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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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8. 都鄙の難 5


オルガとジルドは意識のない少女を抱えたまま教会に向かった。街を覆いかけていた瘴気はいつの間にか消え失せている。大量に魔物の死骸が転がってはいるものの、魔物襲撃(スタンピード)は無事に治まったようだったが、無事とは到底言えない。鼻を付く血の臭いと腐臭、そして砂ぼこりは惨劇の大きさを物語っている。街道の主要拠点として重宝されているこの街だが、元通り活発な姿を見せられるようになるまでは相当な時間が必要だろう。


「被害状況は街の三分の二、ってところだなァ」

「人的被害は甚大だな」


ジルドがぼやけばオルガも頷く。二人の視線は自然とジルドが抱える少女に向けられた。


「――この少女、かな」

「可能性としては高ェけどよ、なら何で噂になってねェンだ?」


確証はないが、魔物を消滅させる光の最高位魔術を使ったのがこの少女であることを、二人とも薄々勘付いていた。()()()に居たのは三人、そして自分たち二人は光魔術を使えない――となると、必然的に導き出せる答えだ。

だが、それにしては妙な話だった。聖魔導士に匹敵する力を持った少女が居るという話を、オルガもジルドも、()()()()()()()聞いたことがない。


「秘匿されているか――もしくは知られていないか、のどちらかだろうな」

「関わりたくねェ」


心底面倒臭そうにジルドが吐き捨てる。オルガは宥めようともせず、小さく肩を竦めた。


「いずれにせよ、恐らく私たちが助かったのはこの少女のお陰だ。どこの何者かは知らないが、丁重にお返しするのが筋だろう」

「この状況じゃ、返す当てが教会に居るかどうかも分かンねェけどな」


身なりからして貴族であることはほぼ確実だ。普通であれば供が付くが、この少女は一人だった。供とはぐれたか、死んだか――あるいは、敢えてこの少女が単独行動を取ったか。

仔細は分からないが、明らかに面倒事の匂いがする、とジルドは不快感を隠さない。対するオルガはどこまでも涼し気な表情で、満身創痍であることは勿論、少女に対する感情も一切表に出していなかった。


やがて二人と少女は教会に到着する。魔物の脅威が去ったと人々も気が付いているのか、疲労と恐怖、焦燥の色を残しながらも、襲撃に晒されていた最中の悲壮感や絶望感は多少薄くなっていた。


列に並んで、二人は少女を抱えたまま教会の中に入る。人々は他に興味も抱けないほど疲れ切っていた。それでも、何割かは新しく人が入って来る度に縋るような眼差しで顔を確認する。恐らく魔物から逃げる最中に逸れた友人や家族を探しているのだろう。


「で、どうやって探すよ」


ジルドが声を潜めてオルガに尋ねる。オルガは「練り歩くしかないんじゃないか」と答えた。教会は広い。適当なところで立ち尽くすより、少女の知り合いを探し回った方が見つけられる可能性は高いだろう。その通りだとジルドも理解はしている様子だったが、それよりも面倒臭さと厄介事を忌避する気持ちの方が強いようだった。


「――面倒臭ェなチクショウ」

「私たちはその少女に助けられたようなものだろうが、文句を言うな」


二人とも、周囲に聞こえないよう声を潜めての会話である。ジルドは一つ舌打ちをしたが、それ以上異論を唱えることはせず、オルガと共にゆっくりと人々の間を歩き始める。

本当に少女を知る人物が教会に居るのかどうかすらも定かでない中ではあったが、自分たちに視線を向ける人々の様子を目を光らせながら窺っていた。


――そして、教会の側廊を通り翼廊に辿り着いた時。


「――――お嬢様――?」


一人の女性の声が、二人の耳に届いた。そちらを見ると、二人の若い女性が床に座り込んでいた。その内の一人――恐らく十代半ば頃であろう少女が、愕然と目を見開き口を戦慄かせている。もしや知り合いかと足を止めれば、その女性は躓きかけながらもジルドの元に近づいて来る。彼女は二人の傭兵に目もくれず、意識を失った少女に震える手を差し伸べた。


「お、お、お嬢様――、」


まだ年若い双眸は恐怖に揺れている。血にまみれ固まっている美しい銀髪の先を振るえる指先で撫で、少女は声を掛ける。泣きそうな表情は、既に大切な“お嬢様”が事切れているのではないかと慄いていた。


「――息はしている。見たところ怪我はない。恐らく気絶しているだけだ」


さすがに見かねたオルガが簡潔に状態を説明する。それを聞いた少女は震える手でようやく気絶した幼い少女の頬に触れる。温かく呼吸していることに気が付いたのか、その顔は泣きそうに歪んだ。だが、辛うじて涙をこぼすことは堪える。

もう一人の少女も立ち上がってオルガとジルドに近づいて来た。一人目の少女よりも大人びた顔つきのローブを着た赤髪の少女は、対照的に平静だった。


「お嬢サマを助けてくれてアリガトね」

「いや――お互い様だ」


オルガは言葉少なに答える。状況からしてお互い様と言えるようなものではなく、むしろ()()()()()()()()()()()()()()()のだが――もし少女が己の力を秘していたのなら、軽はずみな発言はできなかった。

気軽な様子で二人に礼を言った赤髪の少女は、ジルドの手から“お嬢様”を受け取る。重いだろうに、彼女は気にした様子がなかった。とうとう一人目の少女が泣き出してしまう。


