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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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56. フィンスタ・ヴェルク 5


ライリーに向けて丸太のような腕が振り下ろされる。まともに受ければそれだけでライリーは死んでしまっただろうが、ライリーはジーモンの動きを見切っていた。一歩横にずれてジーモンの腕を避ける。しかしジーモンも戦いに慣れた男だ。すぐさまもう一方の腕で下から殴ろうとする。そしてライリーはそれも避けた。

次々と繰り出される腕や足の動きを、ライリーは全て感知していた。死角から迫る攻撃も、空気を切る音や男の体勢、動きから敏感に察知する。いつの間にか、控え室の中はライリーとジーモンを囲むようにして大きな円が出来ていた。


「おい新入り、逃げてんじゃねえぞ!」


少ししてライリーが反撃しないことに焦れたのか、それともジーモンの攻撃が一切ライリーに当たらないことに苛立ったのか、見物していた剣闘士たちの中からそんな声が響く。どれほど攻撃しても全く当たらないどころか、戦う気すらないのではないかと思えるライリーの態度に、ジーモンもまた額に青筋を浮かべていた。


「この……ちょこまかとしやがって」


だがライリーは挑発には乗らない。今この段階で実力を示すつもりは一切なかった。この場にコンラート・ヘルツベルク大公は居ないが、彼と懇意にしている人物がいないとも限らない。仮にいた場合、事前にライリーの情報が大公に齎される可能性もある。

本来であれば男たちの注目を集める気もなかったが、一つの可能性として絡まれることもあるだろうとは考えていた。ただその相手がオースティンではなくライリーだろうとは予想していなかっただけだ。

とはいえ、冷静に考えたらそれも当然だった。幼い頃から平民や下位貴族と交流していたオースティンは、その気になれば周囲にそれなりに溶け込むことが出来る。しかしライリーはそうではない。王族として生まれたせいか、髪や目の色を変えても自然と他人の目を惹き付けてしまう。そのため、ライリーが居る場所であればオースティンは他人の目を引くことも殆どなかった。


(さて――どうしようか)


ライリーは軽々とジーモンの攻撃を避けながら考える。幸いにも体力はまだ十分にあるから試合が始まるまでずっと逃げ回ることもできるだろう。しかし、さすがにそれは面倒だ。

適当に反撃してしまうか、それとも闇闘技場の開催者側が止めに入るか、どちらが先かと思いながらライリーはジーモンの様子を窺う。苛立つあまり徐々に冷静さを失い始めたジーモンの攻撃は、どんどん粗くなっている。これであれば身体強化をしなくても相手の失敗を誘えそうだと考え始めたところで、ライリーの耳に付けた魔道具からオースティンの声が響いた。


『対応完了』


ほんのわずかにライリーの口角が上がる。ライリーが騒ぎを起こしている間に、オースティンは上手くヘルツベルク大公の居場所を特定し、破魔の剣が奪われないよう術を施した箱や腰帯を処理できたらしい。

そして同時に、ライリーとジーモンが対峙している控え室の戸口が慌ただしくなった。ライリーが僅かに視線を戸口にずらした瞬間、好機と見たジーモンが鋭い蹴りを放つ。それもあっさりと避けたライリーは、戸口から入って来た武装した男二人の姿を確認した。


「貴様ら、何をしている! 試合以外での私闘は禁止だと言っているだろう! やり合いたければ試合が終わってからにしろ!!」


武装した男二人は間違いなく闇闘技場側の人間だ。恐らく主催者が雇った傭兵だろう。腕に覚えがあるらしく、剣呑な周囲の視線も物ともしない。

その言葉を聞いたジーモンは痛烈な舌打ちを漏らし、苦々し気にライリーを睨んだまま後退した。ライリーから距離を取り、今度はじろりと二人の男を睨みつける。しかし、文句を口にすることはなかった。


