53. 悪役令嬢の讃歌 10
ソーン・グリードにとって、その辞令は青天の霹靂だった。だが何度読み直しても、国王代理の宰相が記した文言は変わらない。
魔導省長官ベン・ドラコが魔導省から追放され、副長官であるソーン・グリードが長官の職を担うことになった。そしてベン・ドラコと同時に、ベラスタも姿を現わしていない。
王宮から国王と王太子が居なくなり、大公が権力を握ったという噂は、ほどなくして魔導省にも流れて来た。間違いなくベン・ドラコが消えソーンが長官になったのもその余波だ。
一年以上前であれば、ソーンも長官任命を喜んだに違いない。目の上のたん瘤である憎きベン・ドラコが消え、ようやく自分の実力が認められたのだと素直に辞令を受け入れた。しかし、今やソーンは何の憂いもなく狂喜乱舞することはできなくなっていた。
「――ベラスタに預けたあの手紙は、結局殿下のためにはならなかったのか」
もしくは、証拠の入手が遅かったのかもしれない。
もう少し自分が父グリード伯爵の身辺に気を配っていればと、苦い思いが込み上げる。しかし、反抗しても意味はない。ソーンの父は息子が大公派に都合よく動いてくれることを確信し期待しているだろうし、今更抗ったところでソーンの代わりに大公派の息が掛かった人物が魔導省長官に任命されるだけだ。
彼にしては珍しく、ソーンは大きな溜息を吐いた。絶え間なしに襲って来る頭痛はこれから先のことを憂いているせいだ。
ソーンはぐるりと部屋を見回した。魔導省長官に任命されたものの、ソーンは多忙を理由に副長官室から移っていない。副長官の任命はソーンに一任されているため、これもまた仕事が立て込んでいることを理由に保留にしていた。だが、仕事を理由にのらりくらりと逃げ回ることが出来るのも、そう長くはないだろう。いずれ副長官の任命もせっつかれるはずだし、もしかしたら大公派に都合の良い人材が派遣されてくるかもしれない。
「まるで私がベン・ドラコの帰還を待ちわびているようじゃないか。まさか、そんな馬鹿な話では断じてないぞ」
誰に言い訳するでもなく、ソーンはぼやく。辞令の書かれた紙は適当にその辺に放り投げた。以前のソーンであれば丁重に保管していただろうが、今の彼にとっては頭痛の種でしかない。
「大体、政にベラスタを巻き込むなど、どういう了見だ。大人だけで完結させろ、大人だけで」
苛々としながら、ソーンは手元にある資料に目を落とした。
父伯爵から辞令と共に届けられた依頼書には複数の依頼事項が記載されてあり、どれにも最優先と銘打ってある。その中でも一番時間と手間がかかる仕事は、転移陣の解析だった。転移陣を解析し、この陣を使ったものがどこへ行ったか知らせるようにというのだ。
勿論、ソーン・グリードに出来ないことではない。時間さえ掛ければ、何時どこへ対象者が転移したのかは解析できる。
問題は、どうやらこの陣を使って転移したのが王太子とその近衛騎士だったらしいことだ。
当然、グリード伯爵はそんな詳細は口が裂けても言わない。しかし幸か不幸か、ソーンにも王宮にそれなりの伝手はある。貴族たちは壁と同一視しがちな――即ち存在を無視しがちな使用人たちの口は軽い。
何故、国王と王太子が揃って大公派から逃げることになったのか理由は分からないが、その二人が逃亡しメラーズ伯爵たちが血眼になって行方を探しているという話は、魔導省にまで流れて来ていた。そしてソーンは自らの人脈を使って、噂以上に詳しい話を仕入れることが出来たと言うわけだ。
「全く――人使いの荒い」
ソーンは愚痴を垂れる。当然、批判の矛先は父グリード伯爵に向けられていた。
魔術陣、それも転移陣の解析など一番骨の折れる仕事だというのに、数日以内に仕上げろと無理な注文をしてくる。更に要求は厳しく、転移陣の存在は他に知らせるなと言う。
伝手を使って仕入れた情報と、グリード伯爵の要求を鑑みれば、必然的に王太子たちが転移陣を使って逃亡したと予測も立つ。
その程度のことにも気が付かないと思われているのか、それとも気付いたところで何も出来ないと思われているのか――いずれにせよ、グリード伯爵の態度はソーンの矜持を甚く傷つけるものだった。
「しかし、どうするべきかな」
転移陣の解析など、本音を言えばしたくはない。国王や王太子が逃走に使ったというのであれば尚更だ。しかしソーンが何もしなかったとしても、いずれ誰かが解析を言い付けられることだろう。その人物が、国王や王太子に好意的であるとは限らない。寧ろ大公派の息が掛かっていると考えた方が無難だ。それならば、ソーンが解析を担当してどうにか大公派の目をごまかし、国王や王太子が完全に逃げ切れるよう時間を稼いだ方がまだマシなのではないかと思えた。
「あとは――そうだな」
ソーンはあまり政には詳しくない。物心ついたころから貴族社会とは距離を取って来たため、伯爵家の息子でありながら社交界の暗黙の了解や考え方には疎い。しかし、現状を鑑みるに毛嫌いしているわけにもいかなさそうだった。
「戻って来るつもりはあるんだろうが」
ソーンの居る副長官室は盗聴が出来ないように魔術陣を施しているものの、何となく声を低めてしまう。
