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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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59. 帰還への道 1


スリベグランディア王国王都ヒュドール近郊の屋敷に戻ったリリアナは、留守中にオルガがまとめていた報告書に目を通していた。久し振りの屋敷は王宮よりも遥かに人目がなく、安心して過ごすことが出来ていた。魔術を使った警備自体は王宮もかなり充実しており、外敵に対しては万全だ。だが王宮では内部にリリアナを監視する者が居たため、安心できる時間は殆どなかった。


(――駄目ですわね、どうしても気が緩みますわ)


提出されている書類はオルガのものだけではない。王宮では誰がいつ、何をするか分からなかったため、リリアナの屋敷には留守中の状況を知らせるための書類がそれなりの量残されていた。

ふわ、と零れそうになる欠伸を堪える。王宮ではどうしても敵陣の中に居るという緊張感でゆっくりと眠れなかった。それほど眠気も感じていなかったのだが、安心したせいか目がくっついてしまいそうになる。


ちらりとリリアナは卓上に置いた茶に視線をやった。マリアンヌが淹れたお茶は優しい味がして、一層リリアナを眠りに引きずり入れようとしているようにすら思えた。

仕事を辞しても良いと伝えていたにも関わらず、屋敷には殆ど全ての使用人が残っていた。辞めたのはリリアナが無理を通したジルドの他にたった数人、屋敷の維持をしていた下働きの者だけである。リリアナの世話に携わる使用人は全て残っていたし、辞めた人数が少なかったため屋敷も以前と変わらず管理できている様子だった。


(お茶が優しい味だなんて、おかしなことですけれど)


欠伸を堪えながら、リリアナは手元の資料に目を落とす。頭がきちんと働いていないのか、一文を読むのに結構な時間が掛かってしまっている。それでも今眠ってしまえばしばらくは起きられなさそうで、リリアナは目元を擦ってから再度書類を読むことにした。


オルガの報告によると、リリアナの留守中に訪れる刺客はある時を境に皆無になったようだ。時期を改めて確認すると、それはオブシディアンがリリアナの前に姿を現わさなくなった頃と一致している。彼は基本的にスリベグランディア王国内に居るとリリアナの前に現われる。リリアナが王宮に入った後も、彼の側に常に控えている烏が時折王宮の敷地内を飛んでいるのを見た。それがなくなったという事は、オブシディアンは国外に出たのだろうことが推測できた。


(何か、関連があるかもしれませんわね)


だが、残念ながらオブシディアンの今の動きは乙女ゲームにも描かれていなかった。そもそも乙女ゲームでオブシディアンがはっきりと姿と名前を表わすのは二作目になってからだ。この時期は一作目に当たるから、リリアナに知識がないのも当然だった。


一方で、刺客が減るのと反比例するように増えたのが間諜である。どうやらそれなりの実力の者たちが様子を窺いに屋敷を訪れていたようだ。暗闇に潜み忍び込もうとする者や、野菜等を納品する商人の顔をして堂々と訪れる者、様々だったらしい。しかしそのいずれも、オルガやマリアンヌの二人が気付いていたようだ。


(マリアンヌが? 間諜の存在に気が付くなんて、普通でしたらあり得ませんのに――?)


間諜も愚かではない。訓練されているのだから、普通の暮らしを営んでいる一般人が気付くわけがない。

リリアナは眉根を寄せる。マリアンヌはケニス辺境伯の娘だ。勿論普通の令嬢としてはあり得ない公爵家の侍女として働きに来ているが、その仕事内容は側仕えに近い。今は、リリアナの身の周りの世話を中心に行っているが、本来であればリリアナの教育も施す予定だった。リリアナが社交界に出た後はリリアナの外出に同行することにもなる。その身分からリリアナが王太子妃として王宮に上がった後もリリアナの側近兼側仕えとして行動を共にすることになっていた。

つまり、多少珍しい部分はあるものの、マリアンヌはごく普通の女性なのだ。ケニス辺境伯やその跡継ぎであるルシアン・ケニスであれば間諜に気が付くこともあるだろうが、マリアンヌが商人に扮した間諜の正体に気が付くとはあまりにも予想外だった。


(オルガか、それとも辺境伯から聞いたのかしら)


リリアナは首を傾げる。仮にそうだとしても自ら間諜の正体に気が付くようになるとは到底思えないのだが、とリリアナは小さく溜息を吐いた。しかし、睡眠不足に苛まされた頭は碌な動きをみせない。全く思い付くこともなく、そして違和感はあるものの時間を割いて考えるべきこととも思えず、リリアナは一旦オルガの報告書を卓上に戻した。


「そう……それよりも優先すべきことがありますわね」


目元を手で覆って、リリアナはすべきことを整理する。

問題は執事のフィリップ――否、エッカルトだ。今の彼はこれまでと同じくフォティア領の屋敷に居るはずだった。だが、まだフィリップがエッカルトだと確定したわけではない。本当にエッカルトがフィリップと名を変えて執事となった可能性もあるし、何者かがエッカルトの名を借りて細工師の元を訪れ、その後フィリップとして働き始めた可能性もある。


