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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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53. 悪役令嬢の讃歌 11


ソーン・グリードから仕事を言いつけられたペトラは、しかし真っ直ぐ物見の塔には向かわなかった。魔力封じの枷を持ち、足を向けたのは王都にあるベン・ドラコの個人宅だった。

日も翳り足元も良く見えない中、彼女は灯りひとつつけずに道を歩く。魔導省を出た辺りから監視の目を感じていたが、途中で適当に撒いた。恐らくペトラを尾行していた者は、今頃ペトラが借りている住宅の近辺で無駄な時間を潰しているに違いない。


「これは、ミューリュライネン殿ではありませんか。お久しぶりですね」


気配を殺して帰宅したペトラを待っていたのは、ベン・ドラコの家宰でもあるポールだった。主人が帰宅しないまま捕らわれているというのに、ポールは平然としている。相変わらずだと心の中で呆れながらも、ペトラは僅かに開かれた扉から館の中に入った。妙に甘ったるい匂いが漂っている。どうやらポールは菓子作りに勤しんでいたらしい。

ペトラは挨拶もそこそこに、単刀直入に質問を口にする。


「何か知らせは?」

「未だなにも」

「その割には」


平然と答えるポールに、ペトラは目を細めて呆れ顔を作ってみせた。


「今から出かける、みたいな恰好だけど?」


ペトラが指摘した通り、ポールは今まさに出掛けようとしているところだった。全身を黒の衣装に纏い、長い外套(マント)を羽織っている。帽子を目深に被った様子はまさにお忍びの貴族子息だ。普段は家宰としての装いを完璧にしているポールには珍しい格好だった。とはいえ、その装いが全てベンお手製の魔道具であることをペトラは知っている。

ポールは平然と答えた。


「なかなか帰って来ない主人を迎えに行こうかと」

「珍しいね」

「そうですね。滅多にない書状が届いたものですから、そろそろ働いて頂かないといけません」


あっさりと告げられたポールの言葉を、ペトラは理解できない。きょとんと首を傾げるが、ポールは説明しようとしなかった。代わりに、別の言葉を口にする。


「その件については、いずれあの人から直々にお話があると思いますよ。恐らく、なぜ今代で動く羽目になったのかという盛大な愚痴と共にね」

「――意味わかんないんだけど」


ペトラは眉根を寄せる。ポールはほんのりと笑みを浮かべたが、その視線をペトラの持つ袋に止めた。


「それは?」

「一応、建前?」


そう言いながら、ペトラは袋に乱雑に突っ込んだ魔力封じの枷を取り出す。その形状を見たポールは、すぐにペトラが持ち帰った魔道具の用途を理解した。普通であればポールのような立場の者が魔力封じの枷を見ることはないはずだが、彼は主に装着された枷を見たことがある。


「その建前は、大公派が用意したものですか?」

「多分、ちがうと思うけどね。ソーン・グリードだよ」

「へえ」


ペトラの言葉に、今度こそポールは片眉を上げてわざとらしく感心した声を上げた。

ソーン・グリードが、ポールの主であるベン・ドラコを嫌っていることはポールも良く知っている。なにせ六年前、ベン・ドラコに無実の罪を着せるため偽証を用意したのがソーン・グリードだ。今二人がいる屋敷に押し入って来たソーン・グリードと彼の仲間が、わざわざ隠し持って来た魔道具をまさに屋敷の中から見つけたと一芝居打つところを、ポールは目撃していた。そしてその証拠を無価値なものに変えてやると同時に、ソーン・グリードの腕を多少強く掴んでやったことも覚えている。


「そういえば、彼もまた随分と変わられたようで。大公派の御父上と決別なさったのだとか」

「らしいね。興味なかったけど、たぶんそうなんじゃない?」


ベラスタのことも可愛がっているみたいだし、とペトラは言う。ベラスタの名前を口にする時だけ、ペトラとポールの表情に苦いものが走った。

ペトラがポールに物言いたげな視線を向ける。


「ベンのことはいいけどさ。ベラスタも捕まってんだよね。そっちはどうすんの?」


ペトラは、ベン・ドラコとベラスタがどこに捕らわれているのか知らない。ベンに関してはソーンが教えてくれたから物見の塔に居るらしいと分かったものの、ベラスタについては未だに情報を一切得られないままだった。ただ一つ分かっていることは、ベラスタがベン・ドラコとは全く別の場所に放り込まれているらしい、ということだけだ。

