54. 追放された者 4
翌日、ライリーたちは次の町へ向かうために早目に宿を出ることにした。朝食を摂り、出立の準備を整える。朝食を終えたオースティンは、一足先に宿の外で馬の準備をすることにした。護衛たちは先に出ているはずだが、最終確認は念のためにしたい。
だが、扉を出ようとしたところで、戸口から少し離れた場所で会話をしている宿の主人と、馴染みらしい隣人の姿が目に止まった。
「――?」
妙に気掛かりそうな表情の二人を見て、オースティンは首を傾げる。普段であれば大して気にも留めない事だが、大公派に追われる身という自覚があるせいか、些細な事にも神経が過敏になっていた。
そっと気配と足音を殺して、オースティンは二人の声が聞こえるぎりぎりの所まで近付いて行く。物陰に身を隠して耳を澄ませば、微かに宿の主人の声が聞こえた。
「子供が一人でだって? そりゃあ妙な話だな」
「そうなんだよ。金もないって言うんで可哀想に思ったんだけど、うちには病気の婆さんがいるからさ。馬小屋しかねえって言ったら、それでも良いって」
飄々とした子供でね、と隣人は困ったように頭を掻く。
「ここがどこかも良く分かってないみたいでね、取り敢えず王国に行きたいけど路銀もねえって言うんだよ」
「王国!? 子供の足でかい」
宿屋の主人は仰天したように叫んだ。隣人は慌てて主人を落ち着かせる。客人に聞こえちまう、という隣人に慌てた様子で頷き、主人は続きを促した。
「そうさ。それでも仰天だろ。その上に良いところの子みたいでさ、畑も耕したこともなけりゃあ、木を採りに森に入ったこともねえんだと。鍛冶も打ったことねえ、っていうから、一体何させようかって思ってね」
「ああ、だからオレんところに来たのかい」
「そうだよ。でもね、妙な子だってのは分かるからさ。間違いなく訳ありだろ? そんな子の世話を、客商売のあんたに頼むのもねえ」
困り果てた隣人は溜息混じりにそう告げる。主人も直ぐには引き受け難いようで、なかなか色よい返事をしない。しかし気になることは間違いがなく、宿屋の主は「どんな子なんだい」と確認した。
「まあ、良い子だよ。人懐っこくてね、裏表もない。男の子だけど力仕事はそんなに向いてないかもね。妙に魔道具に関心を示す子だったよ、うちにあるのなんて、魔道具って言っても大したもんじゃないのにね。そうそう、綺麗な緑の髪に紫の瞳なんだよ。なかなか、平民じゃいない色合いだろ? だから良いところの子が家出でもしたんじゃないかって、そう思うんだよ」
隣人の説明を聞いたオースティンは、思わずその場にうずくまりそうになった。頭を抑える。そして辛うじて他人には聞こえない程度の音量で低く唸った。
「――おい、なんでお前が居るんだよ……」
名前こそ出ていないが、間違いなくその少年はオースティンも良く知る人物だった。人懐っこく魔道具に興味を示す、緑の髪に紫の瞳をした少年――そんな人物は、ベラスタ・ドラコ以外に居ない。
もし自分の居場所を理解していたり金を持っていれば多少は疑ったかもしれないが、状況があまりにもオースティンやライリーと似ていた。転移陣で全く別の場所に、何の前触れもなく放り出された人物は、今自分がどこに居るのかすらも理解できない。
オースティンとライリーの場合はオースティンが幾ばくかの金を持っていたし、森で動物を狩れば食料は確保でき金にも代えられる。そして何より、オースティンは野営に慣れている。ライリーは野営の経験はないが、オースティンに教えられながらであれば問題なく外でも暮らせた。
だが、ベラスタは間違いなく無理だ。ドラコ一族は貴族でこそないものの、優れた魔導士を輩出する名門ということで貴族に準じた生活を営んでいる。当然、ベラスタは畑仕事や森での狩り、鍛冶で鉄を鍛えることもしたことはない。料理ですら使用人任せの生活だ。
何時からベラスタがこの町に居るのかは分からないが、持ち前の人懐こさで食事と寝る場所にありつけたのだろう。さすがだと感心する反面、一体何をやっているんだと文句を言いたくなる気持ちもある。
「多分、俺たちと同じように飛ばされて来たんだろうけど――ベン・ドラコ殿がやったのか?」
だが、ベラスタが執務室に連れて来られた時、間違いなくベン・ドラコも驚いていた。ライリーやオースティンを助けることは想定していても、ベラスタは予定外に巻き込まれたはずだ。当然、ベンもベラスタが人質に取られるとは考えていなかったに違いない。それならばベラスタを転移陣で飛ばすことなど出来ないはずだ。
どこか釈然としない気持ちを抱きながらも、もしかしたら自分たちが王宮から去った後に何か起こったのかもしれないと思い直す。
