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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
38/563

8. 都鄙の難 8

※グロテスクな表現を含みます。


黒いローブを身にまとった男は、人混みに姿を紛れ込ますと楽しくて堪らないといった笑みを零した。


「――なァるほどなァ。()()()()()()()()()()()のな」


背後で放った殺気には敏感な癖に、正面から殺意を纏わず仕掛けた時には避けられなかった。護衛をしているらしい傭兵は気が付いていたが、少女は分かっていなかった。能力のアンバランスさに男は惹き付けられる。

ふらふらと人波を縫うように歩きながら、男はローブの下から取り出した林檎を齧る。


「面白いねェ。あの時の解術も、もしかしたら嬢ちゃんの仕業かもしれねェなァ」


半年弱前に、男は――否、その少年は馬車を襲撃する仲間の様子を見ていた。幻術で姿を消していた仲間の一人が解術され、無惨にも捕えられたのは少年の記憶に新しい。食べ終えた林檎の芯を道端に捨て、少年は裏路地に入った。

この街は表通りこそ整然としているものの、裏に入れば一気に寂れ荒れ果てている。道の端にたむろう破落戸は目つきも鋭く、仲間以外を受け入れない。そして彼らにとって、旅の途中に立ち寄る余所者は良いカモだ。同時に破落戸たちは相手の力量を計る。黒いローブの闖入者が少年だと気が付いた彼らは、ガンを飛ばし立ち上がった。右手には古びた剣を持ち、少年を脅すように首の骨を鳴らす。体は少年の二倍はあり、顔には刃でつけられた傷が残っている。傍に立つだけで人は恐怖を覚えるだろう面構えだった。


「こんなところに何の用だァ、ガキ」


用を尋ねる顔をして、その実は恫喝の前触れだ。仲間の男たちもゆっくりと一定の距離を保ちながら少年を囲むように位置を変える。少年は足を止めた。無言で頭目らしき男に顔を向ける。フードを深くかぶっているせいで、表情はよく見えない。破落戸は舌打ちをした。


「顔見せろや、なァ? それが礼儀ってもンだろ、エェ?」


少年は答えない。動きもしない。恐怖に縛られているのだと、男たちは判断した。

黒いローブがそれなりに仕立ての良いものだと、男たちは気が付いていた。大金はないだろうが、ある程度の――今晩の酒盛りに酒と女を買う足しになる程度の金子(きんす)を持っているはずだと踏んだ。


「ここは俺たちの島でなァ――通るなって言ってるンじゃあねェ。それなりの礼がありゃあ、俺たちも無理に戻れたァ言わねェさ。なァ?」

「おうよ」


頭目が他に問えば、男たちは口々に同意を示す。そして力を誇示するように、各々が手にした武器を少年にちらつかせた。


――たいていの余所者は、ここで怖気づく。そして言われるがまま金を払い、這う這うの体で逃げていく。この街の治安を維持する衛兵に訴え出る輩もいるが、そこの頭と破落戸たちの頭目は飲み仲間だった。女の趣味は合わないが、酒の好みは合う。


だが、少年は答えなかった。軽く肩を竦めて、小首を傾げる。そして、初めて少年は口を開いた。


「――で?」


それがどうしたと言わんばかりだった。声音に恐怖は見えない。それどころか、呆れた気配さえ滲ませている。だが、破落戸たちにとっては初めての反応だった。だから、彼らは気が付かない。


「あァ? てめェ、命が惜しくねェと見えるな」


少年の、余裕に満ちた態度に違和感を覚えることなく、頭目は低く唸った。それが合図だった。

自分たちの半分程度しかない少年は、一太刀の元に血を流して倒れ伏すはずだった。呆気ない勝負の幕引きを、男たちは脳裏に思い浮かべる。

運が付いてるぜ、などと少年の背後に陣取った男が棍棒を振り上げた――次の瞬間。


「――――――――っ!」


ただ一人、頭目だけが少年を見ていた。


少年の唇が弧を描く。黒いローブから出た右手がいつの間にか握っていた鞭の持ち手が軽く振られる。だが、鞭の持ち手よりも先に延びているはずの本体部分は、頭目には見えなかった。少年はその場から一歩も動かないまま、彼を囲んだ破落戸たちの胴体から首が離れる。血飛沫を噴き上げながら、()()と倒れる男たちを感情のない目で一瞥し、少年は一歩ずつゆっくりと頭目に近づく。