そして、情報を掴めていないのはポールも同じだった。


「通常であれば、居場所の特定は容易いんですがね。あいにくと、全く気配を感知できないのですよ」

「それって、魔力封じの枷が着けられたか、魔術封じの陣が施された場所に放り込まれてるってこと?」

「そう考えるのが妥当でしょうね。そうでない場合は、感知できないほど遠くに行ったと考える他ありませんが」


しかし大公派がベラスタを捕えたのは、ベン・ドラコが不用意な行動をしないようにという牽制の為に違いない。その程度のことは、ポールやペトラも薄々察していた。だからベラスタを遠方に追いやるようなことはしないはずだ。


「いずれにせよ、ベン・ドラコ(あのバカ)を連れだせば万事解決です。さっさと行きますよ」


そう声を掛けると、ポールは颯爽と歩き出す。ペトラは小さく嘆息すると、ポールの背中に声を掛けた。


「とりあえず疲れたからさ、王宮近くまで転移しよう」

「――見つかれば、また面倒なことになりますよ」

「別に良いさ、非常事態だろ」


ポールは常識的なことを口にするが、ペトラは笑って一蹴する。片眉を上げたポールは「そうですね」と納得した風を装うが、そもそも投獄された主を助け出しに行くと言っている時点でポールはペトラと同じ穴の狢だ。


「なに自分が一般人だって顔してんのさ」


ペトラは呆れたように文句を言うが、時間を無駄にはしない。今後のことも考えると体力の温存も大事だが、魔力の無駄遣いも避けたいところだった。ローブの下から、魔導省から失敬して来た転移陣を取り出す。


「それじゃあ、行こうか」


にやりと笑ったペトラは転移陣を作動させる。行き先未指定の転移陣は、使う術者の技量が試されるものだ。しかしペトラは全く危なげなく転移陣を作動させ、二人の姿は屋敷から消えた。



*****



魔力封じの枷を首に付けられたベン・ドラコは、物見の塔の地下牢で一人のんびりと座っていた。その表情に悲愴さはない。物見の塔の地下牢は酷く陰気で気分が滅入るような場所だったが、彼は全く気にしていなかった。

そもそも、顧問会議の日に国王ホレイシオが無事に逃走した以上、ベン・ドラコはいつまでも物見の塔に放り込まれているわけではないだろうと予想していた。


「うーん。珍しくこういうことに頭使うと疲れるんだけど。そもそも僕の専門は魔術であって政は範疇外だし、人が何考えてるのかとかこれから先何が起こるのかとか考えること自体苦手だし、というかそれ以前にあの子が企んでいることを把握するのってまず無理な話だと思うんだけど、そのことについての意見をポールに訊きたいのにポールがいない」


一気に言い募ったベンは、乱暴に頭を掻いて嘆息する。殆ど息継ぎなしで話す癖は、魔術の研究について口にする時にしか出て来ないはずだった。だが、今のベンは暇な時間を持て余しすぎて顧問会議の日の出来事を何度も繰り返し考えている。辿り着く結論は毎回同じなのだが、それでも思考を巡らさずにはいられなかった。


「そこも大事なんだけど、やっぱり気になるのはあの時の魔力の質なんだよな。この前といってもだいぶ前だけど、最後に診た時の魔力の質とだいぶ本質が変わってたというか、寧ろなんかぞっとするような感じだったし。でも表層は変わらない感じ? 一体何があったのか分からないけど、あんまり良い印象はないな」


