56. フィンスタ・ヴェルク 4
ライリーたちがコンラート・ヘルツベルク大公の屋敷から戻った翌日、ローランドたちと合流する前に自分たちの見解をまとめたライリーたちは、ようやくベラスタの話を聞く余裕を持てた。とはいえ計画にはベラスタの協力が不可欠で、彼はせっせと必要になる魔道具の材料を書き出している。その材料をどこで入手できるかローランドたちに確認することも、必要事項の一つに含まれていた。
「それでさ」
手慣れた様子のベラスタは、驚くべき速さで購入物の一覧を書きながら口を開く。
「封印具探す用の魔道具、一応オレ以外でも使えるようにしといた。あ、といっても誰でも使えるってわけじゃなくて、オレと殿下とオースティンとクライド、それから念のためエミリア嬢の魔力に反応するようにしてる」
「そうか、それは助かるよ」
穏やかに微笑んで礼を言いつつ、ライリーは卓上に置かれた魔道具を手に取る。掌に収まる程度の大きさで楕円形の形をした魔道具は、羅針盤のように中心に針が設計されていた。ただ異なるのは、針が三本あることだ。それぞれ青、赤、緑に色分けされている。
「使い方は?」
「魔力を流せばわかるぜ。地図の上で」
「地図か」
ベラスタの言葉を聞いたクライドは一つ頷き立ち上がると、部屋の隅に置いた鞄から地図を取り出す。そして卓上に地図を広げた。地図にはユナティアン皇国の西部とスリベグランディア王国全体が描かれている。
ライリーは地図の上に魔道具を置き、魔力をゆっくりと流した。すると針が揺れて一方で止まる。魔道具を動かせば針も反応した。
ユナティアン皇国のヴェルクに反応したのは緑の色が付けられた針だった。
「緑が剣か?」
「そう」
地図の上に置いた魔道具を覗き込んでいるのはライリーとオースティン、クライド、そしてエミリアの四人だ。ベラスタは少し離れた場所で真剣な表情のまま、紙を睨みつけている。
ライリーは更に魔道具を動かした。残りの針はいずれもスリベグランディア王国内を示していた。
「青が王宮、赤が――クラーク公爵領だね?」
「フォティア領ですね」
覗き込んでいたクライドも頷く。予想外の場所に、全員が言葉を迷った。その雰囲気に気が付いていないのか、ベラスタが淡々と口を挟む。
「青が鏡で、赤が宝玉。って、一応設定してみた。でも上手く反応してるかは分かんねーから、もしかしたら逆かも。それに完全な形で残ってるとは限らねえしな」
「欠片だけでも反応するということかな?」
「そういうこと。他の場所に反応しねえなら、完全な形のものが残ってるのか、それか他の欠片がもう存在してないってことだな」
なるほど、とライリーたちは頷いた。少し考えて、ライリーが呟く。
「王宮なら、もしかしたら宝物庫に保管されているのかもしれないね。大公派が掌握している今は無理だから、そちらの片をつけてから探す方が良いだろう」
勿論、誰も異論はない。寧ろ大公派を放置したまま宝探しをすれば、簡単に大公派の手に落ちてしまうに違いなかった。
一方、宝玉に関しては話が別だ。なにより、クラーク公爵家当主クライドはライリーの味方である。そして三大公爵家だからこそ、大公派も下手な手出しはできない。
「フォティア領に関しては、すぐに捜索できるでしょう。生憎と私に心当たりはありませんが――フィリップが何か知っているかもしれません」
その言葉にライリーは何の気なしに頷くが、オースティンは苦い顔だった。
オースティンにとってクライドは信頼に足る相手だが、リリアナに関しては未だ疑いが色濃く残っている。ライリーが居る手前その疑いを口にすることは控えるようになったが、万が一リリアナが宝玉を先に入手してしまえばと考えると、焦燥が生まれた。
「とっとと剣を片付けて、宝玉を回収しに行かねえとな」
「同感だ」
