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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません

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50. 繭の糸 3


ユナティアン皇国の宮廷に、珍しく皇位継承者争いに名乗りを上げている皇子と皇女たちが集まっていた。普段は滅多に開かれない御前会議は、皇帝の鶴の一声があればたとえ翌日であろうと開かれる。次代の皇帝の座を狙う者たちは必ずその会議には出席しなければならない。当然、他国や国境近辺にまで足を運んでいることもあるが、そこからどうにかして会議に間に合うよう宮廷へ入らなければ、皇位継承争いで後れを取る。

長らく御前会議への出席を避けて来たローランドも、名乗りを上げると決めてからは毎回御前会議には出席するようにしていた。とはいえ、それほど開催される頻度も高くない。


ローランドは、皇族の中では真っ先に会場に入った。斜め後ろにはドルミル・バトラーが控えている。その次に入って来た第一皇女は、ローランドを見つけるや否やぎろりと睨んで来た。しかし直接声を掛けることは愚か、近付いて来ようとはしない。ローランドも苛烈な第一皇女とは極力関わり合いになりたくはないため、無視を決め込んだ。

宮廷内で発言権のある貴族たちの大半はローランドが入室するより前に集まっていたが、仕事が立て込んでいた者たちはローランドや第一皇女よりも後から入室する。ローランドが御前会議に参加するようになった当初はぎょっとしたようにローランドを凝視していた彼らも、今ではローランドが居ることが当然のように扱っていた。

最後に部屋に入って来たのは第三皇子マティアスだ。彼は第一皇女とローランドに目をやると、不遜な笑みを浮かべて堂々と自らの椅子に腰を下ろした。

ゆっくりと扉が閉まる。


ローランドは、唯一空いている椅子に目をやる。前回の御前会議の時、室内の椅子は全て埋まっていた。視線の先にある空席には、第一皇子が座っていた。殺されても死なない兄だと、ローランドは思っていた。第一皇子はそれほどまでに慎重で警戒心が高かった。だが、その彼も裏を掻かれた。下手人は侍女だったが、黒幕は不明のままだ。とはいえ第一皇女か第三皇子のどちらかだということは、誰が口にするまでもなく共通認識として存在していた。


緊迫した空気の中、暫く待ったところで皇帝カルヴィンがようやく姿を現わす。カルヴィンは威厳ある表情のまま、一段高い場所に誂えられた玉座に腰を下ろした。皆の視線が一斉にカルヴィンへと集中する。

一般の貴族であれば、恐ろしさのあまりカルヴィンを直視することなどできない。だが、この場に集められた者たちは誰一人としてカルヴィンから視線を逸らそうとはしなかった。

まるで野獣に遭遇した猟師のようだ、と毎度ローランドは思う。特に一部の貴族などは内心恐怖に震えているくせに、目を逸らしたら殺されるとでも言わんばかりに必死なのだ。そしてローランドは、同時に皇帝(カルヴィン)がそのような貴族たちの様子を楽しんでいることにも気が付いていた。


「今日の議題はこれだ」


カルヴィンは、何の前置きもなく言葉を発する。その言葉と同時に、文官たちの手により書類が配られる。議題は非常に簡素だった。だが、予想外でもあったのか部屋の至る所から息を飲む音が聞こえる。カルヴィンが鋭く視線を走らせると途端に静けさが戻るが、ローランドは苦笑を禁じ得なかった。

今の一瞬で、息を飲んだ者たちはカルヴィンに使えない者として切り捨てられる。事前にある程度情報を掴んでいれば、驚くことはないという考えだ。だが、この情報を事前に得ることは非常に難しい。皇族やキュンツェル宮廷伯ほどの実力者であればまだしも、今室内に居る有力貴族たちの大半はそもそもその存在自体が眉唾物だと思っていたに違いない。


『国宝黒水晶の盗難疑惑』


それが、カルヴィンが提示した議題だった。

カルヴィンはゆっくりと室内に揃った者たちの顔を眺め、にやりと口角を笑みの形に引き上げる。そして低い声を発した。


「発言を許可する」


非常に端的過ぎて、初めて顧問会議に参列した者であれば何を発言すれば良いのか戸惑うに違いない。しかし、だからといってカルヴィンに質問を投げかけることは許されない。カルヴィンは既に何らかの情報を得ているものとして、会議を進める。彼の中に何かしらの答えが用意されていたとしても、それを問うてはならない。カルヴィンが求めているものは、自ら情報を収集し、それを元に熟考し導き出した結論であって、忖度ではない。ただし問題は、その結論がカルヴィンの予想通りか、それを越えるものでなければ決して認められるものではないということだった。

