52. 反逆の狼煙 1
メラーズ伯爵がエアルドレッド公爵邸を訪れたのは、エアルドレッド公爵家当主ユリシーズが手紙を受け取った数日後のことだった。執事に案内されて客間に通されたメラーズ伯爵は自分より遥かに高位の相手を前にしても全く動じた様子がない。さすが外交官を務め宰相にまで登り詰めただけあると、ユリシーズは内心で感心していた。
「公爵閣下、この度は私のために貴重なお時間を割いてくださり、誠に有難く存じます」
「どうぞ、お座りください」
メラーズ伯爵の待つ部屋にユリシーズが入れば、伯爵は丁寧な礼をする。ユリシーズは頷くと、ソファーを示して伯爵に座るよう促した。伯爵は再度感謝の言葉を口にしながら、素直にソファーへと腰かける。
その対面に座ったユリシーズは、じっくりと伯爵の様子を観察していた。
妙に落ち着いた雰囲気はメラーズ伯爵が様々な状況を経験して得たものなのだろうが、それだけでは説明のつかない違和感がある。しかしそれが一体何なのか分からないまま、ユリシーズは素直な思いを口にした。
「まさか伯爵からお手紙を頂くとは思っていませんでしたからね。さすがに驚きました」
「立場は違えど国を想う気持ちは同じと思っておりますからな。必要とあれば、どのような方であろうと、そしてそれまでの関係性がどうであろうと、いつでも歩み寄る準備はできております」
「――なるほど」
ユリシーズは曖昧に言葉を濁す。伯爵の本意がどこにあるのか分からない以上、安易に同調することは憚られた。
伯爵はユリシーズの反応にも気分を害した様子はなく、わずかに身を乗り出して告げた。
「閣下もお忙しいでしょう。貴重なお時間を無駄にするわけには参りませんので、単刀直入に申し上げますが、その前に人払いをお願いしたく」
一瞬の沈黙が落ちる。ユリシーズは脇に控えた執事の眉がピクリと動くのを感じていた。しかし、既に人払いを頼まれることは承知の上である。かと言って直ぐに承諾すれば裏を勘繰られる可能性が否めない。そこで、ユリシーズは片眉を上げて心外だという表情を作ってみせた。
「これは大仰ですね、伯爵。我が公爵家の執事が信用ならないとでも?」
「まさか。そのようなことを申しているつもりは一切ございません」
メラーズ伯爵は首を振る。彼は横目で執事を一瞥すると、真剣な声音で告げる。
「ただ、今から私が申し上げようとしていることは非常に重要なことにございます。国家の一大事を想えばこそ、まずは是非閣下にのみお伝えしたい」
「――なるほど。宰相となられその辣腕を奮われている貴方が仰るからには、大層な理由なのだろう」
どこか皮肉にも聞こえる台詞を、ユリシーズは言い放つ。
人は感情的になると、ぼろを出しやすい。そう思ってのことだったが、大公派の中でも頭が切れると評判のメラーズ伯爵はさすがに気分を害す様子はなかった。無言でユリシーズが執事に退出を命じるのを待っている。
致し方なしに、ユリシーズは嘆息した。執事の名を呼ぶ。すると、執事は一瞬躊躇ったものの、慇懃無礼に一礼すると部屋を出て行った。扉が閉められたところで、ようやくユリシーズはメラーズ伯爵に顔を向ける。
「これで満足ですか?」
「お手数をおかけいたします」
皮肉っぽく口角を上げたユリシーズに、メラーズ伯爵は頭を下げた。どうやら一連の流れに対し、メラーズ伯爵は一切腹を立てていないらしい。これは交渉も難しそうだと内心でうんざりしながらも、ユリシーズは平然とメラーズ伯爵に話を促した。
「それで? 国家の一大事というからには、相当のことなのでしょうね」
「それは勿論」
執事を退室させたことで、メラーズ伯爵は話を聞いているのがユリシーズだけだと信じている。だが、三大公爵家の屋敷が単純な造りをしているわけがない。今、ユリシーズたちが居る部屋は完全に二人きりではなかった。
