52. 反逆の狼煙 2
メラーズ伯爵が館を辞した後、エアルドレッド公爵家当主ユリシーズとプレイステッド卿は執務室で顔を突き合わせていた。二人とも表情は硬い。
沈黙を破ったのは、苦々しい声のプレイステッド卿だった。
「――まさか、ここでチェノウェス侯爵家の話を持ち出して来るとはな」
「確かに、この話が本当であればアルカシア派の貴族の内、チェノウェス侯爵家に近しかった者たちは一気に大公派へと鞍替えするでしょう。破魔の剣を隣国へ渡したとなれば、それだけで王としての資質を問われることになるのは確実です」
勿論、それはアルカシア派に限った話ではない。スリベグランディア王国の貴族たちは皆、王国を打ち立てた三傑の血筋に誇りを持っている。時のユナティアン帝国の恐怖に満ちた支配を脱出したのは間違いなく三人の英雄たちのお陰だ。今の王族が国王としての権力を保てているのも、一重にその血筋が勇者のものだからに他ならない。
貴族たちの多くは、英雄の血筋が国王として国を守っているからこそスリベグランディア王国は保たれているのだと信じている。その英雄を辱めることがあれば、その時点で建国の英雄達の加護が失われるのではないかと恐れるのも致し方のない部分はあった。
「だが、大公が国王となれば遅かれ早かれこの国は亡びる。メラーズや我々がどれだけ力を尽くそうと、愚王を戴いた国は長くは保たん。それは歴史も証明していることだ」
「そう思います」
プレイステッド卿の苦々しい口調に、ユリシーズも同意を示す。フランクリン・スリベグラード大公が国王になった時のことを考えれば、どれほど甘い目算を立てたとしても国の運営に支障が出るのは明らかだった。
これまでの大公の生活を見ても、彼は金が有限だとは思っていないとしか思えなかった。
「彼は国のどこかに王家のための金のなる木が生えていると、心の底から信じているようだからな」
皮肉な口調でプレイステッド卿がぼやく。不敬罪でしかない発言だったが、ユリシーズは諫めなかった。ある程度物事を正確に把握できる貴族であれば、一度は考えただろう皮肉だ。
プレイステッド卿はしばらく無言で何事かを考え込んでいたが、やがておもむろに口を開いた。
「国を護るためにはある程度の汚濁は飲み込んで見ぬふりをするべきだ。実は王族の血を引いていなかったと言うのであればともかく――否、そもそも、だ」
ユリシーズは固唾を飲んでプレイステッド卿の言葉を待つ。一つの疑念が、ユリシーズの脳内には浮かび上がっていた。そしてどうやら、プレイステッド卿も同じ疑問を抱いていたらしいと、ユリシーズは続けられた言葉で悟った。
「本当に陛下は隣国と手を組んでいたのか?」
プレイステッド卿は目を細めてユリシーズを注視している。その視線には、メラーズ伯爵が示した証言が本当に違和感なく証拠になり得るものだったのかという問いが含められている。
メラーズ伯爵がユリシーズに見せた報告書は、既に伯爵が持ち帰った後だ。その重要性を考えれば、伯爵も気軽に置いて行ったりはしない。しかし、ユリシーズはその報告書を仔細に記憶していた。
「確かに違和感はどうしても残ります。大変失礼ではありますが――陛下はそのような大それたことを実行に移されるような方ではないように、お見受けしますし」
「その通りだ。芸術家気質で政には向かない。当然、陰謀を考え実行するほどの能力もない」
現国王ホレイシオのことを、プレイステッド卿は冷たく切り捨てた。芸術に関しては造詣が深く、そして先代国王と比べると遥かに情に深い人柄だ。恐らくホレイシオは王族や高位貴族の長子でさえなければ、その才能を発揮し社交界で持て囃されることとなっただろう。だが、不幸にもホレイシオは王家に生まれ、しかも王位継承権の順位が高い立場に生まれてしまった。
フランクリン・スリベグラード大公も、現国王ホレイシオも、いずれも国を統べるには向かない。だが、ホレイシオの方が傀儡の王とするにも適任だった――まだ、彼は民のことを慮るだけの心がある。
そして、ホレイシオの人柄を理解しているからこそ、プレイステッド卿もユリシーズも俄かにはメラーズ伯爵の話を信じられなかった。
プレイステッド卿はどこか不機嫌にも見える表情で続ける。
