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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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59. 帰還への道 3


数年の年月を経て再会したリリアナの祖母バーバラは、真っ白な髪を綺麗に結い上げ、背筋を綺麗に伸ばしたままソファーに腰掛けていた。側には杖が置いてあるものの、立ち居振る舞いは記憶に残っているものと変わりない。

バーバラは恋を夢見続けたリリアナの母ベリンダとは異なり、家族を顧みない夫を陰日向で支え続けた貴婦人の鑑とも言うべき人物だった。


「随分と淑女らしくなりましたが、まだまだですね。夫となる王太子殿下をお護りすることもできず、のうのうと生き長らえるとは何たる無様でしょうか」


領地の片隅に籠っているとはいえ、バーバラの人脈は生きている。完全に正しい内容ではないかもしれないが、王都での出来事はバーバラの耳にも入っていたようだ。

リリアナは内心で溜息を吐いた。この調子では、リリアナが訊こうと思っていた内容を正直に教えてくれるかも分からない。しかし同時に、バーバラの方からライリーの話題を振ってくれたことは僥倖でもあった。完全に無視をされるよりも、話す気がある方が進めやすい。

リリアナは内心を悟らせないよう、慚愧の念に堪えぬという風情を装った。


「お恥ずかしい限りでございます。わたくしも本来でしたら殿下に付き従いたいと願っておりましたが、殿下たっての願いで、苦渋の思いながらもこちらへ残ることになりましたの」


バーバラは片眉を上げる。そして、目をすっと細めてリリアナの本心を探るように注視した。


「――そう。大公閣下との婚約があり得ると言う話も聞いたけれど?」

「まあ、そうでしたの?」


リリアナはおっとりと首を傾げる。おかしなことですわね、と彼女は苦笑を見せた。


「殿下が無事お戻りになられない限り、わたくしとの婚約は解消できませんのに。口さがない者は何処にでもいるものですわね」

「そうですね。ええ、私もそう思いますよ」


バーバラにとって、妻とは何があろうが夫に付き従う存在だ。それは婚姻前であっても、婚約状態であれば変わらない。特にバーバラの時代は婚約すれば結婚に至ることが普通であり、余程のことがない限り婚約解消はあり得なかった。

婚姻後も、妻には貞淑が求められる。昨今では夫も妻も婚姻後に愛人を持つ場合が増えているが、バーバラにとってそれは悪しき風習でしかなかった。

だからこそ、王都を活動拠点としている友人からの手紙の中で、王太子ライリーが出奔したこと、大公派が王宮を牛耳り始めたことと並び、ライリーの婚約者である孫娘リリアナが大公と婚約を結び直すらしい、と書いてあったのを見た時は、仰天した。そして驚きが去ると徐々に怒りが沸き起こり始めたのである。


既にバーバラは社交界から退いて久しい。情報だけは定期的に友人とやり取りしているが、大公派が何を仕出かしたのか、そしてライリーと国王が一体何をしているのか、詳細は分からない。やきもきしていたところで、孫娘が来るという先触れを受け取った。


隠居生活を送っていてもなお、バーバラの性格は変わらない。妻とは夫に付き従うものだが、それはただ隠れのんびりとしていれば良いというものでもない。夫では出来ない戦い方を、妻はするべきだとバーバラは強く信じていた。

そのため、バーバラは夫ロドニーの力となるべく、社交界では常に様々な情報を集め噂を流し、人脈を築いて来た。男同士ではやり取りできない些細な情報や、彼らが気が付かない複雑で込み入った人間関係も、館を切り盛りする女主人である夫人たちは良く知っている。その時に培った観察眼は、今でも衰えていない。


眼前に座るリリアナを冷徹に観察しながら、バーバラはふと目元を緩めた。

どうやら自分が思っていた以上に、孫娘は成長しているようだ。ベリンダ(愚かな娘)の子供というだけでバーバラはリリアナを夢見る少女だと判じていたし、友人の手紙に描かれていたリリアナはまさにその通りの人柄に見えた。だが、今目の前に座る本人は明らかに全く性質が異なっていた。ベリンダよりも、寧ろその本質はバーバラ(自分)に近いと、バーバラは判断する。

