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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
338/563

53. 悪役令嬢の讃歌 1

大人の色気が仄かに入りますので苦手な方はご注意ください。


リリアナは、ライリーの執務室から立ち去る時、文官の一人からひっそりと文を渡された。差出人の名前は書かれていなかったが、端的な一文が何を示すかは明白だった。

屋敷に向かう馬車の中で、リリアナはひっそりと笑みを浮かべる。

手渡された文に書かれていたのは『予定通り決行、公へ報せるべし』という一文だ。事前の打ち合わせ通り、メラーズ伯爵が計画を実行に移すことに決めたらしい。リリアナが請け負っている任務はフランクリン・スリベグラード大公とスコーン侯爵、グリード伯爵への連絡と、王太子ライリーの足止めである。


ライリーは顧問会議当日、面会があるため顧問会議には出席できないと事前に連絡をしている。顧問会議に出席するのであればメラーズ伯爵たち大公派にとって問題はなかったが、同席しないとなれば手順が狂う。そのため、顧問会議で議決を得たメラーズ伯爵たちが手勢の者を王太子の元へ差し向けるまで、リリアナが時間稼ぎをすることになっていた。


屋敷に戻ったリリアナは手紙を(したた)め、魔術を掛ける。


「スコーン侯爵とグリード伯爵は王都のお屋敷に、大公閣下は愛人宅にいらっしゃるのだったかしら」


リリアナは楽し気に囁く。しかしその独白を耳にする者はどこにもいない。

鳥の形に変えて蒼空へ放った手紙は王都の空を飛び、三人の同胞たちの元へと向かった。抜けるような蒼空は、リリアナの前途を祝福するかのようだった。



*****



リリアナが放った手紙を受け取った時、フランクリン・スリベグラード大公は愛人宅――即ち、フィンチ侯爵邸で侯爵夫人との逢瀬を楽しんでいた。

フィンチ侯爵夫妻は貴族に相応しく、夫婦同士それほど興味関心はない。現に今も、夫人は王都に残っているが、侯爵は領地に戻ったまま姿を現わしていなかった。お陰でフランクリンものんびりと、侯爵邸で羽を伸ばせている。フィンチ侯爵は顧問会議の日に直接領地から王宮へ入るとのことで、フランクリンと鉢合わせる心配もない。


フランクリン・スリベグラード大公にとって、夫人は愛人として非常に都合の良い相手だった。

それなりに学があり話も合うし、他の女のように悋気に駆られ無駄にフランクリンを煩わすこともない。なにより、鼻持ちならないアルカシア派の貴族の鼻を明かしていると思うと、それだけで清々する気がした。


その日も、フランクリンと夫人は普段通りの時間を過ごしていた。夜遅くまで夜会を楽しみ、屋敷に戻れば空が白むまで艶事を愉しむ。目覚めるのは陽も高く昇った後で、気だるい体をシーツに預けながら吟遊詩人もかくやというほどの言葉遊びをしていた時だった。

開け放った露台(バルコニー)から滑り込んで来た白い鳥は、フランクリンの手元で一通の書簡に姿を変える。

フィンチ侯爵邸の結界すらものともしない魔術に目を丸くしたのはフィンチ侯爵夫人だけで、フランクリンは一切気に掛けることなく書簡を手に取った。


「如何なさいましたの?」


急ぎの御用ですか、と夫人はフランクリンの胸元に手を置く。政にも興味はなくただ享楽に耽るばかりの男だが、見目だけは相応に良い。しかし生活態度のせいか、ここ最近は体の節々が緩み始めていた。だが夫人が気に掛けることはない。彼女は自分よりも書簡を食い入るように見つめるフランクリンに不満気な様子を見せながらも、健気に文句は控えていた。

その様が、フランクリンの執着や関心を一層強く引き起こす。

フランクリンは、自分に心底惚れ込んでいるくせに、そのせいで強くも言えない愛らしい情人に気を良くし、片手を伸ばして華奢な体を引き寄せた。


「なに、良い知らせだ。お前が案ずることはない」

「良い知らせ?」


小首を傾げる夫人に、フランクリンは「そうとも」と笑いながら書簡を翳してみせた。夫人は何気なくその文字を追う。

フランクリンは機嫌良く頬を綻ばせた。


「これで、この国も本来あるべき姿に戻るのだ。お前も大公の愛人ではなく国王の愛人となれるのだから、鼻が高いだろう。本来であれば妃に迎えるところだが、身の程を知らぬ小娘が妃候補に名乗りを上げてな」

