52. 反逆の狼煙 5
クライド・クラークとエミリア・ネイビーが王太子ライリーの執務室を訪れたのは、ライリーが王立騎士団長ヘガティと面会した日の夕刻だった。突然呼び出されたクライドは真剣な面持ちだし、エミリアは緊張のせいか表情も硬く動作もぎこちない。だが、そのエミリアもライリーの背後に控えているオースティンを見た途端に少し安堵したように頬を綻ばせた。
ライリーはその様子に苦笑しながらも、二人にソファーへ腰かけるよう促す。
「突然呼び立ててしまって申し訳ないね」
「いえ、とんでもありません」
率直にライリーが謝罪すれば、クライドは平然と首を振った。エミリアも慌ててクライドに同意を示すように必死な表情で頷いている。だが、まだクライドもエミリアも何故自分たちが呼び出されたのかは理解していない。クライドも一人であれば幾つか心当たりはあっただろうが、エミリアも連れて来るようにと言われた時点でライリーの本意を見失っているはずだ。
だからこそ、ライリーは余計な前置きで時間を無駄にしようとは思わなかった。
「早速だが、実は二人に折り入って頼みがあるんだ」
「頼み――ですか」
思ってもみなかったことを言われたエミリアはきょとんとし、ここ最近の大公派の動きをある程度把握しているクライドは目を細める。ライリーは普段と変わらない表情のままにこやかに「そうだよ」と頷いた。
「実は、エミリア嬢に隣国へ行って貰いたくてね」
「――え?」
ライリーの発言に、その場にいた誰もが愕然とする。クライドに執務室へ来るよう伝えたオースティンも、ライリーの考えはたった今知った。あまりにも非常識な提案に、誰も二の句を告げない。
最初に立ち直ったのは、オースティンだった。この場には四人以外誰もいないため、口調も気安いものになっている。
「ライリー、お前自分が何を言っているのか分かってるか?」
「この上なく」
にこやかなライリーはあっさりとオースティンの疑惑を一蹴する。その態度を見たオースティンはライリーが本気であることを察し、腹の底から深い溜息を吐いた。思わずといった具合に顔を片手で抑えている。
「……隣国に、何をしに行くって?」
「そうだね、普通に旅行でどうだろうか。カルヴァート辺境伯の遠縁の者が確かユナティアン皇国に居たはずだ。その人を訪れるという名目ではどうかな?」
「それで、本当のところはどうなんだ。何か考えがあるんだろう?」
当然オースティンもクライドも、ライリーの言葉を頭から信じるようなことはない。明らかにライリーが今口にした理由は、表向きのものだった。ただ一人エミリアだけが、今の状況について行けず固まった状態で目を白黒とさせている。
ライリーはオースティンを見やって満足気に口角を上げた。
「さすがだね。その通りだよ。本当の目的はローランド殿との面会だ」
「えっ!?」
これまで黙って会話を聞いていたエミリアだが、とうとうここに来て素っ頓狂な声を上げた。だが、王太子や高位貴族の子息二人を前にしている状況で叫ぶことは不敬だ。慌てて両手で口を抑えるが、誰も気にしない。寧ろ子爵や男爵、平民ともある程度交流のあるオースティンは気の毒そうな視線をエミリアに向けた。
仰天したエミリアはしばらく二の句が継げないでいたが、やがて何かしら聞き間違えたに違いないという結論に至ったらしい。恐る恐るライリーに尋ねる。
「あの――恐れ入りますが、ローランド様、と仰るのは――」
「ユナティアン皇国の第二皇子だよ」
ライリーはにこやかなまま答えた。エミリアも当然隣国の第二王子の名前は知っている。以前、ライリーが開催した“立太子の儀”でも挨拶のため顔を合わせたのだから、分からないはずはない。しかしまさか自分が隣国の皇子に会うよう言われるとは全く想像もできず、同じ名前の別人だと思い直そうとした。だが無情にもライリーは一縷の望みを否定した。お陰で、多少持ち直そうとしていたエミリアの顔から血の気が失せる。