隣室にはプレイステッド卿が控えているし、いざという時に部屋へ乱入し痴れ者を取り押さえるための護衛も姿を隠し控えている。だが、彼らの存在はメラーズ伯爵に気が付かれないよう、魔道具で魔力と気配が感知できないよう細工をしていた。
以前までは、ここまで徹底していたわけではない。だが先代当主ベルナルドが屋敷の自室で暗殺されたのを機に、エアルドレッド公爵邸では警備が全て見直された。その結果、一体何があろうと当主が完全に一人になる瞬間は生まれなくなった。それによって本当に暗殺を防げるかどうかは分からないが、万全を期すという意味では改善されたと言えるだろう。
当然、メラーズ伯爵はエアルドレッド公爵家のそのような内情は知らない。そのため、彼は完全に人払いがされたと信じ込んでいる様子だった。面会場所としてエアルドレッド公爵邸を指定したのも、高位貴族に面会する際の礼儀だけではなく、自分の屋敷であれば護衛を傍に置く可能性は低いと踏んでのことだったのかもしれない。
そんなことを考えながらメラーズ伯爵の言葉を待っていたユリシーズは、続けて告げられた伯爵の言葉に、一瞬理解が追い付かなかった。
「この度、私は国王陛下が隣国と密通していたとの証言を得ました」
愕然としたユリシーズは、二の句が継げない。しばらく無言でユリシーズと伯爵は見つめ合っていた。
確かにメラーズ伯爵は人払いを頼むはずだと、他人事のように考える。しばらくしてようやく自分を取り戻したユリシーズは、眉根を寄せて低く尋ねた。
「どういうことでしょうか? 伯爵、もし貴方の仰っていることが憶測でしかないのであれば、そしてその証言とやらが真実であると証明できないのであれば、貴方こそが正しく国家反逆の咎に問われることになりますよ」
ユリシーズの指摘は尤もだった。しかしメラーズ伯爵は自信があるようで、一切動じない。それどころか直ぐには自分の言葉を信じないユリシーズに対する憐憫を僅かに覗かせ、小さく首を振ってみせた。
「閣下の御懸念は良く分かります。私も当初は信じられない思いでおりました。しかしながら、私はこの数年を掛けて事実を明らかにせんと調べていたのです。その結果、やはり私の推測に間違いはなかったと確信を持つことができました」
メラーズ伯爵はどうやら国王ホレイシオが皇国と繋がっていたと自信があるらしい。しかしユリシーズとしては、安易に伯爵の言葉を信じるわけにはいかなかった。
「陛下は長年病床に臥せられていらっしゃいました。その中で隣国と密通するなど不可能であると、貴方も良くご存知のはずですが」
「いかにも」
ユリシーズの指摘は当然だと、メラーズ伯爵は頷く。しかしそれでも彼の決意は揺らがないようだった。
眉根をほんのわずかに寄せたユリシーズに、メラーズ伯爵は僅かに声を潜めて打ち明ける。それは、ユリシーズも予想だにしない内容だった。
「陛下が隣国と密通したのは、先代国王陛下が御存命の時――彼の政変が起こった時なのです」
先代国王の時の政変は、確かに国を揺るがした。だが当時、ユナティアン皇国は傍観の構えを取り、戦を仕掛けてくることは勿論、何らかの形で国内に介入しようとはして来なかったはずだ。今の皇国であれば良い機会だと考えスリベグランディア王国に侵攻を企てたに違いないが、当時の皇国は西方諸国との間でも戦を起こし、王国側に兵を派遣する余力はなかった。
皇国が侵攻してこなかったことは王国にとっては幸運だったが、時の政変で国内が大いに荒れ権力構造も大きく変わったことは間違いない。
真剣な表情でメラーズ伯爵の言葉を聞くユリシーズに、メラーズ伯爵は当時の状況を説明した。
「彼の政変では、首謀者はアルカシア派と、彼らを先導したチェノウェス侯爵家とされていました。その結果、関わったアルカシア派系貴族は無論のこと、チェノウェス侯爵家も取り潰しにあった。ここまでは史実として伝えられている通りです」
