54. 追放された者 2
鬱蒼とした森は、ユナティアン皇国の第二の都市ヴェルクにほど近い町を囲んでいる。その一部を映し出したリリアナは、映像の角度を調整した。
「不安でしたけれど、ちゃんと見えますわね」
さすがのリリアナも、自分の魔力だけで遥か遠い異国の地を映像で見ることなどできない。彼女が準備していたのは、呪術の鼠を更に発展させた魔道具だった。
ライリーとオースティンを転移させた時、リリアナは同時に自分が作った魔道具も同じ場所に転移させていた。だが遠隔で鼠を操作しライリーたちの後を尾行させることなど当然不可能だ。そのため、鼠にはライリーの魔力を覚えさせ、その魔力を辿っていくように術式を組んだ。三匹の鼠を用意したが、そのどれもがライリーを追いかけるように設定している。
オースティンやクライド、エミリアの魔力を覚えさせることも考えたが、他の二匹が何らかの理由で使えなくなった時もライリーを追いかけるようにした。
本来であれば、ヒロインであるエミリアの魔力を覚えさせた方が良い。だが、ライリーと共に転移させた以上、エミリアの魔力を追いかけさせるよりもライリーの魔力を追いかけさせた方が確実だった。
エミリアとクライドが旅立った時にこっそりと同行させても良かったのだが、生憎とクライドの警戒が強く、そして十分な時間もなかった。
「ヒロインと攻略対象者たちはほぼ一緒に行動しますから、問題はございませんでしょう――多分」
現実と乙女ゲームに差異が生じている以上、別行動することもあり得る。しかし結果的に、半ば強引ではあったが攻略対象者たちはヒロインであるエミリアと共にヴェルクに向かうことになっている。転移したライリーやオースティンが自分の居場所に気付けば、クライドたちと合流すると考えても不自然ではないはずだった。
とはいえ、実際には半ば以上が賭けだった。ライリーやオースティンが現在地に気が付いても、クライドとエミリアに合流しない道を選ぶ可能性もある。
大公派の動きがリリアナにとっても予想外に早かったとはいえ、計画の肝心な部分はかなりの博打だった。
さすがに、長い付き合いのある二人の精神に干渉したくはない。体内に闇の力が随分蓄えられているため、今のリリアナであれば二人程度ならば心を操ることも不可能ではなかった。しかしさすがに気が咎める。最悪の場合は直接手を下さなければならないだろうと思っていたが、ライリーたちがエミリアたちに合流する道を選んでくれるのであればそれ以上のことはない。
多少の不安を覚えながらも、リリアナは映し出された景色を注視する。
少しすると草を踏み分ける足音が大きくなり、見知った人物たちが姿を現した。二人とも、服装が最後に見た時と違う。王都に居た時は高貴な若者といった風体だったが、近場の町で適当な衣服を手に入れたらしく、金持ちの商家の息子に見える。剣を腰に佩いているため、次男か三男で騎士として働いているように受け取られるだろう。
『ライリー、もうすぐクライドたちが来るみたいだ』
『そうか。思ったよりも少し時間が掛かったね』
リリアナはライリーたちが居る場所を確認する。予め印をつけた呪術の鼠の位置を探れば、比較的簡単に把握できた。
ライリーたちは最初に転移した場所からヴェルクに向かってゆっくりと歩を進めていたらしい。後からやって来るクライドやエミリアと合流するためだろう。
『もう少ししたら街道に出て待ち伏せよう。多分、気付くと思う』
『そうだね、もし無理でもこちらから声を掛ければ良いよ』
オースティンの提案にライリーは素直に頷く。ライリーは普段と変わらない様子だが、オースティンは神経が立っているように見えた。
大公派に王宮を追い立てられリリアナに裏切られ、そして見知らぬ土地に飛ばされたにも関わらず平然としているライリーの方が普通ではないに違いない。それでもリリアナは、二人に対して申し訳ないという気持ちは持てなかった。
「お二方が欠けると封印具は入手できませんから、仕方ありませんわね」
リリアナは小さく呟く。
魔王を封印する魔道具は三種類、剣と宝玉、そして鏡だ。その全てを入手するには、嘗て魔王を封印した時にその封印具を保有していた三傑の血を継ぐ者が実際に手を下す必要がある。
つまり、剣を隣国のコンラート・ヘルツベルク大公から奪うに当たっては、三傑の一人である勇者の血を継ぐ者が剣を手に取る必要がある。他の人物が手にし戦うこともできるが、剣の真の力を発揮するためには勇者の血を継ぐ者が使用者にならなければならなかった。それ以外の者が手にしても、封印具はそこら辺の傭兵が使っている無銘の剣と何ら変わりはない。
