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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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52. 反逆の狼煙 9


ジルドは、王都近郊にあるクラーク公爵家の屋敷で愕然と言葉を失っていた。眼前に居るのは雇い主であるリリアナだ。自分より遥かに年下の少女は、静かにジルドの反応を眺めていた。


「――本気かよ」

「ええ」


普段と変わらない微笑を湛えながら告げる少女を見て、ジルドは顔を顰める。驚きが立ち去れば、残るは不快感と強烈な違和感だ。そして腹の底から、嫌な予感が沸き起こってくる。しかし元々言葉が得意でないジルドは、その違和感と予感が一体何に根差したものなのか、そして何を直感しているのか、自分でも理解することが出来なかった。


リリアナに呼び出されたジルドが提示されたのは、護衛契約の終了だ。八年前から連綿と続いて来た契約の一方的な破棄である。尤もその契約も一年ごとに更新されるものでしかなかったから、リリアナがジルドに告げたのは“これ以上の契約更新はしない”というものだった。


「なぜだ?」


ジルドは端的に尋ねる。今更、唐突に契約の更新をしないと告げられても納得できるわけがない。

これまでの彼には珍しいことだった。傭兵稼業で生きて来たジルドは、執着をあまり持たない。どれほど良い仕事であろうと、途中で任務の終了を告げられたらあっさりと承諾した。働いた対価をきちんと払って貰えれば文句はなかった。

だが、リリアナの護衛に関しては話が別だ。それなりに良い関係を築いて来たと思っていたし、それにジルド自身どこかでリリアナの護衛を辞めたくないという気持ちが残っていた。解雇を言い渡される時になって自覚するとは愚かだと内心で自嘲しながらも、ジルドは眼前のリリアナを睨みつける。

傭兵に過ぎないジルドが公爵家の令嬢であり王太子の婚約者でもある令嬢に質問をするなど許されることではなかったが、これまでのリリアナを考えれば不敬と言われることはないはずだった。

しかし、リリアナは不快感を露わにするように眉根を寄せる。その表情も直ぐに消えたが、ジルドには十分衝撃的だった。


「理由などどうでも宜しいでしょう。他に護衛を雇うことにしたのです。あなたのような身元の分からない者ではなく、公爵家に相応しい身分も出自も明確な者を」


リリアナの口から淀みなく語られる言葉は、どれもジルドの耳を滑っていく。あまりにもこれまで見て来たリリアナと違う雰囲気にますます違和感を覚えるが、寧ろジルドにとっては裏切られたという絶望の方が強かった。

言葉を失うジルドに、リリアナは追い打ちをかける。


「次の職を探すのに時間も必要でしょうから、今から次の職を探しても構わなくてよ」


言い方は許可だが、その実は強制だ。つまりこの会話が終われば直ぐに屋敷を離れろと、リリアナはそう言っている。持って回った言い方は苦手なジルドだが、さすがにリリアナの意図するところは理解できた。

それでもすぐに納得できるかとなると話は別だ。少しでも時間を引き延ばしたいという気持ちと、気がかりが焦燥と共に口を飛び出す。


「――てことは、あんたが言いつけた俺の仲間の件はどうなる?」


ジルドの仲間であるアルヴァルディの子孫が帝国に捕らわれ兵として使われている可能性について示唆し、その彼らを救出するための計画を練ったのはリリアナだ。そしてその重要な立ち位置にジルドを据えたのもリリアナである。

だが、リリアナはジルドにこれ以上の契約更新をしないと告げた。そうなってしまうと、リリアナが立てたアルヴァルディの子孫救出計画も頓挫する。それとも契約を破棄してもなおその計画は推し進めるつもりなのかと、ジルドは一瞬期待した。

そんなジルドを見て、リリアナは僅かに片眉を上げる。その表情は、ジルドの嫌いな貴族そのものだった。


「あら、当然あの計画は中止ですわ。わたくしからこれ以上何かをすることはございません。時流は常に変化するものとご存知ではなかったかしら?」


突き放すだけの言葉に、ジルドは耐えきれなかった。

貴族は嫌いだが、八年という年月はジルドがリリアナに情を抱くのに十分な時間だった。護衛と雇い主として多く会話をするわけではないが、常にジルドは間近でリリアナを見て来た。その結果、ジルドの中でリリアナは“貴族にしては話が分かる、得体の知れない妙な嬢ちゃん”から限りなく仲間に近い存在まで変化した。アルヴァルディの子孫と同列には並べられないが、その(しがらみ)を抜きにすればリリアナは守らなければならない最上位の存在だった。


そのリリアナに、こうも手酷く裏切られるとは思わなかった。


それが、ジルドが抱いた率直な感想だった。だがどれほど怒りを覚えても、今ここでリリアナを害するわけにはいかない。気を抜けば殴りつけそうになる腕を無理矢理抑え込み、ジルドは怒りに震えた。

