53. 悪役令嬢の讃歌 9
どうやらホレイシオは、リリアナが裏切るとは到底思っていなかったらしい。それが意外で、プレイステッド卿は注意深く幼馴染の様子を観察する。本気で動揺しているホレイシオに、プレイステッド卿は質問を重ねた。
「そこまで驚くことですか? リリアナ嬢の父親がチェノウェス侯爵家に宝剣があることを知っていたのなら、彼女に教えていた可能性はあります。そのことが彼女の口からメラーズ伯爵に伝わり、今回の一件となったと考えれば辻褄は合います」
話しながら、プレイステッド卿は半ば確信を持った。推測に過ぎないと理解はしていたが、口にすればそれ以外の理由はないように思えた。
政変の時、メラーズ伯爵は一介の外交官であり政治の中枢にはいなかった。宝剣の場所など知れる立場にはない。それはスコーン侯爵やグリード伯爵も同じことだった。
ただ、リリアナの口から洩れたと考えるよりも、フランクリン・スリベグラード大公が知っていた可能性の方が高い。しかし、大公が知っていたにしてはメラーズ伯爵が事を起こす時期が遅かった。
淡々とそう付け加え、プレイステッド卿は手短に纏めた。
「王太子殿下が、リリアナ嬢の叛意に気が付かないはずがありません。殿下は婚約者を警戒していなかった。即ち、彼女が寝返ったとは考えていらっしゃらなかったのでしょう。それほどまでに彼女は巧妙に本心を隠していたのでしょうが、それ以上に大公派に寝返った時期自体最近のはずです」
プレイステッド卿の見立てでは、リリアナがライリーに見切りをつけたのは少なくともこの一年程度のことだった。情報も不十分であくまで推測の域を出ないが、エミリア・ネイビーとライリーが恋仲であると王宮で噂されていたことも一つの切っ掛けなのではないかと考えている。
無言でプレイステッド卿の説明に耳を傾けていたホレイシオは、苦々しい表情を浮かべていた。プレイステッド卿の確信に満ちた説得に頷いてしまいそうになるが、しかしホレイシオの心は否を叫んでいた。
プレイステッド卿が理屈だとすれば、ホレイシオは直感だ。二人の性格は対極に位置している。ただ、ホレイシオは自分の感覚をどうしても捨ててはおけなかった。それ故に苦労したことも一回や二回ではないが、やはり彼は根っからの芸術家だった。
プレイステッド卿が言葉を切る頃合いを見計らって、ホレイシオは「確かに一理はあると思う」と曖昧ながらもプレイステッド卿の発言を認めた。ただ、とホレイシオは遠慮がちに付け加える。
「その仮定には、エイブラムという人間の性質が抜けている。彼はリリアナ嬢がまだ幼い頃に亡くなっているんだろう? 小さな子供に話すことではないし、それに――エイブラムはそもそも、他人に自分の本音を曝け出すような性質ではなかった」
「幼い頃といっても四年前――彼女が十歳の時です。それに、幼い頃に夢物語として話すこともあったのでは?」
「ゆめものがたり」
至極当然という表情でプレイステッド卿は告げるが、ホレイシオは奇妙な話を聞いたとでも言うように棒読みで言葉を繰り返した。プレイステッド卿は頷くが、ホレイシオの反応の方が気になってしまう。
プレイステッド卿にとって、エイブラム・クラークは胡散臭い男だった。宰相として活躍していたが、いつも如才なく動いている。たいていの人間から、高い評価を受けている。それを鼻に掛けることもない。しかし、時折垣間見せる表情がぞっとするほど冷酷だった。
それになにより、ベルナルド・チャド・エアルドレッドを一方的に敵視していた記憶が鮮明に残っている。ベルナルドはエイブラムを相手にしていない様子だったが、その実常に警戒していた。実際、エイブラムにはベルナルドの一人目の妻エイダを殺害した疑惑もある。
プレイステッド卿にとって、そのようなエイブラムの娘であるリリアナはそれだけで警戒に値する人物だった。
「いや――どちらかというと、私には彼女は被害者に思えるがね」
しかし、ホレイシオはプレイステッド卿とは全く違う考えらしい。これ以上は説得してもホレイシオは折れないだろうし、有益な情報も出てこないに違いない。そう悟ったプレイステッド卿は、あっさりと頷いた。
