52. 反逆の狼煙 7
驚いている三人には構わず、クライドは淡々と言葉を続けた。
「オースティンほどではありませんが、私もある程度腕は立ちます。今回の任務は相手に怪しまれることなくコンラート・ヘルツベルク大公に近づき、ローランド殿下と協働の上で破魔の剣を奪うことでしょう。策を巡らせれば、武力はそれほど必要になりません」
だが、ライリーの身辺警護は違う。大公派が武力を用いてライリーを亡き者にしようと企むのであれば、オースティンの力が必要だ。それでもライリーは直ぐには頷かなかった。
「クライド、お前はクラーク公爵家の当主だ。ヴェルクは皇都ほど遠くないとはいえ、長く領地を離れることになってしまう」
「懸念は残りますが、我が家には父の代から仕えている執事がおりますから、多少は問題ありません」
トゥテラリィならばともかく、ヴェルクであれば支障のない範囲だとクライドは断言する。どうやら一切譲る気がないようだ。そして、ここでようやく腹を決めたらしいオースティンも口を開いた。
「俺もクライドに同意見だ。さすがにエミリア嬢を一人で行かせる気にはなれないが、大公派のことも考えると、俺がお前の警護をしてエミリア嬢にはクライドが着いて行くっていうのが一番良い選択だろ」
しかしライリーは直ぐには納得できないというように渋い顔を崩さない。その横顔から、ライリーが隣国に旅立つエミリアを心底心配しているのだと悟ったオースティンとクライドは、ほぼ同時に苦笑した。
「そこまで心配されると、私の実力に不安を抱かれているのかと悲しくなりますね」
「そうじゃない」
クライドの言葉を、ライリーは即座に否定する。となると、残る可能性は一つだ。オースティンは苛とした様子で顔を顰めた。
「お前、まさか俺を遠ざけるのも目的だったか?」
「――お前たちの腕を不安に思っているわけではないんだよ」
ライリーは、オースティンの問いに直接的には答えなかった。それどころか、目を合わせようとしない。それがオースティンの問いを肯定していると理解しているだろうに、嘘を吐こうとも思わなかったらしい。
今後、大公派がライリーを襲う――そしてライリーはそれにオースティンを巻き込みたくないのだと、クライドもオースティンも直ぐに理解してしまった。
「ふざっけんな!」
本気で怒鳴れば部屋の外にまで響いてしまう。そうなれば外に控えている護衛たちがどうしたことかと駆け付けて来るだろう。だから、オースティンは器用にも抑え込んだ声音でライリーを怒鳴りつけた。
「俺が何故お前の近衛騎士になったか、忘れたとでも言うのか!? 俺は最後までお前の側で戦うって決めてんだよ!」
オースティンだけではない。クライドも、そして騎士としての教えをカルヴァート辺境伯ビヴァリーから受けて来たエミリアも、どこか責めるような目でライリーを見ている。ライリーは一瞬唇を引き締めた。すぐに答えないライリーに業を煮やし、オースティンは身をライリーの方に乗り出した。
「ライリー」
念を押す声音に、ライリーは深く溜息を吐く。そして、様々な感情を飲み込んだような表情で苦笑を漏らした。
「――分かった。お前の気持ちは分かっていたのに、蔑ろにしてすまない」
「ったく。分かれば良いんだよ、分かれば」
それなら決まりだな、とオースティンは話を纏めにかかる。ライリーが再び気持ちを変える前に結論を決めてしまいたいと言わんばかりだ。そしてクライドもエミリアも、その判断に否やはないらしい。
「エミリア嬢とクライドがヴェルクに向かってローランド殿下と合流する。そこで剣を入手する。連絡は適宜取るようにしよう。俺はこっちで、この馬鹿と一緒に大公派を――もし来たらの話だが、迎え撃ってお前らの帰還を待つ。同時に鏡と宝玉の在り処も探し続ける必要があるな」
オースティンの言葉を黙って聞いていたエミリアは、“鏡と宝玉の在り処”という単語を聞いた瞬間、わずかに顔色を悪くした。目ざとくそれに気が付いたライリーは、殊更ふざけた調子で混ぜ返す。
「待て、まさか今王太子に向かって馬鹿と言わなかったか」
「気のせいだ馬鹿」
「今のは明らかに言っただろう」
ライリーの軽口に、オースティンもすかさず乗った。
これまでライリーは魔王が復活するという言葉を、一切口にしていない。破魔の剣を奪取するという任務だけであれば、即座に魔王の復活と結び付けて考えることはしない。破魔の剣はスリベグランディア王国の宝であり、公にはされていないが嘗て皇国に奪われたのを秘密裏に取り返すのだと考えられなくもない。実際に、エミリアもそう考えたのだろう。国の命運に関わるというのも、国宝が敵国にあると知れたら王家の立場が危うくなると理由付けできる。
しかし、オースティンは失言をした。剣だけではなく“鏡”と“宝玉”の在り処も探すとなれば、単に失われた秘宝を取り返すという目的に合致しない。隣国にあると判明しているのであれば剣と同様の理解もできるだろうが、そもそも実在しているのかも分からない物を本気で探すというのであれば、他の理由を探すしかない。
当然、考えなしの者でない限りは辿り着く答えは一つだ。そしてエミリアは、愚かではなかった。寧ろビヴァリー・カルヴァートが手塩に掛けたお陰で、頭の回転はそれなりに早い。
「まさか、魔王が――?」