いずれにせよフィリップが本当にエッカルトなのか確かめるためには、ネイビー男爵家で働いていたアニーという女性に確認することが最善策だった。アニーはエッカルトの年の離れた妹だから、詳細に顔を覚えているかどうかは怪しい。しかし、他に手はない。

とはいえ、フィリップの目論見は未だ明確ではない。下手にアニーを巻き込めば、フィリップがアニーを害さないとも限らなかった。


(アニーに確認を取るより先に、フィリップが働き始めた経緯と――それから、お父様が当時何をお考えになっていたのかを調べた方が宜しいかしら)


亡父エイブラムが魔王を復活させ、それを倒すことで英雄になろうと企んでいたことは明白だ。これまではメラーズ伯爵やニコラス・バーグソン元魔導省長官が主だった協力者なのだろうと踏んでいたが、思っていた以上にフィリップが関わっているかもしれない。


(その可能性は高いですものね。今でもまだ何か企んでいる可能性はございますわ――だって)


リリアナの脳裏には、かつて王宮の中庭で見かけた男、そして王宮図書館に用があった男の名を思い出していた。王宮の中庭で見かけた男を追いかけた依り代は王都にあるクラーク公爵家の近くで消え去り、そして王宮図書館の特別室に入室する者の名が記された管理表にはクラーク公爵代理という文字が書かれていた。

今、クライドは王都にいない。そのためフィリップがクラーク公爵代理という名目で王宮図書館を訪れたこと自体がおかしい。つまり、彼自身が主体となって動いている可能性が非常に大きい。

広大な領地は領主一人で管理することなどほぼ不可能であり、基本的に領主は各地に代理人を置く。その役割を執事が担うことなどざらにあるから、リリアナは長らく違和感に気が付かなかった。フィリップもそれを承知で、執事という役割を最大限に隠れ蓑として使っていたに違いない。


「そうと決まれば、早くお祖母様にお会いしなければ」


祖母に最後に会ったのは、父エイブラムの葬式だ。それ以降、祖母は領地の片隅に引っ込んでしまい、手紙の一通すらやり取りしていない。今もなお元気でいるという報告は受けているが、元からそれほど会話もあるわけではない。上手く話を聞けるかどうか自信はなかったが、他に思い付く手立てもなかった。



*****



イーディスがコンラート・ヘルツベルク大公を退けた後、ライリーたちには、イーディスの屋敷で疲労を癒し今後の方策を練るだけの時間を与えられた。ベラスタも既に完全に回復しているが、それは多分にニクラスから貰った回復薬のお陰でもあった。


ライリーは同じ部屋で剣の手入れをしているオースティンを見やる。あの日、ニクラスに連れられて隠し部屋から出て来たオースティンは、全身の毛を逆立てた獅子のように苛立っていた。どうやら、ライリーがオルヴァー・オーケセンと会う際にオースティンを隠し部屋へ取り残したこと、そして隠し部屋がオースティンたちの手では開かなかったことが彼の矜持を甚く傷つけたらしい。

本人も、そしてオースティンほどではないが同じく衝撃を受けたらしいクライドも頑として口を割らなかったが、彼らの間に流れていた居心地の悪い雰囲気に耐えられなかったのか、こっそりとエミリアが二人の目を盗んで教えてくれた。


さてどうしたものかと、ライリーは考える。

リリアナのことに気を取られすぎて視野狭窄に陥っていたと、エミリアのお陰でようやく気が付いた。ライリーにとってオースティンやクライドは幼馴染であり信頼すべき側近だ。リリアナの存在で二人とライリーの間には距離が出来てしまっているが、ライリーは二人を蔑ろにする気は一切なかった。しかし、現実としてライリーが二人を蔑ろにしているように見えるだろう。


(……余裕を失っていたね)


修業が足りないと、ライリーは小さく息を吐く。すると、無心に剣を磨いているように見えてライリーを気にしていたらしいオースティンとクライドがピクリと反応した。視界の端に二人の様子を捉えて、ライリーは苦笑を堪える。

オースティンとクライドは、こうなってもなおライリーのことを気に掛け心配しているらしい。有難いことだと、ライリーは心中で呟いた。


「――二人に相談があるんだけど、良いかな?」


皇女イーディスと共にヴェルクを出る時は迫っている。その後、しばらく皇都トゥテラリィに向かって進んでからライリーたちは皇女一行から離れ、スリベグランディア王国に向かう予定だった。通常の商人が王国に入る際やクライドとエミリアが王国を出た時のように、街道を通って行けば大公派に見つかる危険性がある。そのため、森を抜けてケニス辺境伯領へ入る道が一番安全ではないかと思えたが、ケニス辺境伯が今も王太子派であるとは限らない。

