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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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53. 悪役令嬢の讃歌 7


ケニス辺境伯とジルドが話をしている頃、エアルドレッド公爵領のとある屋敷では深刻な空気が流れていた。部屋の中には疲れた表情で頭を抱えている男性が座っている。彼の名前はホレイシオ・ジェフ・スリベグラードであり、大公派の陰謀により王宮から逃走したスリベグランディア王国の国王だった。


「――ああ、全くどうしたことだ」


偏にすべてが力ない己のせいだと理解はしている。しかし、ホレイシオにはどうしようも出来なかった。

エアルドレッド公爵の傍系であるフィンチ侯爵からの手紙が届けられた時、一瞬ホレイシオは文面を理解できなかった。

大公派が謀反を企んでおり国王に罪が着せられる可能性があること、そしてそうなるとホレイシオは幽閉されライリーも王太子から引きずり降ろされる可能性が高いこと。

王族としての教育を受けて来たホレイシオは意味は理解できても、まるで現実のことだとは思えなかった。しかし、手紙は間違いなく本物だったし、エアルドレッド公爵家が把握している隠し通路で逃げるように指示が書かれていた。

悩んだホレイシオだったが、彼は勇気を出して決断した。彼が勇気を出したのは、先王が生きていた時代に一度だけだった。それ以来、二度目の決断だった。


先王であるホレイシオの父が生きていた頃、ホレイシオは妻アデラインを娶った。愛を知ったホレイシオは、一層父王の専制に疑念を抱いた。ホレイシオの知る世界は芸術の世界であり、人に優しく愛で満ち溢れていた。しかし、父王が作り上げた世界は血と憎悪に塗れた渾沌とした世界だった。

その時、ホレイシオは心の中で誓ったのだ。いずれ生まれて来る子供のために、殺戮も陰謀も存在しない――少なくとも、日々暗殺の恐怖に怯えるような世界は変えなければならないと、そう考えた。


その時に手を差し伸べてくれたのが、当時のクラーク公爵エイブラムだった。


エイブラムの語る世界はホレイシオの理想でもあった。全てが秩序立ち、醜い争いも恐怖もない世界。そのような世界になればどれほど美しいことだろうと、ホレイシオはエイブラムが描く未来に協力しようと考えた。その見返りは、ホレイシオが玉座に就くことだった。混沌とした時代の中、理想はあまりにも輝いて見えた。

しかし、計画が進行するにつれてエイブラムが教えてくれた理想と、彼が本当に目指している世界に大きな隔たりがあるとホレイシオは気が付いた。

エイブラムが目指していたのは、先王よりも遥かに強大な力を持ち世界を支配することだった。しかしエイブラムは優秀な男だ。ホレイシオが逆立ちしても勝つことはできない。

ただ、エイブラムが権力を握ってしまえば、苦労するのは間違いなくホレイシオと愛妻アデラインの子供だ。それならば自分がどうにかせねばと、勇気を振り絞った。その結果がエイブラムの反撃と、ホレイシオに掛けられた呪いだった。


呪いの熱に浮かされながら、ホレイシオは自分を呪った。アデラインがエイブラムとは全く無関係のところで命を落としたことだけが、ホレイシオの心を僅かに明るくした。それでもやはり、愛妻の死は更にホレイシオの心を落ち込ませた。そして呪いが、その心の闇を助長した。


息子(ライリー)に、迷惑をかける訳にはいかないと思って逃げたのに――あの子が行方不明になってしまったとは」


呪いから回復したとはいえ、ホレイシオの心身は長らく床にあった。そのため、体力も無く判断能力にも自信はない。

普通に考えれば、国王が大公派の手に落ちることこそ、ライリーの行く手を阻むことだと思えた。

ライリーは心の優しい子供だ。だから、ホレイシオが大公派に幽閉されてしまえば助け出さなければならないと考えるだろう。そして、その結果ライリー本人が傷つくことも厭わない。

