58. 未来への一手 1
ライリーたちがニクラス・パウマンという男に連れて来られたのは、ヴェルクの高級住宅街の一角だった。ヴェルク領主邸とも張るほどの豪華絢爛な見た目は、明らかにヴェルク領主よりも上位の者――即ち皇族の持ち物だと分かるほどのものである。
さすがにここまで来ると、警戒していたオースティンやクライドも納得せざるを得なかった。間違いなくニクラス・パウマンはイーディス皇女の部下であり、彼女の意志を汲んで動いているのだろう。
案内された居間のソファーに腰掛け、ライリーたちは館の主を待つ。追手と闘い逃げていたせいで、高価なソファーが汚れはしないかと思ったが、全く気にした様子のないニクラス・パウマンの対応に、ライリーたちは大人しく甘えることにした。
館の主人であるはずのイーディスは中々姿を現わさなかったが、誰一人として口を開かない。この場で一番騒ぎ出しそうなベラスタは、魔力枯渇で意識を失ったままぐったりとして動かなかった。それでも穏やかに胸が上下しているのを見る限り、状態は良さそうだ。ただ寝ているだけだと言われても納得できる。
そうしてどれほど経過したか、ゆっくりと扉が開くと、美しく着飾った少女が現れた。ライリーやオースティン、そしてクライドは目を瞬かせる。最後に会った時よりも随分と成長し、面立ちも落ち着きを持つ女性の卵へと変化していた。
「――お久ぶりですわね、スリベグランディア王国王太子殿下」
にこやかに、そして静かにイーディスが告げる。ライリーも如才なく笑みを浮かべ、すぐに立ち上がるとイーディスに礼を取って見せた。
「こちらこそご無沙汰しております、皇女殿下」
「まあご丁寧に。皆さまも、楽になさって」
鈴が転がるような声で笑いながら、イーディスは空いていた席に座る。多少の戸惑いを見せながらも、エミリアもオースティンに促されるがまま末席に腰を下ろした。しかしさすがに緊張を隠せない。男爵家の娘でしかないエミリアにとって、皇女、王太子、高位貴族ばかりが揃うこの席はあまりにも場違いだとしか思えなかった。ライリーやオースティン、クライドは長く行動を共にしたため、気安いとまでは言えなくとも仲間のような存在に近づいて来はしたが、それを差し引けば雲の上の存在でしかない。
「あら、初めて見る顔があるわね――二つほど?」
イーディスが小首を傾げる。ライリーは小さく笑みを浮かべると、淡々と紹介を口にする。
「そうですね、お招きいただいたにも関わらずこちらの紹介がまだでした。こちらの二人、クライドとオースティンは既にご存知かと思います。こちらはネイビー男爵のご令嬢エミリア嬢、こちらは――今は気絶しておりますが、ベラスタ・ドラコ。我が王国が誇る魔導士一門の子息です」
「そうでしたのね。お会い出来て嬉しいわ」
にこりと笑みを見せたイーディスに、エミリアは緊張に満ちた表情でがちがちになりながらゆっくりと頭を下げた。
「よ、宜しくお願い申し上げます」
「硬くならなくて宜しくてよ。私も以前はそちらの国で随分と恥ずかしいことを仕出かしましたもの、気にしませんわ」
え、と声を上げそうになったのを、エミリアは慌てて抑える。イーディスは気にした様子なく、楽し気な表情のままだったが、ふと心配そうな顔になり視線をぐったりとしたベラスタに向ける。
「それで、その方は? 怪我でもなさったの?」
「怪我はしてないはずですが、少々大きな魔術を使ったので」
「まあ。魔力が枯渇したのね」
淡々と答えたライリーの言葉に、イーディスは納得したように頷いた。
魔力枯渇という状態をそれほど頻繁に見ているわけではないはずだ。だが、ライリーやオースティンたちほど衣服が乱れているわけでもないのに、気絶しているベラスタに違和感を覚えていたのだろう。
ライリーは横目でベラスタを一瞥する。幸いにも、青白かった顔には多少、血の気を取り戻していた。意識を取り戻すのも時間の問題に違いない。
しかし――と、ライリーは改めて目の前の少女をそれとなく観察する。まじまじと見つめては失礼にあたるが、それでも考えずには居られなかった。
何故彼女が、ライリーたちにとっては一番都合の良い頃合いに手を差し伸べて来たのか――それが不思議だ。
確かにローランドはイーディスもヴェルクに来ているとは言っていたが、それは彼女が一年に一度しか開かれない舞台を見に来たからだと話していた。
胡乱な目のライリーたちに気が付いたのか、それともそれほど隠すつもりもなかったのか、イーディスは視線をベラスタから外すと再びどこか楽し気な表情を浮かべる。
「皆さま、今は叔父様に追われているのでしょう?」
叔父様――と言われて、ライリーたちは直ぐにそれが誰を意味することなのか理解した。皇族は多いものの、今この時機にこの場所でイーディスが言う“叔父様”とは、ライリーたちを追跡していたコンラート・ヘルツベルク大公のことに違いない。
