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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
356/563

54. 追放された者 6


オースティンとクライドの会話を聞いていたライリーは、しかしここで口を挟んだ。


「ヴェルクに行って破魔の剣を入手する、これが最優先だという意見には同意するよ。魔王の復活がいつになるか分からないこともあるし、剣があれば封印具が一つ手元にあるということで、安心感もあるからね」


だけど、とライリーは穏やかに言葉を続けた。落ち着いているように見えるが、腹の中では堪えようもなく感情が渦巻いている。

オースティンとクライドの中では、リリアナは大公派に寝返った裏切り者として確定している。だが、ライリーは決してそうは思っていなかった。


「ただ、今後の事を考えると一つほど、勘違いしていては不味いことがあると思うんだよ」

「勘違い?」


オースティンとクライドが不思議そうに目を瞬かせる。エミリアやベラスタも問うような視線をライリーに向けた。四人分の視線を受けても、ライリーは落ち着き払っている。


「サーシャは、大公派に寝返ったりはしていない。これは王国に戻ってからの行動を決める上で、とても重要だ」


ライリーの言葉を聞いて、オースティンとクライドは同時に眉根を寄せる。二人ともライリーの言葉を信じられない様子だった。

執務室で同席していたわけではないクライドは、問う視線をオースティンに向ける。間違いなくオースティンは先ほど“リリアナが裏切った”と言った。だがライリーは、それは正しくないという。

クライドからしてみれば、ライリーもオースティンも信頼に値する相手だ。わざわざこのようなことで嘘を吐く理由もない。

どちらが正解なのかと悩むのも致し方のないことだった。

エミリアも混乱したようにオースティンとライリーを交互に見やる。

そんな周囲の様子などお構いなしに、オースティンは押し殺した声でライリーに尋ねた。


「お前、それ本気で言ってるのか、ライリー」

「本気だよ。オースティン、君も落ち着いた方が良い。サーシャは一度だって、裏切ったなんて言ってない」


ライリーは静かに応える。オースティンと違って落ち着いているように見えるが、ほんの僅かな声音の変化で、クライドもエミリアもライリーが静かな怒りを湛えていることに気が付いた。

一方のオースティンもまた、自らの意見を曲げるつもりは一切ない。それは偏に、幼馴染であるライリーの為を考えてのことだった。


「裏切ったと言ってない? じゃあ、何故あいつはお前と俺を大公派の手に引き渡そうとしたんだ。それもベラスタを人質に使って、ベン・ドラコ殿の手も足も出ないようにしてまで! 俺たちを逃したのがあいつだったとしても、破魔の剣を持ち帰ったところで捕まえて剣だけ取り上げる魂胆かもしれない。ここは疑ってかかるべきだろ」


捕らえられてしまってからでは遅いのだ。

ライリーがリリアナを気に入っていることを知ってはいるものの、オースティンにしてみればライリーの命が危険に晒されることの方が嫌だった。特に今のように味方が限られている状況では、最悪の状況を考えて行動すべきだ。それはオースティンが王立騎士団の訓練で叩きこまれたことだった。

無言で二人の会話を聞いていたクライドも、神妙な面持ちで頷く。


「そうですね。確かに妹は明言しなかったのかもしれませんが、それが即、殿下の御命を狙っていないという意味にはなりません。リリアナは――昔から、何を仕出かすか――兄である私でも読めないところがありました」


正直に言えば、リリアナが何を考えているのかすらクライドには分かった試しがないのだが、そこまでは口にしない。しかし、リリアナが普通の令嬢にはできない大それたことを難なく行う少女だという確信が、クライドにはあった。

これまでも、そしてこれからも口にすることはないが、リリアナはクライドの前で実父を殺した。母と兄であるクライドの命を守ろうとしたのだとあの時は思ったし、今でも――リリアナが何を企んであの場に駆け付け父を亡き者にしたのかは分からないが、結果的に命を救われたとは思っている。

とはいえ、あの時に芽生えた不信感は未だに拭われることがない。父亡き後、リリアナと距離を詰めようと努めたクライドは、結局リリアナの本心を知ることはできなかった。その事も手伝い、寧ろ年数が経つに連れて疑念の芽は大きくなっていた。


