52. 反逆の狼煙 10
ベラスタ・ドラコは、宛がわれた魔導省の研究室で難しい表情をしていた。今彼の前に置かれているのは魔道具の素材だ。一つ一つに魔術陣を施し、更にそれを別の魔術陣で組み合わせることによって高度な術式に昇華させる。
元々は兄である魔導省長官ベン・ドラコの部屋で研究を続けていたが、今日は来賓があるとのことでベラスタは一時的に自分の研究室に戻っていた。
「うーん、やっぱり難しいなあ。あともう少しだと思うんだけど」
今、彼が研究しているのは魔王の封印具を見つけるための魔道具だ。王宮に地下迷宮があるということもベラスタは知らなかったが、そこには魔王が封印されていること、そしてその封印が緩み始め闇の魔力が地下迷宮に充満していることも、つい最近教えられた。
そしてベラスタに課せられた使命が、魔王が復活した時再度封印できるように、封印具の居場所を探すことだった。
「確かに封印具を一から作るよりは簡単そうなんだよなぁ。でも、あと一つ何か足りなさそうなんだよね」
小さくぼやきながらベラスタは頭を捻る。
ベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネンからの助言もあり、当初の想定よりは開発も順調だ。だが、何かが足りず完成には至っていない。
本来であればベン・ドラコのいる長官室以外での研究は避けることにしていたが、それほど悠長にしてはいられない現状もあり、ベラスタは組み立てないことを条件に自室に戻って来ていた。
普通の魔導士であれば、その条件を出された時点で研究を諦める。魔道具はその構成が高度になればなるほど、机上の空論では予期できない結果が出ることがあるからだ。
だが、ベラスタに限って言えばその可能性は限りなく低かった。
ベラスタが頭を捻っていると、扉を叩く音がした。完全に集中している時であれば来訪者に気が付かないことも多いが、幸いにもこの時は気が付いた。
卓上に散らばっていた魔道具を隅に追いやり見えないようにすると、適当なガラクタを代わりに広げ、仕事をしていたように取り繕う。そして返答すると、声を掛けて来たのは副長官ソーン・グリードだった。
「あれ、どうしたんですか? 珍しいですね」
入省当初はあまり敬語を使っていなかったベラスタも、さすがに今ではソーン相手には比較的丁寧な言葉を使うようになっている。しかしソーンはベラスタが敬語を使い忘れても気にする様子がなかった。
寧ろ二人しかいない場所では敬語を使わずとも構わないと言われているのだが、それではいざという時に敬語を使えないからと、ベラスタは極力丁寧な話し方をするように心がけていた。
だが、生憎とその努力が報われているとは言い難い。気を抜けばすぐに敬語が崩れてしまう。
「今良いか」
「はい」
ソーン・グリードは、書類を手に持っていた。普段と変わらず仏頂面だ。しかし、ベラスタは気にしなかった。他の魔導士であれば緊張しソーンに気を遣うところだが、ベラスタは一切気にしない。
きっちりと扉を閉めたソーンは、ベラスタが卓上に広げたものをちらりと一瞥すると、物が山積みになったソファーの隅を空けて腰かけた。そしてローブの下から魔道具を取り出すと作動させる。それは、周囲に音が漏れないようにする防音の結界用の魔道具だった。
どうやらソーンはベラスタに、他には聞かれたくない話があるらしい。
「本当ならお前の兄に言った方が良いんだろうがな」
一体何用だろうかと首を傾げるベラスタの前で、ソーンは嘆息と共に呟いた。どうやらそれなりに重要な話らしいと、ベラスタは目を瞬かせる。できれば面倒事に巻き込んで欲しくはない。ベラスタがしたいことは魔術や呪術の研究であって、政ではない。
「お前、殿下とは親しかっただろう」
「えっと、まあ――それなりに?」
ソーンの目的が分からず、ベラスタは曖昧に答える。親しいのかどうかと問われると、返事に窮するところだった。
一般的な貴族の子息たちと比べると距離は近いと自信を持って言えるが、友人と言うには勇気が要る。オースティン・エアルドレッドやクライド・クラークのような幼馴染では当然ないし、親友でもない。
だからこその曖昧な返答だったが、ソーンは気にした様子がなかった。
「少なくとも、今会いに行ったり連絡を取ったりすることはできる程度の間柄だな?」
「それは――まあ、できると思うけど」