オースティンの言葉にクライドも強く頷く。クライドもまた明言はしないが、オースティンと同じ感想を抱いていることは間違いがない。そんな二人に気が付いているライリーは苦笑したが、二人を諫めることはしなかった。
リリアナが宝玉を奪うつもりであれば、既にフォティア領には存在していないはずだ。それに、ライリーたちがヴェルクに到達するよう転移させることもしないだろう。何度考えても、リリアナはライリーたちに破魔の剣を入手させたいのだとしか思えない。もしかしたらライリーの地位を確固たるものにするために、英雄の子孫であると証明できる破魔の剣をライリーに与えたかったのかもしれないとさえ、ライリーは考えていた。
だが、そのことを口にするには時期尚早だ。心の奥底で疑いを捨てきれないクライドやオースティンに、どれほど言葉を重ねて説明しても、本心からの同意を得られることはない。彼らが本当に納得する日は、きっと全てに片を付けた時だろうと、ライリーは予感していた。
*****
闇闘技場は、予想外のことにヴェルクの町外れではなく、比較的裕福な人々が住まう地区の地下にあった。どうやら元は巨大な地下貯水槽だったらしいが、水が枯れ果てた今は放置され、闇闘技場として活用されているらしい。
当然ヴェルクの領主も地下貯水槽が犯罪の温床になると不味いということは分かっているらしく、人が侵入できないように柵を立てたり貯水槽に通じる道を塞いだりと対策を取った。しかし、人は金儲けの話があると思えば思いも寄らない力を発揮するものである。ヴェルクで一儲けしようと考えた一部の商人や裏社会の組織が結託して秘密裏に地下貯水槽を再び使えるように整え、闇闘技場や闇市を開催する場所としたそうだ。
クライドとエミリアは、大枚を叩いて入手した観覧席に腰かけながら、二人にしか聞こえない音量で話をしていた。
「領主は知らないのでしょうか」
「取り締まる側が闇闘技場の所有者と懇意にしているのでしょう。上層部までは取り込めていないのかもしれないけど、現場を回る人間さえ口を噤むように仕向けられたら、それだけで検挙される危険性は格段に減ります」
「――なるほど」
エミリアは肩を落とす。ネイビー男爵領とカルヴァート辺境伯領を行ったり来たりしていた頃は、自分が裏社会の情報や高位貴族しか知る由もない話を耳にすることになるとは思ってもいなかった。王都に出た時も、カルヴァート辺境伯ビヴァリーはエミリアの婚約者を見繕おうとしていただけだったし、エミリアも観光気分も混じりつつ、魔導剣士という新たな未来に期待を膨らませていた。
だが、だからといって後悔はしていない。王国のためになることであれば迷うことなく自身の全力を尽くすべしと、エミリアは小さい頃からビヴァリーの背中を見て学んだ。
とはいえ、不安になるのも仕方がない。特にこれから始まる闇闘技場の競技は生死を懸けたものだと知っている。オースティンの腕は知っているが、万が一がないとは限らない。彼らの狙いはコンラート・ヘルツベルク大公の持つ破魔の剣だが、その剣へ至る前にオースティンが怪我をする可能性もあるのだ。
そして、更に言えば、オースティンだけでなくライリーも剣闘士の一人として姿を変え参加することが決まっていた。クライドやエミリア、そしてローランドも難色を示したが、オースティンとライリーは全く平気な表情をしていた。どうやら自信があるらしい。
「心配ですか?」
どうやらエミリアは深刻な表情をしていたらしく、隣に腰かけたクライドが気遣わし気に声を掛ける。エミリアは僅かに青白くなった顔で、小さく頷いた。
「当然です。だって、一般的な剣闘士の戦いとは違って、何でもありなんでしょう?」
「そうですね。私も心配ではありますが、二人が大丈夫と言うからにはそれを信じるつもりです」
一般的な見世物では剣闘士にも禁止事項は多くある。貴重な剣闘士が使い物にならなくなってはいけないため、彼らは高価な防具をつけ、勝敗の基準も明確に定まっている。しかし闇闘技場ではそうもいかない。通常であれば死刑囚相手にしか許されない攻撃は勿論のことながら、必然的に相手を嬲り殺しても許される。