「一旦、あいつかどうか確認して――まぁほぼ間違いない気がするけど」
ぶつぶつと呟いて思考を整理しながらも、オースティンの耳は隣人と主人が別れるのを確認する。どうやら隣人が身元不明の少年を、今から宿まで連れて来るらしい。
戻って来るまでに少し時間はあるだろうと見当を付けたオースティンは、一旦ライリーに事の次第を報告することにした。踵を返して宿に戻りかけた、その時。
「――待てよ」
オースティンは、もう一つの可能性に気が付いた。
「まさか」
リリアナが裏切ったという事実に怒りを覚えたオースティンはすっかり頭から抜けていたが、そもそもベラスタはどうやってあの時執務室に来たのか。ベラスタは突然部屋に現われ、本人も驚いていた。
普通に考えれば、執務室で容易く転移陣を使える人間はベン・ドラコだけだ。だからオースティンも、ベン・ドラコがライリーとオースティンを逃してくれたのだと安易に考えていた。
しかし、もしそうではないとすれば――ベラスタを執務室に連れて来た人物と、ライリーとオースティンを転移させた人間が同一人物だとすれば。
「――リリアナ、か?」
呆然と、オースティンの口から掠れた声が漏れる。
あり得ない話ではない。リリアナの体内にある魔力が増加しているという話を、オースティンは以前ライリーやベン・ドラコと共に聞いたことがあった。魔力が多いことが即ち魔術の適性の高さを示しているわけではないが、もしリリアナが魔術に優れているのであれば、転移陣を易々と使いこなせる可能性もある。
もしそうだとすれば一体、リリアナの魂胆は何なのか。
ライリーとオースティン、そしてベラスタを皇国に飛ばすことによって、彼女は何を得られるのか。
果たして自分たちがヴェルクに向かうことが最善策なのか、オースティンには判断が付かなくなっていた。
*****
リリアナは、自分の仕掛けた魔導具が反応したのを感知した。だが生憎と、部屋には女官が居る。リリアナの身の周りの世話をしてくれる人物の中にマリアンヌはいない。王宮に住まうことになった時、リリアナは侍女のマリアンヌや護衛のオルガをはじめとした使用人たちに暇を出した。屋敷を維持する最低限の人間だけを残して、他はもう雇わないという意思表示をしたつもりだ。
今後、リリアナが計画を進めれば何が起こるかは分からない。もしかしたら、リリアナの屋敷に何かしらの悪意が受けられる可能性がある。そうなると、巻き込まれるのは使用人たちだ。リリアナが居ない時に何かしらが行われてしまえば、リリアナは彼らを守れない可能性もある。
だが、マリアンヌとオルガは当然のことながら、ほとんどの使用人がリリアナの屋敷に留まることにしたらしい。留まるのであれば給金は出すしかないが、リリアナが可愛がっている使用人が居ると判断されないようにするため、リリアナは誰一人として王宮に連れて来ようとはしなかった。
マリアンヌは最後まで付き従おうとして来た。マリアンヌは辺境伯の娘だから、リリアナの侍女として働いていた女性ではあるものの、名称さえ変えれば王宮に勤めリリアナの相談役となることに不足はない。だが、リリアナは断った。
オルガもまた護衛として来ると言っていたが、王宮には十分な警護があるという理由を盾に屋敷に残している。
だから、リリアナの世話をする女官たちは皆リリアナの良く知らない女性たちだった。それも間違いなく大公派の息が掛かっている女性たちだ。
(大公派が台頭した後に雇われた方々ですわね)
一人一人の顔を確認し、リリアナは彼女たちの経歴を調べ上げていた。恐らく大公派は、国王ホレイシオや王太子ライリーを片付けた後には直ぐに配下を勤めさせられるよう、事前に根回しをしていたのだろう。ライリーやクライドたちはそれも警戒していたはずだが、ホレイシオもライリーも居ない今、文官たちは権力を握った大公の命令を断れない。
(窮屈ですわ)
リリアナは嘆息を堪えた。いっそ大公派の中に入ってしまえば色々と融通は利く上に情報の入手もしやすいと踏んでいたし、事実その通りだったが、それは同時に自分も監視されるということだ。魔術を使えばある程度は監視の目を逃れられるとはいえ、常に気を張り周囲に注意を払う生活は疲労が溜まる。
「もう宜しいわ。わたくし、図書館に参ります。一人だけ付いて来て頂けたら結構よ」
毅然と言えば、女官の中で最も身分の高い女性がリリアナに付き従う。リリアナは、先日図書館から部屋に持ち帰った本を数冊持つように女官に指示すると、ゆっくりと廊下を歩いて図書館に向かった。
図書館の中には、立ち入りが制限されている部屋がある。リリアナはそこに籠って、ライリーたちの様子を確認するつもりだった。
