57. 過去と現在の邂逅 2
ヴェルクから外に出るためには、検問を通過しなければならない。昼間は開いている検問所も多いが、夜間になれば数が減る。ライリー一行は、闇闘技場から脱出して合流した後、早々にヴェルクを離れるために検問所の一つに向かっていた。
「無事に出られると良いな」
オースティンがそっとライリーに声を掛ける。どことなく一行には緊張感が漂っていたが、間違いなくヴェルクから遠く離れなけば安心はできないだろう。
尤も、破魔の剣がある以上、警戒は怠れない。いつコンラート・ヘルツベルク大公からの追手がかかるかも分からないし、帰国した後も大公派と対決することになる。
しかし、ライリーたちは闇闘技場を後にしてから早々に合流し、朝日が昇り切るのを待たずに検問所へと向かった。仮に大公が、剣がすり替えられたことに気が付いて追手を仕掛けて来たとしても、ぎりぎりライリーたちの方が早く検問所を抜け出せるはずだ。そのために、偽の剣だと気付かれないよう細工を施した。
「そうだね。普通に考えたら追手は直ぐには来られないだろうし、大丈夫だとは思うんだけど」
ライリーは歯切れが悪い。それも当然で、検問所に近づくにつれて物々しい雰囲気が漂い始めていた。ライリーたちがヴェルクに来た時とは様子が違う。
「何かあったのか?」
オースティンもまたライリーと同じものに気が付いていたようで、眉根を寄せた。仮にライリーたちを探してのことではなくとも、厳しく調査されるようであれば時間が掛かってしまう。そして万が一、何らかの理由をこじつけて勾留でもされてしまえば一巻の終わりだ。
「いざとなれば馬車を捨てて逃げた方が良いだろうね」
「おう。ベラスタが心配だが、逃げるだけならどうにかできるだろうしな」
ライリーがオースティンの耳に囁くと、オースティンは馬の歩調を緩め、馬車に近づく。馬車の中に居るエミリアとベラスタに、検問所の様子が妙だと告げるためだった。
二人の会話を無言で聞いていたクライドもまた、馬上で僅かに目を細め考え込んでいる。
幸いにもクライドが連れて来た護衛二人は優秀だから、ライリーたちに後れを取ることはないだろう。問題はやはりオースティンの言う通り、ベラスタだった。エミリアもライリーやオースティンには劣るが、体力、技術共に十分実戦を張れる水準だ。
「殿下。もしよろしければ、先に様子を窺いに行くのは如何ですか」
暫く考えていたクライドがライリーに問う。ライリーはわずかに首を傾げてクライドを見た。問うような視線に、クライドは更に説明を付け加える。
「何故警戒を強めているのか、その理由が分かるかもしれません。内容によっては、検問所を通らずしてヴェルクを発つ必要もあるでしょう」
しかしライリーは直ぐには頷かなかった。クライドの案は、ライリーも一人考えていた。だが偵察に向かせた場合、偵察者が危険に晒される可能性がある。特に検問所の人間に怪しまれてしまえば終わりだ。そして偵察者が捕らわれた場合、残りの者はさっさとその場から退散し、別の退路から逃走するのが定石である。つまり偵察者は得てして切り捨てられる存在だ。
今、ライリーたちは必要最小限の人数でしかない。一人でも欠けてしまえば今後の道程にも不都合だし、なにより逃走のために仲間を犠牲にするなどライリーの矜持が許さなかった。
とはいえ、このまま全員で検問所に望んだとしても、敵に追われ捕らわれたり散り散りになってしまう可能性はある。
「偵察を自分たちで行わない方法はないかな。町人を使うか、魔道具や魔術を使うことも考慮しても良い」
考えた結果、ライリーが口にしたのは代替手段を用いることだった。クライドは一瞬目を丸くしたが、再び考え込む。
「町人を使うことは――さすがに怪しまれる可能性があります。検問所の衛兵に密告されてしまえば、何食わぬ顔をして検問所へ向かう時以上に怪しまれることになってしまう」