腕を組んでベン・ドラコは喉の奥で唸る。普通の囚人であれば既に精神が摩耗し怯えを見せ始めているところなのだが、ベンには全くその兆候がなかった。

ただし、その状況を監視している者はいない。看守が滞在している場所は塔に入った直ぐにある詰所であり、牢のある地下に足を踏み入れることは滅多になかった。


暫く無言で座っていたベン・ドラコは、しばらくして妙な音と気配を感じて顔を上げる。目を瞬かせて、彼は唯一設けられた小さな扉に視線をやった。

その戸口から獄中に入って以来、扉が開かれたのはたったの二度である。最初、看守は食事を持って来た。そして持ち帰る時にもう一度扉は開けられた。勿論、扉が大きく開かれたわけではない。開いたのは小さな扉に更に小さく開けられた、食事を差し入れるための窓だった。


だが、近付いて来る気配は看守のものではないような気がする。特別な訓練を受けたわけではない、一介の魔導士に過ぎないベンは、気配を読むことなどできなかった。しかし、何となく予想は付く。

思い切り溜息を吐いたベン・ドラコは、少しうんざりとした表情でぼやいた。


「あー、なんか怒られそう」


そして嫌な予感は、たいてい当たるものだ。鈍い音がして、小さな扉が開かれる。姿を現したのは、太い棒を片手にしたポールとその後ろに控えたペトラだった。

ベン・ドラコは頬を引き攣らせる。


「――やあ、ご機嫌いかが?」


ポールの機嫌は見るからに麗しくない。何故よりにもよってそのような言葉を口にしたのか、ベンは自分でも不思議だったが、口にしてしまったものは取り戻せない。ポールは片眉を上げると、小さく鼻を鳴らした。


「なにを馬鹿げたことを抜かしていらっしゃるんですか、バカ主。とっとと帰りますよ」

「ハイ」


ベンは素直に頷く。腹を立てた家宰には逆らわない。これは、ドラコ家の鉄則だった。



*****



ペトラが持ち出して来た転移陣で王都の家に戻ったベンは、魔力封じの枷を外した首を思い切り回した。骨が鳴る鈍い音が響く。物騒な魔力封じの枷は物見の塔に置いて来たから、朝方に食事を運びに行った看守が見つけることだろう。


「それにしても、良く看守に見咎められずに侵入したよね」

「貴方が色々と魔道具を作ってくれていましたからね。頭を使えばさして問題はありません」


ポールは平然と告げる。魔導士の一門であるドラコ一族の長男ベンに仕えながらも、ポール自身は全く魔術を使えない。だが、その代わりに彼はベンが作った魔道具を酷く上手に使いこなしていた。足りない魔力は魔導石で補い、後は頭脳勝負だとポールは言う。そして今回のように、魔術や呪術が使えないよう整えられた牢では物理が効果的だった。

実際に、ポールはペトラと協力の元物見の塔の外で騒ぎを起こし看守を誘き出し、隙をついて中に侵入したのだという。ポールが着ていた黒い衣装は幻術が掛けられていて、完全ではないにしろ他人から姿が認識されにくくなるものだった。

あとはベンも知る通り、腕力を使って牢獄の扉を破壊したのだ。


「菓子作りと刺繍で鍛えられた腕力ですよ」

「――そう聞くと、なんだか僕の知っている菓子作りと刺繍とは別物に思えるから不思議だよな」


げんなりとぼやくベンの言葉を、ポールは聞き咎める。おや、と片眉を上げて、彼は冷たい宣告を下した。


「そう仰るのでしたら、クッキーは私とミューリュライネン殿で頂くことにいたしましょう」

「うわ、悪かったって。二度と言わないからそんな冷たいことは言わないでくださいお願いしますお腹空いたんです」


窓もなく気温も一定の地下牢に居たベンは、自分が投獄されてからどの程度の時間が経過しているのか分からなかった。だが、どうやら一日以上が経過していたらしい。元々研究に没頭すると寝食を忘れる性質なので気にならなかったが、食事は粗末なパンと具のないスープが一回だけだったのだから、空腹になるのも当然である。

ポールは仕方がないと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「仕方ありません。これから、貴方には馬車馬のように働いて頂かないといけませんからね。特別にジャムも奮発しましょう」

「……喜びたいような嘆きたいような、複雑な気分だよ」


ベンは小さく呻いて、両手で顔を覆う。ポールはさっさと踵を返して、出掛ける前に作っておいたクッキーを取りに向かった。



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