いよいよソーンが何をしたいのか、ベラスタは分からなくなって来た。だが一つ分かることは、ソーンがどうにかしてライリーと連絡を取りたいと思っているらしいことだ。
ソーンは苦虫を噛み潰したような表情で、声を潜めた。魔道具を使って他に声が漏れないようにしているものの、やはり大声で言う気にはなれないらしい。
「殿下に渡して欲しいものがある」
そう告げたソーンは、書類の中から一枚の封書を取り出した。その封書を他人に気が付かれないようにするために、彼はわざわざ書類を持ってきたらしい。
目を瞬かせたベラスタは、受け取った封書をまじまじと眺めた。封書の表には何も書かれていない。しかし、封はしっかりとしてある。
ソーンは苦々しく、封書に関して説明した。
「中に、大公派に関する情報が入っている。だが、魔導省と王宮にどの程度大公派の手駒が居るのか、私には分からない。だからこそ、殿下に直接お渡ししなければならない」
だが、それには問題があった。大公派の動きを掴んだのか、王太子の警護が厳しくなったのだ。お陰で、ソーンは秘密裏にライリーに接触することも出来なかった。
「本来であればお前の兄に頼む方が良いのかもしれないが、父――大公派は、そちらも警戒しているからな。途中で何らかの妨害に会わないとも限らない」
ベラスタは無言でソーンの言葉を聞いていた。話を聞きながら、そういえば以前ポールがそのようなことを教えてくれた気がすると、思わず遠い目になる。
兄の執事であるポールに話を聞いていた時は、自分には関係のない話だと思っていた。だが、何故だか思いもかけないところから巻き込まれている気がしてならない。
「えっと――つまり、この封書を殿下に渡せば良いということですか」
「そうだ。それも出来るだけ早く。もし出来るのであれば、今日中にでも」
「ええ?」
さすがに無理難題だと、ベラスタは目を見開く。
ソーンほどではないかもしれないが、当然ベラスタも何の約束もなくライリーと会うことは難しい。兄ベン・ドラコであれば可能かもしれないが、その筋は大公派に阻まれる可能性があるから頼らないと、今し方ソーンが自分で明言したばかりだ。
それでも、さすがにベラスタも今手渡された封書がどれほど重要なものかは理解できる。今日中というのが事実上無理であっても、その努力はした方が良いだろう。
「うーん……分かった。殿下に直接は無理かもしれないけど、オースティンとかリリアナ嬢とかなら渡しても問題ない?」
「――そうだな。ああ、その二人なら大丈夫だろう」
ソーンは逡巡したが、思い直したように頷く。確かに、ライリーに直接手渡すことに固執すれば封書は何時まで経ってもライリーの元に届かないだろう。だが、側近であるオースティンや婚約者のリリアナ経由であれば、ライリーに直接手渡すよりも早く事を進められるに違いない。
そう考えれば、拒否する理由もなかった。
*****
リリアナはライリーの執務室のソファーに腰掛けていた。眼前には難しい表情のライリーが座っている。オースティンもまた、険しい表情だ。ここ最近、リリアナはライリーとオースティンの難しい表情しか見ていないような気がした。
「とりあえずクライドとエミリア嬢は無事に国境を越えたらしい。心配ではあるが、それよりも大公派の方が気に掛かる」
「騎士団長は恐らく数日後には北方に到着するはずだ」
ライリーの言葉に、オースティンは補足するように付け加える。
北方領主たちが謀反を起こしたという報告を受けて王立騎士団長ヘガティが北方へ向かったのは、数日前だ。馬で駆けて片道七日ほどの距離が最初の目的地である。
「一日で片を付けたとしても、戻って来るのは十数日後だ」
その間に、大公派が事を為す気だろうことは想像がつく。だが、詳細が分からない以上ライリーたちに出来ることは限られていた。
オースティンが溜息を吐きながら乱暴に頭を掻く。
「お前とリリアナ嬢の警護を強化するとしても、他に何をすれば良いかも分からないんだよな」
ぼやくオースティンに、ライリーは一つ頷いた。
「そうなんだよね。取り敢えず私を支持してくれている派閥に連絡は入れたが――どうにも曖昧な返事しか戻って来ない。エアルドレッド公爵からも丁寧な返事を貰ったけれど、何も情報は掴んでいないようだった」