仮にカルヴィンの予想を下回ってしまえば、それもまた落第を意味する。その後二度とカルヴィンの御前会議に呼ばれることはなくなり、宮廷内での権力は失われてしまう。

皇位継承者であれば御前会議に出席することはできるが、発言は許されない。その後の挽回は非常に難しい。

しかし、だからといって保身を考え無言を貫くこともまた悪手だ。


即ち、ユナティアン皇国での御前会議は貴族たちの進退を決する非常に重要なものだった。その場で皇帝に認められたら宮廷内での地位は躍進し、切り捨てられてしまえば宮廷から追放される。そして挽回は非常に難しい。貴族たちにとっては、全身に冷や汗を掻く場だ。


緊張に満ちた空気を打ち破ったのは、第一皇女だった。


「簡単な話です、皇帝陛下。黒水晶を狙っているのは王国だという噂ですから、我が国の国宝を狙えばどのような惨劇が待っているか、目に物を見せてやれば良いのです」


戦好きの皇女らしい台詞に、彼女を支持している貴族たち――特に軍属の者たちは大きく頷く。第一皇女は即ち、国宝を狙っているということを理由に隣国へ進軍すべきだと主張しているのだ。だが、それに失笑を隠さない者がいた――第三皇子である。

元より戦に美を見出さない彼は、遠慮も一切なく姉の言葉を鼻先で笑い飛ばした。気が付いた第一皇女が弟を睨みつけるが、第三皇子は全く怯まない。それどころか心底姉を馬鹿にした視線のまま言ってのけた。


「あまりにも浅はかで馬鹿馬鹿しい意見だと言わざるを得ませんね、姉上。確かに国宝を狙う者は王国以外にはないでしょう。奴らは我らが初代皇帝陛下を心底恐れている腰抜けですからね。しかし、進軍するとなると準備に時間も金もかかる。その間に黒水晶が盗まれたら、如何なさるおつもりです?」

「口が過ぎるぞ、マティアス!」

「図星を刺されて激昂するとは、さすが単細胞の戦闘狂(血気盛ん)ですね、姉上」


額に青筋を浮かべる第一皇女に、第三皇子マティアスは全く怯まない。平然と自分より身長の高い姉を見返し、こんなことすらも思いつかないのかと冷然と言い放った。


皇都(トゥテラリィ)にいる王国人を全て捕らえ間者を炙り出せば良いのですよ。簡単なことです。僕の試算では、進軍すれば我が国の年間予算ほどが一ヵ月で消えてなくなりますが、皇都(トゥテラリィ)の王国人を捕え尋問するのであれば半月分ほどの予算で十分賄えます」


ローランドは目を瞬かせた。第三皇子マティアスは残虐で陰湿な性質だが、商売の才能は持っていない。つまり金銭的な損得勘定は苦手な性質だ。彼の損得勘定は全て、自分の興味関心――即ち拷問に関わることだけである。しかしそれでは貴族たちの支持は得られない。

そこでようやく、ローランドはマティアスの背後に控えている男に目を向けた。影を消すようにしてひっそりと控えている冴えない貴族は、元々は第一皇子の派閥に与していた。キュンツェル宮廷伯が次に誰を支持するか直前まで見極めようとしていたものの、なかなか動きを見せないキュンツェルにしびれを切らして第三皇子の陣営へ入ったのだろう。商売が得意な第一皇子の側近として動いていた記憶があった。

あの男の入れ知恵か、とローランドは見当を付ける。しかし直情的な第一皇女は一切そのようなことは気にならないらしい。それは彼女の側近たちも同様だ。今にも射殺しそうな視線を第三皇子に向けている。


「その中に王国の間者が居なければ如何するつもりだ、マティアス。それに王国人を捕らえたところで、次の間者が送られて来るだけだろう。そういうのを鼬ごっこと言うのだ、馬鹿め」

