表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
324/563

51. 悪役令嬢の甘い蜜 1


その日、メラーズ伯爵は宮廷での仕事を早めに終えた。宰相としての仕事は山積みになっているが、伯爵としての仕事も抱えているためある程度は融通を通している。時折疲労を感じることもあるが、自分の目的を達するためには休んでなど居られない。

挨拶をする文官たちに軽く答えた伯爵は馬車に揺られて王都の屋敷に帰宅した。彼の屋敷は高位貴族のように広く豪華な邸宅ではないが、それでも他の伯爵たちと比べると十分に金が掛けられていることが分かる佇まいだ。その屋敷を、メラーズ伯爵は酷く気に入っていた。

小ぢんまりとした中庭には花が咲き誇り、屋敷の中に品よく誂えられた調度品は全て最高級のもので揃えられている。

フランクリン・スリベグラード大公やスコーン侯爵は派手好きだが、メラーズ伯爵は彼らの好みは品がないと思っていた。真に良いものを知らない成り上がりが、豪奢で金がかかれば価値があると信じ、片っ端から手あたり次第に宝物を集めたように見える。だが、真の美とは整然としていて時には地味と思えるほどの技巧が凝らされたものだと、メラーズ伯爵は考えていた。

尤も、メラーズ伯爵の考え方をする貴族はそれほど多くない。嘗て外交官として発揮した手腕を誇る気持ちとも相まって、メラーズ伯爵の矜持を支えていた。


「旦那様」


帰宅したメラーズ伯爵を、執事が出迎える。普段から落ち着いた彼には珍しく、その表情には動揺が垣間見えた。


「どうした」

「お客様がお出でです」

「客?」


メラーズ伯爵は眉を寄せた。今日、来客予定は入っていない。スコーン侯爵やフランクリン・スリベグラード大公は勿論、旧知の仲であるグリード伯爵も暫くはメラーズ伯爵邸に訪れる予定はなかった。

執事は緊張した面持ちで告げる。


「お若いご婦人です」


あまりに予想外だった。メラーズ伯爵は更に混乱する頭を整理する。

執事は優秀だ。その彼が名を告げないということは、訪問者が執事の知らない人物だということに他ならない。だが、執事はたいていの貴族を知っているはずだった。社交界には出ないものの、夜会を賑わしている貴族は全て把握している。つまり、執事が知らない婦人は王都の夜会に出られないほどの下位貴族か、もしくは貴族ではない相手の可能性が高い。

その上、メラーズ伯爵と関係のある若い貴婦人はそれほど多くない。数少ない関係者の中でも、今この時期に王都の伯爵邸を訪れる人物は思い当たらなかった。


「――分かった、会おう」


逡巡した後、伯爵は答えた。執事は一礼し、応接間にお通ししておりますと伝える。

顔を見ずに追い返しても良いが、今は伯爵にとって重要な時期だ。一つの失敗が命取りになる可能性もある。念のため女が誰なのか、確認せねばならないと思った。


応接間でメラーズ伯爵の帰宅を待っていたのは、確かに年若い婦人だった。だが、背格好を見れば婦人(マダム)というよりも淑女(マドモアゼル)に見える。だが、顔も髪もベールに隠されて見えない。しかし仕立ての良い服は、訪問者が高位貴族であることを示していた。

メラーズ伯爵は余計に訝しく思うが、表情には一切出さない。


「私をお待ちだったとか」

「前触れもなく突然お伺いしたにも関わらず、面会の機会を下さり感謝いたしますわ」


ゆっくりと低く落ち着いた口調で告げられた言葉に、メラーズ伯爵の眉がぴくりと動いた。どこかで聞き覚えのある声だが、すぐには思い出せない。すると、ベールの淑女はくすりと笑みを浮かべたようだった。


「人払いを」


静かに告げられ、メラーズ伯爵は怪訝に思う。若い貴婦人が、年嵩の男相手とはいえ密室で二人きりになるなど普通はあり得ない。しかしメラーズ伯爵は腕に覚えがあった。仮に目の前の淑女が襲い掛かって来たとしても、返り討ちにする自信がある。問題は相手が魔術を使った場合だが、幸運にもここはメラーズ伯爵邸だ。魔術に対する処置も一通りは施してある。

逡巡したものの、メラーズ伯爵は一つ頷くと背後に控えていた執事に目配せした。執事は片眉を上げたが、一礼すると無言で部屋を出る。扉の前から気配が遠ざかったところで、珍妙な客は改めて伯爵に声を掛けた。


「お座りなさい」

「――は、」


一体何を、とメラーズ伯爵は眉根を寄せる。それまでは丁重な態度だったベールの淑女の態度が突然変わった。一体どういうことだと戸惑う伯爵の前で、淑女はゆっくりとベールを脱ぎ捨てる。現れた人の姿に、メラーズ伯爵は息を飲んだ。


――まさか、彼女が伯爵邸を訪れる日が来ようとは。


訪問の目的が何なのか、伯爵には見当もつかない。そんな伯爵に、ベールを取り去った銀髪に薄緑色の瞳をした少女はゆったりと穏やかな笑みを向けた。


「わたくし、伯爵にお願いがあって参りましたの」


リリアナ・アレクサンドラ・クラーク。三大公爵家の娘であり、王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードの婚約者。