*****
馬車の中だけでなく、馬の上にも沈黙がおりていた。
オースティンが予想した通り、町で働こうとしていた“良いところのお坊ちゃん”はベラスタ・ドラコ本人だ。馬には乗れるが長距離の経験がないベラスタは、エミリアとクライドと共に馬車に揺られている。
次の町には日が暮れる前に到着したいため、ベラスタに何があったのか尋ねるのは移動後にすることにした。オースティンとしてはそもそもライリーがヴェルクに向かう是非について話したかったが、そこはライリーの一存だ。クライドも反対しない今、オースティンが強く引き留める理由もない。
多少の気まずさを覚えながらも、一行が隣町に到着したのは日が暮れる直前だった。野営をしなくて済んだことは幸いだが、今後ヴェルクに到着するまでには幾度か野営をせざるを得ないだろう。
「多分、次の町に行く前には一度野営を挟むことになるでしょうね」
食事を終えた後、一部屋に集った五人の中で口火を切ったのはクライドだった。先日泊まった宿よりも多少、部屋が広い。しかし椅子は足りないため、オースティンとベラスタが立ち、クライドは寝台に腰掛けることになった。
「それで」
オースティンが単刀直入にベラスタに尋ねる。顔を上げたベラスタは、大人しくオースティンの質問を待った。
「お前は一体、どうやってここまで来たんだ? 俺たちと会ったのは、大公派の連中が押しかけて来た執務室が最後だろう」
「ああ、うん。そうだな」
ベラスタが頷く。そして、彼は少し考えて言った。
「なんていうか――気が付いたらここに居た、みたいな?」
そんな感じだよ、とベラスタはざっくりと答える。しかしそれは、オースティンが求めた答えではなかった。眉根を寄せてベラスタに尋ねる。
「まず一から順を追って説明しろ。お前が執務室に来たのも、唐突だった。あれは自分の意志で来たのか?」
「まさか!」
問うたオースティンに、ベラスタは心外だと言わんばかりに首を振った。
「そんなわけないだろ。王宮の執務室、だけじゃなくて、貴族の腹黒さがぎゅっと詰まったような場所なんて、頼まれても行きたくねーよ!」
心の底からの叫び声に、無言で成り行きを見守っていたライリーもオースティンも、苦笑と共に溜息を吐く。思わずライリーはぽつりと感想を漏らした。
「――そこはベン・ドラコ殿とあまり変わらないんだね。安心したというか、何というか」
「同感」
オースティンもライリーの言葉にしみじみと頷く。
ドラコ一族は優秀な魔導士を数多輩出し、魔術の名門と呼ばれている。しかし同時に彼らは権力や政と一定の距離を取ろうとしてきた。しかし、その実力を恐れた嘗ての王が、ドラコ一族に自由を与える代わりに、当主ないしは次期当主に当たる人物を魔導省に必ず勤めさせるよう要請し、ドラコ一族もそれに応えた。
以前ベン・ドラコが無期限謹慎処分になった時、馘首にならなかったのは、勿論監視の意味もあっただろう。だが、魔導省に在籍しているドラコ家の人間がベンしか居なかったため、馘首したくとも出来なかったという裏事情もあった。
一方、今回は名目上でもベラスタさえ在籍していれば、ベン・ドラコを魔導省から追放しても盟約は破られないことになる。恐らくメラーズ伯爵はそこまで見越しているはずだった。
そんなことを考えながら、ライリーはオースティンの後を引き受けるようにして質問を口にする。
「執務室に来る前には、何をしていたのかな? まずはそこから聞かせてくれると嬉しいんだけど」
「ええっと、そう、これだよこれ」
ベラスタがローブから取り出したのは一つの魔道具と、一通の手紙だった。首を傾げたライリーはベラスタに「触っても良いかな?」と尋ねる。許可を得た後に、ライリーはまず手紙を確認することにした。
「――差出人の名前がないね」
「そうなんだよ。いつの間にか、研究室のオレの机に置いてあってさ。でも、誰も知らないって言うんだ」
ライリーは封筒から紙を抜き出す。それほど長い文章は書かれていなかったが、その内容はライリーには理解が難しいものだった。眉根を寄せて、自分が把握できた範囲の事を口にする。
「魔道具の――これは、術式に関する助言かな?」
「そうなんだよ。その魔道具がこれなんだけど」
そう告げてベラスタが指し示したのは、先ほどベラスタがローブから取り出した魔道具だった。
「例の、封印具を探すための魔道具なんだよね。最後の術式で悩んでたんだけど、でも――」
この手紙の術式を当てはめれば完成しそうなんだ、と――そう告げたベラスタは嬉しそうな、しかしどこか悔しそうな表情を浮かべていた。
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