「まあ」


フィンチ侯爵夫人は印象的な目を丸くする。身を乗り出して、彼女は情夫に尋ねた。

気になるところは幾つかあるが、一番確認しなければならないことがあった。


「王太子ではなく、国王ですの? 陛下は御存命ですのに」

「今のところはな」


夫人は一切妃候補に名乗りを上げた娘がいるという点に言及しなかったが、フランクリンは違和感すら感じなかったようだ。元々彼は他人にそれほど興味がない。

フランクリンは楽し気に笑いながら言葉を続けた。


「次の顧問会議で、ホレイシオ(あにうえ)が隣国に通じ宝剣を敵へ渡していたと詳らかにされるのだ。その咎で奴は蟄居、連座で王太子(ライリー)も王族から追放、晴れて俺が即位するという筋書きだ」


大まかな筋書きを聞いたフィンチ侯爵夫人の顔色が悪くなる。しかし、とうとう夢が叶うのだと期待に胸を膨らませているフランクリンは情婦の変化には気が付かなかった。

夫人は少し考えて、男の胸元に手で触れた。男は怠惰な性格に反して見目はそれなりに麗しい。見る目のない女は目を輝かせるだけの地位と容貌の持ち主だ。だが、その怠惰さと年齢故に肉体には弛みが見られる。しかし、夫人は全く気にした様子もなく、指先で肌の感触を楽しむようにしながら問うた。


「でしたら、顧問会議の日は貴方もお忙しいのかしら」

「まあ、それなりにはな。王宮に行ってスコーンの手勢が兄上とライリーを捕らえる瞬間を、この目で見ねばなるまいよ」


その時のことを想像しただけで、彼は笑いを堪えられない。

フランクリンにとって、兄ホレイシオと甥ライリーは、本来自分が受け取るべき権利を掻っ攫って行った卑怯者でしかなかった。特にホレイシオに対しては、軟弱者が幸運を得たとしか思えない。

彼の母はチェノウェス侯爵家の娘だった。アルカシア派の中でも有力だった生家があったお陰で、フランクリンは妾腹の出でありながらも次期国王としての資格があった。前途洋々とした人生に初めて影が落ちたのが、チェノウェス侯爵家が消え去る原因となった政変だ。あの時を境に、フランクリンの国王になる道は閉ざされた。

自分は大公としての暮らしに甘んじているのに、ホレイシオは王宮で皆に傅かれこの世の春を謳歌している。そう思えば、憎しみは募るばかりだった。


だが、今回の計画が成功すれば積年の恨みも晴れる。

国王となれば誰もがフランクリンに跪き、そして数多の女たちがフランクリンの寵を競うようになるに違いない。それに、金を気にすることなく贅を尽くした暮らしを楽しめる。

その第一歩が、国王ホレイシオと王太子ライリーの捕縛劇だった。


「まあ――そうでしたの」


フィンチ侯爵夫人は曖昧に頷く。

捕縛劇や蟄居とフランクリンは説明しているが、一度捕らわれてしまえばホレイシオとライリーの運命は確定してしまう。大公派がある程度貴族たちを抑えられるようになれば、二人とも病死や事故として処理されるに違いない。どれほど足掻いても、二人を待つのは死だけだ。

そう考えると、身が震えるような想いがした。


しかし、夫人は反論や意見を述べることはしない。それが、フランクリンから見た彼女の魅力だ。

頭は悪くないため、会話は合う。その上、面倒な悋気も起こさない。実際は夫人がフランクリンを常に立てて反論しないからこそのものだったが、フランクリンにその自覚はなかった。

しな垂れかかる夫人の肩を引き寄せ、フランクリンはその顔を覗き込む。そこでようやく、フランクリンは夫人の顔色が僅かに悪くなっていることに気が付いた。


「どうした。まさか、幼少より知っているライリーが凋落すると気に病んでいるのか?」


楽し気に笑うフランクリンは、詳しく聞くこともなく夫人の様子をそう判断した。

フィンチ侯爵夫人は、幼少期のライリーの家庭教師を務めていた。幼い頃を知っている相手が落ちぶれていく様子を見るのは、女には辛いものなのかもしれないと、フランクリンは心中で呟いた。


