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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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52. 反逆の狼煙 8


ユナティアン皇国の皇都トゥテラリィを出発する前に、ローランドは今一度国宝の黒水晶を確認しておこうと思った。黒水晶の謎は深い。国宝と言いながらも、その真の力を知る者はいないはずだった。恐らく皇帝カルヴィンでさえ把握していないのではないだろうか。

ローランドも、黒水晶について知っているのは過去を視ることが出来るという一点のみだ。他にもあるのかもしれないし、カルヴィンであればもう少し知っている範囲は広いかもしれない。

とはいえ、同時に国宝の力を詳細に研究しようという意志もあまり皇帝からは感じられなかった。少なくとも黒水晶があるからこそユナティアン皇国は強大な力を持つと信じられており、下手に触れることでその力を失うことの方が問題だと考えられている。


「黒水晶盗難についてはマティアスの策略というところだろうが――深く考えたところで無意味だな。大方、王国に難癖をつけて趣味に使う生贄を手に入れようと考えたんだろう」


ローランドは苦々しく吐き捨てる。彼は黒水晶盗難の噂について、真実を看破していた。先日の御前会議で撒いた餌に簡単に食いつき、不用意な発言をしたのはマティアス自身だ。

マティアスの趣味の悪い遊戯は、高位貴族の間では公然の秘密となっている。本人に隠す気がないのが一番の問題だが、その点は不用意な噂が広まらないよう、マティアスの信奉者たちが気を遣っていた。そして皇国の傾向として、凄惨な拷問はそれほど声高には批判されない。民衆にとっても貴族にとっても、自分や近しい人々が当事者にならなければ取り立てて騒ぐほどのことでもなかった。

だが、当然眉を顰める者もいる。ローランドやイーディスは間違いなく、マティアスの趣向には否定的だった。


長い隠し通路を抜けて、宝物庫に辿り着く。だがだいぶ離れたところで、ローランドは違和感を覚えた。


「――誰か、いる?」


眉根を寄せたローランドは逡巡する。まさか宝物庫に先客がいるとは思っていなかった。一体誰が居るのか分からないが、できれば出くわしたくはない。誰であろうと、顔を合わせれば面倒なことになるのは間違いがない。

しかし同時に、一体誰が宝物庫を訪れているのかも気になった。ローランドは気配を消してゆっくりと宝物庫に近づく。

隠し通路とはいっても、宮廷内に存在しているのだから、それなりに豪奢な造りにはなっている。皇国らしく柱や壁には装飾が施され、一定間隔で美術品も飾られている。選びさえしなければ身を隠す場所は存在していた。

ローランドは宝物庫の中が辛うじて見える場所まで近付くと、大きな自鳴琴(オルゴール)の裏に隠れた。目を凝らして、薄暗い宝物庫の中を覗く。

先客は流れるように長い上衣(マント)を羽織り、睨むように黒水晶から目を離さない。その横顔に、ローランドは目を瞠った。


「父上――?」

「『始祖レピドライトの名に於いて、我に真実を見せよ』」


先客は皇帝カルヴィンだった。手を翳して魔力を注ぎながら、古代の言葉を紡ぐ。

今の時間、カルヴィンは自室で寝酒を嗜みながら一人の時間を過ごしているはずだ。だが実際の彼は供も引き連れず、宝物庫で黒水晶と対峙している。

一体何をしているのかとローランドが様子を窺っていると、二人の注視する先で黒水晶が様相を変えた。鉱物らしい色と輝きを放っていた水晶が色を変え、虚像を映し出す。

現れたのは、皇都(ここ)ではない景色だった。だがローランドには見覚えがある。それは間違いなく、スリベグランディア王国の王都ヒュドールの景色だった。いつの時代かと思ったが、少なくともローランドに見覚えがあるということは最近のもので間違いない。


映像には、禍々しいものが映し出されていた。空は暗雲に覆われ、光が一筋も差さない。雷鳴が轟き雨が降り続け、まさにこの世の終わりを体現するかのような光景だ。地は荒れ果て、道には家畜や人が倒れ息絶えている。

だが、それでも王宮の姿はローランドが見たままだし、道や並び立つ家々も記憶の通りだった。


「――これは」


現実ではないと思いたいが、目にしているその光景はあまりにも現実的だった。だが明らかに現在の出来事ではない。もしこれが現在の出来事であれば、宮廷には魔術で緊急の知らせが届き、騒然としているはずだからだ。即ちここから導き出せる答えは、今黒水晶が示している姿は未来の可能性だった。