「確かにそうだね。それなら、残るは魔術か魔道具を使って探れるかどうか、か」
それならば本職は間違いなくベラスタだ。馬車から離れて戻って来ようとしていたオースティンに視線を向けると、彼は片眉を上げた。首を傾げたオースティンに、クライドが近づき簡単に説明する。するとオースティンは眉間に皺を寄せた。
一体どうしたのかとライリーが首を傾げれば、クライドが溜息を吐きつつライリーの側に寄る。そして、声を低めて告げた。
「検問所には魔術と呪術探知の陣が張られているようです。町に入る時、ベラスタが見たと」
どうやら既にオースティンが同じことを考え、ベラスタに確認していたらしい。
つまり様子を探るべく魔術や魔道具を使えば、検問所の人間に気付かれてしまうということだ。やはりこれも町人を通じて情報を得ようとするのと同様、危険性が高い。
時間があれば近くに潜伏して様子を見ながら脱出方法を考えるところだが、なにぶん相手は皇族に連なる者だ。ローランドという協力者を得ているとはいえ、ローランドに甘え続けるわけにもいかない。特に今、ユナティアン皇国の皇族は皇位継承争いで複雑な立場にいる。ローランドもライリーたちを守るために自身の地盤を揺らがすつもりはないだろう。
「やはり、誰かが偵察しに行くしかないみたいだね」
ライリーは諦めたように肩を竦めた。気乗りはしないが、他に方法はない。そして、その結論を聞いて反応したのはオースティンだった。
「それならその偵察には俺が行く」
「オースティン?」
目を瞬かせたのはクライドだった。ライリーは予想していたのか、静かに幼馴染の顔を見つめている。クライドは一瞬口を開きかけたが、ライリーを見て落ち着きを取り戻した。
「護衛に行かせればと考えていたのですが――確かに、オースティンが適任かもしれませんね」
納得したようにクライドが頷く。ライリーは何も言わなかったが、オースティンは不敵な笑みを浮かべた。
「だろ。俺は魔導騎士だぜ。さっきクライドに転移陣も貰ったから、捕まりそうになったらとっとと戻って来る。俺なら合流してとっととズラかるのも問題ない」
オースティンはひらりと掌大の転移陣を見せた。小さいものだが、検問所からライリーたちの居る場所まで戻るだけならば問題のない大きさだ。そしてオースティンの言う通り、偵察を護衛二人に任せてしまえば護衛二人は逃げられない可能性がある。その点、オースティン一人であれば魔術と剣術を駆使して追手から逃れ、ライリーたちの元に戻って来られるだろう。
納得したものの、クライドは眉根を寄せてオースティンに苦言を呈した。
「オースティン、仮にも公爵家の子息なのですから、そのような物言いは止めた方が良いですよ」
「騎士団にいると、意外とこれくらい崩した方が馴染みやすかったりするんだよ」
冷え冷えとしたクライドの声音には大人であろうと背筋が寒くなるものだが、長年の付き合いのあるオースティンは一切気に止めない。肩を竦めてあっさり言い返すと、オースティンはライリーに視線を向けた。
「てことで、俺が行って来る。良いな?」
確認の形を取りながらも、その実は念を押しているだけだ。さすがにライリーも苦笑した。
「そうだね。オースティンが適任だ。任せるよ」
「任されたぞ」
楽し気にオースティンは笑みを零す。自分が偵察には適任だと言う自負があったのは勿論だが、もう一つ、オースティンには理由があった。
闇闘技場ではライリーだけでなくオースティンも剣闘士として戦ったものの、対戦相手が骨のない者ばかりだったのだ。ヘルツベルク大公を相手にすることになれば話は違ったが、結局大公の相手はライリーだった。つまり、暴れ足りなかったのだ。
当然、オースティンは戦闘狂ではない。しかし、存分に暴れ回ると決めて臨んだ場で一、二割程度の力しか出せなかったというのは、いささか気が削がれた。