しかしライリーはただ一人、オースティンとクライドの言葉には納得できない様子だった。普段であればある程度は二人の意見を受け入れる態度を取るライリーが、腕を組んで僅かに眉を顰める。


「二人の言いたいことは理解する。だけど私には確信があるんだ。サーシャは、決して大公派に寝返ったわけじゃない」

「じゃあその根拠を言えよ。それが納得できる理由だったら、聞いてやる」


不遜な言葉をオースティンが苛立ったように言う。オースティンもまた、ライリーの頑なな様子に苛立っていた。

大公派が国王を幽閉しライリーを捕らえようとした時から、リリアナに裏切られたという衝撃、そして知らぬ間に皇国へと強制的に転移させられていたという状況で、オースティンには精神的な負荷がかかっていた。近衛騎士として優秀な人間であると広く評価されるようになったとはいえ、オースティンもそれほど経験豊富なわけではない。特に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、無意識の内にオースティンの心を傷つけていた。

だが、その事実にオースティンは気が付かない。

お前だって傷ついたんじゃないのか、その傷を直視したくなくてリリアナは大公派ではないと言い張っているだけではないのか――そんな気持ちが、オースティンの心に僅かではあるが芽生えていた。


「――根拠なんて、彼女と私が過ごして来た年月があれば十分だよ」


ライリーは静かに告げる。

リリアナはライリーにとって小さい頃から側にいる存在だった。婚約者候補から婚約者となったのは出会ってから随分と年月が経ってからのことだが、婚約者候補の時から交流は続けて来た。リリアナの声が出ない時も、魔道具をわざわざ仕立て上げたのはリリアナと会話をしたかったからだ。

最初は、リリアナと婚約することで彼女が救われるという父親の話が心の片隅に引っかかっていたからだった。しかし、交流し会話を重ねる中で、ライリーは間違いなくリリアナに心惹かれるようになっていた。


――サーシャは、人に頼ることをしない。


それが彼女の生育環境によるものなのか、性格によるものなのか、ライリーには分からない。何度も言葉を重ねて、自分を信頼して欲しいと、頼って欲しいと伝えて来たつもりだった。

だが今この時になっても、リリアナはライリーを頼ろうとはしなかった。寧ろ自分が悪を演じて憎まれ役を引き受け、そして何かしらの事を為そうとしている。リリアナが一体何を考えているのかライリーには分からないが、それでも、その“何か”は必ず国の為であり、ひいてはライリーのためになることだと分かっていた。


そんなライリーの言葉を聞いたオースティンははっきりと顔を顰める。


「――確かに一緒に過ごすことで理解できる部分もある。でも、それが全てとは限らない」


苛立っている様子ではあったが、それでも先ほどよりは落ち着いた様子でオースティンは言葉を重ねた。


「どれだけ相手に情を抱いていたとしても、お前は王太子だ。自分の一時の情に惑わされて判断を誤ったら国を巻き込むことになる。俺だってそうだ。お前ほどじゃないが、王太子の近衛騎士として、側近として――そして幼馴染として、お前の身を護る。お前自身を守りたいという気持ちも当然あるが、同時にお前を護ることが国の為になると知っているからだ」


それでもライリーは頷かない。

ライリーの脳裏には、これまでリリアナと過ごした様々な記憶が蘇っていた。


革新的な技術を保護する法を作ればどうかという提言から始まり、リリアナがライリーに助言する政策は全て民を慮り国を栄えさせるためのものばかりだった。自分よりも年下の少女が次々と口にする革新的な発案に、ライリーはいつも感嘆していた。

そして極めつけは、六年前に王都近郊で起こった史上最大規模の魔物襲撃(スタンピード)だった。あの時、体調を崩したと言って王宮の客間に引っ込んだリリアナは、何処かへ姿を晦ましていた。王立騎士団でさえ壊滅しかけたほどの惨事も、いつの間にか沈静化されていた。

当時はライリーはリリアナが何をしていたのか分からず、ただ誰にも気付かれないよう行方を晦ました婚約者のことが心配だった。しかし今思えば、リリアナが魔物襲撃(スタンピード)の沈静化に一役買っていたのではないかと言う気がする。


