52. 反逆の狼煙 4
スリベグランディア王国の王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードは、齎された知らせを前に難しい表情で考え込んでいた。傍に近衛騎士として控えているオースティン・エアルドレッドもまた、一切変わらない表情の中でライリーの様子を窺っている。しかし、オースティンは全く何も考えていない様子を取り繕っていた。
二人の前には、王立騎士団長トーマス・ヘガティが立っていた。
「北か」
「はい」
溜息混じりにライリーが呟けば、ヘガティ団長は短く頷く。その表情は険しく、事の深刻さを示している様子だった。
「規模はどの程度だ?」
「伯爵領が三領と子爵領が四つほど組んでいると聞いています」
「報告に八番隊は絡んでいるのか?」
ライリーが問うと、ヘガティ団長の表情は更に険しくなる。
「はい。八番隊から齎されました」
王立騎士団八番隊は隠密や間諜など含めた謀反に関連する犯罪を取り締まっている。そのため、北方の領主たちが謀反を企んでいるという情報を八番隊が齎すことに問題はない。しかし重要なことは、八番隊隊長がブルーノ・スコーンであることだった。
「ブルーノ・スコーンが侯爵と繋がっている可能性は?」
八番隊隊長ブルーノ・スコーンの父スコーン侯爵は、大公派の主要人物だ。メラーズ伯爵とも懇意にしており、ライリーを次期国王にと支持する王太子派に敵対する重要人物であることに間違いはない。そのため、ブルーノ・スコーンが父親の意を汲んで大公派のために動こうとしている可能性はどうしてもライリーの脳内に浮かび上がってしまう。
案の定、ヘガティ団長はあっさりとライリーの疑念を肯定した。
「かなり濃厚かと。しかし別途手配した密偵によると、北方の領主たちが謀反のため兵を集めていることは確認が取れています」
「そうか。まあ、確かに実際事を起こしていないのに偽りの報告をすることもないだろう」
大公派も玉石混交の集まりだが、主要人物たちも愚かではない。調べれば簡単にわかる虚偽の報告でライリーたちを貶めるような作戦は取らないはずだ。だからこそ、騎士団を派遣しないという選択肢はない。しかし、問題はどの程度の戦力を派遣するかという点だった。
「報告の通りであれば、七番隊だけでは足りません。三番隊も率いる必要がありますから、必然的に私か副団長のどちらかが総大将として率いる必要があります。そうなると王都の守りが薄くなります」
「私と父には近衛騎士がいるから最悪の状況には陥らないだろうし、大公派には王宮を制圧するほどの軍事力はないはずだが――もし王立騎士団を制圧されたら面倒だな」
「はい。八番隊隊長の動向の詳細を掴めていませんが、可能性としては否定できません」
ライリーの言葉に、ヘガティ団長は渋い表情で頷く。大公派は以前、王立騎士団を乗っ取ろうと画策したことがある。その時に王立騎士団長ヘガティと副団長スペンサーは、無実の罪を着せられて処罰を受けそうになった。その切っ掛けとなった魔物襲撃は偶然の産物であり大公派が関わったことではないが、彼らが魔物襲撃に乗じて王立騎士団に影響力を持とうと計画していたことは間違いがない。
今回報告された北方領主たちの反乱に託けて大公派が王立騎士団を取り込み、自分たちに有利にしようと企む可能性は否定できない。
そう告げたヘガティに、ライリーは更に難しい表情で考え込んだ。
暫く無言が続く。やがて、ライリーは厳しい視線をヘガティに向けた。
「団長。囮になってはくれないか」
途端に、ヘガティ団長の眼光が光を増す。戦場で敵を睨み据える時のような鋭さを持ち、その場に緊迫感が満ちる。ライリーの後ろに控えていたオースティンは、反射的に緊張した。騎士見習いとして騎士団に所属していた時の特殊訓練を思い出す。基本的に騎士見習いの訓練は各隊の隊長が執り行っていたが、時折ヘガティ自らが指揮を執ることがあった。その時の訓練は他の隊長たちと比べて酷く厳しいものだった。だが、確かにその訓練はオースティンの身になっている。
