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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
326/563

51. 悪役令嬢の甘い蜜 3


コンラート・ヘルツベルク大公は、目の前で跪く商人の男に冷たい目を向けた。


「王国からもう北の移民を輸入することは難しい、だと?」

「は、恐れながら。ケプケ伯爵が懇意にしていた隣国貴族がこぞって捕縛され、その後その領主に任命された者は全て王宮の息が掛かっている者らしく、協力者を探すにも骨が折れる状況だと伺っております」


商人は如才なく答える。しかし、その額からは冷や汗が零れ落ちた。


ケプケ伯爵は皇国の辺境領の隣に位置する伯爵領を統べており、取引が難しい商品を隣国から買い付け、そして正規に売り捌くのが難しい商品を隣国に売り捌くことに長けている人物だった。それも当然で、ケプケ伯爵は王国の貴族と繋がりが深い。親族に王国出身の貴族がいるからだという噂だが、真偽のほどは定かではない。いずれにせよ、伯爵は王国の侯爵家からマルヴィナ・タナーという令嬢を娶る予定にしており、今後は一層商売を活発に行えるはずだった。

しかし、その予想が大きく裏切られたのだ。ケプケ伯爵に嫁ぐはずだったタナー侯爵家の令嬢マルヴィナは、当主である兄が捕縛された途端に面倒事を嫌ったケプケ伯爵に屋敷を追い出されたという。他にも伯爵が懇意にしていた王国貴族は複数いるが、その殆どが捕縛され貴族籍を剥奪、もしくは領地没収といった処遇に追いやられていた。お陰で、これまでケプケ伯爵を通じて行って来た商売は全て上がったりである。


しかし、そんな商人の内心など一切気にしないコンラートは、不機嫌に口をへの字に曲げ、じろりと商人を睨みつけた。


「それをどうにかするのが貴様らの仕事だろうが。全く、呪術陣を施した布をばら撒くよりも効率的に多くの移民を手に入れられるというからお前に預けたというのに、こうも早々に頓挫しては期待外れだ」

「誠に、お詫びの申し上げようもなく」


コンラートの苦言を聞いた商人は、蒼褪めながらも更に首を垂れる。わずかに禿げかかった頭頂部を眺めながら、コンラートは顎を撫でた。

不機嫌な態度はあくまでも素振りだけだ。その実、彼は言葉や態度に示しているほど腹を立ててはいなかった。ただここで簡単に許しては権威が揺らぐと、そう思ってのことである。なにより相手は商人だ。恩を売れるだけ売っておいて損はない。

実際のところ、北の移民の売買はそろそろ終わろうかと考えていたところだった。目標としていた人数までまだ届いていないが、不足しているというほどではない。コンラートとしてはこれ以上危険を冒してまで隣国から北の移民を連れて来る気はなかった。だが、まだ足りないと口煩い男が一人居るのも事実だ。


「まぁ良い。もう少し時間をやる。上手くやれる方法がないか、調べておけ」

「ご寛大なお心遣い、誠に痛み入ります」


どうやらコンラートの機嫌を完全に損ねることはなかったらしいと、商人は内心で安堵の溜息を吐く。気が変わる前に退散しようとでも思ったのか、彼は辞去の礼を述べると早々にコンラートの前を立ち去る。その後ろ姿を呆れ顔で眺め、大公は小さく息を吐いた。


「全く、どいつもこいつも使えん奴ばかりだ」


思わず愚痴が零れ落ちる。元々コンラートは戦場を好む。机の前に大人しく座り知恵を絞るような仕事は向いていない。しかし、大公という地位にあるからには好きなことばかりをしている訳にもいかなかった。

特に皇位継承権を狙っていないが血を好むということもあって、彼は皇帝カルヴィンから秘密裏に様々な指示を出されている。その全てに賛同できるわけではない。だが、少なくともコンラートは皇帝に忠誠を誓っているため、叔父(カルヴィン)の計画を遂行するための準備が必要だった。