「仮に奴の話が本当だったとしたら、それこそ陛下を裏で操った者がいると考えた方がまだ理解ができる。しかし、それにしては陛下が前面に押し出されるのも妙な話だ」
「仰る通りだと思います。確かに、伯爵がお持ちになった資料の証言は、抜け漏れこそありましたがある程度の信憑性はありました。他の人物であれば偽証も疑うところですが、伯爵であれば少なくとも事実に基づいた証言を集めているに違いありません。仮にどこからかその証言を集めたのだとしても、裏は取っているはずです」
ユリシーズの指摘に、プレイステッド卿も頷く。たとえユリシーズが偽証を疑い再調査したとしても、ほぼ同じ結論が出るという確信があるからこそ、メラーズ伯爵は具体的な話を持ち込んで来たに違いなかった。
プレイステッド卿はユリシーズに尋ねる。隣室に控えた彼は魔道具を使って二人の会話を聞いていたが、示された証拠は目にしていない。
「証言の中に、陛下の名前は出て来ていたか」
もし具体的な名前が出て居なければ、ホレイシオが破魔の剣を隣国に流す手引きをしたという証拠にはなり得ない。そう思っての問いではあったが、ユリシーズは神妙な表情で頷いた。
「はい。と言っても、陛下の名前を口にしたのは二人だけです。一人はチェノウェス侯爵家が襲撃された時に現場に居合わせ、一命を取り留めた護衛騎士。破魔の剣を奪った男が『恨むならホレイシオを恨め』と発言したと証言しています。略奪者の発音には皇国訛りがあったということですので、恐らく隣国の傭兵であろうと思ったようですね。証言者の名前は記憶していますので、今からでも探し出すことは可能かと」
「もう一人は?」
政変の時から年月もだいぶ経ったため、証言をした者が生きているとは限らない。しかし、もし生存しているのであれば裏を取る必要がある。
もう一人の情報を促され、ユリシーズは淡々と記憶した内容を告げた。
「当時、傭兵団を指揮していた男です。今は皇国で傭兵として活動しているようですが、彼は『やんごとなきお方の依頼で皇国から仲間を引き連れ政変の国王軍に参加した』と証言しています。そのやんごとなきお方とやらの名前は直接聞いてはいないようですが、そのお付きの者が『ジェフ様』と呼んでいたのを耳にしたとか」
「ジェフ――か。なるほどな。ミドルネームとは考えたものだ」
プレイステッド卿の口角が皮肉に歪む。ホレイシオの正式な名はホレイシオ・ジェフ・スリベグラードだ。本当にホレイシオがお忍びで活動していたのであれば良く知られた“ホレイシオ”ではなく“ジェフ”と名乗った可能性はあるし、そして仮に偽証であったとしても信憑性は高まる。
だが、同時にその証言ははっきりとプレイステッド卿の疑念を決定付けた。
「あまりにも、証言が整いすぎているな」
「私もそう思います」
ユリシーズは頷く。当然、ユリシーズは傭兵の名も記憶していた。問題は隣国で活動しているという点だ。探すにも骨が折れる。簡単なのは、チェノウェス侯爵家に勤めていた護衛騎士を探すことだろう。
「調べられるか」
「はい、今すぐにでも」
プレイステッド卿に問われ、ユリシーズは一も二もなく頷いた。エアルドレッド公爵家が有する人材は豊富だ。“影”と呼んでいる密偵を駆使し人脈を最大限に活用すれば、メラーズ伯爵が持ち込んで来た証拠の裏付けはできる。問題は証言を取った時期に幅がありすぎるため、その内の何名かは既にこの世の人ではなくなっている可能性が高いことだった。
だが、メラーズ伯爵の信憑性を確かめる方法は何も彼が提示した証言の裏を取ることだけとは限らない。調査を進めれば他に何かしらの証拠が出て来ることはあり得る。
「ただ時間が掛かる可能性はありますので、確証が得られるまでの対処が必要です」
ユリシーズが言えば、プレイステッド卿は尤もだと言わんばかりに頷いた。
「恐らくメラーズは、例の話を大々的に知らしめるようなことはしないはずだ。それから口が軽い者にも告げないだろう。さすがに、あの資料の危険性は知っているはずだからな」
「はい」