そうと分かれば、孫娘への態度も変えねばならないだろうと、バーバラは僅かに声音を変えた。


「では、今日あなたがここへ来たのは殿下の思し召しということかしら?」


リリアナは、バーバラの態度が変わったことを即座に理解する。これならば話はしやすいと、彼女は「はい」と頷いた。

実際は全く違う。ライリーの意志を受けての行動ではなく、全てリリアナが考え動いている。だが敢えてバーバラの言葉を否定する必要もない。バーバラにとって重要なことは、リリアナがどれだけ未来の夫となる王太子のために動いているかという点だ。


「大公派の動きもですが、他にも色々と懸念事項がございますの。殿下はわたくしに、その懸念事項に関して幾つか調査を命じられたのです」

「そう。信頼を得ているようね」


バーバラは満足そうに笑みを深めた。しかしその視線は深い色を湛えており、少しでも油断を見せれば手痛い仕打ちが待っているに違いないことが分かる。リリアナは決して気を緩めることなく、落ち着いて単刀直入に状況を打ち明けた。


「お祖母様には他言無用にお願いしたいのですが、この度大公派は王宮を占拠するに当たり、過去の出来事を根拠として大公閣下の王位継承が優先されると主張しております」


リリアナの話は端的だったが、バーバラには衝撃的だったらしい。それでも彼女は眉をぴくりと動かしただけで、全く動じた様子を見せなかった。


「過去の出来事とは、先に起こった政変の際に起こったことのようですの。殿下はその根拠を否定するため、詳細について情報を得たいとお考えです」


それだけでリリアナの本意をバーバラが理解できるかどうか、そしてバーバラが当時のことを知っているのかどうかは賭けだった。そして同時に、リリアナが真に知りたいことを聞き出せるかどうかも不明確だ。

少しの沈黙の後、バーバラは目を閉じた。何事かを考えていたが、やがてゆっくりと目を開く。そして彼女は妙に迫力のある無表情で、孫娘の顔を見つめた。


「――宜しいでしょう。大公閣下と政変を繋ぐ存在(もの)といえば、チェノウェス侯爵家しかありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


そこで一旦、バーバラは言葉を切る。そして一つ息を吸い、力強く言い切った。


大公(あの男)が王になるようではこの国は終わりです。それは私の夫も良く言っておりました。それならば今、私がすべきことは他にありません――宜しいですか。これから話すことは寝物語の類です。決して他には漏らさぬように」

「勿論にございます」


リリアナは請け負う。ライリーの勅命で動いているとバーバラには見せかけているが、その実はリリアナの独断だ。当然、他人に話す気はさらさらなかった。

バーバラはリリアナの態度を見て納得したらしく、小さく頷くと声を潜める。そして彼女は、厳かに告げた。


「チェノウェス侯爵家は王家に最も血が近いと言われていました。それこそエアルドレッド公爵家よりも遥かに」


それも当然だった。チェノウェス侯爵家は元を辿ればスリベグランディア王国の国王へと辿り着く。その国王は在位期間が非常に短かった。その上、退位の理由は定かではない。第二王子であった弟に円満に譲位し、その後は大公として悠々自適な生活を送っていたという。その後彼の領地は幾つかに分割され、その内の一つがチェノウェス侯爵家の祖となった。


一方のエアルドレッド公爵家は、確かに王家の血筋ではあるものの、祖先を遡ったとしても国王であった者はいない。その時々の王子や王女がエアルドレッド公爵家の血に混じるものの、国王という点だけで考えればチェノウェス侯爵家が自らの血筋を正統と考えるのも不自然ではなかった。


「そのため、時の当主はフランクリン・スリベグラード大公閣下が次代の王に相応しいと固く信じていました。しかし彼らには力がなかった。チェノウェス侯爵家の家計が火の車であることは、当時、一部貴族の間では有名な事実でした」


祖先に国王が居たと誇り肥大した自尊心に振り回された彼らは、収入が不十分であるにも関わらず、湯水のように金を使っていたらしい。だが、それは決してチェノウェス侯爵家のせいだけではなかった。


「時の陛下は、自らの立場を危うくする者に対しては裏から手を回していたと言います。例えば監督官や執事、領主――そういった者に息のかかった者を派遣し、金で縛り付けるのです」


当時の国王――ライリーの祖父であり賢王と呼ばれていた彼は、決して他人を信じることをしなかった。腹心の部下と呼ばれる者も居るには居たが、いつ裏切るかと常に疑っていたらしい。そのため、貴族や文官、武官、騎士といった者たちは、いつ国王から突拍子もない命令を出されるか、謀反を企んでいると疑われないか、戦々恐々としていた。

