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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
325/563

51. 悪役令嬢の甘い蜜 2


リリアナは不機嫌さを装ったまま、更に言葉を重ねた。メラーズ伯爵は未だにリリアナの様子を窺っている。


「そうでしょうとも。王太子妃になりましたら、この国の頂点ですもの。陛下や王太子殿下にお仕えする身とはいえ、わたくし、国母として色々なことをしたいと考えておりましたのよ。それなのに」


苛、とした様子を作り、リリアナはその秀麗な眉を思い切り寄せた。語気が僅かに強くなり、リリアナの唇が震える。しかしあくまでも毅然とした様子は、まさしく未来の王太子妃に相応しい気高さだった。


「あの令嬢が、ただの男爵家の出であればどうとでも出来たのです。けれど、彼女を可愛がっている者がいるでしょう。そちらを無碍にすることもできない、ともなれば殿下が選ばれる道は限られて参りますわ」


その言葉を聞いたメラーズ伯爵は、ほんのわずかに目を瞠った。ようやくリリアナが何を言いたいのか悟ったらしい。リリアナにしてみれば理解が遅いと思ってしまうが、一般的に考えたら決して伯爵も察しが悪い方ではない。


普通の男爵家の令嬢を王太子が気に入ったのであれば、男爵家を黙らせ王太子から遠ざけることもできる。だが、リリアナが示唆している男爵家の令嬢エミリア・ネイビーは、カルヴァート辺境伯と懇意にしている。そのため、三大公爵家の力を持ってしても王太子から遠ざけるよう工作することは難しい――否、前クラーク公爵であれば全く問題なくエミリアを病死させることも出来ただろうが、リリアナの手勢では無理だとメラーズ伯爵は納得した。


「このままでは、殿下はわたくしではなく、彼の者の後ろ盾となった者の言いなりとなるでしょう。それでは、わたくしがこれまでに成して来たことが全て無駄になるではありませんか」

「――心中、お察し申し上げます」


怒りに震えてみせるリリアナに、メラーズ伯爵はさも気の毒だと言わんばかりに声をかけた。リリアナは多少溜飲を下げた風を装い、一つ頷く。


「わたくしが欲しいものは、愛や恋といった目に見えぬものではなく、この手で使うことのできる力ですの。勿論、わたくしの意見だけを押し通すつもりもございませんわ。けれど、全くわたくしの話を無視されるのも業腹ですもの」


そこまで一気に告げると、リリアナは改めて真っ直ぐに伯爵を見据えた。

貴婦人は、己の要望は直接告げることはない。ただ周囲の者が彼女の機嫌を伺い、考えを想像し、忖度して動く。

メラーズ伯爵の良く知る貴婦人たちの言動をなぞるように、リリアナはおっとりと告げた。


「ねえ、伯爵。貴方、フランクリン大公と御懇意になされているとか」

「は――」


メラーズ伯爵は、ずっとリリアナの語気にただ話を聞くばかりだった。自分より遥かに年下とはいえ、公爵家の令嬢と伯爵家の当主では立場が違う。それもリリアナはただの公爵家の令嬢ではなく、王太子の婚約者でもある。聞き手に徹することが彼の姿勢だからという理由だけでなく、身分的な問題からもメラーズ伯爵は必要最小限の言葉しか口にできなかった。


「大公はまだ婚約者もいらっしゃいませんでしょう? わたくしに必要なのは愛ではなく、わたくしの為したいことを自由にできる地位ですの。伯爵でしたら、わたくしの夢を叶えて下さるのではないかしら?」


そこまで言い切り、リリアナは口を閉じる。直接的なことは言わない。しかし、ここまで来れば意図は明らかだった。

即ち、エミリア・ネイビーに恋心を抱いた王太子ライリーは今後カルヴァート辺境伯の意向を反映した政策を行うに相違なく、それではリリアナが権力を振るえなくなってしまう。リリアナが王太子妃の地位を得て未来の国母を目指すのは自らの権力欲を満たすためであり、決して王太子への愛ゆえのものではない。それならばいっそ、リリアナは大公派に鞍替えし、そしてその対価として大公の妻の座、つまり王妃の冠を寄越せと――それが、リリアナがメラーズ伯爵に提示した案だった。