ただ一つ気に掛かったのは、エアルドレッド公爵ユリシーズの書簡の最後に書いてあった、身辺にはくれぐれも気を付けるようにとの言葉だ。恐らく何か情報を掴んでいるのだろうと思うが、ユリシーズの性格を考えると、その言葉はエアルドレッド公爵家当主としてではなく、私人としての言葉だったようにも思える。
「俺も訊いてみたんだけどな。はぐらかされたんだよ」
オースティンは複雑な表情だ。ユリシーズの弟とはいえ、エアルドレッド公爵の立場では語れないこともある。恐らく今回の件は公爵という立場上、オースティンに話せない内容を含んでいるのだろうと思われた。
「ただやっぱり妙なのは、俺も気を付けるように言われたんだよな。近衛騎士なんだから何かあれば怪我するのは当たり前だし、何かあれば俺が前に立つって言うのは分かってるはずなのに」
「――やはり、何か勘付いていると考えた方が良さそうだな」
ライリーは難しい表情で黙り込んだ。ユリシーズは何か知っているに違いないが、その内容をライリーたちに告げることはできないという事らしい。
「メラーズ伯爵辺りが、ユリシーズ殿に接触したのか?」
「接触したとしても、どうするってんだよ。うちは王太子派だぞ。もし大公派の言う通りになったとして、国が崩壊するのは目に見えてる。伯爵に何を言われたとしても、簡単に鞍替えしたりするようなことはない」
「勿論、ユリシーズ殿を疑っているわけではないよ。ただ大公派も、なりふり構わなくなっているみたいだからね」
多少憤慨した様子のオースティンを宥めるように、ライリーが口を開く。しかし、そんなライリーもユリシーズの態度は気がかりだった。
ケニス辺境伯やカルヴァート辺境伯が国境から離れられない今、大公派が何かを仕掛けて来た時に対抗するためには、エアルドレッド公爵家を筆頭としたアルカシア派の存在が非常に重要だ。彼らが大公派に付かないまでも、ライリーを積極的に支持するのではなく傍観に回ってしまえばライリーは劣勢に追い込まれる。
「もし大公派が仕掛けてくるとしたら、明後日の顧問会議かな」
ライリーは小さく呟いた。スコーン侯爵を筆頭とした大公派は、普段は王宮に出入りしていない。宰相を務めているメラーズ伯爵だけが例外だ。そのため、彼らが王宮で一堂に会するのは顧問会議か御前会議の日だけだ。
そして御前会議はまだ暫く予定されていない。王立騎士団長が北方へ行っている期間に開催される会議は顧問会議のみだった。
つまり、大公派が一番動きやすい――即ち、フランクリン・スリベグラード大公を王位に就けるためライリーを追い落とすに一番動きやすい日は、顧問会議当日だ。
オースティンが気がかりな様子でライリーに尋ねる。
「お前、その日は会議に出席するつもりか?」
「そのつもりだよ。出席していたら、彼らがどう出るつもりか分かるだろうしね」
さすがに危険ではないかと眉根を寄せるオースティンに、ライリーは首を振る。間近でメラーズ伯爵たちの言動を注視していれば、確かに彼らが何をする気か把握できる。それは確かにライリーに言う通りだった。
しかしオースティンは渋い表情のままだ。
「でもな、近くに居るっていうことは逆に向こうもこっちを捕えやすいっていうことだぞ。特に顧問会議だと、近衛騎士は一人しか入れない。もし会議室の周囲に兵を置かれていたら、脱出することも難しいんだ」
「顧問会議にはユリシーズ殿もフィンチ侯爵も居る。それなのに、メラーズ伯爵たちがそこまですると思うか?」
「最悪の可能性を考えようぜ」
ライリーの言葉に、オースティンは首を振る。普段であればライリーの方がより様々な可能性を考慮する性質だが、身辺警護という観点が含まれた瞬間、オースティンの方が敏感になる。それはオースティンが近衛騎士になってから変わりのないことだった。
「サーシャ、君はどう思う?」
「――わたくしですか?」
無言で二人の会話を聞いていたリリアナは、ライリーに問われて首を傾げた。
オースティンもまた、リリアナを注視している。しかしその視線は雄弁だ。即ち、ライリーではなくオースティンに同意して欲しいと顔に書いてある。
少し考えたリリアナは「確かに」と口を開いた。
「ウィルの仰る通り、アルカシア派の方々がいらっしゃる前で無体な真似は難しいと思いますわ。けれど、何かしらの理由を付けて身柄を確保されてしまう可能性があるのでしたら――確かに、近衛騎士の方々のことを考えますと、逃走できるだけの距離と時間が確保できた方が宜しいでしょう」
