57. 過去と現在の邂逅 6
スリベグランディア王国の王都ヒュドールは、貴族たちの住まう区画と平民の住まう場所に分かれているが、平民の区画は更に農民や商人の住宅街、そして店が集まる問屋街といった具合に細分化されていた。その中の一角、店が軒を連ねる場所の片隅に、こぢんまりとした小さな細工師の店があった。
周囲から埋没するような趣だが、腕の良い職人だと近所では甚く評判だった。そのため、小さな店であるにも関わらず客はひっきりなしに訪れ、細工師も常に仕事にかかりきりになっている。
今の店主は先代の息子で、職人気質だった父とは違い商売人としての顔も持っていた。ただその腕は父から受け継がれており、仕事の質を気に入ってくれている客が離れていくことはない。
その日も、店主は椅子に腰かけ背を丸めて、持ち込まれたばかりの宝飾品を修理していた。ふと、扉が開く音がして店主は顔を上げる。扉から入って来たのは、見慣れない女性だった。女性というよりも少女から大人の女性へと変わる途中と言える程度の年頃だ。恐らく十五、六歳程度だろう。手には書類を入れるような鞄を持っていた。少女の雰囲気とはだいぶ食い違う持ち物である。
店主は椅子から立ち上がると、他の客に対するのと同じように声を掛けた。
「いらっしゃいませ。今日はどのような御用で?」
だが、訝し気な表情を隠せない。
初めて見る客は仕立ての良い服を着ている。美しく手入れされた銀髪に、煌めく薄緑色の瞳は明らかに良いところの令嬢なのだろうが、それにしては供の一人も付けていない。その上、お忍びのような服装でもないことが解せなかった。
店主の胡乱な視線に気が付いていないわけでもないはずだが、客である少女は穏やかに口を開いた。
「申し訳ないのだけれど、貴方の本職に用があるわけではないの。わたくしは貴方の記憶を買いたくてこちらへ伺ったのです」
少女の言葉に、店主は更に眉根を寄せる。面倒な臭いがぷんぷんとするが、しがない商人兼職人である彼は貴族に逆らえるほどの胆力はない。父であればすげなく追い返したのだろうなと思いながら、店主は小さく息を吐いて頷いた。
「勿論、協力するにやぶさかではありませんよ。あまり記憶力は良くないのでね、どこまで覚えているか自信はありませんが」
だから、彼が口にしたのは辛うじてはぐらかす言葉だった。他愛のない問いであれば良いが、もし人の一生を左右するような理由が目の前の少女にあるのならば、客を危険に晒すことはできない。
しかし、少女は全く臆することなく、寧ろ楽し気に「勿論、その通りですわね」と頷いてみせた。
「でも、大したことではございませんのよ。以前、兄が貴方の元へ使用人のことで伺ったと思うのです」
「――兄?」
「ええ、そうです。行方不明になった使用人の行方を知りたいと、兄が伺いましたでしょう? その時にこちらに預けられていた腕輪を、兄が持ち帰ったと思うのです」
そこで、ようやく店主はピンと来た。
確かに記憶がある。その時、尋ねてきた人物に対応したのは父だった。だが、当然店主もその客のことは覚えている。まだ当時は子供で見習いというのも恥ずかしいほど雑用ばかりをさせられていた。だが、雑用をするために店に居ることが多く、客の大半とは顔見知りだった。今思えば、客との顔を繋がせておこうという父なりの考えもあったに違いない。
そして、目の前の少女が示唆しているであろう男――確かエッカルトという名だった――も、店主の記憶には残っていた。先代から代替わりして足を運ばなくなった客も、次何時来るか分からないため、店主は定期的に顔を思い出すようにしている。だが、エッカルトという男は気の良い男で、少年だった店主にも声を掛け、菓子をくれた。それほど高い菓子ではなかったが、当時の店主にとっては馳走だった。
「――そうですね、記憶にあるような、ないような」
しかし、店主は直ぐには答えなかった。まだ少女の本意が定かではない。もしかしたら、以前訪ねて来たクラーク公爵の妹だというのも、嘘でないとは言い切れなかった。
多少冷たい物言いになった自覚はあったが、少女は一切動じた様子を見せない。全く変わらぬ表情を保ったまま、言葉を重ねた。
「彼の名はエッカルトと言いますの。行方を晦ましたまま、見つかっておりませんわ。妹さんがいらして、ずっと心配なさっていました。もう既に亡くなった可能性が高いと悲しまれていらして、兄は捜索も打ち切ったのですが――わたくし、どうしても他人事とは思えなくて」
少女は悄然と目を伏せる。見目の麗しい少女にそのような態度を取られてしまえば、さすがに店主の心にも罪悪感が浮かんで来る。そして更にその罪悪感を煽るように、顔を上げた少女は儚く微笑んでいた。
「ようやく、ご本人ではないかと思う方が見つかりましたのよ。ただ困ったことに、色々とご事情がおありで、なかなかご本人だと確認が取れませんの。そのせいでご家族の元にも戻れないとか」
はっきりとしない物言いだが、店主は薄々その“事情”を悟った。
人生には様々なことがある。それまで真面目に生きて来た人間でも、ふとした拍子に足を取られ、日の下で生活ができなくなった者を何度か見て来た。