実際に、剣闘士の中には相手を甚振り殺すことが好きな者もいるという。闇闘技場では相手の死亡や続行不能な程度の怪我を負うこと、もしくは相手が降参の意思表示をすることが試合終了の合図とされているが、残忍な性格の者はまず相手の口を塞ぐという。そして降参の意思表示をできない状態にしてから、死ぬまで対戦相手を叩きのめすのだ。
審判員も観客の興奮に水を差さないようにするため、ぎりぎりまで攻撃を止めさせない。むしろ途中で止めると観客たちから不満が上がり、その後審判員として声が掛からなくなる。それだけならば良いが、試合終了後に興奮した観客や攻撃を止められて腹を立てた剣闘士に殺害される事件も起こったことがあるらしい。その結果、審判員も日和見主義に走り、闇闘技場では剣闘士が死ぬことも頻繁にあった。
「だからこそ、私たちがここに居るのでしょう。特に貴方は私よりも秀でているのですから、頼りにしています」
不安そうなエミリアに、クライドが声を掛ける。
クライドやエミリアが観客席にいるのは、ただ試合を見るためだけではない。万が一ライリーやオースティンの命が危険に陥った時、彼ら二人を助けるためだった。
*****
エミリアとクライドが客席でじりじりとライリーたちの出番を待っている頃、剣闘士たちが雑多に詰め込まれた控え室ではライリーとオースティンが部屋の正反対の位置に陣取っていた。二人とも魔術で髪や目の色を変え、そして身長が高くみえるよう幻術を纏っている。自分の魔術では継続が難しいため、ベラスタが作った魔導石を使った。
二人が関係者だと知られては面倒だから、傍目には赤の他人のように振舞っている。しかし二人の耳には魔道具が嵌められ、その魔道具を通じて簡単に意思疎通できるようになっていた。
『大公は?』
『見えないね。恐らく特別室があるのだと思うよ。さっき、常連らしい男たちがそんなことを話していた』
『そうか。ここでは出会えそうにないな』
オースティンは残念そうに答える。その時、一人の男がライリーに近づいて来た。巨躯を誇示するような服装の男は、自身の肉体が武器なのか、一見したところ攻撃できるような得物は持っていない。しかしライリーは警戒を緩めず、一方で平然とした様子を保ったまま顔を上げた。
「新入りか?」
「そうだね、ここは初めてだ」
「ははっ、そりゃあ良い」
男は楽し気に笑う。途端に周囲の男たちが静かになる。部屋中の視線を浴ていることに気が付いていたが、ライリーは動じなかった。
「名前はなんだ」
「ラース」
事前に登録しておいた名前を告げる。男は「そうかそうか」と言うと、剛腕を差し出した。握手をしようと言うのだろうが、ライリーは動かない。男の剛腕であれば一握りでライリーの腕を折れそうだ。尤も身体強化の術を使えばライリーの方が男を一撃で沈められるだろうが、本番でもないのに実力を示すつもりはなかった。
男は気分を害した様子もなく腕を引っ込める。
「警戒心が強いのは良いことだ。闇闘技場で生き残るためにはな。俺は“剛腕のジーモン”だ。勝ち上がってきたら当たるかもしれねえから覚えとけよ」
「そうか。楽しみにしているよ」
「なんだなんだぁ、妙になよっちい喋り方するガキだなオイ」
ジーモンは片眉を上げて自分より遥かに背の低いライリーを見下ろした。しかしライリーは微笑を浮かべたまま静かにジーモンを見返す。それが奇妙に映ったのか、ジーモンは顔を顰めた。
「――あんまりスカした顔してると、おめぇ試合に出る前に排水溝のゴミになるぜ、気をつけな」
「ご忠告、どうも」
オースティンとは違い、ライリーはそれほど庶民や下位貴族と交流はない。そのため下町言葉を聞いて理解することはできても、自ら話すことは不得手だ。今更変えることも難しいのは事実だが、どうやらライリーの口調は闇闘技場の剣闘士たちにとって不快を覚える類のものらしい。