一体何が起こったのか分からないまま、頭目は意味の分からない恐怖に駆られ、縮められた距離を開けようと後ろに下がる。しかし、頭目の背中はやがて家の壁に着いた。

手を伸ばしても触れられないギリギリの距離まで近づいた少年は、余裕の表情を浮かべたまま「ああ」と言った。


「顔、見たかったんだよな?」


ゆっくりと、綺麗な左手が黒いフードを取り去る。現れたのは、紺の髪に漆黒の瞳をした美しい(かんばせ)の少年だった。化粧をし身なりを整えれば少女にも見まごうばかりだが、両目の強さは少年のそれだ。


「こんな顔だ。満足かい?」


にい、と少年は笑みを深める。蠱惑的な表情ではあったが、頭目はその顔を汗でびっしょりと濡らしていた。二又の舌をチロチロと出した毒蛇に、間近で嬲られているような面持ちだった。


「良かったな。最期に希望が叶ったぜ、オッサン」


にっこりと可愛らしい笑みに変え、少年は一歩離れる。頭目にはそれ以外の動作は分からなかった――が。その顔は恐怖に歪んだまま、赤く染まって宙を飛ぶ。

その頭が地面に到達する前に、少年は破落戸たちへの興味を失したようだった。フードを再び被り直し、さっさと路地を歩き始める。

路地裏はいつの間にか、鉄錆の臭いで充満していた。遅かれ早かれ異臭に気が付いた()の住人たちが、破落戸たちの死体を見つけるだろう。

少年は鞭を服にしまい込む。


「この鞭、便利っちゃ便利なんだけど、持ち手があると最大で二本までしか使えねェのが難点だよなァ」


少年が持っている鞭は特注品だ。持ち手と切り替え部分までは一般的な鞭と同じだが、その先に繋がる本体が目に見えない細さの糸鋸で作られている。更に糸鋸は伸縮自在で、接近戦だけでなくある程度距離が離れた敵を相手にすることも可能だ。扱いが難しいが故に、少年以外の使い手は今のところ見つかっていない。更に言えば、糸鋸が視認できないため共闘できる相手が現状いないことも難点だった。


「一人で十分だから問題はねェけどな」


ぼやきながら、少年は更に奥まった場所へと進んでいく。どんどんと周囲の空気は重く暗くなる。表しか知らない旅の連中が見れば、あまりの落差に絶句することは請け合いだ。

しかし少年にとっては慣れたものだ。変わらぬ足取りで突き進み、一部の屋根が崩れた古い倉庫のような建物の前に立ち止まる。表に出された看板には酒屋と書かれているが、非常に入りにくい外観だ。


既に周囲の様子は確認していたものの、再度人がいないことを確認し、少年はその建物に入った。

中は暗く人の気配もない。酒屋だというのにテーブルと椅子が適当に放置されているだけで、壁に誂えられた棚には申し訳程度に埃の被った酒瓶が放置されていた。カウンターの上に無造作に置かれた三個のグラスだけが、最近使われたらしく綺麗なままだ。視界の端で鼠が走り去るのを確認し、少年は遠慮なく声を出した。


「おーい、客が来たらとっとと出て来いよ」

「お前が客ってタマか、小僧」


文句を垂れつつ奥から出て来たのは腰の曲がった小さな老人だった。ぼさぼさの白髪をそのままに、服もどれほど着替えていないのか問い詰めたくなるほど小汚い。少年は気にした様子なく、楽し気に笑い「客だろ」とカウンターに腰かける。