大方、そのエッカルトという男もその類に違いないと店主は理解した。公爵家の使用人として働いていたにも関わらず失踪するしかなかったということは、何かしら自分ではどうにもならない禍に巻き込まれたということだろう。
しかし、平民が抵抗できない悪にも、貴族であれば立ち向かえることがある。それだけの権力と財力を、貴族たちは有していた。
「でも、お互いを思いやっていらっしゃるご兄妹ですもの、一生会えないなど悲劇でしょう? ですから、まずはご本人かどうか確認して、お二人が何の気兼ねもなく会えるようにしたいと思っておりますのよ」
ご協力いただけるかしら、と首を傾げた少女に、店主は頷く。多少の違和感は残っていたが、家族を再び会えるようにしたいという少女の言葉に店主の心は動いた。
「勿論、そういうお話でしたら是非協力させて頂ければと思いますよ」
「まあ、良かった」
少女は、それはそれは嬉しそうに笑みを浮かべる。
そして、手にしていた書類入れから二枚の紙を取り出し、店主に差し出した。店主は受け取ると、紙を広げる。そこには恐らく玄人に描かせたのだろう似顔絵が、各用紙一人ずつ描かれていた。
「そのお二方のうち、どちらかがエッカルトでしたら宜しいのですが」
困ったような表情で、少女が呟く。店主は僅かに目を瞠っていた。
エッカルトという男が腕輪を預けに来たのは随分と前の話だ。しかし、男は年を取ることを忘れているようだった。
「こちらの男です」
店主は迷わずに一枚を指す。それを聞いた少女の目が一瞬鋭くなった気がしたが、次の瞬間には少女は花が綻ぶような笑顔を浮かべていた。
「まあ、それは良かった。これで憂いが晴れますわ」
「お役に立てたなら良かったです」
少女の言葉に、店主はほっとする。きっとこれでエッカルトと彼の妹は再び会えるに違いないと、店主は少女の様子に確信を持った。
店主が差し出した紙を受け取った少女は、二枚の紙を鞄に戻す。そして、改めて店主に礼を述べた。
「ご協力、感謝いたしますわ。大したものではございませんけれど、ほんの気持ちとしてお受け取りください」
そして差し出されたのは、掌ほどの大きさの袋だった。ずっしりとした感触に思わず中を確かめようとする。店主が袋を開けるより一足早く、少女は店を出て行った。
「え――!?」
店主は絶句する。袋に入っていたのは、彼が半年かけてようやく稼げるだけの貨幣だった。さすがに多すぎると、慌てて店主は店の外に出る。しかし、既にその時少女の姿はどこにもなかった。
*****
自室に戻ったリリアナは、先ほどまで浮かべていた笑みは何処へやら、強張った表情を浮かべていた。
つい先ほどまで彼女が居たのは、王都の一角にあるとある細工師の店だった。以前兄のクライドがその店を訪れ、クラーク公爵家の使用人だったエッカルトという男について調査をしていた。
「まさかの方でしたわね」
誰にも聞かれていないと承知しているリリアナは、小さく呟く。
店主にはエッカルトの行方を妹のために探し求めていたという体を取ったが、実際のリリアナは一切捜索などしていなかった。クライドも当然、調査などしていない。遺品となるであろう腕輪を妹のアニーに手渡して終わりである。
唐突に行方を晦ました平民の調査など、その程度のものだ。クライドが違和感を持たなければ、エッカルトの行方自体捜査されず、そして細工師の元に預けられた腕輪もそのまま店の片隅で埃をかぶったまま忘れ去られていただろう。
ソファーに腰掛けたリリアナは、何気なく手元の書類入れに目を向ける。リリアナは、普段は殆ど表情を変えない。たいていは微笑を浮かべているだけだ。感情に慣れないリリアナは、相手に感情を読み取らせないという貴族の姿勢を免罪符に、常に穏やかな心と態度を保つよう心掛けていた。
だからこそ、たとえ店主を欺くための擬態とはいえ表情に変化を持たせるのは疲労が溜まる。
だが、それと同時に店主の答えはリリアナの心へ多かれ少なかれ衝撃を与えていた。
「もう一人の方なら、まだ納得は出来たのですけれど――此方でしたか」
リリアナが用意した似顔絵は、リリアナの見たものをそのまま魔術で書き起こしたものだった。一人は既に死に、もう一人はまだ生きている人物だ。
溜息混じりに、リリアナは二枚の絵を魔術で消滅させる。
リリアナが訪ねた細工師は、エッカルトと聞いて生きている人物を指し示した――死んだ人物がエッカルトだと言われたらまだ納得出来たものを、エッカルトが生きているのだとしたら話は複雑になる。過去の亡霊が、未だにこの地上を彷徨っているのだ。
「それにしても、細工師は全く迷っておりませんでしたわね。だいぶ時間が経っているはずですけれど――顔が変わっていないのかしら」
一人ぼやくように呟きながらも、リリアナの頭は素早く回転していた。とはいえ、睡眠不足が祟ってどこか精彩は欠いている。
エッカルトだと、細工師が示した似顔絵――そこに描かれていた男は、今は当然のことながら“エッカルト”とは名乗っていない。
今の彼はフィリップと呼ばれ、クラーク公爵家の執事として働いていた。
36-6
37-4