国王も王太子も逃亡したということは、大公派におもねるつもりはないということだ。即ち、仲間を掻き集めて準備を整えれば大公派と対決することになるに違いない。
正直なところ、ずっとソーンは政に関心はなく、大公派だとか王太子派だとか言われても自分には関係ないことだと思っていた。だが、父のして来たことや大公派の噂、王太子を支持している面々を見た限り、心中では次期国王には王太子が相応しいと思うようになっている。
なにより、王太子派の貴族たちは魔導士の事も尊重してくれている。一方の大公派の貴族たちは魔導士を路傍の石のように考えているに違いなかった。言葉はどれだけ繕えても、態度は変えられない。
「業腹だが、ベン・ドラコが一つ有用であることは間違いがないのだろう。ベラスタのことも、あいつなら何か知っているかもしれん」
眉根を寄せたソーンは、しかし迷わなかった。立ち上がると早速、魔道具の鷹を使ってとある人物を副長官室に呼び付ける。その人物は、それほど時間も経たずに副長官室にやって来た。
「失礼します」
淡々と声を掛けて入室して来た人物に、ソーンは視線を向けた。
「ペトラ・ミューリュライネン、特殊かつ極秘の任務を言い渡す。早急に実施してくれ」
一方的にソーンに呼びつけられたペトラは片眉を上げた。だが反論はしない。
ソーンがベン・ドラコに反感を抱き何かと突っかかって来たことも、そして今は亡き先々代の魔導省長官ニコラス・バーグソンと結託してベン・ドラコを謹慎に追いやったことも、ペトラは知っている。しかし最近、ソーンの態度が軟化していることも気が付いていた。なにより、ソーンがベラスタに目を掛けていることも把握している。
ペトラは文句を言う代わりに、単純な質問を口にした。
「現在手元に持っている案件が幾つかあるけど、それは後回しにしても構わないってこと?」
敬語ではなく砕けた口調を使うのも今更だ。ソーンは額に青筋を浮かべたが、今は拘っている時ではないと深呼吸をして自身を落ち着かせる。そんなソーンを見たペトラは驚いて僅かに目を瞠ったが、ソーンは気が付かなかった。
「構わん。必要とあれば他に回す」
それもまた、ペトラにとっては予想外の台詞だった。一体何が起きるのかとペトラは無言でソーンの言葉を待つ。
ソーンは少し考える素振りを見せたが、おもむろに口を開いた。
「――とある囚人に付けた魔力封じの枷が、騎士団にあるものでは不十分だというのでな。魔導省にある上位のものを持って行くようにと連絡を受けたので、その運搬を頼みたい」
ペトラの眉がぴくりと動く。今度はソーンもその変化に気が付いたが、何も言わなかった。
「囚人は物見の塔の地下に収容されているが、一時的なものだ。その後、恐らく断崖の牢に移送されるだろう。その移送の途中に着けるものらしい」
ソーンが言葉を告げ終わった後、副長室内の室温が一気に冷える。
断崖の牢は、スリベグランディア王国最北端にある重大犯罪者が入れられる牢だ。逃走は不可能で、たいていの場合は精神に異常を来たし獄中死すると言う。断崖の牢に投獄された囚人の寿命は数年とも数ヵ月とも言われ、劣悪な環境に耐えられる者は存在しない。
冷気の正体は、ペトラの体から怒りと共に流れ出た魔力だった。しかしソーンも、ベン・ドラコやペトラほどではないがそれなりに実力のある魔導士だ。無意識に自身の周囲に結界を張って、ペトラの体から流れ出た魔力に影響を受けないよう細心の注意を払う。その上で、ソーンはペトラの様子には一切気付かない風を取り繕い、何気なく付け加えた。
「物見の塔の看守は碌に魔術も使えん奴らばかりらしい。だから、魔力封じの枷に頼らねば囚人が恐ろしいんだろう」
露悪的なことを言いながら、ソーンは鼻で騎士を笑い飛ばす。ペトラは訝し気に眉根を寄せた。ソーンは更に、雑談に似せた言葉を紡ぐ。正直なところ、ソーンは遠回しに相手に示唆するなど得意ではない。率直に教えるか、もしくは皮肉を言って教えないかのどちらかだ。そのせいか、ソーンの額には僅かに汗が浮いていた。
「そうだ、それからお前は最近まったく休みを取っていなかっただろう。そろそろまとめて休みを取ればどうだ。どこかで適当に羽を伸ばしてくれば良い」
全ていうべきことは告げたと、ソーンは口を噤む。ペトラに理解して貰えたかどうか自信もなく、探るような目をペトラに向ける。すると、ペトラはなんとも言い難い表情で口を噤んでいたが、やがて深い溜息を吐き出した。
「分かりました。特殊任務に取り掛かりますので、現在私が持っている仕事に関しては他の魔導士に振り当てをお願いします。それから、お言葉に甘えて暫くお休みをいただきますので悪しからず」
「――――分かった」
思わずソーンは目を瞠る。ペトラに敬語を使われるとは、思ってもみなかった。だがそれを口にすれば、また面倒なことになる。そう判断したソーンは、賢明にも了承だけを口にした。
ペトラはソーンに差し出された休暇届に必要事項を記入すると、踵を返して副長官室を出て行く。そのまま魔道具が保管された部屋に行き、魔力封じの枷を持って物見の塔に行くのだろう。
嘆息したソーンは、休暇届に決裁印を押すと書類箱に仕舞う。そして、転移陣の解析を行うべく、重い腰を上げることにした。