リリアナの返答を聞いたオースティンとライリーは、同時に渋い表情になった。二人とも、リリアナがどちらの立場にも共感を示したせいだった。だが、そのままではライリーもオースティンも歩み寄ろうとはしないだろう。
いつまでも決着がつかないのは困ると、リリアナは表情を微苦笑に変えて小首を傾げてみせた。
「どうしてもと仰るのでしたら、顧問会議にはご出席なさらず、別室で会話を聞いて動向を探るということでは如何でしょうかしら」
「動向を探る?」
首を傾げたのはオースティンだ。ライリーは一瞬目を瞠ったが、次の瞬間嬉しそうに破顔一笑した。
「確かに、その手があるな。一般的ではないが、今ある魔道具を改良すれば行けるかもしれない」
「そうですわね。ベン・ドラコ様にご相談なされては如何でしょう。突然ですから、試行ができず当日初めて使うということになるかもしれませんけれど」
リリアナの指摘に、ライリーは頷く。もしぶっつけ本番になったとしても問題ない。
「さすがサーシャだね。私たちには思いもつかない方法を編み出してくれる」
「大したことではございませんわ」
褒め言葉を惜しまないライリーに、リリアナは首を振ってみせた。リリアナはただ口を挟んだだけだ。魔道具の製作は本人の承諾も取らずベン・ドラコに投げたし、危険に晒されているのはライリーである。
だが、今は仔細を告げる時ではない。リリアナは小さく微笑んだまま、ライリーとオースティンが顧問会議当日の計画を話し合っているのを聞いていた。
*****
ライリーの執務室を出たリリアナは、執務室の外に控えていた護衛と共に廊下を歩いていた。いつも通り馬車を停めている場所へ向かっているリリアナを呼び留めたのは、幼い少年の声だった。
「あ、ちょうど良かった!」
馬車に乗り込もうとしたところでリリアナは振り返る。視線の先に居たのは、ベラスタ・ドラコだった。振り向いたリリアナの前に、新たに雇った護衛が立ちふさがる。しかしリリアナは「構いませんわ」と護衛を後ろへ下がらせた。
「ベラスタ様、お久しゅうございます。如何なされました?」
「実はお願いがあってさ」
「お願い?」
リリアナは首を傾げる。そんなリリアナに、ベラスタは楽し気に告げた。
「うん、本当はもう少ししたら例の魔道具が出来るから、その報告と一緒にと思ったんだけど。でも早い方が良いっていうから、殿下に渡しといてくれないかなって」
そして差し出されたのは、少し大きめの封書だった。ベラスタの砕けた言葉遣いに護衛が眉根を顰める気配がしたが、リリアナは取り合わない。穏やかな微笑を浮かべて、封書を受け取った。
「ええ、ウィルにお渡しすれば宜しいのね。承りましたわ。どなたのお手紙かしら?」
「えっと――副長官だよ」
ベラスタは周囲を慮るように声を潜め、リリアナに耳打ちする。リリアナは目を瞠った。
この場合の副長官と言えば、間違いなく魔導省のソーン・グリードだろう。彼の父グリード伯爵は大公派だ。だが、彼自身は大公派ではない。寧ろ父の情報をライリーに渡すなど、王太子派に協力的な働きをしていたはずだ。
リリアナはちらりと目を手元の封書に落とす。つまり、封書の中身はライリーの為になる情報――そして、大公派にとっては外部に漏らしたくない内容なのだろう。
一方のベラスタはリリアナに封書を渡したことで満足したのか、朗らかな笑みを浮かべた。
「宜しく頼むね。それじゃあ」
あっさりと告げたベラスタは踵を返し、その場から立ち去る。少年の後姿を見送ったリリアナは、護衛の手を借りて馬車に乗り込む。
動き出した馬車は、王宮の敷地を出た。しばらく進んだところで、リリアナは封書を開く。中に入っていた書類は、たった数枚だった。だがそこに書かれていた内容は、端的ながらも非常に重要なものだ。
リリアナは一瞬驚きに目を瞠り、そして口角を上げた。
「使いどころを誤りさえしなければ、致命的ですわね」
この情報が外に漏れたと知れば、大公派は血眼になって裏切り者を探すに違いない。
リリアナは書類に魔術を掛けると封書に戻した。帰宅したリリアナは、その書類を書棚に仕舞い鍵を掛ける。そして彼女が次に王宮を訪れる時も、その封書は屋敷に保管されたまま、ライリーの元に届けられることはなかった。
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