54. 追放された者 5
ベラスタにとっての悔しさは、身元の分からない者に術式の助言を貰ったことだった。時間さえ掛ければベラスタも同じ結論に至ったかもしれないが、間違いなく差出人不明の手紙によって、これから掛けるはずだった膨大な時間を節約できるのだ。
その点は嬉しいが、魔術には一家言あると自負しているベラスタにとって、自分よりも優れた人物が兄やペトラ以外に居るという事実は矜持を傷つけるものだった。
自分の悔しさは大きいものの、今は意地を通して封印具の捜索用魔道具の開発を遅らせるわけにはいかない。少し前までのベラスタであれば迷わず自分の自尊心を守り通そうとしただろうが、今の彼は少しばかり成長していた。
「なるほど。その手紙を読んでいる最中に、執務室に来たというわけか。手段は分かるかな?」
尋ねたのはライリーだ。最初にベラスタに質問を投げかけたのはオースティンだったが、いつの間にか主導権はライリーに移っている。
ベラスタは僅かに首を傾げて答えた。
「瞬きしたらいつの間にか移動してた、って感じだったな。でも今思えばあれは、転移の術だったんじゃないかと思う」
ベラスタの言葉を聞いた瞬間、ライリーは目を眇めた。一瞬にしてライリーは部屋の中に居る者たちの表情を窺う。クライドとエミリアは驚いたような表情を浮かべたが、オースティンは驚く気配はなく、寧ろ目を鋭く光らせた。
どうやらオースティンは何かに気が付いたようだねと、ライリーは心中で呟く。しかしその点は今の段階でその点について深く掘り下げるつもりはなかった。
「転移陣ではなく?」
「おう、転移陣だと最初は思ったんだけど、良く考えたら魔力の流れと魔術の反応の仕方が微妙に違ったんだよな」
何かを思い出すような顔でベラスタは告げる。説明は難しいんだけどと言いながらも、どうにか言葉で表現しようとしている。
「転移陣だと、自分の足元から魔力が螺旋状になって上に練り込まれて行って、移動した後も気分が悪くなる感じがどうしても残るんだけど、今回のは二回とも違ったんだ。一気に体が魔力に包まれて周りだけが変わったっていうか――気分が悪くなるようなこともなかったし」
「ああ、確かに転移陣だと慣れない奴の中には気分が悪くなる、酔った感じで足元がふらつく、って奴もいる」
ベラスタの説明を聞いたオースティンも頷いて補足した。
だからこそ、王立騎士団の訓練には転移陣を使用したものもある。転移陣を使った時の独特な体感に慣れ、転移した直後の戦闘や奇襲への応酬に耐えられるだけの肉体と精神を作るためだ。
幸いにもオースティンは転移陣への適応が早く、気分が悪くなったこともほとんどない。しかし、見習い騎士の中には、転移直後に目を回して動くどころではない者がいた。
「二回とも、ということは、執務室からこちらへ移動した時も転移の術が使われたということ?」
「そうだと思うぜ」
ライリーに尋ねられたベラスタはあっさりと頷く。無言で話を聞いていたクライドは、低く喉の奥で唸って溜息を吐いた。
「――転移の術を他人に使うことは不可能だと思っていたが――それが出来るとなると、ベン・ドラコ殿ですか」
「えー?」
ベラスタが首を傾げて口を開く。しかしライリーはそれを押しとどめた。誰の手によるものかを確認する前に、先に知っておきたいことがあった。
「それよりも先に一つ確認したいんだけど、ベラスタ。君は執務室での出来事を、どこまで見たのかな?」
まさかそのような事を尋ねられるとは思っていなかったのか、ベラスタはきょとんとした表情で目を瞬かせた。しかし無駄口は叩かずに、すぐに記憶を辿る。ライリーは変わらず微笑を浮かべているが、冗談を言えるような雰囲気ではなかった。
「えーっと、確か、リリアナちゃ――リリアナ、様、が、兄貴に、手出ししたらオレの命はないとか何とか言ったところまで、かな」
リリアナちゃん、と言いかけたベラスタだったが、ライリーの視線が一瞬鋭くなったような気がして“様”と言い直す。ライリーが纏いかけていた冷気は直ぐに霧散したが、ベラスタは冷や汗を掻いた。
「ということは、その直後に転移したってことなんだね」
「そういうことになるね。それに驚いたのがさ、オレ、この手紙と魔道具は落としたはずなのに、この二つも一緒に転移して来たんだよ」
凄いよな! とベラスタは興奮に目を輝かせて身を乗り出す。その言葉を聞いたクライドは、訝し気な声を出した。
「落とした?」
「そう、びっくりして落としちゃった」
あっけらかんとベラスタは言うが、その重大性を分からないクライドとライリーではない。そしてオースティンとエミリアも、薄っすらとではあるがその異常性に気が付いた。