クライドは呆れた視線をオースティンに向けるが口を開かない。自分の失敗は自分でどうにかしろという無言の圧力に、オースティンは顔を覆って小さく「悪い」と零した。その謝罪はエミリアに対するものではなく、クライドとライリーに向けたものだった。
だが、ほぼ確信に近いものを抱いているエミリアを、この段階になってまで除け者にする気はない。オースティンはライリーが一つ頷いたのを横目で確認すると、エミリアに向かって「そうだ」と答えた。
「これも他言無用で頼む。魔王の封印があるんだが、その封印が緩んでいるんだ。いつ完全に復活するか分からないから、嘗て三傑たちが魔王を封印するために使った道具を揃えておきたいんだ」
「その一つが、隣国にあるということなんですね」
思っていた以上に重大な使命なのだと気が付いたエミリアは、見張っていた目に真剣な色を湛える。
「他の――鏡と宝玉がどこにあるかは、分からないのですか」
「ああ、分かっていない。確実に分かっているのは破魔の剣だけだ」
前途多難だということは、この場に居る誰もが分かっている。しかし、手をこまねいている訳にはいかない。一つずつでも構わないから、解決の糸口を見定め手繰り寄せなければならなかった。
「分かりました。全力を尽くして殿下の御期待に応えます」
エミリアは、迷わない。力強い決意を込めて、ライリーに宣言する。クライドもまた、静かに頷いた。
「出立は明朝で大丈夫ですか、エミリア嬢」
「問題ありません」
出来るだけ早く、剣を手元に置いておきたい。そして極力大公派が事を起こす前に帰還し、ライリーの元へ戻る。
口にはせずとも、その思いはクライドとエミリアの中で共通していた。
*****
リリアナ・アレクサンドラ・クラークは、婚約者である王太子ライリーの執務室でお茶を飲みながら、最近の出来事を聞いていた。
「エミリア様とお兄様が?」
「そう。今朝方、王都を発ったよ」
ライリーは静かに頷く。エミリアとクライドは、どうやら数人の護衛を引き連れ無事に隣国ヴェルクへと旅立ったらしい。ライリーは元々オースティンとエミリアを同行させるつもりだったようだが、大公派が動く可能性がある今、オースティンがライリーの側を離れようとしなかったそうだ。
お茶で口を潤しながら、リリアナは静かに返事をした。
「そうでしたの」
「本当はオースティンが同行した方が良いと思ったんだけどね。特にオースティンはエミリア嬢を心配していたようだから」
意味深に付け足された言葉に、リリアナは僅かに口角を上げる。ライリーの意味するところは明らかだった。オースティンがエミリアに惹かれていると言いたいのだろう。
だが――と、リリアナは思う。
エミリアは間違いなくライリーを信奉するようになっている。実際にエミリアがライリーと会話している場に居合わせたわけではないが、リリアナは彼らがどのような話をしていたのか把握していた。だからこそ、エミリアの信奉が思慕に変わり、恋情へと発展する可能性も大いにあり得ると理解していた。そしてその逆も然りだ。
実際に、乙女ゲームでのヒロインは王太子とそのようにして絆を深めていった。今はまだ自覚がなくとも、これから先のヒロインと攻略対象者たちは他者を寄せ付けない信頼関係と絆で結ばれる。その中に第三者は入れない。たとえそれが、長年付き合いのある令嬢であったとしてもだ。
そして、リリアナは彼らの関係を止める気もなかった。胸に小さな痛みが走るが、最早リリアナにとってそれは慣れたものだ。あっさりと無視をして、今後のことに思いを馳せる。
(目的地がヴェルクでしたら、ゲームと同じ展開ですわね。出立する顔ぶれには違いがございますけれど)
ゲームでは、まだリリアナの父エイブラムも存命だった。そのためライリーを筆頭とした攻略対象者たちは政治的に何の影響力もなく、王都に留まる必要もなかった。それ故に、ヒロイン共々、彼らは同時に王都を発ちヴェルクへと向かうことができた。
だが現実は、その点でゲームとは掛け離れている。エイブラムは死亡し、クライドはクラーク公爵家の当主となった。ライリーはエイブラムが居なくなった王宮で影響力を増している。そのためヒロインと攻略対象者たちが魔王封印のための道具を求めて王都を離れること自体が難しい。
(お兄様が早々に出立してくださって助かりましたわ。でなければ破魔の剣も得ることはできないでしょうし)
ヴェルクを目指して今朝早くに出発したのであれば、一週間もしない内に国境を出るだろう。時期的にも都合が良い。
「それから、サーシャ」
静かにお茶を嗜んでいるリリアナの名を、ライリーが呼ぶ。リリアナが顔を上げれば、ライリーの心配そうな表情が目に入った。心底リリアナを気遣っている様子だ。
「最近、大公派の動きが妙なんだ。だからくれぐれも身辺には気を付けて欲しい」
「――まあ」
今初めて聞いたというように、リリアナは目を瞬かせた。
「護衛をいつも一人しか付けていないだろう。だが、今後はオルガ殿とジルド殿の二人を常に傍に置いておいた方が良い」
ライリーはオルガとジルドの腕を知っている。だからこそ、こちらの手勢を貸すとは言わない。
リリアナは、ゆったりと微笑んだ。
「そうですわね。是非、そう致しますわ。ウィルもどうか、お気を付けくださいませ」
「ああ――勿論だ」
リリアナの返答にほっとしたように、ライリーは微笑む。
だが、穏やかな時間が流れるその裏で、リリアナは次の一手を進めようとしていた。