そんなエミリアに同情の眼差しを向けたのは、オースティンだけだった。
「詳細は彼が把握している。エミリア嬢には、彼からとある物を受け取り持ち帰って欲しいんだ」
「とあるもの、ですか」
緊張した面持ちでエミリアが小さく復唱する。ライリーは全く何でもないことのように言っているが、本当に大したことでないのであればわざわざエミリアを指名するはずもない。とはいえ、一介の男爵家の令嬢に重要な任務を言い付けることもないとエミリアは思っていた。
だが、続けてライリーが口にした台詞にオースティンだけでなくクライドも顔を変える。
「そう。剣を一本、持ち帰って欲しい」
「――ッ!」
息を飲んだのは、オースティンだった。愕然とした表情をライリーに向けている。オースティンにとってライリーは幼馴染でありこれから先仕える主君だが、それでも堪え切れない怒りがその双眸に宿っていた。ただ一人、ライリーの言葉を理解できていないエミリアだけがきょとんと首を傾げている。
オースティンもクライドも、ライリーの側近としてほとんどの情報を共有している。そのため、今の時機にユナティアン皇国の第二皇子ローランドから剣を受け取ると言う話を聞けば、当然その剣がコンラート・ヘルツベルク大公の愛剣――即ち魔王封印に必要な破魔の剣だと思い至った。
オースティンはライリーに食って掛かる勢いで、しかし外に声が漏れないよう押し殺したまま怒鳴りつけた。
「お前、危険はないと言っていただろう!?」
「国内にいるよりは、という話だよ」
ライリーは平然とオースティンに言い返す。そして先ほどまでの微笑すら消して、淡々と言葉を続けた。オースティンはライリーを睨むようにし、そしてクライドは真意を探るように目を細めている。
「大公派が動き出した今、私の寵愛を受けているという噂が蔓延している王都に居ると、エミリア嬢にも類が及ぶ可能性が高いんだ」
「それならカルヴァート辺境伯領に戻れば――」
「この件については、辺境伯にもご同意頂いている」
連絡が来たのは今朝方のことだけどね、とライリーは肩を竦めた。
カルヴァート辺境伯へは、前々からエミリアの処遇について相談をしていた。命を狙われていることは確かだが、王立騎士団の訓練場で襲撃を受けて以降は怪しい気配もない。王宮に匿ってはいたが、ライリーが寵愛しているという噂が蔓延し消え去る気配もない今、これ以上エミリアを王宮に留め置くことも逆にエミリアを余計な政争に巻き込むことになる。
ライリーは私信の形で、余計な醜聞に巻き込んでしまったことを謝罪し、今後の対応について相談したいと持ちかけていた。そして大公派の動きも怪しいため、カルヴァート辺境伯領に戻ることがエミリアにとっての最善であるという私見も添えた。
しかし、カルヴァート辺境伯の返答はライリーにとっても予想外のものだった。彼女は、エミリアがカルヴァート辺境伯領に戻らないようにして欲しいと伝えて来たのだ。
そう告げると、オースティンとクライドは目を瞠った。
「辺境伯が?」
エミリアも戸惑いを隠せない。
カルヴァート辺境伯は非常に聡明な人だ。男爵家の令嬢に過ぎないエミリアが、王都で政争に巻き込まれたところで疲弊して終わりだ。エミリアの性格を考えても、貴族たちの二心を探りながら生き抜くことなど無理だと承知しているはずだった。王太子の密命を受けて国外に出るなど力不足だと言いそうなものだった。だが、実際には辺境伯はライリーの提案に乗ったらしい。
「また国境がきな臭くなっているらしくてね。以前ケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領に侵攻して来た領主は粛清されて首が挿げ替えられているが、皇国はまだ虎視眈々と我が国の領土を狙っているらしいよ」
「――それはまた、時機の悪い」