少しオースティンの言葉を真似るかと、ライリーは肩を竦めた。
「――緊張してるんでね、正直、何をしゃべれば良いのか分からないのさ」
「へえ。やっぱりおめぇ、あれか? どっかのお坊ちゃんが没落して金稼ぎに来たって感じか」
「そんなものだよ」
実際は全く違うのだが、自分の立ち居振る舞いや言葉遣いでは貴族ではないと言った方が不自然だ。だからあっさりと認めてみせたのだが、ジーモンは納得したらしい。
「なるほどな。でもそんな細っこい体じゃあ、お貴族様の中ではそこそこ行けたかもしれねえが、闇闘技場じゃあすぐ死ぬのがオチだぜ。ガキはさっさと逃げてママのおっぱいでも飲んどきな」
親切ぶってジーモンは告げるが、その表情はあまり好感を持てるものではなかった。ライリーは僅かに目を細める。ふと、ライリーは一つの可能性に思い至った。
(そういえば、こういった集団の中では“新人いびり”なるものがあると誰かが言っていたね)
勿論その話をしてくれたのはローランドやクライドといった仲間内ではない。オースティンと二人で王宮の中を遊んでいた幼少時代、王宮の使用人たちの間で話題に出ていた。人が集まれば馴染まない者を排斥することは、比較的どこでもあり得ることだ。
そしてこの場所もある程度皆、顔馴染みらしい。だから、彼らにとって新人は鬱憤を晴らせる良い相手なのだろう。
ライリーは気が付かれないように、視線をオースティンに向ける。オースティンは平静を装ってこそいたものの、焦燥を双眸に滲ませていた。安心させるようにライリーは口角を上げる。
当初の予定にはないことだが、これは一つ良い切っ掛けかもしれないと、ライリーは周囲に気付かれないようオースティンへと声を届けた。
『ここで騒ぎを少し起こせるかもしれない。できそうなら標的を探してくれ』
『おいおい、まじかよ。無茶すんなよ』
げんなりとした声が耳元で響くが、ライリーは答えなかった。本来の予定では、ライリーとオースティンが闘技場で大公と手合わせをして武器を確認した後、騒ぎを起こして剣を奪う予定だった。だが、それよりも早く事を起こせるようなら計画を前倒しにすると告げている。特に今後のことを考えれば、ヘルツベルク大公が持っている腰帯と剣専用の箱を処置しておきたい。完全に奪うことも魔術陣を壊すこともできないが、置いてある場所を確認することで大公を誘導することはできる。
「残念だけど、賞金目当てだからね。そっちも、俺みたいなガキにやられるのが嫌なら今日は出場を見合わせた方が良い」
「――んだと?」
穏やかに告げたライリーに、ジーモンの顔色が変わる。それまで無言でライリーとジーモンの会話を眺めていた男たちも、物騒な気配を纏った。
「てめえ、舐めてやがんのか」
物騒に唸ったジーモンは、それまで見せていた人好きのする態度をかなぐり捨てている。どうやらこちらが本性らしい。同時に、周囲に居た男たちも殺気立つ。
(このジーモンという男が、剣闘士たちの取り纏め役ということか)
ライリーは冷静に分析した。オースティンが何気なく出入口の方に移動しているのを目の端に捉えながら、ライリーは優雅な笑みを浮かべてみせる。
「――てめぇら、手ぇ出すなよ」
ジーモンはライリーを睨み据えたまま、周囲の男たちに脅しをかける。そして上着を脱ぎ捨てるとライリーに向き合った。隆起した筋肉に力がみなぎる。どうやら多少は魔術を使えるらしく、全身に魔力を纏った。身体強化の術だろう。だが粗削りだ。オースティンやライリーほど魔力量も多くなく、術として未熟である。元々持っている肉体の強靭さや格闘技術がどの程度のものかは分からないが、生憎とライリーの相手にはならない。
不穏な空気が立ち込める中、ライリー一人を残し、オースティンはその部屋から姿を消していた。