「姉上はもう少し品性というものを学んだ方が宜しいですよ、聞くに堪えない」

「貴様は無駄口を閉じて少しはその貧弱な体を鍛えろ」


マティアスは他者が苦しみ藻掻いているところを見るのは好きだが、自ら苦しみを味わいたいとは決して考えない。そのため幼い頃から剣技や体術といった武の稽古は一切さぼり、その分の時間を動物実験に宛てていた。当初は小さな鼠を使っていた実験がやがて犬猫になり、人になったのはそれほど遅くない時期だったとローランドは記憶している。

マティアスの残虐性は幼少期から見られていたが、皇帝(カルヴィン)はその残虐性が動物や奴隷、犯罪者――そして庶民の中でも孤児や病に伏した者、怪我を負い働くことも戦うことも出来ない者に向けられている内は、容認する心積もりのようだった。マティアスも心得たもので、父カルヴィンが許容する相手だけを巧妙に選んでは己の実験の生贄にしている。


一触即発の空気に、傍観を決め込んでいた貴族たちの顔色も僅かに悪くなる。しかし皇帝だけは楽し気な様子で子供たちの諍いを眺めていた。

ローランドは、思わず洩れそうになる溜息をどうにか堪えた。カルヴィンが何を求めているのか、分からないローランドではない。この場を収める気があるのか、そしてもしその気があるのならどのように収めるのか、それすらも今のカルヴィンは見極めようとしている。

これまでであれば、このような時は必ず第一皇子が口を出していた。彼は第一皇女の勘気や第三皇子の口先三寸の屁理屈を全て抑え込み、己の提案を納得させて来た。第一皇子が王国を内側から崩壊させ皇国の傀儡にしようと企んでさえいなければ、ローランドも第一皇子の支持に回っただろう。

だが、もはやその第一皇子も居ない。

致し方なしに、ローランドは口を開いた。このまま放っておけば、スリベグランディア王国との国交が悪化することは想像に難くない。それは避けなければならなかった。


「一つ確認したいのだが、スリベグランディア王国の軍事力はどの程度だと考えていらっしゃるのか」


ローランドの言葉に先に反応したのは第一皇女だった。片眉を吊り上げ、何を言っているのかとでも言いたげにローランドを睨む。


「何が言いたい?」

「進軍したとして、どの点を決着と考えているのか、そしてその決着までにどの程度の時間をかけるつもりなのか、それを確認しているのだ」


第一皇女は根っからの軍人だ。それも長期的な戦略を立てることは不得手だ。特に政治的な思惑が絡めばからきしである。その点は側近たちが補っているようだが、元々好戦的な者たちの寄せ集めだ。どうしても隙は出る。

一方の第三皇子マティアスは、ローランドを見て少し感心したように目を瞠ってみせた。だが、その双眸からは嘲弄の光が消えていない。長らく皇位継承争いから距離を取っていたローランドなど、マティアスにとっては取るに足らない相手という認識でしかなかった。


「ふん、そんなもの。王国の軍事力と我が国の軍事力は比べるべくもない。一ヶ月もあれば、王都ヒュドールを血の海に染めてみせよう」

「その時にはカルヴァート騎士団とケニス騎士団、王立騎士団を討伐していると?」

「その通りだ」


なるほど、とローランドは頷いてみせた。だが、あまりにも目算が甘い。その証拠に、有力貴族たちの一部は白けた様子で第一皇女を眺めやっていた。ローランドは腕を組んで「なるほど」と呟く。


皇都(トゥテラリィ)から国境まで、早馬でも数週間の道のりだ。更に国境から王都までも相応の時間が掛かる。軍勢を率いて国境まで辿り着き、そこから進軍して王都に突き進むとなると、果たして戦うだけの時間があるのかも――それどころか寝る間もあるのかすら、疑問に思える道程だが」