「王太子か近衛騎士か――確か、ヒロインがどちらのルートを選択するかで変わりましたわね、確か」
前世の記憶は普段は脳の深くに沈み込んでいるが、思い出そうとすればいつでも情報だけを取り出せる。その記憶に照らし合わせると、ヒロインが王太子とのハッピーエンドを迎える時は王太子が、近衛騎士との結末を迎える時は近衛騎士が封印具の剣を奪取していた。
「今回はどちらになるか分かりませんわね。今のところは、オースティン様が優勢かしら」
オースティンやエミリアとはライリーほど交流していない。しかし、垣間見える二人の様子では互いに意識しあっているように見えた。しかしライリーとエミリアの関係も悪くはない。
何より、人間には吊り橋効果というものがあると言う。危険な場面を共にした相手に好意を抱くという心理学的な現象だ。当初は一目惚れを説明するものだったはずだが、初対面でなくとも似たような状態にはなり得る。人間は協働して何かを成し遂げた時、仲間に連帯感を抱く。そこから恋愛感情が生まれることも往々にして考えられる。
ライリーではなくエミリアとオースティンの仲が良く見えることに心のどこかで安堵しながらも、リリアナは緊張を解けない。
「今後も注視していく必要がありますわね――ウィルとオースティン様のどちらが剣を手にするかで、わたくしの取るべき手段にも多少変更がございますし」
自分に言い聞かせるように、リリアナは呟く。不快感が胸の奥に生まれた気がしたが、次の瞬間には忘れ去る。
映像の中では、ライリーとオースティンが切り株に腰かけて雑談に興じていた。
『ヴェルクに向かって剣をヘルツベルク大公から奪う。その後、王国に戻るだろ。だけど王国は大公派が牛耳ってるはずだ。真っ直ぐ王宮に向かうのはまずいぜ』
『そうだね。その時にならないと分からないけど、取り敢えずはケニス辺境伯のところに行くのが良いんじゃないかな。カルヴァート辺境伯領はケニス辺境伯領よりも遠いしね。それからヘガティ団長と合流する』
『なるほど。王宮に戻る前に、手勢を増やすってことか』
『うん。王立騎士団は恐らく大公派が掌握しているだろうから、数には入れられない』
ライリーは淡々と事実を述べるように告げるが、王立騎士団の名前が出た途端にオースティンの顔が苦く歪む。彼の脳裏には、八番隊が執務室に押し入った瞬間が蘇っているのだろう。
しかしオースティンはその点について言及はしなかった。
『そうだな。もしくは協力を要請した後、俺だけが戻るのはどうだ。それで王立騎士団を中から切り崩す』
『オースティン、それはさすがに無謀が過ぎるんじゃないかな。大公派もそれほど愚かではないし、八番隊は隠密を得意とする組織だよ』
オースティンの猪突猛進染みた提案に、ライリーは呆れ顔だ。
『君、エミリア嬢にだいぶ影響されてない?』
『そんなことはないぞ――多分』
昔はそこまで直情的ではなかった気がすると言うライリーに、オースティンは僅かに頬を染めて首を振った。ライリーはやれやれと首を振る。自覚がないのも困りものだと言いたげな視線をオースティンに向けるが、オースティンは気まずそうな表情でわざとらしく立ち上がった。
『あー、そろそろ街道に出ておいた方が良いんじゃないか。クライドたちが通り過ぎるのに間に合わなかったら、折角待っていた時間が無駄になる』
『そういうことにしておこう』
ライリーは意味深に同意すると立ち上がる。オースティンは反論しようと口を開いたが、賢明にも何も言わなかった。
他意はないと言い張っても、今のライリーはオースティンを揶揄うだけに思えた。
二人は森の道を歩いて街道に向かう。それに合わせて、リリアナが見ている映像も移動した。
森の中と言っても、二人はそれほど深奥にまで入り込んではいなかったらしい。それほど時間もかからずに街道に出る。それなりに広く整った街道は、スリベグランディア王国の街道とは違い、かなり整地されていた。馬が走るための道と歩道に分かれ、歩道には石畳が敷かれている。
『ヴェルクに近いからか、歩道にまで石畳が敷かれているとは思わなかった。ここの領はだいぶ富んでるんだな』
『町と町が近いからだろうね。他の場所だと、そもそも道を歩く人が居ないんだから歩道は不要だ。恐らくここから更に進めば、また石畳はなくなると思うよ』
石畳の上に立ったライリーとオースティンはそんなことを会話している。
リリアナはユナティアン皇国の地図を思い返す。さすがに詳細な地図は王宮にまで持って来ていないが、顧問会議の日にライリーたちを転移させる先を検討するに当たって、自宅で地図を良く検分した。