「そうですか。でしたら、この件についてはこれ以上の議論を差し控えましょう。いずれにせよ、現在王太子殿下とオースティンが行方不明であり、ベン・ドラコ殿とベラスタ殿が投獄されていること、リリアナ嬢が大公派に寝返ったこと、この三点が事実として判明していることです」
ホレイシオは反論したそうな表情になったが、賢明にも口を噤んだ。碌な情報もない中で討論したところで、結局は水掛け論になる。
「これから先のことは、ユリシーズが戻って来てから話し合うことと致しましょう。お疲れのことでしょうから、陛下はしばらくこちらでお休みください」
「――ああ、そうさせて貰おう」
プレイステッド卿はホレイシオが頷いたことを確認すると、ソファーから立ち上がり綺麗に一礼する。踵を返して部屋を出た後、プレイステッド卿はこの屋敷に用意されていた客間に向かった。しばらくはプレイステッド卿もこの屋敷に滞在する予定だった。
彼の口を、微苦笑が彩る。
昔、フィンチ侯爵とプレイステッド卿は仲が悪かった。それも当然で、フィンチ侯爵はアルカシア派の急先鋒だったのだ。ホレイシオを次期国王として擁立すべきと考えるプレイステッド卿と、大公は無論のことホレイシオにも玉座を与えるべきではないと考えるフィンチ侯爵は事あるごとに対立していた。王家に碌な人間が居ないのならば、王族の血を引くベルナルド・チャド・エアルドレッドが玉座に着くべきだと――そう考えていたのが、フィンチ侯爵を筆頭とした若いアルカシア派の貴族たちだった。
だが、ベルナルドが政から距離を取って領地に引きこもった後、フィンチ侯爵たちは勢いを失った。そして長い年月を経て、プレイステッド卿とフィンチ侯爵はわだかまりは残しつつも再び手を取ることになった。
「あいつは、不服だろうがな」
プレイステッド卿は小さく呟く。
ベルナルドが暗殺された時、プレイステッド卿は衝撃を受けた。その後に届けられたベルナルドからの手紙は何者かによって挿げ替えられたのだと、未だに信じている。しかしその事実を知る者はユリシーズとプレイステッド卿だけだ。ベルナルドに心酔しているフィンチ侯爵には、告げることはなかった。
教えたが最後、彼は自らの破滅も恐れず真実を追求しただろう。
「泳がせてみるか」
これまで、多少の調査はした。だがリリアナに関しては抜け漏れていた。今後は監視の目を光らせるべきだろう。
国王ホレイシオの身柄を確保した今、エアルドレッド公爵家は大公派に対し強固な策を取れる。尤も、ホレイシオが隣国と通じた上に宝剣を奪わせたという疑惑を晴らすまでは、エアルドレッド公爵家も表立っては大公派に対立できない。しかし、大公派は事の次第を明らかにはしなかった。つまり、エアルドレッド公爵家はしばらく傍観の姿勢を取れる。
「その間に、片を付けてしまいたいところだが――」
すべきことは多々ある。その優先順位をどうつけるかが、問題だった。
*****
顧問会議で国王の罪を咎めた大公派は、王宮と魔導省、そして王立騎士団を掌握した。一気呵成の勢いに王太子派だった者たちも為す術なく、今や大公派の貴族たちが幅を利かせている。
「リリアナ嬢、こちらで何をなさっているのですか」
王宮の廊下を歩いていたリリアナは、眼前で憮然と立ち尽くしているメラーズ伯爵を見てにこりと微笑んだ。
「大公閣下を探しておりますの。未来の婚約者が一言ご挨拶をと思っておりますのに、なかなかお時間を頂戴できませんのよ」
「閣下もお忙しいのでしょう、今しばらく御辛抱ください」
メラーズ伯爵はリリアナを諫める。リリアナは片眉を上げて不快感を示すが、本心から苛立っているわけではなかった。
リリアナは今、王宮の一室に棲家を移している。本来であれば正式にフランクリン・スリベグラード大公と婚約を交わしてからにすべきだが、どのみち婚姻するのだからとリリアナが無理を通した。当然、単なる我が儘であればメラーズ伯爵が頷くはずはない。大公派にとっても、リリアナが王宮に居た方が何かと都合が良いことは確かだった。実際に、リリアナの一挙手一投足は常に監視されている。リリアナにとってそのような監視はなきに等しいが、メラーズ伯爵にとっては安心できる材料の一つなのだろう。