苦々しくクライドがぼやく。大公派が妙な動きを見せている中で、王立騎士団の主力部隊は団長と共に北方領主の反乱鎮圧に向かっている。辺境伯は隣国の動向に目を光らせるため国境に兵を張りつかせている。エミリアを辺境伯領に戻さないという決断は、それほど国境が緊迫していると言う証左でもあった。それが分かったのか、エミリアの顔色が変わる。
しかし、エミリアが口を開くより早くライリーが言葉を続けた。
「そうなんだ。全くもって時機が悪い。まるで大公派が隣国と示し合わせたかのようだね」
「殿下?」
クライドが目を瞠る。ライリーは意味深な表情を浮かべて肩を竦めた。
「あくまでも推測に過ぎないけれどね。疑ってしまいたくなる気持ちはどうしてもある。ともあれ、そんな中で私との関係が噂になっている以上、エミリア嬢には王宮に居て貰うこともネイビー男爵領に戻って貰うこともできない。仮に貴方が捕らわれ私に何らかの要求が為された場合、私は貴方を切り捨てる選択を取らなければならないこともあるからね」
エミリアは神妙な表情で頷く。ライリーは心底申し訳なさそうな表情を浮かべているが、エミリアにとっては当然のこととしか思えなかった。
ライリーは王太子だ。男爵家の娘一人の命を犠牲にしても、国のためを考え動く必要がある。そして同時に、ライリーがその危険を避けるためにエミリアを密命と称して国外に避難させようとしているのだと理解した。
だが、オースティンは渋い表情のままだ。どうしても賛同できないと、ライリーに苦言を呈する。
「それなら、それこそカルヴァート辺境伯の遠縁に匿って貰えば良いだろう。剣ってことは例のあれだろ? そんなものに関わらせるなんて、結局命が危険に晒されることに変わりはない」
オースティンは滅多なことでは怒らない。それが珍しく、声を荒げないまでもライリーに腹を立てていた。ライリーは予感していたのか、全く動じていない。そしてクライドは物珍しそうにオースティンを眺めていた。
ライリーは真っ直ぐにエミリアを見つめている。
「そう。カルヴァート辺境伯が同意しているのはエミリア嬢を国外に一旦出すことにであって、剣の件に関しては完全にこちらの独断だ。実際にエミリア嬢が隣国でローランド殿に会えば、辺境伯は私を見放すだろうね」
「それなら何故――!」
再びエミリアは目を瞠る。てっきり、カルヴァート辺境伯はエミリアがライリーの密命を受けることを了承しているのだと思っていた。だが実際はそうではないらしい。
とうとう声を荒げたオースティンには構わず、ライリーは真剣な表情でエミリアに尋ねた。
「とまあ、オースティンが激昂する程度には危険が付きまとう任務なんだ。一応カルヴァート辺境伯には国外へ出る了承を取り付けたけれど、詳細は打ち明けていない。そしてこの場は私的な場だ。エミリア嬢、貴方が私の頼みを断っても一切不敬には問わない。もし断る場合は先に言って欲しい。その場合は適当な場所に、貴方を匿う場所を確保する」
エミリアは息を飲んだ。
つまりライリーは、エミリアを見込んで密命を託して来たのだ。オースティンの反応を見ても、その任務がどれほど危険なものかは分かる。もしエミリアが拒否するのであれば、ライリーは本当に何もせずエミリアを解放してくれるのだろう。そしてそのまま、エミリアは何も知らずに、これまでと同じように、日々を過ごしていくことになる。
「一つ、お伺いしたいことがあります」
即決はできない。ライリーに無言で促されたエミリアは、意を決して一つの問いを口にした。
「そのお話は、国の命運を決するものですか」
オースティンやクライドだけでなく、ライリーも目を丸くする。三人にとっては予想外の質問だったが、エミリアは真剣だ。すぐに立ち直ったライリーは、口角を上げた。
「その通り」
あっさりと肯定され、エミリアの体が小さく震える。
「――私、は」
絞り出した声は、小さく掠れていた。
49-2