スリベグランディア王国の象徴でもある王宮には数多の蝙蝠が集い、異形の者たちが整列し一人の存在に首を垂れている。集団の中から一歩踏み出したのは、透明な二枚の翅を持った人だった。


『我が主レピドライト陛下の御帰還、我ら一同誠に喜ばしく申し上げます』

『久しいな、ベルゼビュート』


答えたのは立派な体躯の男だ。黒髪に深紅の瞳をした彼から放たれる覇気は尋常ではない。皇帝カルヴィンも一瞥だけで相手を震え上がらせることが出来るほどの傑物だが、レピドライトと呼ばれた男はそれよりも遥かに威厳があった。

そして間違いなく、周囲に畏怖を与えているものの正体は闇魔術に限りなく近い力だ。その力の一番の源はレピドライトと呼ばれている男だが、ベルゼビュートと呼ばれた翅の男からも感じ取れる。そしてレピドライトに力は及ばないベルゼビュートですら、人間が太刀打ちできる相手ではなかった。


黒水晶の見せる景色は次々と変わっていく。レピドライトを得て力を得た異形の者たちは脅威的な団結力で一丸となり、次々と人間を屠って地上を征服していった。その様子を眺めているだけで、ローランドの顔からは血の気が引いていく。

ローランドもそれなりに実戦経験は積んでいるし、戦場の様子も見たことはある。だが、その彼をしても見せられる景色は凄惨としか言いようがなく、ただ気分が悪くなるだけだった。


ほどなくして映像は消える。元通りになった空間で立ち尽くし虚空を見つめていた皇帝カルヴィンは、やがて小さく嘆息した。


「一年前から未来は変わらんようだな。コンラートをヴェルクにやっても同じか。王国の腑抜けには、コンラートを相手取るのも難しいのか――それとも、そもそも気が付いていないか」


呟きながらカルヴィンは宝物庫から出て来る。ローランドは自鳴琴(オルゴール)の影に身を潜め息を殺した。身動き一つすれば、カルヴィンに存在を気取られるという直感が働いた。

幸いにもカルヴィンはローランドに気が付かなかったらしい。ゆっくりとした足取りで通路を歩き去っていく。気配が消えてもなお、ローランドはしばらく動かなかった――否、動けなかった。

全身から冷や汗が流れている。


ローランドが今隠し通路に居ることを、絶対に皇帝に知られてはならないと確信があった。


宝物庫に居ることが問題なのではない。黒水晶を使って未来を視ることが出来ると、ローランドが知ることが問題なのだ。そうでなければカルヴィンは黒水晶で未来視が出来るということを隠さない。彼が隠しているということは、他に知らせるつもりがないということだ。そして自分が黒水晶を使って未来視をした場面の目撃者がいると気が付けば、迷いなくカルヴィンは証人の口を封じる。そうして亡くなった者は多い。


そこまで考えて、ローランドは心臓凍えたかと思った。


「まさか」


未だに第一皇子を誰が暗殺したのかは分かっていない。疑惑を持たれているのは第一皇女と第三皇子の二人だ。ローランド以外の者であれば、ローランドも疑っている可能性は高い。

だが、誰も皇帝カルヴィンに疑念を抱いた者はいなかった。

第一皇子はずっと後継者として最大勢力を誇っていた。カルヴィンの覚えも目出度く、順当に行けば皇太子となるはずだった。その分敵も多く、彼は常に身辺に気を配っていた。その第一皇子を暗殺することが出来る腕のある者はそれほど多くない。


第一皇子(あにうえ)も、何かを見たのか」


もしかしたら第一皇子も、カルヴィンが黒水晶で未来を視た場面を目撃したのかもしれない。もしくは、他の何かしらを知った可能性もある。カルヴィンであれば、たとえ血縁者であろうと必要となれば一切迷うことなく命を絶てる。そして、第一皇子がどれほど暗殺に警戒していても、カルヴィンであれば難なく殺害することが出来ただろう。


ローランドは細く長い息を吐き出す。激しく脈打つ心臓をどうにか収め、平静を取り戻すように努力する。そしてそのまま自鳴琴(オルゴール)の裏の影に身を潜めたまま、思考を続けた。動揺したまま隠し通路から脱出する気にはなれなかった。下手を打てば、皇帝に見つかる可能性がある。