途端に第一皇女の顔が怒りに赤く染まる。ローランドの指摘は彼女の弱点を突いたらしい。どうやら第一皇女もその側近も、そこまで深く計画を練っていたわけではないようだ。

他の場所では許されただろうその杜撰さも、御前会議では致命的だった。しかし第一皇女は睨み殺すような視線をローランドに向けたまま、唸るように言い放つ。


「誰も皇都(トゥテラリィ)からの時間とは言っていない。開戦してからに決まっているだろう」

「そうか」


しかし、ローランドは動じない。たとえ開戦から一ヶ月で決着をつけるという意味だったとしても、明らかに机上の空論だった。

第一皇女が統率している軍は皇都(トゥテラリィ)を拠点としている。つまり、彼女が手勢を自ら率いて王国と開戦するつもりであれば、皇都(トゥテラリィ)から出立する時点を起点日と考えなければならない。

だが、第一皇女は開戦から一ヶ月で決着をつけると断言した。ローランドは背後でドルミル・バトラーが失笑している気配を感じながら、敢えてゆっくりと言葉を続けた。


「てっきり手勢を皇都(トゥテラリィ)から連れて行かれるのかと思っていたから、起点日は皇都(トゥテラリィ)出立時と考えていた。開戦時を起点日とするのであれば、軍勢は辺境領主に提供させるということだな」


ほんの一瞬だけ、第一皇女が怯む。ローランドはその様子を見逃さない。そして、そんな第一皇女を見下し嘲笑う第三皇子の反応も目敏く確認していた。


「――その通りだ」

「であれば、ここ最近立て続けに、辺境領主がケニス騎士団とカルヴァート騎士団を相手に敗走を期していることも、更に言えばカルヴァート騎士団には辺境領主が捕らわれ示談交渉が行われたことも、考慮に入っているのだろうな」


ローランドははっきりと口にはしなかったが、その場に居る誰もが彼の意図を正確に汲み取った。つまり、あっさりと敗北を喫した軍勢を頼りに一ヶ月で王都まで進軍できると考える方が無茶である。

第一皇女はギリリと歯を食いしばった。


「軟弱な――!」


毒づく声が聞こえるが、結局は負け犬の遠吠えだ。ローランドはその場の空気が自分に味方したと判断し、視線を第三皇子に向けた。


「かといって、皇都(トゥテラリィ)に居る王国人を全て捕らえるという案も現実的ではない。相当数に上るし、その中には皇国人と婚姻を結び永住の道を選んだ者も居る。当然彼らは周囲の人間とも関係を育んでいる。彼らを捕らえ尋問した後、万が一後遺症でも残れば、皇都(トゥテラリィ)の民たちの不審を招きかねない。長期的に見れば我が国の不利益となることは歴史も証明している」


自分の提案にローランドが反論するとは思っていなかったのか、マティアスは不快感も露わにローランドを睨み据える。しかしローランドは怯むことなく、言葉を続けた。


「その上、王国人を全て捕らえたとなれば隣国も黙ってはいない。戦になった場合、不利なのは増援を送るのに時間が掛かるこちらだ」

「それなら、最初から国境に援軍を送り込んでおけば良いでしょう」


ローランドの言葉に、マティアスが反論する。しかしローランドは失笑を浮かべるだけだった。


「向こうが戦支度をしていないのに、か。それこそ戦意があると解釈されかねんぞ。弱腰になる必要はないが、かといって負け戦となるものを放っておくわけにもいかん」


不快に顔を顰めた第三皇子は、恐らく矜持をローランドに傷つけられたのだろう。殺意の籠った目は、今にもローランドを痛めつけてやりたいと考えているようにも見える。

今夜の食事には気を付けるか、とローランドは内心で思いながら、静かに第三皇子を見返した。


「それならば」


それが彼の矜持なのか、第三皇子は平静を保つ。ローランドを挑発しようと思っているのかもしれないが、高慢に響く声音はほんのわずかに震えていた。


「兄上は、どのようにすれば良いとお考えなのです? さぞや崇高なお志があるのでしょうねえ?」


だが、生憎と第三皇子の挑発は全くローランドの心に響かない。底の浅さを実感させるような台詞にローランドは溜息を堪え、肩を竦めた。


「そもそも疑問なのが」


貴族たちの視線も、そしてカルヴィンの注意も――部屋の全てが、ローランドの発言に注目する。それを全身で感じながら、ローランドは明朗な口調で尋ねた。


「黒水晶の盗難を企てている者が王国だと、何故断言できる?」


部屋が静まり返る。第一皇女と第三皇子だけでなく、事前に噂を聞いて情報を収集していた貴族全てが絶句したままローランドを凝視していた。



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