「――小僧、覚えてろよ」


吐き捨てられた言葉はありふれた脅し文句だ。ライリーは小さく肩を竦めた。

覚えていろよと言うが、ライリーたちの計画が上手く進めば、このような些末事など男の方が覚えていられないだろう。

男は喧嘩の原因がライリーにあると考えたのか、一歩ライリーに近づくと乱暴に腕を掴んだ。害する目的がないと理解していたライリーは大人しく男に続く。


「お前はこっちだ。全く、余計な仕事増やすんじゃねえぞ」


苛々とぼやく男と共にライリーは部屋を出る。連れられたのは、別の場所にある控え室だった。どうやら控え室は複数あるらしい。つまり相当な人数の参加者がいるということなのだろう。


「今度は静かにしとけよ」


男に放り込まれた控え室は、先ほどとは違い陰鬱な雰囲気だった。室内をそっと見渡したライリーは内心で納得する。


(どうやらさっきの部屋は武闘で、こっちは魔術や呪術を使う人間を集めているみたいだね)


ライリーとオースティンがさきほどの部屋に入れられたのは、二人とも剣を使って戦うと申請したからだろう。

魔術や呪術を使う人間であれば、先ほどのように喧嘩にはならないと考えたのかもしれない。確かに魔導士や呪術士は表立って喧嘩をしたりする性質ではないものの、腹が立てば相手に気が付かれないよう術を掛ける程度はできるはずだ。それを考えれば、ライリーをこちらの部屋に放り込んだ主催者側の判断は甘いといえる。

ただし幸いなことに、ライリーはある程度魔術や呪術への対処法を知っていた。丸腰で放り込まれてしまえば魔導士や呪術士の餌食になった可能性もあるが、ライリーに関しては無縁だ。


(それを考えると、こちらに来たのは私で良かった)


オースティンも魔術は使えるが、防御の結界に関しては物理攻撃に特化している。一方ライリーは魔術や呪術もある程度跳ね返せるように訓練していた。

周囲に気が付かれないよう、こっそりと体を包むように結界を張る。その上で、ライリーは防音の結界も重ね掛けし、耳に付けた魔道具を介してオースティンに連絡した。


『私は別の控え室に移動した。あとで会おう』

『了解』


返事がしたことに安心し、ライリーは適当な場所に座り込む。自分の出番まであと少し、休息をとるためライリーは目を瞑った。



*****



闇闘技場の闇とは、決して裏社会や違法という意味だけを持つのではない。地下の貯水槽を活用して用意された闘技場は、昼夜問わず闇に浸食されている。剣闘士たちの試合会場となる場所は通常の蝋燭と魔術陣を組み合わせて見えやすいように照らし出されているが、客席や区切られた闘技場の隅は暗い。

その中心で、数多くの対戦相手を地面に沈めて来たライリーは一人の男と対峙していた。

コンラート・ヘルツベルク大公――今回の標的だ。彼が右手に握り締めている剣は、それ一つで妙な迫力がある。しかし、ライリーはそれほど脅威に感じなかった。

持ち手のせいなのか、それとも他の理由があるのかもしれないが、剣本来の力の半分も威力が出ていないと思える。それでも、ある程度敵の実力を見定められる人間であれば、妙な気迫を感じるのかもしれない。


(オースティンではなく、私が先に対戦することになるとはね)


闇闘技場はトーナメント方式だ。そのため、オースティンとライリーのどちらが先にヘルツベルク大公と対戦することになるのか、最初は分からなかった。

幸いにもライリーとオースティンが対戦するより先に大公と対戦することが出来ることになったわけだが、オースティンはライリーではなく自分が大公と対戦したいと考えていたようだ。

対戦している最中に事を起こすのだから、ライリーを危険から遠ざけようと考えるのであれば、当然ライリーが対戦相手にならない方が良い。しかし結局、ライリーの出場に強く反対しなかったのだから、オースティンも表立って文句は言えない。


(個人的には、私で良かったと思うけれど――ただ私とオースティンのどちらの方が適性があるのかは、実際に使ってみないと分からないからね)


