表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
333/564

52. 反逆の狼煙 6


エミリアの小さな声は掠れていたが、はっきりと三人の耳に届いていた。


「私は、」


華奢な手を、膝の上で握り締める。そしてエミリアは、はっきりと告げた。


「そのお話、受けさせて頂きたいと思います」


小刻みな震えは、恐怖ではない。武者震いだ。

貴族の令嬢とは言え、エミリアも剣を嗜む武人である。実際に騎士として身を立てているわけではないが、その精神は幼い頃から身近で見て来た。

驚いた様子のライリーを真っ直ぐに見返し、エミリアは言葉を重ねた。


「殿下は、ビヴァリー様――カルヴァート辺境伯様がこのことを知ればお怒りになると仰っていましたが、私はそうは思いません。国境を護る貴族、騎士として、国の命運を左右する任を前に怖気付くことこそ叱責されます」


その言葉に、ライリーは僅かに目を瞠る。オースティンも虚を突かれた顔をしたが、すぐに得心したように小さく頷いた。視界の端にオースティンの反応を捉えたエミリアは、たった一つの反応に勇気づけられ言葉を続ける。


「私がどの程度お役に立てるか、それは分かりません。しかし、もし私を見込んでくださるのであれば――私は、殿下のため全力を尽くさせて頂きます」

「――そうか」


一瞬、ライリーは息を飲む。ライリーにとって、エミリアの反応は予期しないものだった。オースティンがライリーの近衛騎士となった時の姿と、今目の前にいるエミリアの姿が被る。

そしてそのことを実感した時、ライリーは一瞬自分の判断を後悔しかけた。オースティンと違い、エミリアは少女だ。頭も悪くはないし、女としては腕も立つ。今回の任務には適任だが、他の方法があるのではないかと逡巡した。しかし、すぐに思い直す。

時間があればともかく、残念なことに時間もなければ信頼に値する人手も足りない。やはりエミリア以上に相応しい人物はいないのだと結論付けるのに、そう時間は掛からなかった。


そこまで考えたところで、ライリーは横目でオースティンの様子を一瞥する。エミリアが執務室に来てから、オースティンはずっとライリーに苛立ちを向けていた。もしエミリアではなく別の人物であれば、オースティンもこれほど腹を立てたりはしなかっただろう。オースティンはライリーの事を信頼している。だが、自覚が芽生え切っていない恋情は時折判断を鈍らせる。魔導剣士としての訓練をする度、オースティンがエミリアに心惹かれていることは、ライリーもクライドも早々に気が付いていた。


だが、エミリアの返答を聞いたオースティンは既に怒りを消していた。エミリアの決意を受け入れるように、無言のまま穏やかな視線を向けている。心配であることに変わりはないのだろうが、それでもエミリアの意志を尊重したいという気持ちが垣間見えて、ライリーは微苦笑を漏らした。


「それならば話は早い。今から告げることは他言無用で頼みたい」

「承知しました」


表情を改めたエミリアの顔に、これまでのような緊張や怯えは全く見えない。どうやら覚悟を決めたことで腹が座ったようだった。


「できるだけ早急に出立し、ヴェルクに向かってくれ」

「ヴェルク、ですか」


エミリアは目を瞬かせる。ヴェルクはユナティアン皇国第二の都市と呼ばれ、皇都トゥテラリィに次いで大きな街だ。東のトゥテラリィ、西のヴェルクと並んで称されることもある。そして同時に、ヴェルクは芸術の街でもあった。山と川に恵まれた土地はどうやら芸術家たちを惹き付けるらしい。

ライリーは頷いた。


「そう。ヴェルクで剣を引き渡して貰う手筈になっている――が、問題はその剣を入手できるかどうかということだ」


尚更訳が分からないと首を傾げるエミリアに、ライリーは穏やかな表情のまま説明を続ける。


「ローランド殿には、とある剣をこちらに引き渡して貰いたいと依頼している。その剣は破魔の剣――と言えば、分かるだろうか」

「破魔の剣って、あの、勇者が持っていたという――?」

「その剣だね」


まさかの名前に、エミリアは目を丸くした。てっきり破魔の剣は伝承の中のもので、既に存在しないとエミリアは思っていた。だが剣は実在し、その上隣国のコンラート・ヘルツベルク大公が持っているのだとライリーは言う。


「大公はじきにヴェルクへ向かうそうだ。そこで暫く滞在する。その時にローランド殿も、秘密裏にヴェルクを訪れる。剣は偽のものを用意し、大公の持つ破魔の剣と取り換え、本物を我が国に持ち帰るという寸法だ」


偽の剣を用意するのは、破魔の剣の実物を見たことがあるローランドの仕事だった。ライリーたちスリベグランディア王国側の都合であるにも関わらず、ローランドはおおよその事態を察し全面的に協力を申し出てくれた。

ただ問題は、剣を取り換えること、そして無事に本物の破魔の剣を持ち隣国を脱出することだった。


「剣を取り換えるところについては、双方で協力することになっている。事が事だけに、内実を知る者は最小限に抑えた方が良いからね」


だが、当然ライリーもエミリア一人でローランドと協力し事を為せるとは考えていない。ライリーにとっての本命は別に居た。


「エミリア嬢、貴方に声を掛けたのは女性が居た方が目くらましになるからだ。特にヴェルクは芸術の街だからね、女性が訪れたところで違和感はない。けれど、女性ならば誰でも良いわけではないんだ。武術に優れ、自分の身を守り、いざという時は敵から逃走できるだけの人でなければ今回の件に関わらせることはできない。いたずらに命を無駄にすることになるからね」

「つまり、行くのは私だけではないと言う事でしょうか」


エミリアは真剣な面持ちでライリーの言葉を聞いていたが、一旦ライリーが言葉を区切ったところで質問を口にする。明言していなかったにも関わらず正確にライリーの言わんとするところを察したエミリアに、ライリーは満足気に微笑んでみせた。