ジルドとオルガはこっそりと、肩の荷が下りたと言わんばかりに安堵の溜息を吐いた。一人目の少女が安堵の涙を流す様を見れば、二人が自分たちを助けた少女と近しい関係であることはわかる。自分たちがこれ以上できることはない。怪我の手当てをして貰いに行こうかと足を踏み出した時、ローブの少女が「ねえ」と声を上げた。


「――なにか?」


オルガが肩越しに首を傾げる。ローブの少女は感情の読めない微笑を浮かべ、「あんたたち、傭兵だよね?」と尋ねた。疑問形で尋ねているものの、確信を持っていることは確かだ。見た目からしても否定できないため、オルガは頷く。ジルドは疲れているせいか、若干の苛立ちを見せた。


「あぁ? ンだ、文句あるってのか」

「今の雇い主は? 生きてる? 死んだ?」


その問いかけに、オルガは瞠目する。ジルドは眉根を寄せ、訝し気にローブの少女の様子を窺った。


「――何が言いてェ」

「飼い主が居ないみたいだからさ。それで、こっちも護衛を失くしてるんだよね。このお嬢サマがお屋敷に戻るまで、護り手が居ないのはマズい。てことで、ここから王都近郊まで、二人とも護衛として雇われてくんないかな?」

「ンだと?」


不快気に牙を剥くジルドを歯牙にもかけず、お金出すのはあたしじゃないけどね、とローブの少女はニヤリと笑う。オルガは黙したまま、少女たちの様子を窺った。


「どうする?」


ローブの少女が視線を泣き止まない少女とオルガ、そしてジルドに向けて尋ねた。泣いていた少女は、しかしきちんと話を聞いていたらしい。涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら必死に頷き、涙にぬれた大きな目をオルガとジルドに向けた。


「は、はい、もし――差支えなければお願いしたいです。費用は、お嬢様にご相談申し上げなければなりませんし、今は持ち合わせがございませんから――屋敷に到着してから、後払いになりますが、それでも宜しければ」


ジルドは痛烈な舌打ちを漏らす。どうやら気に入らないらしい。だが、二人にとっては渡りに船でもあった。自分たちを雇っていた商人はもう居ない。本来支払われるはずだった残りの金も、支払いは望むべくもない。

先に決めたのはオルガだった。


「わかった。その依頼、引き受けよう」

「あ? 本気かよ、テメェ」

「本気だ。お前は好きにするが良い。ここから先の路銀をどうするつもりかは知らんがな」


オルガの答えは明瞭かつ冷徹だった。突き放す台詞に、ジルドは「チクショウ、この裏切り者め」と毒づく。だが、本来であれば悩む必要もない依頼だ。

ジルドは顔を更に凶悪に歪めたが、それ以上の反発は見せずに不承不承の体で頷いた。


「――わぁったよ、俺も乗る」

「有難うございます」


丁寧に頭を下げたのは、ようやく泣き止んだ少女だった。気絶した“お嬢様”の手を握って離さない。


「それでは改めまして、自己紹介をさせていただきます。私はマリアンヌ・ケニスと申しまして、こちら、クラーク公爵家ご令嬢リリアナ様に侍女として仕えております。こちらは魔導士のペトラ・ミューリュライネン様で、此度特別に同行をお願いしております」

「――――は?」


間抜けな声がジルドから漏れる。それまでの凶悪な面はどこへやら、彼は愕然と目を見開いていた。オルガも動揺しているのか、整った顔に驚愕を薄っすらと乗せている。


「え――クラーク公爵家って、あの? 三大公爵の?」

「はい。その通りでございます」

「その、娘?」

「はい。――あの、なにか」


あまりにも信じられないと問いを繰り返すジルドに、マリアンヌはきょとんと首を傾げる。

ジルドは小さく「うっそだろ……」と頭を抱えてしまったが、一足先に動揺から立ち直ったオルガは優艶な微笑を浮かべ「それは存じませんで、失礼いたしました」と軽く一礼した。


「それでは、お屋敷までお供させていただきます。馬車も失っているでしょうし、出立の準備が整うまで今しばしお待ちいただけますか」

「まぁ、それは助かります。有難うございます」


マリアンヌはようやく強張っていた顔に安堵の色を載せた。オルガとジルドは怪我の手当てと馬車の調達のため、その場を辞す。教会の中庭で怪我人の手当てがされているはずだった。足早に歩きながら、ジルドが未だ衝撃冷めやらぬ様子でオルガに耳打ちする。


「おい、クラーク公爵家の話って聞いたことあるか」

「噂程度だ。恐らく、私でもお前程度しか知らんぞ」


ジルドは口をへの字に曲げる。

王太子妃候補筆頭、三大公爵家の令嬢リリアナ・アレクサンドラ・クラーク。


「氷の仮面をつけたご令嬢、ってな」


まだ社交界に出ていない少女だが、王太子妃候補として王宮に上がっていることは貴族なら誰でも知っている。そしてその彼女は感情を滅多に表に出さず、しかしその美貌から氷の仮面を付けている――と揶揄されることもある。尤も、三大公爵の内の一つであるクラーク公爵家に対して不遜に当たるため、声を大にして噂することはできない。


だが、貴族社会よりも庶民社会の方がその点では明け透けだ。


「その娘が、なァ」


ジルドは言葉を濁す。しかし、オルガはジルドが何を言いたいのかすぐに理解した。


「――隠されている線が濃厚だな」


聖魔導士しか使えない最高位の光魔術を使えるほどの能力――それをクラーク公爵家の令嬢が持っているとなると、貴族社会の権力構造に大きく影響する。だから黙されているのだろうと、そう考えるのは当然のことだった。



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