メラーズ伯爵は真剣な表情でひたとリリアナを見つめていた。間違いなく、今彼は脳内で目まぐるしく今後の計画を検討していることだろう。そして、フランクリン・スリベグラード大公を国王に推し上げるため、どのようにリリアナを有効活用できるかありとあらゆる可能性を想定しているはずだ。そして、大公が国王となり王妃にリリアナが収まった場合、自分がどの程度権勢を震えるかも計算しているのだろう。

やがて、メラーズ伯爵はゆっくりと口を開いた。試すように、リリアナに尋ねる。


「御心は理解致しました。しかしながら、公爵閣下は如何なされます。貴方様の御心通りに動けば、公爵閣下とは道を違うこととなりましょう」

「まあ」


おかしなことを仰るのね、と、リリアナは笑い声を立てた。その様子をもしライリーが見れば何を企んでいるのかと興味津々となり、オースティンやクライドが見れば違和感に眉根を寄せるだろう。だが、この場にはメラーズ伯爵しか居なかった。そして伯爵は、()()()()()()()()()()()()()

実兄と敵対する可能性を示唆されたというのに、さも妙なことを聞いたと言わんばかりのリリアナを前にして、メラーズ伯爵は胡乱気に眉を寄せた。


「わたくしは亡父の志を継いでいるだけですわ。父は、わたくしが王妃となることを望んでおりましたもの。父は偉大でした――けれど、ねえ?」


飄々と、リリアナは思ってもいないことを告げる。

そもそも父エイブラムは、リリアナを王妃にしようなどとは考えていなかった。王太子妃になるよう娘に圧力をかけていたのは、偏に精神的に不安定な状態を作り出し、魔王復活の器としての完成を確実なものにするためだった。だが、そのことをメラーズ伯爵が知るはずはない。寧ろ彼は、リリアナの亡父のことを尊敬していた。だからこそ敢えてエイブラムの名を出したが、効果は覿面だった。


「なるほど、故公爵閣下の御遺志を継いでいらっしゃるとは、感服申し上げます。私も彼の方には、非常によくして頂きました。本当に、惜しい方を亡くしたと思ったものです」

「そうでしたの」


リリアナは目を伏せた。それだけで、物憂げに見えると自覚している。繊細な造りの容貌は、少し影を落とすだけで庇護欲を掻き立てるものだと、リリアナは承知していた。

メラーズ伯爵の言葉は心からのものに聞こえたが、父エイブラムの本性を知るリリアナとしては額面通りには受け取れない。

確かにメラーズ伯爵からすれば感謝したい相手なのかもしれない。だが、エイブラムは間違いなくメラーズ伯爵を利用しようと考えていたはずだ。そこに親切心など欠片もない。


(寧ろ、見放される前に父が亡くなって良かったと感謝すべきでしてよ)


口にはできない本音を心中で呟く。もし生前のエイブラムがメラーズ伯爵を見切り突き放したとしたら、伯爵は感謝の言葉など一言も漏らせないに違いない。

いずれにせよ、リリアナの返答を聞いたメラーズ伯爵は心を決めたようだった。リリアナが実兄との敵対を示唆されても動じなかったことも理由の一つだろう。だがそれ以上に、メラーズ伯爵にとってリリアナを自陣営に引き入れることは利点が大きかった。


王太子ライリーの一日の予定は、警護の観点からも宰相にすら公開されない。具体的な行動を知っているのは、近衛騎士だけだ。だが、婚約者であれば王太子や側近、近衛騎士の目を掻い潜って様々な情報を手に入れられる。


「――承知いたしました」


メラーズ伯爵は熟考の末、とうとう頷いた。両手を膝の上で組み、身を乗り出す。その真摯な表情は、まさか王太子ライリーや国王ホレイシオに反旗を翻そうと企んでいる貴人には見えない。


「貴方様のご助力を賜れること、誠に有難く存じます。国を思うそのご献身を無駄にせぬよう、我らも全力で尽くさせて頂きます。後日改めて、同胞にもお引き合わせ致しましょう」