乙女ゲームでは詳細な地図までは表示されない。そもそもゲームの攻略対象者たちはヒロインと共に王国を出立したのだから、転移する必要などなかった。
クライドたちが王都を出た日と通る道筋、経過した時間。
それらを組み合わせて、どの場所に飛ばせばライリーたちがクライドたちと合流しやすいかを考える。
当然、飛ばす先が僻地であっては意味がない。重要なことはクライドとエミリアと共にヴェルクに向かって貰うことであって、生存を懸けた森での野生生活ではない。
必然的に、比較的栄えた町や村が密接した場所であり、クライドたちの居場所よりもヴェルク寄りの場所ということになった。
「確かに、隣町が近いですわね」
町同士が近いのであれば歩道の整備も進むだろう。そしてライリーが指摘している通り、今彼らが居る場所からヴェルクに向かう道すがらの町はそれぞれ距離がある。当然、隣町に徒歩で向かう者はそれほど居ない。居るとしても人数は多くなく、たいていは馬や馬車を使う。馬を持っていない者であれば徒歩の可能性もあるが、数はかなり限られている。歩道を整備しても意味はないだろう。
『オースティン、あれじゃないか』
『ああ、そうだな。護衛に見覚えがある』
ライリーとオースティンはクライドとエミリア一行に気が付いたらしい。ライリーをその場に残し、オースティンが数歩前に出た。クライドたちに向かって手を振る。
最初に気が付いたのは護衛だった。訝し気な表情を浮かべるが、だいぶ近づいて来たところでオースティンが声を掛けると明らかに驚く。
護衛は馬車に馬を近づけると、中に居るクライドとエミリアに声を掛けた。少し馬車が進んでからライリーたちにほど近い場所で停まると、クライドとエミリアが飛び降りて来る。
『殿下、オースティン! どうなさったんですか!?』
滅多に表情を変えないクライドが、驚愕にわずかながら目を見開いている。エミリアもまた頬を上気させ、二人に近づいて来た。御者が慌てて手綱を引いて馬車を停め、護衛たちも素早く馬から降りて地面に膝を着こうとする。それを片手で押しとどめ、ライリーは穏やかに言った。
『ちょっと色々あってね。詳細については追々話すとして、これから同行しても構わないかな?』
『それは――勿論、構いませんが』
ライリーの申し出を聞いたクライドは、戸惑いながらも快諾する。服装をまじまじと見つめ、何故自分たちを見送ったライリーたちがこの場所に居るのか、そして何故二人だけで共も連れずに――王太子や公爵家の子息にしては――貧相な服を着ているのか、すぐには理解できないらしい。
『それは良かった』と如才ない笑みを浮かべるライリーの隣では、オースティンが複雑な表情で立っていた。その様子を、エミリアが不思議そうな目で見つめている。
しかし立ち話をするのも時間の無駄だと、ライリーたちは移動を開始することにした。一旦森の中に入ったオースティンが、二頭の馬を連れて出て来る。
『クライド、馬はあるから君たちは気にせず馬車に乗ってくれ』
ライリーの言葉を聞いても落ち着いていたのはオースティンだけだった。クライドとエミリアは愕然と目を瞠る。
王太子が馬に乗り、目下の者が馬車に乗るなど前代未聞だった。
『あの、私が乗ります! 馬には慣れているので!』
『いえ殿下、私が。殿下は馬車にお乗りください』
元気よく手を挙げたエミリアと、馬に近づこうとしたライリーを制止しようと一歩踏み出したクライドに、ライリーは微笑を保ったまま首を振った。
『落ち着いた場所で詳しいことは話すけれど、実は正体を明かしたくなくてね。私とオースティンは公爵家に雇われた護衛騎士で、それなりに裕福な商家の息子という体で行きたいんだ。だから君たち二人は馬車に乗って、私とオースティンは馬に乗る』
エミリアはぽかんとしたが、クライドは何かを悟ったのか真剣な表情でライリーとオースティンの風体を再確認した。
『なるほど、だからそのような身なりをなさっておいでなのですね』
『そういうことだね』
朗らかに頷いたライリーに、クライドはわざとらしい溜息を吐いてみせた。
『雰囲気からして商家の息子には到底見えませんが――まぁ良いでしょう。承知しました』
あとできっちり聞かせて頂きますからね、と、クライドは念を押す。さすがにライリーも苦笑を浮かべたが、素直に頷いた。そして彼らはそれぞれ馬と馬車に乗り込む。
動き出したのを見て、リリアナは一度映像を中断した。中断しても、呪術の鼠はライリーたちの後を追っていく。ライリーの魔力を追う術式を組んだせいで音や映像を記録することはできない。しかし、何事かあればリリアナに知らせは飛んで来る。その時に対応すれば良いと、リリアナは小さく息を吐いた。