そのリリアナが、フランクリン・スリベグラード大公を玉座に据えることを良しとするだろうか。


どうしても、ライリーはそう思えない。寧ろリリアナはライリーたちを守り、スリベグランディア王国をより確実に護るために事を企んだと言われる方が腑に落ちる。

最後まで信頼して貰えず計画の仔細を打ち明けられなかったのは、ライリー自身がリリアナの信頼を得られるような言動を取れなかったからだと思う。しかし同時に、それ以上にリリアナの性質が他人を信じることを良しとしないのだろうと、ライリーは理解していた。


「オースティンもクライドも、国と私の為を考えてのことだとは理解している。だけどね、サーシャがこちら側だと考えた方が辻褄も合うし、なにより――効率的に大公派を倒すことができるんだ」


自信を持った様子でライリーは話を続けるが、正直なところ、本当に自信があるわけではなかった。

リリアナの能力はライリーも認めている。彼女が計画を立てているのであれば、それに便乗した方が間違いなく最短かつ効果的に目的を達成できるという信頼もある。

しかし、オースティンやクライドを説得するだけの根拠はない。あるとすれば、先ほどオースティンに否定された、積み重ねて来た時間と関係性だけだった。


珍しく自分の主張を曲げないライリーに、オースティンとクライドは複雑な表情で黙り込む。一瞬視線を邂逅させた二人は、ライリーをどのように説得するか、無言で相談している様子だった。


「――殿下。お気持ちは理解しますが、一旦ここは私情は置いてお考えください。いずれにせよヴェルクに行き破魔の剣を得ることは最優先ですが、剣を手に入れてからは殿下の御命が危険に晒される可能性は格段に高くなります。リリアナが殿下とオースティン、ベラスタをここへ飛ばした人物が本当に彼女であるなら、大公派は簡単に我々の居場所を特定できるのですから」


もしかしたら間諜が既に身近に潜み、こちらの様子を窺っているのかもしれませんと、クライドは深刻な表情で告げる。エミリアは一瞬不安そうな表情を浮かべるが、それでも毅然とした態度を崩さず、そして周囲を窺うこともなくライリーたちの会話に耳を傾けていた。


だが、ライリーの忍耐もここまでだった。

リリアナが自分を裏切ったなどとは、ライリーは信じていない。彼女なりの考えがあってのことだろうと理解はしている。しかし、それと心の底から納得できるかと問われると答えは否だった。

信頼して欲しいと願い誠実であり続けようと思った相手から、今回の計画を事前に知らされていなかった――つまり、信頼されていなかったという事実。

そして幼い頃から共に過ごした幼馴染二人が口にする、大切な婚約者がお前を裏切っていたのだという非難。

そのどちらもが――特にオースティンとクライドが、ライリーのことを思うあまり厳しい口調になっていることは分かっている。しかし、さすがのライリーも我慢の限界を迎えていた。


常に湛えている微笑が、ライリーの表情から消える。それにオースティンたちが気が付いたと同時に、ライリーは低い声で冷たく、クライドに言い放っていた。


「クライド、君がそういう態度だからサーシャは打ち明けなかったんじゃないのか」

「――殿下?」


思いも寄らない台詞に、クライドは瞠目する。唐突な言葉に、クライドはライリーが何を言っているのか一瞬理解できなかった。


「自分を疑っている相手に本心を告げる相手が、どこに居ると思う? 誰だって傷つけられるのは恐ろしいものだろう。自分を信頼していない者に本心を打ち明けて拒絶され否定される、それを恐れ何も言わないことを、君は“何を考えているのかも分からない得体の知れない相手”だと、非難するのかな?」

「殿下!」


常に平静でいるクライドだが、ライリーの鋭い言葉に声を荒らげる。しかしすぐにハッと我に返り、音量を抑えた。


「――殿下、私もかつては妹に歩み寄ろうとしました。ですが彼女が心を開くことはなかった。今はそのようなことを議論する場ではなく、大公派の目論見を理解し最善の策を見つけ出すことです」


