦を仕掛けてくるのか、それは最早乙女ゲームの記憶とは全く違う動きを見せますわね)
既に乙女ゲームから大きな差は生まれている。死んでいるはずの人間が生きていたり、そしてその逆もある。だが、重要な事件はそれほど大きく変わっていないはずだった。
それも、認識を改めなければならないのかもしれない。
建物を出たリリアナは無効化の術を解き、建物から離れる。そして転移の術を使って慣れた私室へと戻ったのだった。
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