「一年前ということは、もしかしたら未来視には制約がある可能性が高いな」


無理矢理、先ほど見た光景を思い出す。

カルヴィンは“一年前と変わらない”と言っていた。つまり彼は一年前から、レピドライト――ユナティアン皇国の初代皇帝の復活を予見していたのだ。だが、それから一年経つまで未来視はして来なかった。

過去であれば制約なく視ることができるが、未来は一定の条件が揃わないと視ることはできないに違いない。条件がどれほどあるのかも分からないが、少なくとも一年に一度しか使うことはできないのだろう。


「大公がヴェルクに行くのも妙だと思ったが、そこは父上の作為が働いたのだろう」


ローランドは眉根を寄せる。

ヴェルクはユナティアン皇国第二の都市であり芸術の街だ。戦を好むコンラート・ヘルツベルク大公には似合わない街である。そこに何故大公が行くのかというのはずっと不思議だった。とはいえ、大都市であるからこそ人混みに紛れて様々なことが出来るという利点はある。恐らくコンラートはカルヴィンから密命を受けてヴェルクに向かったに違いない。

だが、カルヴィンにとってはコンラートには知らせない思惑もあったのだろう。それが、黒水晶が見せた未来の出来事に関することだった。


「ライリー殿たちが動くのを期待していたのか?」


渋い表情で、ローランドは考え続けた。

先ほどカルヴィンが漏らした小さな呟きだけでは、カルヴィンの本意は分からない。しかし、少なくともカルヴィンも未来を変えたいと思っていたようには見える。ただしその未来が、ライリーやローランドたちが思う初代皇帝レピドライト、王国風に言うのであれば魔王の封印であるかどうかは分からない。


「父上は何を狙っていらっしゃるのだ」


そこが、ローランドには分からない。

てっきりレピドライトが復活するのであれば、帝国の者たちは諸手を挙げて喜ぶと思っていた。カルヴィンも例外ではない。だが、もしカルヴィンが黒水晶を使って、一年前から同様の未来を予見していたのだとしたら、ローランドの仮定は根底から崩れる。


「あの様子だと、皇帝の座は塗り替えられる」


黒水晶が見せた映像では、復活したレピドライトは明らかに君主の器だった。王国だけでなく皇国も滅ぼし自らの領土とするだろう。そうなると、カルヴィンもまた皇帝の座から失墜する。

だがカルヴィンは強欲だ。決して自らの権力を手放したいとは思わないに違いない。それならばレピドライトの復活を阻止したいと考えるのも頷ける。しかし、カルヴィンがそこまで単純な人間だとは、ローランドには到底思えなかった。


「もし――レピドライトの力を取り入れることが出来るのであれば」


レピドライトのあの力を全て身に取り込めることが出来るのであれば、それこそ最強の人間になれる。もしかしたらレピドライトと同様に長寿を得ることも出来るかもしれない。

だが、その可能性をローランドは苦笑と共に追いやった。


「いや、あり得ない。さすがに荒唐無稽に過ぎる」


黒水晶が映し出した未来を垣間見ただけでも、レピドライトが只人でないことは分かる。その力を一介の人間が取り込むことなど現実的に不可能だ。まず間違いなく強大な力に押しつぶされ、命を落とすだろう。

そのことは、カルヴィンも分かっているはずだ。だから封印を願うだけに留めるはずだと、ローランドは考える。それでも、どこか釈然としない気持ちが残った。


「――そこは考えても仕方がないことか」


小さく首を振って、ローランドは気持ちを切り替える。

今日ローランドが宝物庫に来たのは、剣以外の封印具である鏡や宝玉の居場所が特定できる情報を得るためだった。以前黒水晶を使って過去を視た時、剣以外は漠然としていて良く分からなかった。今回も全く同じ映像しか見られない可能性はあるが、試してみる価値はあるはずだ。


ゆっくりと立ち上がって、ローランドは自鳴琴(オルゴール)の影から出る。そして宝物庫に足を踏み入れ、黒水晶を使おうとした。


「――駄目だ」


だが、反応しない。手を翳したローランドは、きつく目を瞑った。

未来を皇帝カルヴィンに見せた黒水晶からは、(エネルギー)が失われていた。再度過去を視れるほどの(エネルギー)が充填されるには、時間が掛かるだろう。


「諦める、か」


嘆息したローランドは、黒水晶から離れる。そしてゆっくりと隠し通路を歩き、カルヴィンが姿を消したのとは別の扉から外へと出て行った。




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