一方のライリーは、全く気にした様子なく平然とヘガティの眼光を受け止めていた。その様子を横目で確認し、オースティンは感心したように僅かに目を瞠った。
「囮、ですか」
「その通りだ。最近、メラーズ伯爵が妙な動きをしていると報告が入ってね」
「妙?」
初耳だったらしく、ヘガティ団長は眉根を寄せた。ライリーはあっさりと頷く。
「そうだ。普通に考えればおかしくはないが、王都の屋敷を留守にしていることが多い。これまでは王宮で仕事をしていない時は自宅に居たが、最近はそうではない。特に彼の右腕である執事も外部と頻繁に連絡を取っているようだ」
「――なるほど。こちらは特に情報は得られていませんが、閣下が自領から王都に出て来たとは聞いています」
ヘガティが答えた。ライリーは目を細める。そうして少し考え、小首を傾げた。
「叔父上が? 愛人のところかな」
「はい」
一瞬口を噤んだヘガティは横目でオースティンを見やった。何故なのだろうかと首を傾げたオースティンだったが、続けられたヘガティの言葉に納得する。
「フィンチ侯爵邸です」
フィンチ侯爵はエアルドレッド公爵家の傍系だ。アルカシア派の中でも有力な貴族である。ヘガティが気がかりな視線をオースティンに向けたのは、彼がフィンチ侯爵夫人と親戚関係にあるからだった。だが、オースティンにとってフィンチ侯爵夫妻はそれほど近しい間柄でもない。オースティンの亡父はそれなりに親しくしていたようだが、オースティン自身はそれほど関わっては来なかった。とはいえ、オースティンも驚いてはいる。賢夫人と名高かったフィンチ侯爵夫人がよりにもよって大公の愛人になるなど、信じられなかった。
だが、それ以上にライリーが気になってオースティンは横目で旧友の様子を眺める。フィンチ侯爵夫人は幼少時のライリーの家庭教師を請け負っていた。だから幼馴染が衝撃を受けたのではないかと、オースティンは自分の動揺もそこそこに気がかりを覚えた。しかし、ライリーから一切の動揺は感じられない。寧ろライリーは当然のことのようにヘガティ団長の言葉を受け止めた。
「そうか。確か侯爵は今、領地に戻っていたね」
「はい。エアルドレッド公爵家に所縁のある者たちが呼び寄せられているようです」
ヘガティ団長の答えは、ライリーも事前に把握している内容だ。一つ頷いて目を伏せる。しかし、考える時間はそれほど必要なかった。
顔を上げた時、ライリーの表情は毅然としていた。王太子然とした様子に、ヘガティ団長は無意識に居住まいを正す。
「それならば改めて、ヘガティ団長。貴殿には七番隊と三番隊を率いて北へ行って貰いたい。スペンサー副団長には王立騎士団に残って貰う。ただし」
ライリーの指示に頷いたヘガティ団長は、続けられた「ただし」という言葉に眉をぴくりと動かした。ライリーは静かにヘガティ団長に視線を向けている。そして、更に声を低めて告げた。
「極秘にスペンサー副団長には連絡を取れるよう、手筈を整えておいてくれ。二番隊の一人を北へ随行させても良いだろう」
「承知しました」
王立騎士団二番隊は魔導騎士たちを集めた部隊だ。攻撃魔術に特化しているが、魔術を使って連絡を取り合える者もいる。それを理解した上でのライリーの発言にヘガティは迷いなく脳内で適当な人間の選定を始めた。しかし、同時にスペンサー副団長には状況を共有し、いざとなった時の動きを事前に打ち合わせる必要がある。
「私が北へ行っている間に、事が起こると思いますか」
「そうだね。その可能性は濃厚だと思うよ。だから、王都に帰還する前にこちらの状況を確認して欲しい。そうさせるつもりはないけれど、もし大公派が王宮を掌握した場合は七番隊、三番隊共に姿を潜めておいて欲しい。ただ、それも状況による。仮にそうすることで騎士たちの命が危うくなるようであれば、大公派に迎合した方が良い」