「そう」


リリアナは満足そうな表情で頷く。艶やかな笑みをその唇に浮かべ、リリアナは可愛らしく首を傾げておっとりと囁いた。


「楽しみにしているわ」



*****



リリアナ・アレクサンドラ・クラークが屋敷を去った後、メラーズ伯爵は執務室の椅子に腰かけ早速書簡を認めていた。近くに立つ執事が、ちらりと伯爵に視線を向ける。機嫌が良い伯爵は執事の視線に気が付くと、書簡から顔を上げて執事に目を向けた。


「どうした」

「旦那様、宜しかったのですか」

「リリアナ嬢の件か」


メラーズ伯爵が言うと、執事は頷く。執事は何事も卒なくこなすが、メラーズ伯爵から見れば慎重に過ぎる嫌いがある。警戒するあまり最適な時機を逸し、失敗することも多々あった。

その執事にしてみればリリアナと手を組んだことは懸念事項らしく、彼の目には憂慮するような光が浮かんでいた。


「あのお方は王太子殿下の婚約者であらせられます。普通のご令嬢よりも多少は頭が回るようでしたが、少々気性が荒く御するには不向きなのではありませんか」

「お前にはそう見えたか」


執事は控え目ながらも、心の内にある懸念を口にした。スコーン侯爵やグリード伯爵の執事であれば、このようなことはない。執事であろうが使用人が知ったような口をきくなと叱責される。

しかし、メラーズ伯爵に関しては違った。特に彼は自分の右腕として優秀な成果を収められると判断した人物を執事に据えている。実際に、これまでも執事の発言で新たに重大な事実に気が付くこともあった。それに、執事は伯爵が知らない平民や裏社会の事情にもある程度通じている。

とはいえ、リリアナ・アレクサンドラ・クラークの事に関しては考えすぎだと、伯爵は小さく笑った。


「いずれにせよ、いずれは大公閣下にもご結婚頂かねばならないんだ。彼の方の好みには合わないが、恋情を望まぬというのであれば話は早い。下手をすると、閣下に愛やら恋やらをねだって不興を買いかねないからな」

「確かに、それはそうと思いますが――もう少し大人しいご令嬢の方が宜しいのでは」


大公の好みは自分よりも年上の女性だ。できれば人妻か未亡人が良いらしい。年下でも落ち着きがあれば良いようだが、これまでに愛を育んで来た相手は全て年長の人妻だった。

だからといって、王妃に大公よりも年長の者を据える気はない。若い娘の方が世継ぎはできやすいし、何より我を通さぬよう教育もしやすい。

その点は伯爵の右腕たる執事も理解しているようで、大公の結婚相手には令嬢をと自然に口にしていた。

しかしメラーズ伯爵は苦笑し首を振る。


「宮廷文学やら吟遊詩人やらを好んで、恋やら愛やらに現を抜かすご令嬢をか?」


確かに、飴を与えて言うことを聞かせるだけであれば、執事の言うような令嬢の方が良いのだろう。だが、そもそも大公自身が散財する性質である。王妃も愛人を囲い宝飾品や衣装に散財する性質であれば、あっという間に国庫は傾くに違いない。その上、やたらと権力欲が強い割に頭の弱い女であれば、王妃という権力を笠に着て実情にそぐわない無理難題を注文する可能性もある。

その点を考えれば、リリアナ・アレクサンドラ・クラークは申し分のない令嬢だった。


「恋愛も不要、王妃として政に参加はしたいが全てを思い通りにするつもりはない。その言葉がどの程度まで本気かは分からないが、今王国にいる令嬢で、かつ相応の身分を持つ者の中で彼女ほど王妃に相応しい娘はいないだろう――何より、既に王太子妃教育も完了している。それなれば、王妃教育にも殆ど時間は掛からん」

「承知いたしました」


メラーズ伯爵の言葉を無言で聞いていた執事は、ようやく納得したというようにはっきりと頷いた。その双眸には己の主の賢明さを賞賛する光が浮かんでいる。それを見た伯爵は、再び書簡に取り掛かろうとペンを取る。そして、ぽつりと呟いた。


「――しかしマルヴィナ嬢を娶らずに済んだことは、大公閣下にとっても私にとっても幸いだったな」


執事は答えない。しかし、伯爵の優秀な右腕は深く頷いたのだった。



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