イーディスはライリーたちの返答を聞くこともなく、更に弾むような口調で続けた。
「お兄様は私に何もお話にならないけれど、私もそれほど愚かではないの。叔父様は私のような、取るに足らない小娘には口が軽くなりますのよ」
うふふ、と彼女は目を細める。話の筋が見えずに目を眇めたライリーは、無言で話の続きを促した。
イーディスはにこにこと笑みを浮かべながら、わずかに前のめりになる。
「叔父様が闇闘技場に足を運ばれていることは、私がお兄様にお教えしましたの。叔父様が戦闘好きなのはご存知でしょう? 戦場に行っていない時もいつも戦っていらっしゃるのよ。そして不思議なことに、いつもどこからとなく兵士を連れていらっしゃるの。訓練を積んだ方も、まるきり素人の方も、両方。ただ共通していることは、間違いなく戦いの才に溢れた方ばかりということでしたわ」
そして、イーディスは――幼い頃は何も考えず周囲の甘言をそのまま信じ込んでいた彼女は、成長した今もその仮面をかぶっている。ただ月日を経て変わったことは、今のイーディスは愚かな仮面の下で、常に情報を取捨選択し、次にどのような行動を取れば良いか冷静に考えるようになったという点だった。
とはいえ、幼い頃から考えないことに慣れすぎた彼女にとって思考は未だに苦手だ。恐らく性格もあるのだろうが、込み入った内容であればあるほど、何を考えれば良いのか道筋すら分からなくなる。そのような時は、イーディスに様々なことを教えてくれたブロムベルク公爵夫人ヘンリエッタや兄のローランドに相談を持ち掛ける。
「ですから、どこでそのような方を見つけるのか窺ってみましたの。そうしたら、色々だが一番はヴェルクだと、そう仰るものですから」
間違いなくヴェルクの闇闘技場のことだと、イーディスからその話を聞いたローランドは確信した。
存分に暴れられる場所を求め、残虐な嗜好を満たす場所を求めていることも理由だろうが、もう一つの実利的な理由は使えそうな駒の選定だ。
「今回の計画について、お兄様は何も仰っておられませんでしたの。私のことは極力巻き込みたくないとお考えなのね。でも、私、ヘンリエッタ夫人からこっそり耳打ちされましたのよ」
こっそりと秘密を打ち明けるように、イーディスは声を潜める。その様子は秘密基地を作ったと仲の良い友人に囁く、子供のようだった。
「そこまで詳細な計画は聞いておりませんでしたけれど、騎士隊が動いたとニクラスから報告がありましたの。ヴェルク領主程度では、叔父様のような権力者を拘束できるはずもありませんわ。それに、殿下方が叔父様と身分を隠して戦えば、きっと叔父様は殿下方を欲しくなるに違いありませんもの」
それでも、当初の予定ではもう少しヘルツベルク大公は足止めされる予定だったのだ。それが、あっという間に検問所に協力者が置かれ、そしてライリーたちは追い詰められた。あの時検問所にライリーたちを知る者が居なければ、少なくとも大公たちに追いつかれることなくヴェルクを離れられていたはずだった。ローランドを含めて立てた計画は、多少綱渡りではあったが、大公と追手を足止めしている間に逃走することだった。
「お兄様は掴んでいなかったのですけれど――お兄様が皇都を発たれた後に、どうやら叔父様が“北の移民”の外交官を連れて行かれたと聞きましたの」
「“北の移民”の外交官?」
予想外の人物に、ライリーたちは目を瞬かせた。イーディスは「ええ」と頷く。
「そうですわ。オルヴァー・オーケセンという者ですの。“北の移民”が皇国で増えておりますけれど、大部分は貧民のような扱いなのです。ですから、その地位向上をして欲しいのですって。それから北の方で国同士の諍いが増えているから、彼の出身国である北連合国の後ろ盾になって欲しいと言うのですわ」
だが、ユナティアン皇国にとって北方にある国々は取るに足らない存在だ。大して力もなく、産出できる鉱物も大してない。征服したり影響力を持ったところで、金だけが掛かってしまう。
そのため、オルヴァー・オーケセンという外交官は苦戦を強いられていた。そこに声を掛けたのが、ヘルツベルク大公だった。大公の部下には“北の移民”ばかりを集めた部隊がある。皇国に居る他の貴族たちとは全く異なり、ヘルツベルク大公は“北の移民”を高く買っていた。
「ですから、オルヴァー・オーケセンは叔父様に協力を願い出たのです。叔父様は快諾なさいましたわ。勿論、良心からでないことは明らかですわね。間違いなく“北の移民”をうまく使おうと考えているのです。叔父様の部下になった“北の移民”は、我が国にいる他の“北の移民”と比べると多少は良い暮らしが出来ておりますけれど――平民の兵士と比べると、まるで家畜のような扱いですもの」
「なるほど、ですが他に適任もなくオルヴァーは大公に頼る他なかったということですね」
「そういうことですわ」