「人間ひとりと、無機物二つも併せて遠方に強制転移――ですか」
クライドが深々と溜息を吐く。自分一人でも転移陣を使わずに転移することは困難とされていた。距離が伸びれば伸びるほど、そして移動する人数が多ければ多いほど転移の術は難易度が高くなる。当然、自分ではなく他人を転移させるなどもっての外だ。
当然、自分は転移せずに他人を転移させるとなると、理論的には可能でも人間の手には余る。高度な術式と詠唱が必要とされるし、何よりも消費する魔力量が膨大だ。それを短時間に何度も実行するとなると、優秀な魔導士が両手の数居ても足りない。
魔物襲撃を鎮圧するために最も有効な魔術が聖魔導士による光魔術だが、それでも三人いればある程度は鎮圧できる。しかし、転移の術はそれ以上の魔力が必要だった。
仮に足りない魔力を魔導石で補おうとしても、一般的に流通している魔導石では気休めにすらならない。国宝となり得るほど魔力を含有した魔導石を使ったとしても、転移の術を連発することは不可能だ。
クライドは両手で顔を覆い、しみじみと続ける。
「さすがベン・ドラコ殿というべきですか」
「――あの、それなんだけどさ」
言い辛そうに、ベラスタが口を挟む。気まずそうな表情に、ライリーはベラスタが何を言うのか直ぐに理解した。しかし、今度は止めない。
ベラスタだけでなくオースティンも薄々勘付いている様子だ。今更止めたところで、その内皆に知れることになるのは確実だ。それならば今ここで明らかにしておいた方が良いだろうと、そう判断した。
自分だけが知っていたはずの情報を他人が知ることに胸の内が焦げ付くような気がするが、理性で押しとどめる。
「多分だけど、転移の術使ったの、兄貴じゃねえよ?」
その言葉を聞いて驚いた様子だったのは、クライドとエミリアだけだった。
ライリーは以前から確信していたし、オースティンも予想していたのか、ただ表情を険しくする。
「どういうことだ?」
尋ねたのはクライドだった。ベラスタは少し考えて「術を使う時ってさ」と切り出す。
「必ず魔力使うじゃん。だから良く視たら、魔力の雰囲気が術者によって違うんだよ。術式で変質するからぱっと見るだけじゃ分からないけど。あとは同じ術式使ってても、術者によって魔力の動き方というか、術式に適応される時の適応のされ方が微妙に違ってて、癖が出るんだよな」
ベラスタもベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネンの同類だ。つまり、魔術に関しては並大抵ではない熱意がある。そして自分の得意分野について話出すと、のめり込んで話が長くなる傾向にあった。
「今回の場合もやっぱりちょっと癖があって、兄貴の癖とちょっと違ったんだ。まあオレも兄貴が転移の術使ったところは一回しか視たことないけど、一回でも視たら十分だろ? 兄貴のは術式にきっちり一つ一つ当てはめてるって感じだし、術式自体も教科書に載っているような基本に忠実なものだったから、一見してすぐに“ああ、転移の術だな”って分かるんだよ」
しかし、今回ベラスタが転移することになった術式と魔力は違ったのだと、ベラスタはどこか興奮した様子で続けた。
「基本は確かに教科書通りなんだけど、所々理解できない術式が含まれてた。でも確かに作動したら転移の術だし、これまでの術式より間違いなく効率的で魔力の消費量も抑えられてるし、何より転移する先が予定していた場所からズレる確率も格段に低くなる。しかも術式の展開が異様に早いから、警戒していても気付けない。その上、術式を展開した後に魔力と適応させて発動するまでの時間も一瞬なんだよ。普通は最初の術式から順番に、術式が壊れないように徐々に魔力を浸透させるものだけど、今回の場合は殆ど同時に、全ての術式に魔力が乗った感じだった。それで間違いなく転移の術が発動したんだ。術式自体も天才的だし、術式を展開させる速度も魔力と適応させて発動させる能力も、間違いなくオレが見た中で一番だよ」
立て続けに早口で発せられた言葉に、エミリアは呆気に取られている。他方、クライドやオースティン、ライリーにとっては慣れたものだ。ベラスタと表立って交流する機会はほとんどないものの、他の貴族たちと比べると遥かに親交はある。そのため、ベラスタが好きなこと――即ち魔術の話になると、止めようにも止められないことを知っていた。
それでもどうやら一段落ついたようだと踏んだライリーが、如才なく「それはすごいね」と相槌を打つ。
「それなら、その術式を使った人物に見当は付いているんだろう?」
「そりゃあ、まあ」