そのため、ケニス辺境伯領に入ったとしても直ぐに辺境伯に会うわけにはいかないというのが、一同の共通見解だった。


「なんだ?」


ライリーの問いかけに真っ先に答えたのはオースティンだった。どことなく目が輝いているように見えるのは、決してライリーの気のせいではないだろう。


「王国に戻る時、ある程度こちらの陣営を把握しておいた方が良いと思うんだが、どう思う?」


オースティンとクライドは顔を見合わせる。二人とも目を瞬かせたが、すぐに真剣な表情になると再びライリーに向きなおり、真剣な表情で頷いた。


「俺は同感だ。俺の兄貴も王太子派から鞍替えすることはないと思うが、プレイステッド卿だけは読めない」

「クラーク公爵家は王太子派で揺るぎませんが、エアルドレッド公爵家や二つの辺境伯領と比べるとどうしても戦力で劣ります。事前に確認しこちらの戦力を把握しておけば、自ずと大公派の戦力も読めるでしょう」


ライリーは頷く。オースティンとクライドの言い方は異なっているものの、結論は同じだった。ただ三人とも意見は合致しているものの、変わらず課題が存在していると理解もしていた。

クライドが静かに言葉を重ねる。


「ただ先ほども少し話題に出ましたが、どのようにして情報を集めるかも問題です。最初に王太子派である貴族ないしは有力者を見つけ、その協力者を起点に調査を進めることが一番効率的だとは思いますが――ただ時間を掛けられないことも事実です」

「そうだね。あまり時間を掛ければ、大公派の力が大きくなるばかりだ」


クライドの指摘にライリーは頷いた。仲間を引き入れることは重要だが、あまり時間ばかりかけていては大公派が強力な地盤を得てしまう可能性もある。仮に今も中立を保っている貴族が大公派に取り込まれた場合、ライリーが元の地位を得て大公派を駆逐出来たとしても、連座して責任を取ることになる貴族が増えてしまうだろう。そうなると今度は領地を誰が管理するのかという問題が出て来てしまう。

何より、先代国王の時代に起こった政変で貴族は数を減らしたのだ。


それだけでなく、リリアナのこともライリーは心配だった。リリアナは何らかの目的があって大公派に鞍替えしたように振る舞っているだけだと、ライリーは判断している。リリアナは年齢の割には大人びていて優秀な少女だが、経験値だけで考えれば大公派にも劣ってしまう。そのため、彼女が大公派の振りをしている期間が長くなるほど、大公派がリリアナに不審を抱く可能性は高くなる。

リリアナは大公派の手の内だ。本当に疑惑を持たれてしまい危険視された場合は、リリアナの命は間違いなく危険に晒される。最悪の事態を避けるためにも、ライリーは急がなければならなかった。


「だからどうすれば良いのか、二人の知恵も借りたいと思っているんだ。残りの封印具のこともあるしね」


オースティンとクライドはしっかりと頷いた。封印具は全部で三つある。その内の一つ、勇者が使っていたという破魔の剣は手に入れられた。ヘルツベルク大公が剣をすり替えられたことに気が付けば、取り戻そうとこちらに接触を図ってくる可能性はあるものの、今はまだ彼も気が付いていないらしい。

無事に大公に気が付かれないまま帰国できたとしても、問題は山積していた。

大公派の目を掻い潜って味方を集め、仮に戦闘になった場合に備えなければならない。そしてその合間に、残りの二つの封印具を確保しておく必要があるのだ。宝玉はクラーク公爵家にあるらしいから、クライドがどうにかできるかもしれない。しかし、問題は最後に残された鏡だった。鏡は王宮にあるようだが、王宮は今、大公派の手の内だ。


「まだ帰国までに時間はあるから、すぐにとは言わない。国境の町に近づくまでに、良い案を考えておいて欲しい」


ライリーが選んだ道は、オースティンとクライドの二人に頼ることだった。二人とライリーの間に生じた不信は、今後にも影響してしまう。だが、ライリーはオースティンとクライドを信頼し重用し、そして友人として大切に思っている。リリアナへの不信感さえ除くことが出来れば、最早三人の間に懸念は残らない。

ただ、リリアナに対する二人の信頼感を取り戻す時期はまだ先だった。

オースティンとクライドはライリーに頼まれたことが余程嬉しかったのだろう、先ほどまで纏っていたどこか陰鬱な雰囲気を消し去っている。もしかしたら二人とも、ライリーとの関係を元に戻す切っ掛けを探っていたのかもしれなかった。


内心で安堵しながらも、まだこれからだとライリーは己に言い聞かせる。三人の間に横たわっている違和感が完全になくなるのはリリアナへの疑惑が完全に解けたときだ。どれほどライリーがリリアナのことを信頼していると言っても、今のオースティンやクライドが心の底からそれを信じないことはライリーも理解していた。

ライリーは顔をエミリアに向ける。そして、三人の会話を見守っていた彼女に向けて穏やかに声を掛けた。


「エミリア嬢も、何か案があれば忌憚なく述べて欲しい」

「承知いたしました」


弾かれたように、エミリアが顔を上げる。ライリーに声を掛けられるとは思っていなかったらしく、とても驚いた様子だ。だが、頼られたことが嬉しいのか、エミリアは頬を紅潮させて力強く頷いた。



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