ライリーが思い返すのは、代々の国王が遺した魔王に関する手記の内容だった。既にライリーは、その内容を諳んじられるほど思い返している。


『英雄ノ道具ヲ使フベキハ、英雄ノ血ヲ継グ者ノミ。タトヘ長キニ渡リ血分カレムトモ、ソノ血筋ニ当代一人血ヲ継グ者ウチイヅ』


『血ヲ継ガヌ者ガ英雄ノ道具ヲ使ハムトモ、真ノ力ヲ発揮スルコトハ、ユメユメナシ』


即ち、三傑が持っていた三つの封印具――剣、鏡、そして宝玉。それらを真の意味で使える者は英雄の血を発現した者だけであり、血を発現する者はかならずその時代に一人は現れるという。

現状を考えれば、勇者の血を継いでいる可能性が高い者はライリーとオースティンだ。未だ可能性の話でしかないが、ライリーかオースティンのどちらかが使えば破魔の剣は真の力を発揮できるかもしれない。


「全く動かずにどうした。よもや恐ろしさに腰が抜けたのではなかろうな?」


ヘルツベルク大公は全く微動だにしないライリーを見て馬鹿にしたような笑みを浮かべる。ライリーは片眉を上げて、大公を見やった。既に片手に剣を持つ大公とは違い、ライリーの剣は未だ腰にぶら下がったままだ。

大公の声が聞こえたわけでもないだろうが、未だ戦いを始めようとしない二人に野次を飛ばしていた観客たちが、更に声を張り上げてライリーを罵倒する。


「おい、腰抜け! ここまで運だけで上がって来たんだろ、悪かったって土下座して家に帰っておねんねしてな!!」


一番大きく響き渡った罵声に、大公が笑みを深めた。明らかな嘲笑をライリーに向けて「ほらみろ」と言う。


「誰もお前が勝つとは思ってはおらん。私も当然、お前のような若造に負ける気はない。これでも私は百戦錬磨でな。無為に命を奪うのも気の毒だと思いはするのだよ」


思わずライリーは呆れる。表情こそ変えないが、目の前の男は一体何を言っているのかと思った。闇闘技場の常連にしては、あまりにも綺麗事だ。そもそもヘルツベルク大公は、戦場に立ちたいがために王位継承権を放棄したと噂されている。根っからの戦闘狂というだけでなく、闇闘技場で明らかに自分より弱い対戦相手を痛めつける戦い方をしていた大公の言葉は、額面通りには受け取れなかった。


「そうか。でも生憎と、俺も欲しいものがあるんだ。ここで引くわけにはいかないんだよ」


悪いね、とライリーはにこやかに告げる。途端に、ヘルツベルク大公の眉がピクリと反応し、額に青筋が立った。


「――なるほどな。その気なら、こちらも遠慮はしない」


ヘルツベルク大公は闇闘技場の常連であり、出場した時は毎回優勝している。“緋色の死神(ロータトード)”という戦場での呼び名は伊達ではない。当然、観客たちの賭け金もかなりの高額に昇る。一方、新人のライリーは大穴だ。賭けた人数は少ないが、仮にライリーが勝てば高笑いが出るほどの金が手に入る。当然、観客たちは熱狂した。

ヘルツベルク大公が右半身を僅かに後方にずらし、構える。武人にしては奇天烈な動きだが、ライリーは動じなかった。定石から外れる戦い方をする相手にも適切に対応できて初めて、一人前の騎士となれる。王太子としての訓練に留まらず、オースティンと切磋琢磨してきたライリーは、大公の構えを見て満足気な笑みを浮かべた。

大公が右半身を後方にずらしたせいで左側が無防備に見えるが、その姿は右手の動きを相手に悟らせず、そして無防備に見せた左半身側へ敵を誘導する目的がある。ライリーにとっては明白すぎる罠に、引っかかってやるつもりはない。寧ろ逆に利用してやる気だった。


初めてみせたライリーのはっきりとした表情に気が付いた大公が、胡乱な目を向ける。しかし、大公は止まらなかった。足が地面を蹴る。身体強化をしているのか、動きは常人離れしている。


「相手にとって不足はないようで、安心したよ」


思わずライリーの口からそんな言葉が漏れた。確実に勝てるとは思わない。まともに戦えば、五分五分だろう。技術だけで言えば負けるとも劣らぬ自負があるが、ライリーには経験が足りない。だからこそ頭脳を使い、相手の油断を突く必要があった。



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