それほどライリーと交流を持っていなかったホレイシオだったが、ライリーが幼い頃は良く世話役に様子を報告させていた。今でも定期的にホレイシオはライリーの様子を確認している。だから、ライリーが自分を捨て置くことはないだろうと自然に理解していた。


「それなら私が捕まりあの子が逃げた方が、どれほど良かっただろう」


涙の滲んだ声で、ホレイシオは呟く。悲嘆にくれるホレイシオは、扉が開く音に気が付いていなかった。

足音を忍ばせて室内に入って来た人物は、呆れた視線をホレイシオに向ける。


「――全く、陛下は昔から何一つ変わっていらっしゃいませんね。憐憫に浸るのは結構ですが、今の国王は陛下ですよ」


ホレイシオは弾かれたように顔を上げる。驚いたように目を瞠った彼は、呆然と眼前に立つ人物の名を口にした。


()()()()?」

()()プレイステッド卿ですよ、陛下」


プレイステッド卿は、普段人前で使う言葉よりも遥かに砕けた口調でホレイシオに話し掛ける。しかしそれは今更のことで、ホレイシオは全く気にもしなかった。寧ろ人前で改まった態度を取られた時の方が、妙に居心地の悪さを感じて仕方がない。


「あ、ああ、そうだった。そうだったね」


ホレイシオは慌てて頷く。冷や汗を掻いたが、今この部屋にはホレイシオとプレイステッド卿の二人しかいない。プレイステッド卿の本名を知らない者がいないからこそ助かったと、ホレイシオは内心で嘆息した。もし第三者が居れば、プレイステッド卿は躊躇なくその者を処分しただろう。目の前で血を見ることにならなくて良かったと、ホレイシオがこっそり息を吐いたところで、プレイステッド卿は片眉を上げる。咄嗟にその懸念を心に抱くほどには、ホレイシオはプレイステッド卿のことを幼い頃から良く知っていたし、プレイステッド卿もホレイシオのことを良く理解していた。


二人が非常に親しい仲だと知る者は殆どいない。ホレイシオに幼馴染が居たと知っている人物もそれほど多くないが、彼らでさえホレイシオの幼馴染はプレイステッド卿ではなく、先代エアルドレッド公爵ベルナルドの弟アルフレッドだと信じ込んでいた。ローブに身を包み陰鬱な印象の強いアルフレッドと、堂々とした、そして大人の色気も兼ね備えたプレイステッド卿が同一人物だと気が付く者はいない。


プレイステッド卿の反応に気が付かなかったホレイシオは自分の前にあるソファーを示し、座るように促した。プレイステッド卿は何事もなかったかのように腰かける。

ホレイシオは、不思議そうに首を傾けた。


「ここにはフィンチ侯爵に連れて来て貰ったのだが、何故、君がここに?」


ホレイシオの問いを聞いたプレイステッド卿は、呆れたように片眉を上げた。


「フィンチ侯爵も私も、エアルドレッド公爵に連なる者ですよ。当然、交流もあります」

「いや、それは当然なのだが――そうではなく、昔はフィンチ侯爵を嫌っていたではないか」

「――時の流れは人を変えるものですよ、良くも悪くもね」


プレイステッド卿は肩を竦めた。ホレイシオは困ったように頬を掻く。しかしプレイステッド卿は取り合わなかった。

大公派が計画を実行する日を知り、フィンチ侯爵に知らせたのは侯爵夫人だ。以前からフランクリン・スリベグラード大公の愛人として情報を探っていたが、それでもなかなか具体的な計画までは分からなかった。間一髪、国王を助け出したのはフィンチ侯爵の手柄である。

しかし、最大の問題は依然として存在している。エアルドレッド公爵ユリシーズとプレイステッド卿は、その問題をどのように判断するべきか決めあぐねていたし、その結果どのような態度を取るべきかも保留にする他なかった。