「長年かけて準備して来たからな。失敗はしたくないが――馬鹿(ゲルルフ)が居る以上、常に不測の事態には備えておかねばならん」


ゲルルフと名乗った男とコンラートは、戦場で出会った。頻繁に様々な戦場へ出ているコンラートでもぞっとするほど熾烈な戦いをする羽目になったのは、皇国と接する西方の国々と闘った時だった。正直なところ、当初コンラートは西方の国々を舐めていた。小国が乱立していて互いに反目し合っているという情報を入手していたから、大した戦力を持っていないだろうと判断したのだ。

だが、西方諸国は普段は反目し合っていても、共通の敵を前にした時は驚くほどの一致団結ぶりをみせた。特に、事前情報にはなかった黒い長髪の青年が強かった。体つきは屈強なコンラートと比べると線が細く華奢だったが、身のこなしや技術だけでなく筋力も目を瞠るものがあった。コンラートは黒髪の男に一矢報いることも出来ず、今でも時折長髪を一つに結んだ青年の夢を見る。


青年からは辛うじて逃れられたが、腹の立つことにコンラートが率いていた軍は潰走する羽目となり、コンラートも怪我を負って敵軍に追い詰められていた。そこに居合わせ、コンラートを助けてくれたのがゲルルフだ。彼は傭兵としてコンラート率いる軍に参加していたらしい。当然ただの親切心ではなく、ゲルルフには下心があった。ユナティアン皇国で取り立てられるという野望だ。コンラートが現皇帝の甥であることは知られていたから、彼を助ければユナティアン皇国軍の一小隊程度は任せて貰えるのではないかと考えていたようだった。

そして、コンラートはゲルルフの期待に応えた。確かにゲルルフは、コンラートが知る騎士や軍人たちの中でも群を抜いて強かった。

ただ問題は、ゲルルフはあまり規律を守らない。そのため、コンラートは幾度となくゲルルフを諫めてきた。だが残念なことに効果はあまり見られていない。


再びコンラートは溜息を零した。北の移民を隣国から()()()()()()()事実に関しては、取り立てて問題ないと考えている。北の移民を欲しがっていたのはゲルルフだ。彼が口酸っぱく北の移民だけで構成された部隊を率いたいというから、コンラートは皇帝に交渉した上で、彼専用の部隊を整えてやった。

皇国に暮らしていた北の移民の内、戦闘能力の高い者をゲルルフが選び、彼らを幹部に据える。そして王国から連れて来た者たちも選別し、適当な人間を軍に入れた。

王国から買って来た移民たちが反抗するのではないかと思ったが、それはコンラートの懸念に過ぎなかった。不思議なことに移民たちは皆ゲルルフに従順で、従軍期間が短いにも関わらず、彼らはコンラート率いる軍勢よりも余程秩序立っていた。


「理由が分からんのが、気味が悪い」


以前、一度だけゲルルフが率いる手勢を見に行ったことがある。良く訓練された軍と同程度までの規律があるという報告を受けたため、その秘密を探ろうとコンラートは考えた。

規律だった集団こそが最強の軍になり得ると、コンラートは常々思っている。恐怖心すらも凌駕できるほど指揮官を信頼し、死地であっても前進する――それがコンラートの理想だった。特に西方諸国との戦で大敗を喫してからは、その思いを強くした。

そのため、ゲルルフの指導法を見て、自分の軍に取り入れられる内容がないか確認しようと考えたのも自然な流れだった。


だが、結果は芳しくなかった。それどころか、ゲルルフは訓練場に居なかった。そして粗末な衣服に身を包んで訓練場を走る北の移民たちも、在り来たりな基礎訓練や組手しかしていなかった。

その程度の訓練で、ゲルルフの小隊がコンラートの軍に勝てるはずはない。そう思うのに、現実は残酷だった。


「北の移民だから強い、というわけではないようだしな」


コンラートは呟く。北の移民の中にも、強い者と強くない者がいた。その上、強い者たちでも普段の訓練ではコンラートの部下たちに負ける。しかし実戦ともなると、ゲルルフ率いる者たちの戦果はコンラートの軍勢に勝るとも劣らないものだった。