ベラスタは一瞬口籠る。そして、本当にその名を口にしても良いのかと窺う視線をライリーに向けて来た。
ここまで話を進めていて、その表情は今更だと苦笑しながら、ライリーは一つ頷いた。許可を得たベラスタは、どこか敬虔な信徒のようにその名を口にする。
「リリアナ様、だよ」
その言葉を聞いた反応は様々だった。エミリアは驚愕に目を丸くし興奮に頬を染めている。クライドは渋面になり、オースティンの眼光は鋭くなる。そしてライリーは腕を組み、静かにそんな仲間たちを眺めていた。
何故、ベラスタは転移の術を使った人物がリリアナだと思ったのか――それは消去法などではなく、魔力の質だった。
「完全にじゃないんだけどさ、何となく魔力の質がリリアナ、様に一番近かったんだよな。それに彼女、魔力の量は桁違いに多いし――術式も効率化されて魔力の消費量は抑えられていたけど、それでも魔力はたくさん使うんだ。彼女以外に出来る人間なんて、オレの知る限りではいないと思う」
ベラスタの説明を聞き終えたオースティンは、ゆっくりと顔をライリーの方に向けた。そして低い声で幼馴染に問う。
「お前は、あいつがやったと知ってたのか?」
どこか責めるような声音だが、仕方がないことだった。オースティンとしては、幼馴染でもあるライリーが自分に隠し事をしていたことが衝撃的だったのだろう。
ライリーは苦笑染みた表情を浮かべて一つ頷いた。
「薄々、ね。私もサーシャから直接聞いたことはない。でも、彼女が振る舞っているより遥かに――サーシャは魔術も使えるし、色々なことを知っているのではないかと思ってはいた」
「――お前にも黙ってたのかよ、救えねえな」
オースティンは怒りを堪え切れずに吐き捨てる。ライリーは眉根を寄せたが、オースティンを咎めるようなことはしなかった。エミリアは空気の悪さが気まずいのか、変わらず無言のまま皆の様子を窺っている。そしてクライドは、無表情で何かを考え込んでいた。
口を噤んだオースティンだったが、すぐに思い立ったように懸念を口にする。
「つまりだ。今回のことはもう一度考え直す必要があるんじゃないか」
「というと?」
ライリーが尋ねる。オースティンは考えながら、ゆっくりと自分がこれまでに考えて来たことを順序だてて説明した。
「俺たちは全員でヴェルクに行き、破魔の剣を手に入れる予定だった。それを持ち帰れば大公派も黙るだろうと踏んでのことだ」
「そうだね」
それに関しては誰も反論しない。ライリーも素直に頷いた。オースティンは凭れていた窓際の壁から離れ、ライリーに近づく。そしてライリーが座っているソファーの背もたれに手をついた。
「だが、これが全部リリアナの策略だったとしたら? あいつは大公派に寝返った。だが、同時にベラスタを執務室に連れて来てベン・ドラコ殿の身動きが取れないようにし、そして俺とライリーをここに転移させた。まるで、俺たちに破魔の剣を取りに行けとでも言っているかのようだ」
つまり、それらの情報を元に考えれば一つの可能性が浮かび上がる。半ば確信を持って、オースティンはその疑惑を口にした。
「俺たちに破魔の剣を奪わせて王国に持ち帰らせ、俺たちがそのことを皆に知らしめる前に剣を奪う。それを大公が持てば、大公こそが英雄だ」
皮肉に口角を吊り上げたオースティンの双眸は、今まさに眼前の敵を見据えているかのように鋭い。クライドもオースティンに同意見のようで、表情を消したまま静かに頷いた。
「その可能性は、大いにありますね」
「だろ? だったら寧ろ、破魔の剣を取りに行くことは大公派の目論見通りになっちまうんじゃないか」
オースティンは言外に、ヴェルクへ行くことは取りやめた方が良いのではないかと言う。しかし、クライドはその提案には否定的だった。
「たとえ目論見通りだったとしても、破魔の剣が我々の起死回生の一手になることは間違いがないでしょう」
たとえ破魔の剣が大公派の目当てだったとしても、奪われなければ良いだけの話だ。そして本当に大公派が剣を欲しているのであれば、ヴェルクに到着するまでは彼らの身も安泰のはずである。問題はヴェルクで剣を手に入れ、王国に戻る道すがら、そして国境を越えた後だった。
「破魔の剣さえあれば、勇者の血統として殿下に正当性があることが証明されます。少なくとも、民も貴族もそう考える。それこそが、王宮だけでなく騎士団と魔導省を掌握した大公派を一掃する最も効果的な手段ですよ」
「――まあ、それはその通りか」
クライドの説明は理に適っている。オースティンは渋い表情になったが、クライドの指摘は認めざるを得なかった。
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