ライリーは明らかに呆れた視線をクライドに向ける。一瞬でもクライドが感情的になったのは、ライリーの指摘が図星だったからだろうと、その目が語っていた。

そう理解しながらも、クライドはその点には触れない。考えないようにしていたが、ライリーの指摘はまさに一理あった。


かつてリリアナと距離を縮めようとしたクライドは、当初こそ何の裏もなかったが、少ししてリリアナが何かしらを企んでいるのではないかと言う疑いを抱き始めた。

あの頃はクライドも幼かったと言われたら、間違いなくその通りだ。だが、リリアナはそのクライドよりも更に幼かった。

母親と兄を護るためとはいえ、実父に手を掛けて何も感じないはずはない。それなのにリリアナは取り乱した様子一つみせなかった。その様に一種不気味なものを感じたのは確かだ。そして今振り返れば、自分にそのような感情を抱く相手に全てを曝け出せるはずもない。

しかし、長い年月をかけて鬱屈したクライドの自意識は直ぐに認められない。そしてライリーは、敢えて淡々と言葉を続ける。


「私は問題をすり替えたわけじゃないよ。サーシャが大公派に寝返ったという前提で大公派の計画を考えたところで徒労に終わるだけだ。サーシャが何を考えて大公派に寝返ったと見せかけたのか、そこも理解しないと私たちは最適な行動を選択できない。誰か一人でも、サーシャの考えを理解できる人間がいれば良かったんだが――私も含めて」


最後の言葉は、自嘲混じりに付け加えられた。

しかしクライドは気が付かない。リリアナにとっての肉親はこの場ではクライドだけだ。兄であるクライドもリリアナの本心や思考を理解できないという皮肉に聞こえる。そして、それはクライドの頭に血を上らせるに十分だった。


「殿下!!」


クライドの大声に、ベラスタもエミリアも、そしてオースティンでさえ目を丸くする。平然としていたのはただ一人、ライリーだけだった。

これまで、クライドが大声を出したことは一度としてない。彼は常に冷静沈着で、自分の感情を殺すようなところがあった。常に平然としている様子に、詩的な表現を好む貴婦人や淑女からは氷の美貌と揶揄されることもある。そしてその感情の読めない、どこか冷たささえ感じられる態度には、遥か年上の貴族であっても時折ひやりとさせられることがあると言う。


思わず大声を出したクライドは、自分自身の声の大きさに驚いた様子で口を噤んだ。静かに息を吐き出し、ゆっくりと顔を片手で覆う。


「頭を――冷やしてきます。失礼」


クライドはそう言って立ち上がると、部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ったライリーたちの間に、気まずい沈黙が落ちる。オースティンもそれ以上口を開く気にはなれず、黙ったままだった。

激昂したクライドが出て行く直接の原因を作ったライリーは、表情を消したまま小さく息を吐く。これまで長い年月をかけて感情を制御する術を習得してきたと言うのに、あっという間に崩れてしまった事実に苦い思いが込み上げた。

クライドやオースティンが自分の為を思って言っているのだと理解はしていても、耐え切れなかった。しかしそれは言い訳に過ぎない。上に立つ宿命を背負っている彼にとって、感情的になることは許されることではなかった。


「――悪い。申し訳ないけど、少し一人になりたい」


そう告げてライリーは立ち上がる。宿はそれほど広くないため、クライドはベラスタと、ライリーはオースティンと同室になっていた。部屋も多少手狭だから、室内に居ても一人にはなれない。だから出て行こうとしたのだが、それを引き留めたのはオースティンだった。


「ライリー、お前はここに居てくれ。さすがに出て行かれたら、俺たちが困る」


オースティンはベラスタとエミリアに目配せをして、部屋を出て行く。エミリアとベラスタが気遣わし気な視線をライリーに向けるが、ライリーは最早取り繕うこともできなかった。ぎこちない微笑を浮かべて「分かった」と答える。


「適当な時間に戻って来てくれ。明日も移動があるから――寝台で寝た方が、体も休まる」

「――分かった」


ライリーの言葉にオースティンは複雑な表情のまま曖昧に頷いた。そして、三人もまた部屋を出る。静かに閉められた扉は、軋んだ音を立てた。



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