「――エイブラム殿であれば、何かしら知っておられたかもしれんが」


考えた末、コンラートは理由を求めることを放棄した。そして、非常に才覚に溢れた王国の知人を思い出す。

エイブラム・クラークは既にこの世に居ない。だが、彼はコンラートにとって良き協力者だった。ゲルルフすらも知らない情報を入手し、知らせてくれた。そのお陰で西方諸国との戦はただ一戦を除いて皇国が勝利を収めたし、稀に南部から攻め入ろうとして来る異民族も簡単に撃退できる。

頭で考えるのが苦手なコンラートにとって、敵国に居ながらにして有益な助言をくれるエイブラム・クラークは、非常に頼りになる存在だった。



*****



裏社会の情報屋、テンレックは腕を組んでいた。顔を顰め、現状がいかに不本意なものかを全身で表現している。一方で、彼の前に座っているジルドは平然としていた。寧ろ楽し気にニヤニヤと笑っている。


「誰がそんな話を信用すると思ってんだ?」


ふてぶてしく言い放つテンレックに、ジルドは肩を竦めてみせた。


「信用するしねぇじゃねえ。俺たちには他に選択肢がねえだろ」

「――うまい話には裏があるって、てめぇ知らねえのか」

「裏のねえ話もあるさ」


ジルドは悪びれない。それどころか、今しがた自分が口にした話は正真正銘の本物だと言外に断言する。しかし、それでもテンレックは俄かには信じられなかった。


「皇国に連れて行かれた仲間を連れ戻す? あまりにも危険がでけえだろ。しかもお前の話だと、連れて行かれた連中は既に“誓いの儀”をしてるかもしれねえ。となると、行ったは良いが連れ帰ることも出来ないだろうが」

「直ぐには連れ帰らねえよ。潜入して時機を待つんだ。お前の専売特許だろ、テンレック」


テンレックは眉根を寄せる。ジルドの真意を探るように凝視していたが、やがて何かを悟ったように顔色を悪くした。


「おい、まさか――王国と皇国の間で戦になるのか?」

「その可能性が高いって話だ。――俺にはわかんねえけどな」


ジルドはぽつりと付け加えるが、テンレックは聞いていない。愕然とした視線をジルドに向けている。ジルドは気を取り直して、改めてテンレックに計画のあらましを語った。


「つまり、仲間を引き連れて人身売買の商品として皇国に潜入して、ゲルルフって奴が率いている軍に入る。そこで暫く待機だ。その内皇国と王国の間で戦が起こるって話になって、ゲルルフと一緒に国境まで来る。そうしたら、俺が国境まで迎えに行ってやるよ」

「――なるほど、お前が居たら十中八九“誓いの儀”は塗り替えられるってわけだな」


“誓いの儀”はアルヴァルディの子孫にとって非常に重要な儀式だった。元々は、一族の長と儀式を交わすことで一族の結束力を高め、個々の能力を高めたり新たな異能力を発現させるために行われて来た慣習だった。だが、その儀式も悪用すれば最強最悪の軍団が出来上がる。

しかし、その儀式のことを知るのはアルヴァルディの子孫だけだった。


「そういうことだ。そうしたら、まぁゲルルフは無理でもその配下をごそっと王国の戦力に取り込めるって寸法だぜ」


テンレックは考え込む。元々、彼は完全なアルヴァルディの子孫ではなかった。“はみ出し児”と呼ばれる、アルヴァルディの子孫と一族以外の者が婚姻し生された子だ。そのため、魔力も中途半端で、そしてアルヴァルディの子孫としての能力も大したものではなかった。ただその気配を消す能力だけは他の追随を許さない。アルヴァルディの子孫としての異能力に加え、たゆまぬ努力で手に入れた技術だった。