ライリーの言葉は、王太子としては言ってはならないことだった。オースティンも若干顔色を悪くして愕然とライリーを凝視している。ヘガティもまた、表情を更に険しくしていた。
エアルドレッド公爵家の前当主が亡くなり大公派に有利になったと思えばアルカシア派は大半が王太子支持の立場を明確にした。その上、ライリーは成長するにつれてその影響力を増している。大公派が焦り、早々にライリーを排除しようと動くのも当然だった。
だが、だからこそヘガティやオースティンといった王太子派は大公派の魔の手からライリーを護ろうと奮闘している。それにも関わらず、ライリーはヘガティにいざとなれば自分を見切るよう言い放った。騎士たちの命を王太子の立場よりも優先しろという発言は、ヘガティにとっては到底受け入れられないことだった。とはいえ、ヘガティも正面切ってライリーの発言を批判する気はない。これまでの付き合いの中で、ライリーが穏やかな物腰に反して存外強情だということも、ヘガティは学んでいた。
だから、ヘガティはただ一言だけ告げる。
「くれぐれも、御身をお大事になさってください」
「ああ。そちらも」
ヘガティの本心に気が付いているだろうに、ライリーはにこやかに答えた。ヘガティは溜息を堪え、一礼する。そして、彼は低く北に出立する予定を口にした。
「それでは、明日には七番隊と三番隊を引き連れ北に参ります。スペンサーを残しておきますので、何かありましたらそちらに」
「分かった」
ライリーが了承する。ただそれだけの会話で、王立騎士団長ヘガティと王太子ライリーの会話は終わった。
ヘガティが退室したところで、ようやくオースティンがライリーに声を掛ける。その表情は硬く、緊張に満ちていた。
「おい。どういうことだ」
「そのままの意味だ。恐らく、近日中に大公派が仕掛けて来るんだろうね。どういう手で来るつもりかは分からないが――何となくきな臭い」
考え込みながらも、ライリーは正直にオースティンに応えた。そのまま暫く考え込んでいる。そして、ライリーは意を決したようにオースティンへと告げた。
「エミリア嬢と、クライドを呼んで来てくれ。誰にも気付かれないように」
「――分かった」
何故ここでエミリアが出て来るのか――オースティンには、分からなかった。ただ一つ、気に掛かるまま尋ねる。
「エミリア嬢を妙なことに巻き込んだりはしないな?」
「私との噂が流れた時点で巻き込んでいる気はするが――善処するよ」
確認するようなオースティンの問いを、ライリーは苦笑と共に否定した。そのことに安心し、オースティンは誰にも気付かれないようエミリアを執務室に連れて来るよう、クライドに連絡することにした。オースティンが直々に迎えに行くよりは、クライドが連れて来てくれた方が都合が良い。
クライドと連絡を取るため、オースティンは執務室を出て行く。部屋の外には近衛騎士が立っているが、彼らが部屋に入って来ることはない。
一人残された部屋で、ライリーは深い溜息を吐きながら背もたれに体を預けた。普段であれば、オースティンはライリーの決定をそれほど疑わない。その根底にはライリーに対する深い信頼がある。だが、エミリアに関してだけはオースティンの心は狭くなるようだった。
ライリーがエミリアを寵愛しているという噂が流れた時、まずライリーではなくエミリアに事の次第を尋ねたのも、彼の混乱を如実に表している。その理由は、ライリーから見ても明らかだ。
オースティンは間違いなく、エミリアに惹かれている。幼馴染の恋情を応援してやりたい気持ちもあるが、それ以前にライリーは王太子としてスリベグランディア王国を護る義務があった。
「とはいえ、彼女が行く場所は王都よりも安全だろうね」
考えなければならないことは、複数ある。
一つは、大公派の動向。そしてもう一つは、魔王の復活。
振り向けば死神の鎌が首に掛けられてしまうような気がして、ライリーは無意識に手で首に触れていた。