しかしリリアナはそんなジルドには一切の関心を抱けないらしい。穏やかな微笑みのまま、冷ややかにジルドを見やった。


「貴方がどこへ行こうと、妨げませんわ。ですが、今後わたくしの前に姿を現わすことは禁じます」

「――ッ!」


だからお好きになさって、と告げるリリアナにやはり違和感を覚える。しかしそれ以上に怒りが勝り、ジルドは乱暴な仕草でリリアナの部屋を辞した。

たとえリリアナが計画から手を引くとしても、既に仲間であるテンレックたちは隣国へ旅立っている。今更ジルドも止めようとは思えない。リリアナが手を出さなくとも自分だけは仲間を助けなければならない。

リリアナの口添えがなくなった以上、ケニス辺境伯がジルドを受け入れてくれる可能性は低い。しかし行かないよりはマシだと、ジルドは早々に屋敷を発ちケニス辺境伯領へと向かった。



*****



リリアナは王都近郊にある自分の屋敷の応接間で、訪問者を前に穏やかな表情を浮かべていた。だがその視線は相手の出方を窺っている。尤も相手にそれと悟らせるようなヘマはしない。しかしリリアナの様子を窺っているのは先方も同じだった。

ただし、その理由は二人の間でだいぶ異なっている。


「人払いをして頂けて助かりました、リリアナ嬢」


最初に口を開いたのは、ひっそりと訪れたメラーズ伯爵だった。共は一人だけ連れている。その人物がメラーズ伯爵の右腕でもある執事だと、リリアナは既に知っていた。


「こちらは私の右腕として尽くしてくれている執事です。口の堅い男ですので、お気になさらず」

「そう」


リリアナは敢えて冷たく聞こえるような口調で言い放つ。多くの宮廷貴婦人たちと接した経験のある伯爵は気分を害することもなく、穏やかに頷いてみせた。


「本来でしたら他の面々に会えるよう場を整えるつもりでしたが、殿下側の警戒が厳しくなっておりましてね。下手に動けば勘付かれてしまいますので、私だけが参った次第です」

「そうでしたの。せっかくですから、大公閣下にはお会いしとうございましたわ」


こともなげにリリアナは言ってみせる。メラーズ伯爵は一瞬眉をピクリと痙攣させたが、すぐに表情を取り繕った。


「勿論、閣下にもお会い頂けるよう取り計らいます。しかしながら今の段階でお会いになるのは時期尚早ですので、全て片が付くまでお待ち頂きたく」

「まあ。未来の旦那様ですもの、すぐにでもお会いしたいところですけれど、致し方ございませんわね」


リリアナはあっさりと肩を竦める。しかし不服だとメラーズ伯爵に伝わるよう、眉を寄せることは忘れなかった。メラーズ伯爵と彼の執事はリリアナが不承不承ながらも納得したとみて、どこか安堵したように息を吐く。その様子を見るともなしに眺めながら、リリアナは小首を傾げた。


「それで、今日はどのようなご用件でいらっしゃいましたの? わたくし、この後は予定がございましてよ」


穏やかに言う様子は可憐な少女だが、台詞自体は高飛車だ。そのような態度を不快に思う者もいるだろうが、メラーズ伯爵は全く気に止めなかった。寧ろ彼にとっては、リリアナが典型的な貴婦人に近いほど御しやすいと安堵する材料になる。

呪術の鼠やオブシディアンを使って集めた情報を総合すれば、メラーズ伯爵が女性や子供に対してどのような印象を抱いているのか、容易に推測することが出来た。大公派の中心人物の中でもメラーズ伯爵は比較的公平な物の見方をする人だが、それでも女性や子供というだけで軽んじる傾向がある。たとえその能力を認めていたとしても、女というものは短慮で愚かな判断をしがちだと思っている様子だった。


尤も、大公派の中心人物の中ではスコーン侯爵が一番女子供を見くびっている。スコーン侯爵はそもそも女性の能力が高いという考えがない。賢夫人と名高いフィンチ侯爵夫人や辺境伯領でその辣腕を奮っているビヴァリー・カルヴァートに対しても、分不相応な評価を得ていると心から信じている様子だった。結局、どの女も同様に愚かだと信じ切っている。

フランクリン・スリベグラード大公も、スコーン侯爵と大差はない。彼にとって重要なことは目の前に居る女性と楽しい恋愛遊戯ができるかどうかということであり、相手の能力といったところに関心を持つことはなかった。


だからこそ、大公派の中心人物の中でもメラーズ伯爵が最も警戒せねばならない相手だった。女子供の能力を低めに見積もるとはいえ、疑いを持たれてしまえば監視の目を付けられることになる。それだけは避けなければならなかった。


どこか不快さを隠そうとしないリリアナを見て、メラーズ伯爵は居住まいを正す。そして、彼は単刀直入に述べた。


「今後についてご相談したく、本日は窺いました」

「今後――?」


一体何を言いたいのだと、リリアナは分からない振りをする。当然、リリアナはメラーズ伯爵が何を話したいのかおおよその見当をつけていた。時期的にもそろそろ来るだろうと思っていたから驚きすらない。