「でしたら、殿下はまだ見つかりませんの? 殿下との婚約を白紙に戻さなければ閣下と婚約できないなど、貴方、一言も仰っていなかったではないですか」
「――それは、大変失礼をいたしました」
リリアナの文句に、メラーズ伯爵は溜息を堪えている。何故知らないのかと内心では思っているに違いない。確かに、王太子妃教育の中でも法に関する知識は叩きこまれる。当然リリアナも承知していたが、大公派には頭の足りない小娘と思われている方が動きやすい。
そんな魂胆はおくびにも出さず、リリアナはつんと顎を上げた。
「次からは精々、お気をつけなさることね。早く殿下を見つけて来て頂戴。わたくし、待つのは好きではなくてよ」
「善処いたします」
どれほど理不尽な文句をぶつけられても、メラーズ伯爵は動じない。さすがにあの大公とスコーン侯爵を上手く使っているだけあると、リリアナは内心で感心した。
王宮で暮らすようになってから、リリアナは大公やスコーン侯爵の傍若無人さを目の当たりにする機会が増えている。お陰でリリアナの周囲に居たライリーやオースティン、クライドたちがどれほど人間的に立派なのか改めて振り返る機会ができたほどだ。
リリアナは踵を返して、自分に宛がわれた部屋に戻る。
王宮に部屋を与えられたのは、リリアナにとっても僥倖だった。大公派がリリアナを監視できるということは、その逆も然りである。そしてなにより、地下迷宮に近くなったことで、魔王の封印がどの程度緩み始めているのかも体感できるようになっていた。
(わたくしの屋敷に居た時よりも、闇の力の流入速度が上がっていることだけが予想外ですけれど)
もしかしたら当初の予定を早める必要があるのかもしれない。
そんなことを思いながらも、リリアナは表情を変えずに廊下を歩く。そして、王宮の随所に仕掛けた自身の魔術陣の様子を確認する。だがリリアナは前を見て歩いているだけだ。付き従っている女官や隠れてリリアナを監視している者たちも、リリアナが秘密裏に策を弄していることには気が付いていない。
(スペンサー様も、無事に連絡を付けられたようで何よりですわ。あとは、残った方々の動向も忘れずに見張らなくては)
口角が笑みの形に上がりそうになるのを、リリアナは堪える。
顧問会議の日、ライリーの消えた執務室で、王立騎士団副団長マイルズ・スペンサーはメラーズ伯爵から脅迫を受けた。自分たちに背くようであればその身も処罰の対象になると、そう告げられたのだ。メラーズ伯爵は、自分が放った言葉はスペンサー以外に聞こえていないと確信していた。だが、リリアナは一切の情報を見逃しも聞き逃しもしていなかった。
そしてスペンサーは事前に取り決められていた通り、現状を記した手紙を王立騎士団長トーマス・ヘガティの元へと送った。
リリアナが知るのは、その事実だけだ。
そしてその後、王都にはヘガティと二番隊が全滅したという報せが齎された。北の領主たちの謀反を鎮圧に向かった彼らは善戦したものの、圧倒的な軍勢の前に敗れたそうだ。領主たちの軍勢は多く、対する王立騎士団の軍勢は五十に満たなかった。善戦したのだろうが、結局王都は大公派に掌握されたため、無駄死にだったと大公派の貴族たちは囁き合っていた。
メラーズ伯爵たちも、その知らせを一切疑っていない。
北には王立騎士団七番隊が、東には二大辺境伯が、西にはアルカシア派が居る。南方はクラーク公爵家が居るが、当主であるクライドは王太子派である上に国内に居ない。
(これからどうなさるおつもりか、楽しみですわ)
大公派の思惑も、そして各地に散らばった王太子派や中立派の動向も。リリアナにはその全てが、盤上の駒のように見えていた。
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