「気にすることはない。幼少時は確かにお前が面倒を見ていたのかもしれんが、奴ももう十六だ。十分責任を負える年頃だろう」


楽し気に言い放ったフランクリンは、宥めるように夫人の体を引き寄せる。そしてそのまま、再び愛人の体に溺れて行った。



*****



身支度を整え軽食を摂った大公フランクリン・スリベグラードは、夜会がない日にはそうするように馬車に乗ってフィンチ侯爵邸を出て行った。彼が向かう先は大公派の面々が住まう屋敷ではなく、賭け事に興じる仲間たちの元だ。そこでようやく、フィンチ侯爵夫人は一息つける。

身支度を侍女に手伝わせた夫人は、早速執事を呼び付けた。


「お呼びでございますか、奥様」

「紙と筆記具を用意して頂戴。それから――例の魔道具を」


途端に執事の表情が険しくなる。しかし彼は説明を求めようとはしなかった。


「承知いたしました」


ひとつ頭を下げると、執事は手早くすべての準備を整える。夫人は紙に必要事項を書きつけた。

侯爵夫人としての彼女は完璧だ。そうでなければ、幼少期とはいえ王太子に教育を付けることなど出来はしない。賢夫人という呼び名は伊達ではなかった。だが、今は手紙の体裁にこだわっている余裕などない。


彼女がフランクリン・スリベグラード大公の愛人であることは、夫である侯爵も許容している。それは決して愛がないからというわけではない。そして、互いをただ愛しているというわけでもない。ただ、二人の間には、他人には理解できないだろう強い絆があった。


『神々が円卓を囲む時、悪神(ヴラズィ)君臨し、勇者の末裔二人を獄に捕らえ滅さんと欲す』


遠回しな文言だが、受け取る侯爵は直ぐに内容を理解する。夫人はその確信があった。

神々が円卓を囲む時とは顧問会議の日時を指し、悪神ヴラズィは大公派を指す。勇者の末裔はそのまま、国王と王太子のことだ。

彼女は更に詳細を認め、魔道具で他人には読めないよう細工を施す。


フィンチ侯爵夫人はフランクリン・スリベグラード大公の話を聞きながら、気付かれないよう書簡のすべての文言を読み取っていた。フランクリンは元々他に興味がない。そのため、大公派の計画も概要は理解していても、詳細を覚えているとは思えなかった。

しかし、その分フランクリンは口が軽い。特に情婦を相手にすれば、彼に秘密はあってないようなものである。女を軽んじているからでもあり、そして愛人は自分に心底惚れており決して裏切ることはないと盲信しているからこその態度だ。フランクリンのその性質は、昔から何一つ変わっていない。


だからこそ、フィンチ侯爵夫人は間諜としてアルカシア派に――否、今は亡きエアルドレッド公爵ベルナルドに大公派の情報を流し続けることが出来ていた。大公派だけではない。政に関わる重要人物たちの人間関係や取引内容、そして個人の嗜好に至るまで、ありとあらゆる情報を地道に手に入れ続けていた。


フィンチ侯爵と夫人の関係性は愛情で保たれているわけではない。ベルナルド・チャド・エアルドレッドへの絶対的な信頼と忠誠心で結ばれた関係であり、それはベルナルドが亡くなってもなお続いていた。本人は亡くなってもベルナルドの遺志を全うするのが役目だと、二人は言葉にせずとも理解していた。


「もうそろそろ顧問会議のために領地を出る頃でしょうから――どうぞ、間に合って」


夫人は祈るように呟き、魔道具に魔力を込める。

普通に手紙を出すのでは間に合わない。だが、プレイステッド卿に貰った魔道具を使えば話は別だ。手紙を鳥の形にして遠くまで飛ばすことは、フィンチ侯爵夫人の魔力と魔術の技術では到底叶わない。だからこそ魔道具の力を借りる他なかった。


手紙の上に魔道具を置く。そして作動させれば、手紙は自動的に侯爵の元へと転移させられる。

夫人が持っている魔道具は、転移の術を応用したものだ。だが転移の術に関するものは全て魔導省に登録しなければならないし、使用も基本的には緊急時に限られている。その規則に違反したと知れたら、身分に関わらず罰せられることになっていた。

しかし、夫人に躊躇う理由はない。

彼女の前で、手紙が掻き消える。それでも暫くの間、夫人はその場に立ち尽くしていた。


どうか全てが間に合うようにと、ただ祈ることしかできなかった。



12-1

19-5

23-10

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