そしてチェノウェス侯爵家は、国王にとって最も懸念すべき相手だったという。


リリアナは首を傾げた。確かに話を聞く限りでは、チェノウェス侯爵家は国王から危険勢力として認識される素地はあったのだろう。しかしそれならば、エアルドレッド公爵家やクラーク公爵家も条件は同じはずだった。


「エアルドレッド公爵家やクラーク公爵家は、疑われなかったのですか」

「その点は皆、上手くやっていたということでしょう」


質問を挟んだリリアナに、バーバラはどこか得意そうな表情を見せる。


「エアルドレッド公爵家で最も王に相応しいと評判だった者はベルナルド殿です。しかし、当時の彼は一人目の奥方を亡くされたばかりで失意の底にいました」


そのため、国王はベルナルド・チャド・エアルドレッドへの興味を失った。それまでは神童と呼ばれ天才の名を恣にしていたベルナルドだったが、一人目の妻を亡くした後は領地に引きこもり、政変でも目立った活躍はしていない。


「クラーク公爵家に関しては、一番の功労者はエイブラムでしょう。貴方のお祖父様も陛下に睨まれぬよう細心の注意を払っていましたが、エイブラムが上手く陛下の心に取り入ったのです」

「確か、政変でのご活躍を見た陛下がお父様を宰相として重用なさったのでしたわね」

「その通りですよ」


バーバラは誇らし気に微笑む。過去の栄光を思い出しているのか、バーバラの双眸は珍しく輝いていた。


「エイブラムは難しい仕事を見事にやり遂げました。私は詳しい話は知りませんが――チェノウェス侯爵家が隣国と結んで謀反を企てている証拠を()()()()()という難題を達成し、政変後王宮に呼ばれたエイブラムは陛下直々にお言葉を賜ったのです」


一瞬、リリアナは耳を疑う。

元々は、政変のことを聞きに来たのではなかった。フィリップが執事としてクラーク公爵家に来たのは、政変が終わった頃のことだ。その時期のクラーク公爵家の様子を知りたかったのだが、その端緒として選んだ政変という話題で、思いがけない事実が発覚した。


「証拠を――作った、のですか?」


リリアナにしては珍しく、声が掠れる。驚愕を隠し切れないリリアナに、バーバラは平然と頷いた。


「その通りです。陛下は恐らく――いえ、陛下の叡慮を推察するなど烏滸がましいにも程がありますが」


バーバラは言葉を濁す。しかし、彼女が考えていることは明らかだった。リリアナも同時に、一つの答えに辿り着く。

時の国王、先代国王はチェノウェス侯爵家を邪魔な存在だと考えていたのだろう。何故そこまで思いつめたのか、今となっては分からない。もしかしたらチェノウェス侯爵家は隣国と手を組んで謀反を計画していたのかもしれないし、ただ大言壮語を叩いて不興を買っただけなのかもしれない。

しかし、いずれにしても事実は半ば濡れ衣に近いものだった。謀反のつもりがなかったにせよ、将来計画していたにせよ、政変があった時期はまだチェノウェス侯爵家も謀反の準備を整えていなかったのだ。そして、エイブラムが見事に政変の切っ掛けとなる状況を整えた。


「ですが――その割には、激しい戦闘だったと」

「その通りです」


政変は短期間では終わらなかった。国が荒れ果てるほど、激しい戦闘が各地で繰り広げられたという。王都も例外ではない。王宮や貴族たちの住まう区画は直接的な被害を受けなかったものの、近隣では王立騎士団とチェノウェス侯爵家を筆頭とした反乱軍が衝突した。


「つまり、チェノウェス侯爵家は上手く証拠を隠していたということでしょう。エイブラムが証拠を作らなければ、彼らは王宮を占拠し陛下を弑していたに違いありません。それこそ、今王都で起こっていることそのままに」


バーバラには確信があるようだった。

リリアナは反論もできず黙り込む。動揺は確かにしているが、それ以上に違和感が拭えない。一体何を見落としているのか――考えても纏まらないまま、バーバラは話を進める。そしてリリアナは、極力平静を保ったまま、祖母の話に耳を傾けるしかなかった。



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