しかしながら、とメラーズ伯爵は告げる。
チェノウェス侯爵家は、ユリシーズも良く知っていた。フランクリン・スリベグラード大公の母親の血筋だが、先代国王は彼女のことを酷く気に入っていたらしい。世間には病死したと発表し、実際には離宮に閉じ込め時折通っていたという。
「チェノウェス侯爵家はフランクリン・スリベグラード大公閣下の母君の血筋です。当時、失礼ながらホレイシオ陛下は跡継ぎとしての資質を疑問視されておりました。先代陛下も同様に思われ、そのため王太子を指名なさってはおられなかった。そのため、恐らく陛下は焦っておられたのでしょう。大公閣下の後ろ盾となるチェノウェス侯爵家を断絶させるため、隣国と手を組まれたのです」
ユリシーズは無言だった。肯定も否定もしない。メラーズ伯爵は、頭脳は悪くない。大公を次期国王にと考えている時点でユリシーズにしてみれば国を崩壊させる愚かさはあると思っているが、仮に大公が国王になったところで上手く国政は運営できる自信があるのだろう。
そして、大公派の頭脳でもあるメラーズ伯爵が、何の根拠も確証もなしにアルカシア派筆頭であるエアルドレッド公爵家当主にこのような話を持ち込んで来るはずはなかった。
「勿論、隣国もただで手を貸すことはあり得ません。陛下は、対価として――チェノウェス侯爵家が保管していた我が王国の国宝、破魔の剣を隣国へと渡されたのです」
さすがに、これにはユリシーズも愕然とした。
破魔の剣は、スリベグランディア王国を建国した三傑の一人、勇者が持っていたとされる剣だ。その剣を勇者が、鏡を賢者が、宝玉を魔導士が持ち、魔王を封印したと言い伝えられている。既にその三つとも紛失されたとされているが、まさか剣をチェノウェス侯爵家が持っていたとはユリシーズも思わなかった。
わずかに目を瞠ったユリシーズを見たメラーズ伯爵は我が意を得たりと頷く。
「破魔の剣がチェノウェス侯爵家にあったということは、ごく限られた者しか知りません。チェノウェス侯爵家に時の王太子殿下が入られた時、その剣も共に持って行かれたと、侯爵家では語り継がれていたようです。そしてその剣は政変の時に隣国へと渡り、今はヘルツベルク大公コンラート閣下がお持ちになられていると確認が取れております」
ヘルツベルク大公コンラートはユナティアン皇国皇帝カルヴィンの甥だ。王位継承権を有しているものの、好戦的な性格で本人に皇位を継承する気はない。その程度の情報ならユリシーズも当然知っているが、彼が破魔の剣を持っているとは思ってもいなかった。
「――それで、証拠は?」
ユリシーズは考えながらメラーズ伯爵に問う。伯爵がこれまでに話したのは全てが状況証拠とホレイシオの動機であって、具体的な証拠ではない。
メラーズ伯爵は動じなかった。寧ろユリシーズがその質問をすると予め予想していたかのように、不敵な笑みを一瞬浮かべる。
そして彼が差し出したのは、分厚い書類だった。その書類には、当時のチェノウェス侯爵家に勤めていた使用人の証言がまとめられている。
受け取ったユリシーズはその書類にじっくりと目を通した。証言はかなり昔に取られたものから、つい最近取られたものまで幅広い。しかし、手元にある資料を読む限りでは一貫性があるようだった。
徐々にユリシーズの顔色が変わっていくことに気が付いたのか、無言でユリシーズを注視していたメラーズ伯爵は静かに問いかける。
「我らがスリベグランディア王国の建国の英雄が齎した国宝を隣国へと軽々しく渡す――そのようなことをする者に、そしてその者の血を引く者に、国を統べる資格は果たしてあるのでしょうか――?」
メラーズ伯爵の問いに、ユリシーズは答えることが出来なかった。
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