まさにその人が、悠然とソファーに腰掛けていた。



*****



リリアナは、眼前で固まったメラーズ伯爵をのんびりと観察していた。

若い頃から外交官として活躍し、宰相としても上手く貴族たちを取りまとめているメラーズ伯爵には珍しいほどの動揺だ。しかし、伯爵も百戦錬磨の人だった。軽く咳払いをし、すぐに自分を取り戻す。


「まさか、貴方が我が家にいらっしゃるとは思いませんでした。お忍びですか?」

「ええ。ですから従者も連れておりませんでしょう」


護衛は外で待たせていますが、と小さく声を立てて笑うリリアナは、寛いでいるように見せながらもその実一切の油断をしていなかった。メラーズ伯爵本人だけでなく邸宅に張り巡らされた魔術陣に反応されないよう、細心の注意を払いながら術式を展開し、邸宅内にどの程度人がいるのか、そして彼らが何をしているのか確認する。

どうやらリリアナを案内した執事は隣室で、リリアナたちの会話を盗み聞きしているようだった。


(さすがに、執事が盗み聞いている内容と伯爵の記憶に相違が出れば怪しまれますものね)


恐らく、伯爵は執事を腹心の部下として使っているのだろう。大公派としての活動にも、執事を巻き込んでいるに違いない。

そう見当を付けたリリアナは、執事にも全てを恙なく聞かせることにした。

にっこりと笑んで、リリアナは様子を窺うように自分を注視するメラーズ伯爵に向け口を開く。


「わたくしも忙しいのですが、伯爵もお忙しいのでしょう? いつも宰相の仕事を精力的にこなしていらしていて、素晴らしい方だと常々思っておりましたの」

「滅相もございません。私などまだまだ若輩者。貴方様のお父上の後を継ぐような形となり、日々精進せねばと戒めております」

「謙虚ですのね」


リリアナは賞賛の色を声音に乗せた。元々感情を表現することは得意ではない。そもそも自分の感情を理解できていないのだから、表現のしようもない。だが、それが交渉に必要となれば話は別だ。

どのような表情で、どのような声音を使って話せば、相手にどのような印象を抱かせることができるか。

それを理解した上で機械的に、相手の様子を窺いながら自分の体と声を変化させれば良い。それだけのことだ。

予想通り、メラーズ伯爵はリリアナに違和感を覚えた様子はなかった。そもそもリリアナはライリーやオースティン、クライドと交流はそれなりにあるが、それ以外の貴族とは殆ど接点もない。例外はケニス辺境伯くらいだが、それ以外の貴族とは立太子の儀や何らかの式典で挨拶をする程度で、彼らがリリアナの為人を知る機会はほぼなかった。

そのため、メラーズ伯爵が今のリリアナを見ても違和感を覚えることはない。


「それで、本日はどのようなご用件でいらっしゃいましたか」


しかし、殆ど交流がないからこそ、メラーズ伯爵はリリアナが何故今日訪れてきたのか、その理由に思い至らない様子だった。それも当然だ。大公派として活動いている伯爵は、政敵の側近であるクライドのことは調べても、リリアナのことは度外視しているはずだった。否、ライリーの婚約者としてはある程度認識し調査もしているだろうが、重要な人物としては考えていない。そのため、必然的にリリアナに関する情報も不足する。

リリアナは、不快を表わすように眉根を寄せた。


「貴方のことですから、あの噂はご存知でしょう」

「はて、あの噂――――とは」


メラーズ伯爵は首を傾げる。だが、思い至っていないはずはない。ただ伯爵は無意識にリリアナよりも優位に立とうとしている。そのため、敢えて素知らぬ振りをしているに過ぎない。それを理解した上で、リリアナは僅かに声を固くした。

リリアナはまだ十四歳だ。メラーズ伯爵には、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「わたくし、困っているのです」

「――は」

「困っているのです、本当に」


リリアナは少々頭の足りない少女がそうするように――そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、足りない言葉を繰り返す。

伯爵は、乙女ゲームでは殆ど出て来なかった人物だ。物語の中盤でリリアナとクライドの父が死に、その後は宰相の座をクライドが継いだ。影として描かれた有象無象の中にはメラーズ伯爵も存在していたかもしれないが、名前も顔も出て来ていなかった。そもそも大公派自体が、ゲームの中では影が薄い。

だが、現実では大公派はそれなりの勢力を持っているし、中心人物は間違いなくメラーズ伯爵だ。()()スコーン侯爵でさえ、メラーズ伯爵の意見には耳を貸す。フランクリン・スリベグラード大公は言わずもがなだ。

だから、リリアナは最初にメラーズ伯爵に会いに来た。


「わたくし、マルヴィナ様が隣国に嫁がれるとなって安心いたしましたのよ。何のためにわたくしが長年の王太子妃教育を耐え忍んで来たのか、優秀な貴方ならお分かりでしょう、伯爵」

「ええ、それは――はい、心中お察し申し上げます」


如才なく答えながらも、メラーズ伯爵が内心で色々な可能性を考えていることにリリアナは気が付いていた。


(存外、勘は悪そうですわね)


油断は禁物だが、すぐに状況を理解できないメラーズ伯爵は突発的な出来事に弱いのかもしれない。どちらかというと、全ての手札を確認してから計画を立てる性質なのだろう。かつては外交官をしていたし今も宰相として活躍していることを考えればある程度の変化には対応できるはずだが、とリリアナは内心で首を傾げる。

そのリリアナは、自分のしていることがあまりにも――優秀と名高いメラーズ伯爵にとっても突拍子もないことであることは、自覚していなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