差し出されたグラスを受け取り一口飲んだ少年は顔を顰めた。


「レモネードかよ」

「酒は成人後に取っとけ」

「ガキ扱いすンならもっとマシな仕事寄越せよな」


少年は唇を尖らせて文句を垂れる。老人は白い片眉を器用に上げて、心外だと言わんばかりだった。


「随分と(マシ)な仕事ばっかだろうが」

「監視なんざ(ヒマ)であって楽しい(マシな)仕事じゃねえよ」


物騒な、と老人はほとほと呆れた表情で首を振る。しかし気にした様子もなく、少年はローブの下から一通の封書を取り出した。


「で、これ、報告書」


老人は封書を受け取ると、中身を改めもせず懐に突っ込んだ。くしゃりと皺が寄るが気にしない。カウンターの下から取り出したウイスキーをグラスに注ぐと一気に煽り、「それで?」と尋ねた。


「お前にしちゃあ珍しいじゃねえか。分家は随分とお冠だったらしいぞ、報告が遅いってな」

「仕方ねェだろ」


鼻白んだ少年はレモネードもう一杯寄越せとグラスを差し出す。老人は面倒臭そうに、レモネードの入った大瓶を乱暴にカウンターの上に置いた。少年は大瓶からレモネードをグラスに注ぐ。


「随分と面倒な仕事だったんだ。とっとと仕事しろって言うなら俺の仕事にしてくれりゃ一発だったぜ。お偉方のやることはまだるっこしい上に美学がねェよ」

「お前の仕事は()()すぎる」

「大人しい方が良いなら、ある程度までなら注文も受け付けるぜ」


邪魔はさせねェけどな、と告げてにんまりとレモネードを飲む少年は一見したところ、どこにでも居る少年にしか見えない。だが、その本性を良く知る老人は苦い顔になった。


「――ある程度は大人しくしてろ、次こそは首輪付けられるぞ」

「俺に首輪付けられる奴が本当にいるなら、その時は膝ついてやっても良いぜ」


本心とも冗談とも取れる口調で少年は嘯く。老人は鼻を鳴らした。彼の知る限り、少年に紐をつけられる人間など皆無だ。そして少年もそれを自覚しているからこそ、不遜な台詞を臆面もなく吐く。彼は年若い頃にありがちな過信が一切ない。できると言えばできるし、できないと判断すればできないのだ――ただし、“できない”と彼が言った場面を老人は一度も見たことがない。


「次の仕事だ」


老人は少年に紙切れを一枚渡す。受け取った少年は紙に魔力を流し、浮き出た文字を一瞥した。


「本家かよ、面倒だな」

「引く手数多だな」

「ジジイ共にモテても嬉しくねぇよ」


少年は顔を顰め、指示内容が書かれた紙を魔術で燃やす。老人は酒を一口飲んで唇を湿らせた。


「それで? 今回は収穫ありか」

「いや、なァんにも。魔物襲撃(スタンピード)はあっさり消えちまったが、聖魔導士もいねェ街で消えた理由は不明。仕掛けがお粗末だったんじゃねェ?」


楽し気な、それでいて嘲弄を含んだ少年の声音とは対照的に、老人の顔は更に苦虫を嚙み潰したようになる。横目でそれを鑑賞しながら、少年はレモネードを煽った。


「だから言っただろ、まだるっこしい上に美学(いみ)がねェってよ」


少年はにやりと笑う。そして「ごっそさん」と一言を残して酒屋を立ち去る。老人は少年の背中を見送り、溜息を吐くと窓から烏を放つ。少年は街の外れにある森に向かいながら、空に飛び立つ烏を見上げた。

楽し気な笑いが、少年の唇を彩る。


「――――せっかく面白い獲物を見つけたんだ、俺の楽しみを奪ってくれるなよ」


滅多に出くわさない上物の玩具を、盗られるわけにはいかない。

だから、彼は老人にも、()()への手紙にも書いていない――――最高位の光魔術を使った、その存在を。



4-2

8-3

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