今はまだ、ホレイシオが国王だ。それにも関わらずホレイシオが英雄の使っていた破魔の剣を隣国に手渡すことを条件に、フランクリン・スリベグラード大公の後ろ盾でもあったチェノウェス侯爵家を滅ぼしたという話を大々的に広めてしまえば、貴族たちは王家に対して不信を抱く。そうなると王国内は不安定になり、皇国に侵攻の隙を与えてしまいかねない。
「今後、伯爵はどう動くと思われますか?」
「――そうだな」
ユリシーズの問いに、プレイステッド卿は考える。そして顔を上げると、試すように目を細めユリシーズを見やった。
「お前はどう思う」
「そう――ですね」
問いに質問を返されたが、ユリシーズは動じなかった。元々彼の頭の中にも一つの回答が用意されている。
「最終的な目的は大公閣下を国王に据えることでしょう。陛下が病床に臥せられていた時は、王太子殿下がその地位に相応しくないとして大公閣下を王太子に据え、そして国王の代理権限を閣下に行使させる手筈だったのだと思います」
だが、大公派の目論見は崩れた。国王はユリシーズの叔父アドルフの手によって回復し、今では御前会議に顔を出すまでになっている。その上、王太子ライリーは大公派に弱味を見せない。数多くの暗殺も見事に避けている。仮に苦労してライリーを追いやれたとしても、大公フランクリンを王太子の座に付ける旨味はなくなった。ホレイシオが何らかの原因で早死にしない限り、大公はいつまでも王太子のままだ。
「となると、何らかの理由を付けて陛下が国王として不適格であるとし、大公閣下に譲位させようと考えた可能性が高いのではないでしょうか。特に今回の件は、国王としての資質を問うことが出来るものです。陛下の身柄を捕らえ幽閉し、そして譲位を迫る――陛下の御性格でしたら、数日で言質を取ることが出来ると伯爵は考えているのかもしれません」
ユリシーズの分析を無言で聞いていたプレイステッド卿は、にやりと満足気に笑んだ。ユリシーズの推測はほぼプレイステッド卿と同じだった。
「同感だ。いつになるかは分からないが、それでもこの話をエアルドレッド公爵家当主に持ち込んで来たという事は、近々事を進めるつもりなのだろう。大方、アルカシア派の貴族が大公派に鞍替えしたと判断できたところで実行に移す気ではないか」
「そうですね。念のため、伯爵も厳重な監視下に置きましょう」
頷いたユリシーズは迷いなく決定する。プレイステッド卿は重々しく頷いた。
「それが良いだろう」
それから、とプレイステッド卿は言う。ユリシーズは胡乱な目をプレイステッド卿に向けた。しかしプレイステッド卿は一切動じない。寧ろどこか楽しむように、ユリシーズに言い放った。
「エアルドレッド公爵家としての方針を決めておけ。メラーズの話を信じて大公派に鞍替えするか、それともこれまでと変わらず王太子派――つまり陛下をそのまま国王とするか。それによって取る手段も大きく変わる」
「――私は、」
ユリシーズは一瞬目を瞠った。だが、すぐに表情を引き締める。問われるまでもなく、ユリシーズの中で答えは決まっていた。
「王太子殿下を支持する気持ちに変わりはありません。故に、大公派の動きによっては王立騎士団と全面対決になる覚悟も決めなければならないと思っています」
プレイステッド卿の表情は変わらない。しかし、その双眸に僅かながら驚きの光が宿った。
元々ユリシーズは彼の父ベルナルドに良く似た性質の青年だ。心優しく、研究や知識の探求を好む。政に関わる計略や人心掌握にはあまり興味がない。争いごとも不得手だ。そしてベルナルドほどではないが、頭の回転も悪くはない。
だからこそ、ユリシーズの口から“全面対決”という言葉が出るとは予想していなかった。しかし、プレイステッド卿は驚きの光を消すと満足を浮かべる。
「良いだろう」
それならばと、プレイステッド卿は年長者として一つの示唆を口にした。
「アルカシア派の貴族の取り込みと二大辺境伯、クラーク公爵家への根回しは当然のこととして――」
あと、もうひとつ。
「ローカッド公爵家も動く可能性があることを、頭の片隅に置いておけ」
ローカッド公爵家――三大公爵家、最後の砦。“盾”と呼ばれるその一族を知る者はいない。ユリシーズも例外ではない。
だがただ一つ言えるのは、彼らが動くのは王国が危機に陥った時だけだと言う。
知らず、ユリシーズは息を飲んでいた。