勿論偵察で暴れる気はない。何食わぬ表情で行って戻って来ることが肝心だ。しかし、万が一があったとしてもオースティンは動じないだろう。寧ろ喜々として衛兵たちを翻弄し、ライリーたちの元に戻るに違いない。
ライリーとクライドは、そんなオースティンの本音に薄々勘付いたのか、わずかに苦笑を零した。しかしそれ以上言うことはない。手短にライリーたちが隠れる場所とオースティンの行動、問題ないと判断する場合と逃走すべき場合の判断等を簡単に取り決めた。
「逃走経路については事前に相談した通りで問題ないはずです。ただ、こちらには地の利がないのが痛いですね」
真剣な表情で、クライドは苦く呟いた。
事前にヴェルクの地図を読み込み、複数の逃走経路は把握している。しかし、隠し通路や非常に狭い裏道は地図にも書かれていない。それにローランドも全てを知っているわけではなかった。
つまり、追手がヴェルクの衛兵である以上、ライリーたちの勝機は殆どないのだ。しかし、オースティンは呆気らかんとしたものだった。
「そこはどうにか頑張るしかないだろ。確かに向こうは地の利があるけど、こっちは少数精鋭だ」
にやりと笑みを浮かべたオースティンを見て、クライドはどこか呆れた表情になる。昔から、オースティンは楽観的なところがあり、そしてクライドは細かい点に目を付ける傾向があった。そのため頻繁に言い合いになる。そして、二人の言い分を聞いて宥めるのがライリーの役割だった。
「悩んでいても仕方がない。時間だけが徒に過ぎていくだけだからね。一旦、偵察を頼めるかな、オースティン」
「当然だろ。行って来る」
全く気負う様子もなくオースティンは頷くと、踵を返す。その間に、ライリーたちは馬車を一旦置き去り、馬だけを持って身を潜めることにした。
ただ逃走するとなると、ヴェルクの町中へと行かなければならない。逃走経路によっては馬も捨てて徒歩で逃げる必要があった。さすがに馬では小回りが利かない。
これが他の町であれば、ライリーたちは馬を手放さないと決めただろう。しかしヴェルクの町を取り囲む壁は高く、馬では飛び越えられないほどだった。
そのため、逃走する場合は一旦馬を手放した方が良いという結論になった。今後のことを考えると馬があった方が良いが、一番重要なのは捕まらないことだ。
馬車から降りて来たエミリアとベラスタも、さすがに緊張した面持ちを隠せない。特にベラスタは魔道具を一抱え持っている。本当であればベラスタには荷物を持たさずに身軽にさせておいた方が良いのだろうが、もし戦闘になった場合はライリーたちの方が身軽であった方が良い。魔術陣を使って本来の大きさの半分以下にしているようだが、それでも荒事に慣れていないベラスタは荷物の分、動きが鈍るだろう。いざとなれば荷物を捨てるように言っているが、魔道具に思い入れのあるベラスタが思い切りよく荷物を捨てられるとは思えない。
「オースティン、大丈夫かな」
ベラスタがそう呟きながら、緊張した面持ちで手の中の魔道具を睨む。その魔道具は、ライリーとオースティンが闇闘技場に潜入した時に着けていた耳飾りだった。オースティンからの連絡は、この魔道具を通じて届けられる。
エミリアもまた緊張した面持ちで、ベラスタの持つ魔道具を凝視していた。
一方、ライリーやクライド、そして護衛は周囲に気を配っていた。検問所の衛兵の他に、ライリーたちを探している人物が居ればそれもまた警戒対象だ。
そして暫く時間が経過した後、ベラスタが握った魔道具から低い声が流れ出る。
『――最悪だ。予定は変更』
息切れと共に告げられる緊迫した言葉に、事態は最悪の方向に進んでいたのだとライリーたちは悟った。
『奴ら、“ラース”を探してる』
その言葉と同時に、魔力が動く。ライリーたちの前に転移して来たオースティンは、先ほど別れた時とは打って変わって、全身にかすり傷を負っていた。