だからこそ、敵陣に潜入するという任務には非常に適している。しかし敵陣ど真ん中に潜入するということは、大きな危険も伴っていた。


「お前の能力が、そのゲルルフという奴よりも高いという確証は?」

「俺がこの目で見た」


ジルドははっきりと断言する。わずかに目を瞠ったテンレックに、ジルドは苦い顔で続けた。


「奴は金林檎を使っていた。それで俺と張る程度だ」


金林檎、と聞いたテンレックの眉がぴくりと反応する。金林檎はアルヴァルディの子孫の異能力を高める作用がある植物だ。だが中毒性がある上に金林檎自体が少ないため、滅多に使うことはない。しかし、テンレックはその点には触れなかった。


「変化の程度は?」

「変化はしなかったぜ、俺も相手もな」


アルヴァルディの子孫は、持っている異能力によっては己の肉体を変化させることが出来る。ジルドは狼だ。そしてジルドの場合、身体の内狼の割合が多ければ多いほど、異能力値が高くなる。しかし、ジルドは人間の姿のままゲルルフと対峙した。


「それなら、お前が勝つか」

「負ける気はしねえよ」


力強くジルドが請け負う。ずっと難しい表情を崩さなかったテンレックが、ようやく表情を緩め苦笑を漏らした。大きく溜息を吐くと、脱力して椅子の背もたれに体を預ける。

どうやらテンレックは自分の提案を承知してくれたらしいと理解したジルドは、淡々と計画の詳細を口にした。詳細と言っても、実際には状況を見て臨機応変に対応するため暫定的なものに過ぎない。テンレックもそれは良く分かっているようで、無言でジルドの言葉に耳を傾ける。


「拾いに行く時は、多分ケニス騎士団かカルヴァート騎士団と一緒に行くことになる。敵はゲルルフだけじゃねえからな。そいつらは俺たちに任せて、正規軍は騎士団に任せるって寸法だ」

「了解」


ジルドはただの傭兵だ。その彼が、どのようにしてケニス騎士団やカルヴァート騎士団を連れ出すのか――とは、テンレックは聞かなかった。

今のジルドの主はクラーク公爵家の令嬢リリアナである。ジルドは愚かではないが、頭を使うことが苦手だ。その彼がある程度詳細かつ大胆な長期計画を持って来た時点で、彼の背後に居る存在を感じ取っていた。

しかし、ジルドはここに至るまで一切己の主の名を口にしていない。主の存在は内密なのだろうとテンレックは理解した。

そして、テンレックは己の領分を知っていた。アルヴァルディの子孫として生きて来た時から、テンレックは日陰の存在だった。その時その日を生き延びることで精一杯で、そのせいか大局を見ることは苦手だ。命じられたことをこなす、危険を感じたら逃げる、それがテンレックの生き方だった。


「俺一人じゃあ心許ねえからな。ペッテルって知り合いがいるから、そいつと一緒に行く。売人は――そうさな、カマキリ爺さんにでも頼むか」

「カマキリか。口は堅いし戦力にもなる、良い人選だと思うぜ」

「当然だ」


ジルドの誉め言葉に、しかしテンレックは顔を顰める。人材を紹介して欲しいと頼まれた時に斡旋することも、テンレックの仕事の内だ。人を見る目には自信があった。


「それと」


そしてもう一つ、テンレックは重要なことを口にする。


「出て行く前に俺とペッテル、両方と“誓いの儀”をしてくれ。そうしたら向こうに行っても、ゲルルフって奴の思い通りにさせられることはねえ」


一瞬、ジルドが顔を顰める。元々ジルドは“誓いの儀”が好きではない。以前一度した時も、緊急処置で仕方なく、と付け加えるほどだった。

テンレックはどうやらジルドの気持ちを理解しているらしい。しかし譲る気もなく、静かにジルドを注視していた。ジルドは大きく溜息を吐き、乱暴に頭を掻きまわす。


「――分かった。仕方ねえからやってやる」

「そりゃ良い」


テンレックは笑った。それは酷く嬉しそうなものだった。



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