「ご明察。隣国にはオースティン、お前が一緒に行ってくれるかな」

「――え?」


驚いたような声を漏らしたのは、指名されたオースティン本人だった。首を巡らしライリーの横顔を凝視している。オースティンはライリーの近衛騎士だ。近衛騎士が主君の元を離れて特殊任務に就くなど、聞いたことがない。しかしライリーはオースティンが口を開くより先に、更に言葉を続けた。


「だが二人だと多少懸念が残ることも事実だ。そこでクライドに頼みたいことがある。クラーク公爵家で一人程度、腕の立つ者を貸して欲しい」


本来であれば、ライリーが手勢の者から人を出すべきところだ。もしくは、オースティンの生家エアルドレッド公爵家に頼るという選択肢もある。しかし今、ライリーはその手段を選ぶことはできなかった。


「私の手勢には大公派の監視が付いている。王家の“影”も今は私の命に従ってはいるが、彼らの主は国王であって私本人ではない。私に何かあれば、簡単に裏切るだろう」


尤も彼らは彼らの任務に忠実なだけだから責めるつもりはないけれど、とライリーは肩を竦める。

また、エアルドレッド公爵家の手勢も借りることはできなかった。どうやら最近、エアルドレッド公爵家は領地でアルカシア派の軍勢を纏め始めているらしい。どこかに攻め入るつもりではないらしく、すぐに進軍できるような状態ではないらしいが、何かを警戒していることは明白だった。

即ち消去法で、クラーク公爵家に頼る他ないのだ。


ライリーが説明を終えると、重苦しい空気が満ちた。オースティンもクライドも、険しい表情で考え込んでいる。エミリアも、二人ほどではないがライリーが非常に難しい状況に置かれていると理解したらしい。そして、だからこそエミリアが王宮に留まることが危険なのだと、彼女は唐突に理解した。


「お言葉ですが、殿下」


低い声を発し沈黙を破ったのは、ずっと沈黙を保っていたクライドだった。ライリーとオースティン、そしてエミリアの視線がクライドに向けられる。

彼は淡々と、一つの疑念を呈した。


「お考えは分かりました。ですが、私は反対です」

「破魔の剣は、早急に手元に置くべきだろう」


穏やかに問うライリーの眼光は鋭い。譲る気がないことは誰の目にも明らかだった。しかし、一方のクライドも引かない。


「そもそも、オースティンを国外に出せば誰が貴方の身を護るというのですか。大公派がいつ動き出すかも分からない今、貴方の身こそが危険に晒されます」


クライドの言葉に、オースティンも頷いた。だがその表情には苦渋が満ちている。

オースティンも、大公派が生温いことをするとは思っていない。これまで何度も大公派はライリー暗殺を企んで来た。その全てを退けたからこそライリーは今ここに居るが、一歩間違えれば既に命を落としている。その執念は驚くべきものだった。

直接的な関係は証明されていないが、国王に呪術を掛け寝たきりにさせた故魔導省長官ニコラス・バーグソンも、大公派の手先ではないかと言うのがライリーたちの見立てだ。即ち、大公派はフランクリン・スリベグラード大公を王位につけるためには手段を選ばない。


しかし、オースティンにしてみればエミリアのことも心配だった。エミリアが普通の令嬢でないことは、実際に訓練をつけていたオースティンも良く理解している。それでも万能ではないし、力も出し切れてはいない。自分の知らないところで怪我でも負うのではないかと思えば、共に隣国へ行きたいと思う。

懊悩するオースティンには構わず、クライドは更に言葉を続けた。


「本音を言えば、大公派との決着をつけた後に破魔の剣を奪うべきです。物事には順序があります。二兎追う者は一兎も得ずとは良く言うでしょう」

「私自身はそれなりに腕が立つからね。大公派が襲って来ても対処はできる」


ライリーは小首を傾げ、宥めるように告げる。

確かにライリーの剣の腕は並の騎士以上だ。自分で身を護れるというのも、思い上がりや誇張ではない。しかし、クライドが皮肉な口調で反論した。


「敵がどのような手を使って来るかも分からないのに、ですか」


クライドのこのような口調は珍しく、オースティンは目を瞬かせて顔を上げる。

厳密に言えば、クライドの毒舌は主に他の愚かな貴族たちに対して発揮されることが多い。身内に対しては多少趣が異なるものの、オースティンには容赦なく辛辣な言葉を投げかけることはあった。ただライリーに対しては礼節を保ち、滅多にそのような態度を取ることはない。

しかしライリーは気分を害することはなく、落ち着いた態度で静かに反論した。


「クライドの言うことは尤もだ。一つずつ、着実に対処する方が確実性は高い。けれど、今の状況ではどちらを優先することも出来ない。大公派が仕掛けて来る時機も明言できなければ、いつ破魔の剣が必要になるかも分からない――もしかしたら、明日剣が必要になるかもしれないんだ」


静かに告げられた内容に、誰も反論できない。エミリアは魔王復活について詳細を聞かされていないが、嘗て魔王を封印した勇者が使っていた破魔の剣を手に入れると聞いた時点で薄々何が起こるのか察している。そして詳細を良く知るクライドとオースティンも、ライリーの指摘が的を射ていると承知していた。


「ええ、ですから――」


当然、クライドもライリーの言っていることは嫌と言うほど承知していた。膝の上で両手を組み、クライドは僅かに上半身を乗りだす。真っ直ぐにライリーを見つめ、彼は告げた。


「エミリア嬢には私が同行します」


その言葉に、ライリーだけでなくオースティンとエミリアも目を瞠る。クライドただ一人が、落ち着き払っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