しかしメラーズ伯爵はリリアナが本当に分かっていないようだと思ったらしい。遥か年下の少女に言い聞かせるような目と口調で、しかし相手が不機嫌にならないよう態度にだけは気を配りながら、今後の采配について口を開く。


「次の顧問会議の時に決行致します。陛下に関してはこちらでどうにか致しますので、リリアナ嬢には殿下の身柄確保をお願いしたい」

「身柄確保ですって?」


メラーズ伯爵の物騒な言葉を聞いたリリアナは美麗な眉を吊り上げた。まさに不快だという表情を作り、不機嫌に言い放つ。


「わたくし、乱暴なことは好きではありませんわ」

「勿論、物理的に確保して頂かなくとも構いません。今はまだ婚約者なのですから、お茶を共に飲むなどやりようはあるでしょう」


武力行使はお前たちの仕事だろうと言外に告げたリリアナに、メラーズ伯爵は鷹揚に構えたまま優しく教え諭す。不出来な子供に対峙する教師のようだったが、リリアナはそのことに不快感を示しはしなかった。


「お茶くらいでしたら、いつでも出来ましてよ」

「そうでしょうとも」


我が意を得たりと言わんばかりにメラーズ伯爵は頷く。しかしリリアナを見つめる視線は鋭かった。


「その後のことは我々にお任せください。何があろうと、動じることはありません。上手く整え、リリアナ嬢と大公閣下の婚約を含め、全てをあるべき形に収めましょう」


今いる場所がリリアナの屋敷であることを懸念してか、メラーズ伯爵は肝心なことを口にしない。しかし、彼が一体何を示唆しているのか、リリアナには明らかだった。そして間違いなく、執事も己の主が一体何を考え行動しているのか全て承知している。


「分かりましたわ」

「それから、もう一つお願いしたいことがあります」


メラーズ伯爵は僅かに身を乗り出した。リリアナは興味もないという目線で伯爵を見やる。その視線を受けて、伯爵は厳かに告げた。


「ここから先、極力仲間には会わない方が良い状況に陥っております。ですので、貴方には決行の連絡を大公閣下に送って頂きたい」

「決行の、合図――?」

「左様でございます」


胡乱な目をしたリリアナだったが、メラーズ伯爵は構わずに説明を続けた。


「顧問会議の数日前もしくは前日から、私も他の者も王宮におります。しかし、大公閣下は王宮にはいらっしゃらない。事を起こす予定ではありますが、直前に変更になる可能性もあります。ですので、確実になった時に貴方には魔術を使って大公閣下へと連絡を取って頂きたいのです」


伯爵の言葉を、リリアナは黙って聞いていた。思案するように目を細めている。伯爵や執事は、リリアナが必死に頭を働かせているように見えているに違いない。しかし、リリアナは話の半ばで伯爵が何を頼みたいのか、おおよその内容を予想していた。だから考え込むまでもなく、伯爵が何を求めているのか理解している。


「それは、わたくしが王宮への出入りを出来る上に監視の目がないから――ということ?」

「仰る通りです。さすが王太子妃となられる方だけありますね」


感心したように告げる伯爵は、恐らくリリアナをおだてようとしているのだろう。恐らくフランクリン・スリベグラード大公にも同じように接しているに違いないと見当を付け、リリアナは嘆息を堪えた。

このような言葉で機嫌がよくなると思われているのであれば呆れるばかりだし、そして実際に大公があからさまなおべっかに満足しているのであれば、本気で頭の心配をしたいところだ。

しかしリリアナはそんな本音もおくびに出さず、寧ろ得意気な様子を取り繕ってみせた。平静を装いながらも、満更でもない様子を取り繕うのは至難の業だ。芝居を演じることを生業にしている者にある種尊敬の念を覚えながら、リリアナはつんと澄まし顔でそっぽを向いた。


「この程度のこと、誰でも思い付きますわ」

「ですが、いかなる魔導士であろうと王宮から王都の端まで知らせを飛ばすことはできません」


メラーズ伯爵はリリアナの反論には取り合わなかった。やはり相手を褒め慣れている人間だと、リリアナはひっそりと感心する。しかし、リリアナにとっては王都の端まで魔術で手紙を飛ばすことなど造作もない。目を瞑っていてもできることだ。だから、やはり伯爵の誉め言葉は見当違いのものでしかなかった。

とはいえ、リリアナは魔導士になれるほど魔力を使いこなせないと伯爵に錯覚させたのはリリアナ自身だ。敢えてここで本来の力を誇示する必要はない。それでも、リリアナは自分の振る舞うべき姿を忘れてはいなかった。


「その程度、造作もないことですもの。寧ろ、その程度の事さえできない魔導士たちが使えないだけでしてよ」


前半部分はリリアナにとっては当然の答えだが、伯爵には潤沢な魔力を使いこなせない少女の、精一杯の強がりに聞こえたことだろう。だが、それで問題ない。

予定通りの仕事を任せられたことに内心で満足しながらも、リリアナは冷たく伯爵を一瞥し、精々高慢に見えるよう、魔導士たちの存在を鼻で笑い飛ばしてみせた。



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