自信満々に頷いたイーディスは一旦言葉を切り、少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「――といっても、当然この情報を集めたのは私ではありませんのよ。ニクラスが集めてくれたのです。元々お兄様が雇った護衛だったのですけれど、護衛とは思えないほどの働きをしてくれていますわ」
「優秀な方は主を選ぶと言いますから、皇女殿下の御人柄故でしょうね」
ライリーが優しく告げると、イーディスは嬉しそうに笑んで視線を壁際のニクラスに向ける。ニクラスは一切表情を変えず、感謝を述べるように小さく一礼する。
そんな二人を眺めていたエミリアは、何かに気が付いたように目を瞠り頬を緩める。イーディスがニクラスに一方ならぬ思いを抱いているのは、エミリアの目には明らかだった。
しかし、ライリーは感情の機微に気が付く余裕はない。彼の脳裏を席捲していたのはイーディスの話に出て来た“北の移民”の外交官オルヴァーが、もしかしたらジルドの仲間ではないか――という疑念だった。
もしそうならば、オルヴァーは異能力の持ち主だ。そしてその異能力は、魔力を感知し人物を特定するものなのかもしれない。異能力にどのような種類があるのか詳しくはないが、そう考えるとオースティンの正体が直ぐに特定された理由も分かる。
恐らくオルヴァーは闇闘技場の現場に居たのだろう。
一方、ヘルツベルク大公もほぼ間違いなく“北の移民”が持つ特異的な能力に気が付いている。彼は戦闘能力に長けた“北の移民”ばかりを集めて一つの戦力としているに違いない。そうなると、一般的な戦闘のように武器と兵士の数だけで戦力を量ることはできなくなる。
「お兄様が失敗するとは到底思わなかったのですけれど、でも何事にも例外というものはありますでしょ? それに、予測できない事態というのもありますわ。ですから、私がヴェルクに来ることで何かお役に立てることもあるかもしれないと、そう思いましたの」
だからイーディスは、舞台を見るためと称してヴェルクに来た。滞在期間が闇闘技場の開催期間と重なっていたのは偶然だ。
そして、実際にライリーたちは危機に陥った。ヘルツベルク大公たちはライリーたちが想定していたよりも早い段階で闇闘技場から脱出した。大公たちの脱出を手助けしたのは、配下の“北の移民”だったのかもしれない。その点を確認する術はないが、いずれにしてもライリーたちは一歩間違えれば大公の手に落ちていた。
イーディスの言葉に考え込んでいたライリーは、逡巡していた。できれば目の前の少女は巻き込みたくない。しかし他に最善策はないように思えた。
そしてイーディスは、ライリーに一つ提案する。
「きっと、殿下方を見失った叔父様は一度、私のところに来ますわ。お兄様を問い詰めても答えは出ないでしょうけれど、きっと私なら何か不用意な発言をするのではないかと、思っていると思いますの」
にっこりと、イーディスは笑みを浮かべた。
「当然、私は殿下方を叔父様に売り渡すような真似は致しませんわ。皆さまは、少々ご不便ではありましょうが、この屋敷に隠れて頂ければと思います。叔父様の相手は私が致しますから、その間に疲れを癒してくださいな」
イーディスの申し出は、ライリーたちにとっては願ってもないことだった。イーディスの館に滞在させて貰えるのであれば、その間にベラスタやエミリアの魔力は回復するだろうし、ライリーやオースティン、そしてクライドは今後の計画を練り直せる。
そしてイーディスは更に追加で言葉を紡いだ。
「それから、私は皇都に戻ります。方角は逆になりますけれど、その時に私の一行に紛れてヴェルクを出て、その後王国へ向かわれては如何でしょう?」
上手くイーディスがヘルツベルク大公の追及を誤魔化せたとしても、検問所の警戒が緩くなっているとは限らない。ライリーたちが何人で行動しているのかも既に把握されているのだから、怪しまれる可能性は高いだろう。
だが、イーディスの一行に加わってしまえば話は別だ。さすがに皇族の連れている人員を一人一人疑ってかかることはできない。
「それならば、ついでにもう一つお願いがあるのですが」
ライリーは、不躾だとは承知で自分の計画を満たす駒を一つ進めることにした。
「オルヴァーという男だけを、大公から引き離せないでしょうか?」
オルヴァーがジルドの仲間なのならば、ライリーたちの味方に引き入れることで王国の戦力を確保できる。それだけでなく、彼が大公への協力をやめれば誰も変装したライリーたちの正体を見破れない。
ただ問題は、オルヴァーを大公から引き離そうとするイーディスに大公が疑惑を持つことだった。もし大公がイーディスを疑えば、彼女の身に危険が迫る可能性がある。
イーディスは目を瞬かせた。ライリーの言葉を直ぐには理解できなかったらしい。きょとんとした彼女を見て動いたのは、これまで沈黙を貫いていたニクラスだった。
26-9:オルヴァー・オーケセン初出