「まだユリシーズとフィンチ侯爵も戻って来てはいませんが、先に陛下に確認しておきたいことがありまして」


ホレイシオは顔を上げる。

プレイステッド卿とホレイシオは、ホレイシオの妻アデラインも含めて、幼い頃から親しくしていた。だからこそ、他人が居ては話せないことも口にできる。

実際のホレイシオは芸術家気質で心の弱い、国を統べる者としてはあまりにも不適格な性格だった。しかし玉座に座ることになった時から、彼は国王の仮面をつけている。

先代国王の影響を色濃く受けていた息子(ライリー)と接する時でさえも、ホレイシオは国王の仮面をつけていた。威厳のある王という印象までは与えていないかもしれないが、少なくともプレイステッド卿が知るように、玉座に据えておくにはあまりにも弱弱しい人物だとは認識されていない。

その彼が取り繕う必要のない相手がプレイステッド卿と、今は亡き妻アデラインの二人だけだった。


だからこそ、プレイステッド卿はホレイシオと二人きりになれる時間を確保した。二人だけならば、ホレイシオも他人の目を気にしなくて構わない。素の自分を曝け出せるからこそ、ホレイシオはプレイステッド卿の質問に正直に答えてくれるはずだった。


「何を知りたい?」


ホレイシオは尋ねる。プレイステッド卿は、時間を無駄にはしなかった。単刀直入に、国王ホレイシオに掛けられた疑惑を口にする。


「そもそもなぜ、大公派が陛下を捕えようと動いたのかはご存知ですか?」


どうやらプレイステッド卿の質問は、ホレイシオにとっては予想外だったらしい。目を忙しなく瞬かせ、考えている。


プレイステッド卿は静かにホレイシオを注視していた。

ホレイシオと知り合った時、プレイステッド卿はまだ幼かった。ホレイシオとアデラインはプレイステッド卿よりも年下で、プレイステッド卿は兄貴分として二人の面倒を見ていた。ホレイシオは王族の癖に弱々しく、自分の意志を口にするのも不得手な子供だった。幼心に、このままでは国王になるどころか、成長する前に殺されるのではないだろうかと不安に思うほどだった。


だが、ホレイシオはプレイステッド卿にとって稀有な存在だった。身近にいたベルナルド・チャド・エアルドレッド――後のエアルドレッド公爵でありユリシーズの父でもある男は比較的人間的な感性の持ち主ではあったが、それでも人々の策謀の真ん中に居た。プレイステッド卿は幼いころからそんなベルナルドを支えるつもりで居たが、それでも常に隠された他人の本心を探るような真似をしていれば、疲労は溜まる。その時にホレイシオとアデラインに会えば、プレイステッド卿は心が癒された。


確かにホレイシオは国王には向かない性格だ。だが、他の王族と比べると遥かに人間らしい、優しく他人を思いやれる少年だった。だからこそプレイステッド卿は、ホレイシオが国王に一番良いのではないかと考えたのだ。

彼の足りない所はプレイステッド卿やベルナルドといった部下が補えば良い。傀儡の王と陰口をたたかれるかもしれないが、同じ傀儡ならば良心を持った人物の方が遥かに国にとっても、そして主としても良いと思えた。


しかし、もしその性格が災いして隣国に密通していたのであれば、プレイステッド卿はホレイシオを許せない。ホレイシオを玉座に就いた責任の一端はプレイステッド卿にある。いざとなればすべての責任を自分が負うつもりで、プレイステッド卿は旧友に向き合っていた。


「いや――すまないが、分からない」


ホレイシオは長考していたが、力なく首を振る。やはりそうかと思いながら、プレイステッド卿は淡々と以前メラーズ伯爵から伝えられた疑惑を口にした。


「陛下、貴方が隣国に通じていたと、大公派は確信しています。かつての政変の際、チェノウェス侯爵家の屋敷に押し入り、破魔の剣を隣国の者に奪わせた者が貴方だ――とね」


どうやら人間は、驚きが過ぎると言葉を失うらしい。ホレイシオは呆けた表情で絶句したまま、プレイステッド卿を凝視していた。



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